(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成15年4月10日10時10分
大分県臼石鼻沖合
2 船舶の要目
船種船名 |
押船第五永光丸 |
漁船第二大盛丸 |
総トン数 |
19トン |
4.99トン |
全長 |
14.75メートル |
14.0メートル |
登録長 |
11.88メートル |
9.94メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
735キロワット |
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漁船法馬力数 |
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15 |
船種船名 |
押船ひろ丸 |
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総トン数 |
19トン |
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全長 |
13.50メートル |
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登録長 |
11.96メートル |
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機関の種類 |
ディーゼル機関 |
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出力 |
294キロワット |
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船種船名 |
バージ永光 |
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総トン数 |
約862トン |
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全長 |
53.50メートル |
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幅 |
16.50メートル |
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深さ |
4.30メートル |
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3 事実の経過
第五永光丸は、鋼製の押船で、平成13年2月交付の一級小型船舶操縦士免状を有するA受審人ほか甲板員1人が乗り組み、作業員2人を乗せ、船首1.20メートル船尾2.40メートルの喫水をもって、また、ひろ丸は、鋼製の押船で、船首1.00メートル船尾2.50メートルの喫水をもって、建設残土1,000立方メートルを積載して船首3.80メートル船尾4.00メートルの喫水となった、無人で非自航のバージ永光の船尾に設けられた2箇所の嵌合部にそれぞれの船首を嵌合させ、全長約59メートルの押船列(以下「永光丸押船列」という。)を構成して、平成15年4月9日17時00分広島県広島港を発し、大分県守江港に向かった。
ところで、有限会社Nは、内航運送業などを営んでおり、同社所有の第五永光丸及び興南102の両押船を効率的に運航するため、平成13年に永光を改造して押船2隻分の嵌合部を造り、第五永光丸及び興南102によって永光を押し、主として海砂の運搬などに従事していたが、平成14年4月から興南102をひろ丸に代えて永光丸押船列を運航するようになった。
ところが、同社は、永光の改造以降、第五永光丸には有資格者を船長として乗り組ませていたものの、興南102及びひろ丸には、いずれも有資格者を船長として乗り組ませることなく、操舵室の位置が高い第五永光丸に他方の押船の遠隔操縦装置のコードを延長して、同操舵室で2隻の押船の操舵及び機関の遠隔操縦を行うことができるようにし、興南102及びひろ丸をいずれも無人のまま運航させていた。
A受審人は、永光の左舷船尾に第五永光丸を、右舷船尾にひろ丸をそれぞれ嵌合して永光を押し、ひろ丸を無人として、第五永光丸の操舵室で2隻の押船の操舵及び機関の遠隔操縦を行い、船橋当直を自らと一級小型船舶操縦士の免許を有する甲板員とで単独4時間交替として、山口県大畠瀬戸に向かい、22時00分ごろ同瀬戸東口に差し掛かったところで潮待ちのため錨泊した後、翌10日02時00分抜錨して大畠瀬戸を通過し、引き続き船橋当直に就いて伊予灘に至り、06時00分甲板員と船橋当直を交替して自室で休息をとった。
A受審人は、大分県国東半島南端の臼石鼻東方に差し掛かったところで昇橋し、目視及び3海里レンジとしたレーダーにより、接近するおそれのある他船がいないことを確認した後、10時00分臼石鼻灯台から085度(真方位、以下同じ。)1.3海里の地点において、甲板員と船橋当直を交替し、操舵室の左舷側に立ち、第五永光丸の舵だけを使用して手動操舵に当たり、針路を241度に定め、第五永光丸の機関を回転数毎分700及びひろ丸の機関を同335とし、5.5ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で、臼石鼻西南西方約6海里の灯籠鼻を船首目標として進行した。
10時05分少し過ぎA受審人は、臼石鼻灯台から098度1,630メートルの地点に差し掛かったとき、右舷船首24度1.0海里のところに東行中の第二大盛丸を視認し得る状況となり、その後、同船の方位に変化がなく、前路を左方に横切り、衝突のおそれのある態勢で接近したが、第五永光丸及びひろ丸の推進力に差があり、かつ、第五永光丸の舵だけで操舵していたため、保針性があまり良くなかったことから、灯籠鼻に向首するよう、針路を保持することに気を取られ、見張りを十分に行っていなかったので、このことに気付かず、右転又は減速するなどして、第二大盛丸の進路を避けることなく続航した。
こうして、A受審人は、こまめに操舵しながら灯籠鼻に向けて進行し、10時08分臼石鼻灯台から111度1,290メートルの地点に達したとき、第二大盛丸が同方位800メートルのところに接近したが、依然として、同船に気付かず、その進路を避けないまま続航中、同時10分わずか前、永光の右舷側至近に迫った第二大盛丸を認め、汽笛で短音を連続吹鳴して左舵一杯をとったが、効なく、10時10分臼石鼻灯台から124度1,100メートルの地点において、永光丸押船列は、原針路、原速力のまま、永光の右舷中央部と第二大盛丸の船首とが前方から40度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風はほとんどなく、視界は良好で、潮候は上げ潮の中央期であった。
また、第二大盛丸は、小型機船底びき網漁業に従事するFRP製漁船で、平成12年4月交付の一級小型船舶操縦士免状を有するB受審人が1人で乗り組み、操業の目的で、船首0.30メートル船尾1.30メートルの喫水をもって、平成15年4月10日10時00分大分県美濃崎漁港を発し、同県臼石鼻東方約4海里の漁場に向かった。
B受審人は、操舵室で立って手動操舵に当たり、10時03分臼石鼻灯台から249度800メートルの地点において、美濃崎漁港の防波堤入口を通過したとき、針路を101度に定め、機関回転数毎分3,000の全速力前進とし、8.0ノットの速力で進行した。
定針したとき、B受審人は、左舷船首16度1.5海里のところにジブクレーンを備えた永光丸押船列を視認したものの、同押船列との距離が遠く、そのほかには他船を認めなかったことから、自動操舵に切り替えて僚船と無線で交信した後、操舵室を離れて船尾甲板上に船尾方向を向いて座り、漁網の修理を始めた。
10時05分少し過ぎB受審人は、臼石鼻灯台から211度460メートルの地点に差し掛かったとき、永光丸押船列が左舷船首16度1.0海里のところとなり、その後、同押船列の方位に変化がなく、前路を右方に横切り、衝突のおそれのある態勢で接近したが、船尾方向を向いたまま漁網の修理を行っていて、同押船列に対する動静監視を十分に行っていなかったので、このことに気付かずに続航した。
こうして、B受審人は、船尾甲板で漁網の修理を続けながら進行し、10時08分臼石鼻灯台から141度670メートルの地点に達したとき、永光丸押船列が避航動作をとらないまま同方位800メートルのところに接近したが、依然として、同押船列の接近に気付かず、警告信号を行うことも、間近に接近して行きあしを止めるなどの衝突を避けるための協力動作をとることもせずに続航中、第二大盛丸は、原針路、原速力のまま、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、永光は、右舷中央部に擦過傷を、第二大盛丸は、球状船首部に破口並びに左舷及び船尾ブルワークに損傷をそれぞれ生じたが、のちいずれも修理され、B受審人が10日間の通院加療を要する打撲傷を負った。
(原因)
本件衝突は、大分県臼石鼻沖合において、両船が互いに進路を横切り、衝突のおそれのある態勢で接近中、永光丸押船列が、見張不十分で、前路を左方に横切る第二大盛丸の進路を避けなかったことによって発生したが、第二大盛丸が、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
(受審人の所為)
A受審人は、大分県臼石鼻沖合において、同県守江港に向けて西行する場合、接近する他船を見落とすことのないよう、見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、永光丸押船列の保針性があまり良くないため、操舵目標としていた灯籠鼻に向首するよう、針路を保持することに気を取られ、見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、前路を左方に横切り、衝突のおそれのある態勢で接近する第二大盛丸に気付かず、右転又は減速するなどして同船の進路を避けることなく進行して衝突を招き、永光の右舷中央部に擦過傷を、第二大盛丸の球状船首部に破口並びに左舷及び船尾ブルワークに損傷をそれぞれ生じさせ、B受審人に10日間の通院加療を要する打撲傷を負わせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、大分県臼石鼻沖合において、漁場に向けて東行中、永光丸押船列を視認した場合、衝突のおそれの有無について判断できるよう、同押船列に対する動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、永光丸押船列との距離が遠く、そのほかには他船を認めなかったことから、操舵室を離れて船尾甲板で漁網の修理を行い、動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、同押船列が前路を右方に横切り、衝突のおそれのある態勢で接近していることに気付かず、警告信号を行うことも、間近に接近して行きあしを止めるなどの衝突を避けるための協力動作をとることもせずに進行して衝突を招き、前示の損傷などを生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。