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平成15年門審第84号
件名

貨物船第十八充山丸引船第八阿蘇丸衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成15年12月16日

審判庁区分
門司地方海難審判庁(長谷川峯清、橋本 學、小寺俊秋)

理事官
尾崎安則

受審人
A 職名:第十八充山丸二等航海士 海技免許:五級海技士(航海)
B 職名:第八阿蘇丸一等航海士 海技免許:四級海技士(航海)(旧就業範囲)
指定海難関係人
C 職名:第八阿蘇丸一等機関士

損害
充山丸・・・左舷中央部外板に破口を伴う凹損等
阿蘇丸・・・右舷船首部外板に曲損等

原因
阿蘇丸・・・動静監視不十分、船員の常務(新たな衝突のおそれ)不遵守(主因)
充山丸・・・警告信号不履行、船員の常務(衝突回避措置)不遵守(一因)

主文

 本件衝突は、第八阿蘇丸が、動静監視不十分で、左舷を対して無難に航過する態勢で接近する第十八充山丸に対し、左転して新たな衝突のおそれを生じさせたことによって発生したが、第十八充山丸が、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
 受審人Bを戒告する。
 受審人Aを戒告する。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成15年3月15日04時50分
 伊予灘由利島南西方沖合
 
2 船舶の要目
船種船名 貨物船第十八充山丸 引船第八阿蘇丸
総トン数 499トン 268トン
全長 70.30メートル 40.51メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 735キロワット 1,397キロワット

3 事実の経過
 第十八充山丸(以下「充山丸」という。)は、船首部にジブクレーンを装備した船尾船橋型の鋼製砂利運搬船兼貨物船で、船長Y及びA受審人ほか3人が乗り組み、空倉のまま、船首1.8メートル船尾3.8メートルの喫水をもって、平成15年3月14日18時30分兵庫県赤穂港を発し、法定灯火を表示して大分県津久見港に向かった。
 ところで、充山丸は、船橋当直を、船長ほか2人の航海士が乗船している時には単独の4時間3直制とし、3人が順番に1人ずつ休暇下船する時には単独の6時間2直制として07時から13時まで及び19時から01時までを船長が、並びに01時から07時まで及び13時から19時までを航海士がそれぞれ当直に当たり、Y船長が年間60ないし70日間の休暇下船時には、A受審人が代理船長の任務に就いていた。
 こうして、A受審人は、一等航海士が休暇下船していてY船長と6時間交代の船橋当直に就き、翌15日04時34分半由利島灯台から151度(真方位、以下同じ。)0.95海里の地点で、折からの霧雨によって視程が3海里ほどになっている状況の下、海図に記載された伊予灘推薦航路線を横切って愛媛県佐田岬を約3海里離して航過するように、針路を226度に定め、機関を全速力前進にかけ、11.3ノットの対地速力(以下「速力」という。)で、レーダーのレンジを適宜切り替えて周囲の見張りに当たりながら、自動操舵によって進行した。
 04時39分A受審人は、由利島灯台から186度1.45海里の地点に差し掛かったとき、6海里レンジとしたレーダーによって右舷船首8度3.5海里に1隻(以下「第三船」という。)及び同方位4.0海里のところに第八阿蘇丸(以下「阿蘇丸」という。)をそれぞれ探知し、その後レーダーにより両船がいずれも伊予灘推薦航路線に沿ってその右側を東行していることを知り、引き続きレーダーによる動静監視を続けながら続航した。
 04時44分A受審人は、由利島灯台から201.5度2.25海里の地点に達したとき、レーダーで第三船を右舷船首8.5度1.65海里及び阿蘇丸を右舷船首7度2.1海里のところに探知したのち、肉眼によって第三船の白、白、紅3灯及び阿蘇丸の白、紅2灯を初めて認め、両船がいずれも前路を左方に横切り、衝突のおそれがある態勢で接近していることを知り、針路を236度に転じ、両船と左舷を対して無難に航過する態勢とし、操舵室の左舷側に立って両船の灯火の替わり方を監視しながら、同じ速力で進行した。
 04時46分A受審人は、由利島灯台から206.5度2.55海里の地点に至り、第三船が左舷船首5度0.9海里及び阿蘇丸が同方位1.3海里に接近したとき、阿蘇丸が紅灯を見せたまま第三船の陰に入ってその灯火を認めることができなくなったが、第三船と無難に航過できるかどうかを、同じ姿勢で確認しながら続航した。
 04時46分半A受審人は、由利島灯台から207.5度2.65海里の地点に達したとき、左舷船首6度1.1海里のところに、第三船の陰から再び紅灯を見せて現れた阿蘇丸を認め、このまま進行すれば、第三船と同様に互いに左舷を対して無難に航過する状況であったが、間もなく、これまで白、紅2灯を見せていた阿蘇丸の灯火が、白、紅、緑3灯となり、引き続き白、緑2灯を見せて接近することから、同船が左転して自船に対して新たな衝突のおそれのある関係を生じさせたことを知ったものの、夜間なので汽笛よりも探照灯の照射のほうが効果があるものと思い、直ちに汽笛によって警告信号を行うことなく、操舵室中央に戻って同灯で阿蘇丸を照射しながら、同じ針路、速力のまま進行した。
 04時48分A受審人は、由利島灯台から210度2.9海里の地点に達し、第三船と0.1海里の距離で互いに左舷を対して無難に航過したとき、左舷船首1度0.55海里のところに、少し前に探照灯で照射した阿蘇丸が、依然として緑灯を見せたまま接近するのを認め、衝突の危険を感じたものの、何とか替わせるものと思い、速やかに行きあしを止めるなど阿蘇丸との衝突を避けるための措置をとることなく、機関を半速力前進とし、手動操舵に切り替えて右舵一杯としたが、及ばず、04時50分由利島灯台から214度3.0海里の地点において、充山丸は、船首が333度に向き、8.0ノットの速力になったとき、その左舷中央部に、阿蘇丸の船首が後方から60度の角度で衝突した。
 当時、天候は霧雨で風力2の北東風が吹き、潮候は上げ潮の中央期にあたり、視程は約3海里であった。
 自室で休息中のY船長は、衝突の衝撃を感じて目覚め、直ちに昇橋して事後の措置に当たった。
 また、阿蘇丸は、2機2軸2舵を有する船首船橋型の鋼製引船で、船長M及びB受審人ほか4人が乗り組み、新潟県直江津港まで回航予定の揚土船の引き渡しを受ける目的で、船首3.0メートル船尾4.0メートルの喫水をもって、同月14日15時10分長崎県平戸港を発し、神戸港に向かった。
 ところで、阿蘇丸は、船橋当直を、00時から04時まで及び12時から16時までを二等航海士が、04時から08時まで及び16時から20時までをB受審人が、08時から12時まで及び20時から24時までをM船長がそれぞれ単独で受け持つ4時間3直制とし、出入港時、視界制限時及び狭水道通航時には船長が昇橋して操船指揮に当たることにしており、機関当直を、06時から12時まで及び18時から24時までを機関長が、並びに00時から06時まで及び12時から18時までをC指定海難関係人がそれぞれ単独で受け持つ6時間2直制としていた。また、同船は、司厨長が全食事を準備し、食事時間を、朝食が05時から07時まで、昼食が11時から12時まで、及び夕食が17時から18時までと決めており、B受審人の船橋当直中の朝食時にはC指定海難関係人が、夕食時には二等航海士がそれぞれ昇橋し、10分間ほど交代して同受審人が食事中の同当直に当たっていた。
 C指定海難関係人は、平成12年に阿蘇丸に乗船し、1年後にB受審人が乗船して以来、同受審人の朝食時の食事交代のために昇橋し、船橋当直の資格を有しないまま単独の同当直に当たっていた。その際に同指定海難関係人は、B受審人から針路、速力等を引き継ぐものの、同受審人にレーダーを長距離レンジに切り換えるなどして周囲の状況を十分に確認してもらうことをせず、また、方位の変化がないまま自船に接近する他船を認めたときには、自らの経験により避航の必要があると判断して転針することがあった。
 こうして、B受審人は、翌15日04時40分由利島灯台から221度4.9海里の地点に差し掛かり、食事交代のためにC指定海難関係人が昇橋したとき、左舷船首9度3.6海里のところに充山丸がおり、レーダーを6海里以上のレンジに切り換えれば、同船を探知でき、その後衝突のおそれがある態勢で接近することが分かる状況であったが、同指定海難関係人とともに3海里レンジとしたレーダー画面を見ながら、左舷船首方に自船よりも速力が少し遅い第三船がいること、針路を063度に定めていること、機関を全速力前進にかけて12.0ノットの速力で自動操舵により進行していること、及び視程が約3海里であることなどを引き継ぎ、レーダー画面上に第三船以外に航行の支障となる船舶の映像が表示されていなかったことから、食事のために降橋している間に他船と衝突のおそれが生じることはあるまいと思い、レーダーを6海里以上の長距離レンジに切り換えて周囲の状況を確認したうえで船橋当直を引き継ぐことも、接近する他船があれば自ら昇橋してその動静監視ができるように、直ちに食堂にいる自分に直通電話で報告するよう指示することもなく、充山丸に気付かないまま、いつものように同指定海難関係人を朝食時の同当直に当たらせて降橋した。
 04時41分C指定海難関係人は、由利島灯台から220度4.7海里の地点で、3海里レンジとしたレーダー画面に表示させた3海里の固定距離マーカーの外側で、左舷船首9.5度3.2海里のところに充山丸を探知し、双眼鏡を使用して同船を見たところ、間もなく白、白、緑3灯を初めて認めたが、直ちにB受審人に報告せず、その後同受審人が充山丸の動静監視を行うことができないまま、続航した。
 04時43分C指定海難関係人は、由利島灯台から218度4.35海里の地点に達したとき、左舷船首10度2.45海里のところに、自船及び第三船の前路を右方に横切る態勢で接近している充山丸を認めたが、依然としてB受審人に報告しないまま、自らの経験により左転して同船との航過距離を広げる必要があると判断し、自動操舵の針路設定ノブを左に5度回して針路を058度に転じ、同じ速力で進行した。
 04時44分C指定海難関係人は、由利島灯台から217度4.2海里の地点に差し掛かったとき、充山丸が左舷船首8度2.1海里のところで右転し、その後互いに左舷を対して無難に航過する態勢で接近する状況となったが、B受審人に同船を初認したことも接近していることも報告しなかったので、同受審人が昇橋して同船に対する動静監視を行うことができず、この状況に気付かないまま続航した。
 04時46分C指定海難関係人は、由利島灯台から215度3.8海里の地点に至り、充山丸が左舷船首7度1.3海里に接近したとき、同方位0.4海里のところを同航している第三船の陰に入って充山丸の灯火を認めることができなくなったが、このまま進行すれば、充山丸と互いに右舷を対し、また、第三船の左舷側をそれぞれ無難に航過できるものと思って続航した。
 04時46分半C指定海難関係人は、由利島灯台から214度3.7海里の地点に達したとき、左舷船首8度1.1海里のところに、第三船の陰から紅灯を見せて現れた充山丸を認め、第三船の陰に隠れるまで緑灯を見せていた充山丸の舷灯が紅灯に変わったことを疑問に感じながらも、依然、充山丸と互いに右舷を対して航過するために同船との航過距離を広げる必要があると思っていたことから、再び針路設定ノブを左に少し回して左転を始め、充山丸に対して新たな衝突のおそれのある関係を生じさせ、ゆっくり左転しながら進行した。
 04時48分C指定海難関係人は、由利島灯台から214度3.4海里の地点に差し掛かり、船首が040度を向いたとき、右舷船首15度0.55海里のところで、充山丸が自船との衝突を避けるために右転したが、B受審人が動静監視不十分でこのことに気付かず、依然として右舷を対して航過するつもりで、更に同ノブを小刻みに左に回し、ゆっくり左転しながら続航中、阿蘇丸は、船首が033度に向いたとき、原速力のまま、前示のとおり衝突した。
 自室で休息中のM船長は、衝突の衝撃で目覚め、食堂で朝食を終えたB受審人も同衝撃を受け、いずれも直ちに昇橋して事後の措置に当たった。
 衝突の結果、充山丸は、左舷中央部外板に破口を伴う凹損等を、阿蘇丸は、右舷船首部外板に曲損等をそれぞれ生じたが、のちいずれも修理された。 

(原因)
 本件衝突は、夜間、伊予灘由利島南西方沖合において、両船が互いに左舷を対して無難に航過する態勢で接近中、東行する阿蘇丸が、動静監視不十分で、西行する充山丸に対し、左転して新たな衝突のおそれを生じさせたことによって発生したが、充山丸が、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
 阿蘇丸の運航が適切でなかったのは、船橋当直者が、食事交代のため昇橋した同当直の資格を有しない乗組員を単独の当直に当たらせる際、接近する他船があればその動静監視ができるように直ちに報告するよう指示しなかったことと、同乗組員が、同当直者に接近する他船の報告を行わなかったこととによるものである。

(受審人等の所為)
 B受審人は、夜間、伊予灘由利島南西方沖合において、伊予灘推薦航路線に沿ってその右側を東行中、食事交代のために昇橋した船橋当直の資格を有しない乗組員を同当直に当たらせる場合、接近する他船があれば自ら昇橋してその動静監視ができるよう、同乗組員に対し、接近する他船があれば直ちに報告するよう指示するべき注意義務があった。ところが、同受審人は、3海里レンジとしたレーダー画面上に航行の支障となる船舶の映像が表示されていなかったことから、降橋している間に他船と衝突のおそれが生じることはあるまいと思い、接近する他船があれば直ちに報告するよう指示しなかった職務上の過失により、同乗組員から接近する充山丸の報告が得られず、自ら昇橋して同船に対する動静監視を行うことができないまま進行させ、充山丸と互いに左舷を対して無難に航過する態勢で接近中、同乗組員が左転して同船との衝突を招き、阿蘇丸の右舷船首部外板に曲損等及び充山丸の左舷中央部外板に破口を伴う凹損等をそれぞれ生じさせるに至った。
 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
 A受審人は、夜間、伊予灘由利島南西方沖合において、単独の船橋当直に就いて西行中、互いに左舷を対して無難に航過する態勢で接近する阿蘇丸が、左転して自船に対して新たな衝突のおそれのある関係を生じさせたことを知った場合、直ちに警告信号を行うべき注意義務があった。ところが、同人は、夜間なので汽笛よりも探照灯の照射のほうが効果があるものと思い、警告信号を行わなかった職務上の過失により、同灯で阿蘇丸を照射したものの、更に間近に接近したときに、行きあしを止めるなど同船との衝突を避けるための措置をとることなく、機関を半速力前進及び右舵一杯で進行して阿蘇丸との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
 C指定海難関係人が、夜間、伊予灘由利島南西方沖合において、船橋当直の資格を有しないまま、食事交代のために昇橋して単独の船橋当直中、接近する充山丸を認めた際、同船に対する動静監視を行うことができる同資格を有するB受審人に充山丸の接近を報告せず、左転して新たな衝突のおそれを生じさせたことは、本件発生の原因となる。
 C指定海難関係人に対して勧告しない。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
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