(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成15年2月21日20時40分
瀬戸内海 備讃瀬戸東航路
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船オグラディー |
総トン数 |
6,002トン |
全長 |
119.75メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
3,310キロワット |
船種船名 |
貨物船ローラ |
総トン数 |
2,736トン |
全長 |
102.00メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
2,134キロワット |
3 事実の経過
オグラディー(以下「オ号」という。)は、船尾船橋型の貨物船で、A指定海難関係人ほか19人が乗り組み、空船で、船首3.20メートル船尾6.00メートルの喫水をもって、平成15年2月21日08時00分大阪港を発し、いったん運航会社からの指示を待つため同港の南西方約8海里沖合で錨泊したのち、13時30分揚錨して大韓民国光陽港に向かった。
A指定海難関係人は、船橋当直を0時から4時を二等航海士と操舵手、4時から8時を一等航海士と操舵手、8時から12時を三等航海士と操舵手による3直制とし、揚錨操船ののち引き続き在橋して瀬戸内海航行の操船指揮をとり、明石海峡、播磨灘を経て、20時17分カナワ岩灯標から094度(真方位、以下同じ。)3.5海里の地点で、備讃瀬戸東航路の北側境界線を横切って同航路西行レーン(以下、「西行レーン」という。)に入った。
西行レーンに入ったとき、A指定海難関係人は、備讃瀬戸東航路の北側境界線付近に数隻の漁船がいたことから、針路を282度に定め、機関を全速力前進より減じた回転数毎分410にかけ、9.5ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で、三等航海士を見張りとレーダー監視に、操舵手を手動操舵にあたらせ、西行レーンを斜航するように進行した。
20時25分A指定海難関係人は、カナワ岩灯標から090度2.3海里の地点で、右舷正横方に西行レーン北側境界線付近の数隻の漁船をほぼ替わしたところ、更に同レーン内に右舷船首方約1海里から約2海里にわたる漁船群(以下、「漁船群」という。)を認め、一見して備讃瀬戸東航路東行レーン(以下、「東行レーン」という。)に他船が見あたらなかったので、漁船群の北側を航過する針路とすることなく、同じ針路のまま続航し、20時28分半カナワ岩灯標から085度1.7海里の地点で、備讃瀬戸東航路の中央分離線を越えて東行レーンに入り、その後同レーンを逆航した。
20時30分半A指定海難関係人は、右舷船首2度3.0海里に航路に沿って東行レーンを航行するローラ(以下、「ロ号」という。)の白、白、緑3灯と小型船2隻の航海灯を初めて視認したが、いちべつしただけでまだ距離があって漁船群を航過したのちに西行レーンに復することができるものと考え、その後ロ号を含む東行船群に対する動静監視を十分に行わないまま続航した。
20時36分半A指定海難関係人は、カナワ岩灯標から050度1,110メートルの地点で、付近の漁船を替わすため針路を286度とし、同漁船と漁船群を注視しながら進行した。
20時38分少し過ぎA指定海難関係人は、カナワ岩灯標から024度950メートルの地点に達し、ようやく漁船群を航過して西行レーンに復そうとしたとき、ロ号が白、白、緑3灯を示し右舷船首8度1,010メートルに接近していたが、依然として動静監視不十分で、これに気付かず、右舵10度を令してロ号の進路を妨げるように右転を始め、その後右舵をとったまま同船と衝突のおそれがある態勢で続航した。そのころ、ロ号の右舷正横前方にいた小型東行船は、オ号の右転に気付き、右転してオ号と左舷を対して航過した。
こうして、20時39分A指定海難関係人は、右転中、正船首少し左方の近距離に迫ったロ号の白、白、緑3灯に気付き、衝突の危険を感じて右舵一杯を令したが及ばず、20時40分カナワ岩灯標から000度1,200メートルの地点において、オ号は、000度に向首したとき、ほぼ原速力で、ロ号の船首がオ号の左舷側前部に前方から80度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風はほとんどなく、視界は良好で、付近には微弱な西流があった。
なお、ロ号の左舷正横後方にいた小型東行船は、大角度で右転し、ローラの船尾方を替わった。
また、ロ号は、船体のほぼ中央部に操舵室を配する貨物船で、B指定海難関係人ほか16人が乗り組み、木材約3,200立方メートルを積載し、船首5.90メートル船尾6.50メートルの喫水をもって、同月18日17時20分ロシア連邦ナホトカ港を発し、徳島小松島港に向かった。
B指定海難関係人は、船橋当直を自らと操舵手、一等航海士と操舵手及び二等航海士と操舵手による1直4時間の3直制とし、日本海を南下して関門海峡を経由し、瀬戸内海を東行して備讃瀬戸南航路に至った。
越えて21日19時00分ごろB指定海難関係人は、南備讃瀬戸大橋の手前で昇橋し、前直の一等航海士から引き継いで船橋当直に就き、甲板長を増員して左舷方の見張りにあたらせ、やがて備讃瀬戸東航路に入って同航路を東行した。
20時17分少し過ぎB指定海難関係人は、カナワ岩灯標から290度3.8海里の地点で、針路を100度に定め、機関を全速力前進にかけ、9.5ノットの速力で、操舵手を手動操舵にあたらせ航路に沿って東行レーンを進行した。
20時30分半B指定海難関係人は、右舷船首4度3.0海里にオ号の航海灯を視認することができたが、折しも両舷後方から自船を追い越そうとする2隻の小型船に注意を払い、前方に対する見張りを十分に行わなかったので、東行レーンを逆航するオ号の存在に気付かないまま続航した。
20時38分少し過ぎB指定海難関係人は、カナワ岩灯標から338度1,380メートルの地点に達し、右舷船首14度1,010メートルにオ号の白、白、緑3灯を認め得るようになったとき、同船が自船の進路を妨げるように右転を始め、その後同船と衝突のおそれがある態勢で接近する状況となったが、依然として前方に対する見張りを十分に行わなかったので、これに気付かず、直ちに機関を全速力後進にかけて行きあしを止めるなど衝突を避けるための措置をとることなく進行した。
こうして、20時39分少し過ぎB指定海難関係人は、右舷正横前方となった小型追越し船が右転したことに気付くとともに、右舷船首方の近距離に迫ったオ号に気付き、機関を停止して右舵一杯を令し、間もなく機関を全速力後進としたが間に合わず、ロ号は、原針路、ほぼ原速力のまま、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、オ号は、左舷前部外板に大破口を生じて1番船倉に浸水し、ロ号は船首部を圧壊した。
なお、オ号は、21時00分備讃瀬戸東航路の北側海域で投錨し、船長の命令により左舷側救命艇を乗艇甲板まで振り出し作業中、21時20分同救命艇が落下流失した。21時30分A指定海難関係人は、三等航海士R及び二等機関士Jの2人が在船していないことに気付いて海上保安部に通報し、その後、巡視艇が同救命艇と艇内の前示2人を発見し、両人の死亡が確認された。
(原因)
本件衝突は、夜間、両船が備讃瀬戸東航路を航行する際、西行するオ号が、東行レーンを逆航したばかりか、動静監視不十分で、西行レーンに復そうとして右転し、航路に沿って東行するロ号の進路を妨げたことによって発生したが、ロ号が、前方に対する見張り不十分で、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
(指定海難関係人の所為)
A指定海難関係人が、夜間、備讃瀬戸東航路を西行する際、東行レーンを逆航したばかりか、西行レーンに復そうとするとき、動静監視を十分に行わなかったことは、本件発生の原因となる。
A指定海難関係人に対しては勧告しない。
B指定海難関係人が、夜間、備讃瀬戸東航路をこれに沿って東行する際、前方に対する見張りを十分に行わなかったことは、本件発生の原因となる。
B指定海難関係人に対しては勧告しない。
よって主文のとおり裁決する。