日本財団 図書館




 海難審判庁採決録 >  2003年度(平成15年) > 衝突事件一覧 >  事件





平成15年神審第52号
件名

貨物船福仁丸漁業調査船とりしま衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成15年12月17日

審判庁区分
神戸地方海難審判庁(小金沢重充、田邉行夫、中井 勤)

理事官
加藤昌平

受審人
A 職名:福仁丸一等航海士 海技免許:四級海技士(航海)
指定海難関係人
B 職名:とりしま甲板長

損害
福仁丸・・・球状船首の圧壊及び船首外板に亀裂を伴う損傷
とりしま・・・左舷後部外板に破口、のち沈没、次席二等航海士と通信長が行方不明、一等機関士が2箇月の治療を要する腰椎圧迫骨折等を、司厨長が1箇月の治療を要する頸椎捻挫等

原因
とりしま・・・見張り不十分、船員の常務(新たな衝突のおそれ)不遵守(主因)
福仁丸・・・動静監視不十分、警告信号不履行(一因)

主文

 本件衝突は、とりしまが、見張り不十分で、新たな衝突のおそれを生じさせたことによって発生したが、福仁丸が、動静監視不十分で、警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。
 受審人Aを戒告する。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成15年3月14日04時05分
 和歌山県大島南方沖合
 
2 船舶の要目
船種船名 貨物船福仁丸 漁業調査船とりしま
総トン数 499トン 426トン
全長 70.32メートル 48.28メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 1,029キロワット 1,176キロワット

3 事実の経過
 福仁丸は、船尾船橋型の鋼製貨物船で、船長C及びA受審人ほか3人が乗り組み、空倉で海水バラスト約700トンを張り、船首2.0メートル船尾3.6メートルの喫水をもって、平成15年3月13日17時35分名古屋港を発し、兵庫県東播磨港へ向かった。
 C船長は、船橋当直を単独の4時間3直交替制とし、08時から12時及び20時から00時を自らが就き、00時から04時及び12時から16時を次席一等航海士に、04時から08時及び16時から20時をA受審人にそれぞれ行わせ、各直の20ないし30分前に当直を交替することとして熊野灘を南下した。
 翌14日03時35分A受審人は、樫野埼灯台から061度(真方位、以下同じ。)4.0海里の地点で、前直者から白1灯及び作業灯2個を表示したとりしまが左舷前方を同航している旨の引継ぎを受けて単独の船橋当直に就き、法定の灯火を表示して操業中の漁船を適宜避けながら南下を続け、同時52分わずか前同灯台から121度1,750メートルの地点に達したとき、気になる漁船がいなくなったので、針路を231度に定め、機関を全速力前進にかけ、13.0ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で自動操舵により進行した。
 定針時、A受審人は、とりしまが左舷船首31度1,400メートルとなり、その後ほんのわずかに近づきつつ自船の針路線上に寄ってくる態勢で続航した。
 04時02分半A受審人は、樫野埼灯台から207度2.2海里の地点に達したとき、とりしまが左舷船首7度1,100メートルとなったので、早めに右方へ替わすこととして左舵15度としたところ、同船の船尾灯及び作業灯が急に右方に移動を始めたのを認めたが、右舷方の串本港へ向け離れていくものと思い、再び舵を戻して原針路とし、そのころ左舷正横少し前方から自船船尾至近に向けて接近する漁船3隻を認め、船橋左舷側のドアのところに赴き、同漁船群の航過模様に注意しながら進行した。
 04時04分わずか過ぎA受審人は、樫野埼灯台から210度2.5海里の地点に達したとき、とりしまが右舷船首19度590メートルとなり、舷灯及びマスト灯2個の見え具合から、船首方近距離で右転を続けて新たな衝突のおそれのある態勢となりつつ接近する同船を認め得る状況となったが、左舷後方の漁船群の航過模様を見続け、とりしまに対する動静監視を十分に行っていなかったので、このことに気付かず、警告信号を行うことなく続航した。
 A受審人は、同じ針路速力で進行し、04時05分少し前船尾方の漁船群が安全に航過したのを見届けたのち船首方に目を戻したところ、右舷船首至近に迫ったとりしまを認め、直ちに右舵一杯とするとともに機関を中立としたが及ばず、同時05分樫野埼灯台から212度2.7海里の地点において、福仁丸は、原速力のまま246度に向首したころ、その船首部がとりしまの左舷後部に後方から66度の角度で衝突した。
 当時、天候は晴で風力2の西風が吹き、潮候は上げ潮の末期であった。
 C船長は、衝撃を感じ直ちに昇橋して衝突を知り、救命筏に移乗して離船しているとりしま乗組員を救助するなど事後の措置に当たった。
 また、とりしまは、昭和60年1月進水した船首船橋型の鋼製漁業調査船で、船長D、B指定海難関係人ほか10人が乗り組み、調査員2人を乗せ、船首2.2メートル船尾5.1メートルの喫水をもって、平成15年3月7日宮崎県油津港を発し、翌8日夜三重県大王埼南方の調査地点に達したものの、時化のため熊野灘で漂泊待機を続け、越えて12日06時00分調査を開始した。
 ところで、とりしまの行う調査は、船の行きあしを止めて水温、海水密度及び酸素濃度などの測定器具を水深200ないし500メートル付近まで降下させてそれらの変化模様を記録したり、低速力で曳網して標本とするプランクトンや稚魚等を採集するもので、昼間は06時00分から、夜間は19時30分からそれぞれ開始して、7ないし8時間を要するものであった。
 また、調査中の甲板における作業体制は、機関部員と司厨長を除く8人の乗組員がD船長、二等航海士、三等航海士及び通信長YのA班、一等航海士、次席二等航海士K、次席通信長及びB指定海難関係人のB班に分かれ、06時から12時及び18時から00時をA班が、00時から06時及び12時から18時をB班がそれぞれ作業配置に就いた。そして、船橋当直は、採集などのための低速航行時にD船長又は一等航海士が単独でこれに当たり、調査海域を変更して移動する際には各班とも2人1組の体制に変更していた。
 こうして、B班は、13日23時30分4回目の調査作業を行っているA班と交替し、測定や採集などの作業を終え、翌14日03時00分梶取埼灯台から058度2.3海里の地点で、船橋当直の一等航海士が210度の針路とし、所定の灯火のほか後方マスト灯及び船尾灯付近の2個の作業灯を点灯して次の調査地点に向かった。
 B指定海難関係人は、測定器具などを片付けたのち昇橋して船橋当直を引き継ぎ、K次席二等航海士の指揮のもとに南下し、03時43分樫野埼灯台から097度2.2海里の地点で、針路を240度に定め、機関を全速力前進にかけ、12.9ノットの速力で自動操舵により進行した。
 03時52分わずか前B指定海難関係人は、樫野埼灯台から156度1.3海里の地点に達したとき、右舷船尾40度1,400メートルのところに、来航する福仁丸の白、白、緑3灯を視認することができる状況であったが、左舷船首方を同航中の引船列に方位変化の少ないまま急速に接近していたので、これに注意しながら見張りを続け、福仁丸の存在に気付かずに続航した。
 04時02分半B指定海難関係人は、樫野埼灯台から211度2.7海里の地点で、福仁丸が右舷船尾16度1,100メートルとなったとき、左舷船首方1,500メートルばかりとなった引船列が急に左方へ変化し始めたことから、K次席二等航海士が自ら舵輪を握って右に転舵していることを知ったものの、その意図を理解し得ないまま引船列の離れていく様子を見ながら進行した。
 こうして、とりしまは、右舵10度がとられたまま回頭を始め、来航する福仁丸の前路約1,100メートルのところを無難に航過したが、右舷方の見張りを十分に行っていなかったので、同船の存在に気付かず、04時04分わずか過ぎ福仁丸がほぼ正船首590メートルに接近したが、なおも右転を続け、同船と新たな衝突のおそれを生じさせることとなり、同時05分少し前B指定海難関係人が左舷方から前方に目を移したとき、左舷船首至近に迫った同船を認めたが、どうすることもできず、180度に向いたころ11.0ノットの速力で、前示のとおり衝突した。
 D船長は、衝撃を感じ直ちに昇橋して衝突を知り、救命筏の投下作業を行っていたK次席二等航海士、海図室のVHFで通信していたY通信長ほか全員を確認したものの、船尾から急激に沈み始めた状況であったので、直ちに退船命令を出し、自らも海中に飛び込んで救命筏に移乗し、ほどなく福仁丸に救助された。
 衝突の結果、福仁丸は、球状船首の圧壊及び船首外板に亀裂を伴う損傷を生じたが、のち修理され、とりしまは、左舷後部外板に生じた破口からの浸水により沈没した。また、とりしまのK次席二等航海士(昭和18年4月3日生)とY通信長(昭和22年10月15日生)が行方不明となったほか、同船一等機関士Nが2箇月の治療を要する第2腰椎圧迫骨折等を、同船司厨長Tが1箇月の治療を要する頸椎捻挫等をそれぞれ負った。 

(原因)
 本件衝突は、和歌山県大島南方沖合において、福仁丸の左舷前方をほぼ同航していた態勢から、右転しながら同船の前路を無難に航過したとりしまが、見張り不十分で、右転を続けて、福仁丸と新たな衝突のおそれを生じさせたことによって発生したが、福仁丸が、動静監視不十分で、警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。
 
(受審人等の所為)
 A受審人は、和歌山県大島南方沖合において、単独で船橋当直にあたって西行中、左舷船首方のとりしまの船尾灯及び作業灯が急に右方へ移動を始めたのを認めた場合、同船の灯火の変化模様及び衝突のおそれの有無など、その動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、とりしまが右舷方の串本港へ向け離れていくものと思い、左舷後方の漁船群の航過模様を見続け、とりしまに対する動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、同船が右転を続けて、新たな衝突のおそれを生じさせたことに気付かず、警告信号を行うことなく進行してとりしまとの衝突を招き、自船の球状船首の圧壊及び船首外板に亀裂を伴う損傷を生じさせ、とりしまを左舷後部外板に生じた破口からの浸水により沈没させ、また、とりしま乗組員2人の行方不明者と同船乗組員2人の重軽傷者を出すに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
 B指定海難関係人の所為は、本件発生の原因とならない。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
(拡大画面:15KB)





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION