日本財団 図書館




 海難審判庁採決録 >  2003年度(平成15年) > 衝突事件一覧 >  事件





平成15年門審第61号
件名

貨物船きぬうら丸油送船第十二星宝丸衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成15年11月20日

審判庁区分
門司地方海難審判庁(西村敏和、橋本 學、小寺俊秋)

理事官
黒田敏幸

受審人
A 職名:きぬうら丸船長 海技免許:三級海技士(航海)
B 職名:第十二星宝丸船長 海技免許:三級海技士(航海)

損害
きぬうら丸・・・右舷後部に小破口を伴う凹損
星宝丸・・・船首部に凹損

原因
きぬうら丸・・・港則法の航法(避航動作)不遵守(主因)
星宝丸・・・警告信号不履行、港則法の航法(協力動作)不遵守(一因)

主文

 本件衝突は、両船が防波堤の入口付近で出会う際、入航するきぬうら丸が、防波堤の外で出航する第十二星宝丸の進路を避けなかったことによって発生したが、第十二星宝丸が、警告信号を行わず、衝突を避けるための最善の協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
 受審人Aを戒告する。
 受審人Bを戒告する。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成14年7月24日11時35分
 博多港中央航路
 
2 船舶の要目
船種船名 貨物船きぬうら丸 油送船第十二星宝丸
総トン数 4,967トン 1,598トン
全長 115.00メートル 84.91メートル
登録長 109.87メートル 79.75メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 3,089キロワット 2,059キロワット

3 事実の経過
 きぬうら丸は、可変ピッチプロペラを備えた船首船橋型の自動車運搬船兼貨物船で、A受審人ほか10人が乗り組み、車両505台を積載し、船首4.52メートル船尾5.50メートルの喫水をもって、平成14年7月22日21時00分愛知県三河港を発し、福岡県博多港に向かった。
 24日05時45分ごろA受審人は、下関南東水道第4号灯浮標を通過したところで昇橋し、06時00分船橋当直中の一等航海士と交替して関門海峡での操船の指揮を執り、同海峡通過後も在橋して響灘及び玄界灘を西行した。
 A受審人は、船橋前面中央部で操船の指揮を執り、福岡湾に入ったところで、甲板手を手動操舵に、機関長を機関の操作にそれぞれ当たらせ、博多港第1区箱崎ふ頭から東浜ふ頭5岸の間の係留施設に向かって航行することを示す、国際信号旗第2代表旗及びP旗の進路信号旗を掲げて進路を表示し、博多港中央航路(以下、航路名については「博多港」を省略する。)に向かっていたところ、能古島北方に差し掛かったとき、博多港中央航路第2号灯浮標(以下、博多港中央航路各号灯浮標の名称については「博多港中央航路」を省略する。)と第4号灯浮標との間に小型船群を認め、そのうち数隻が国際信号旗A旗を掲げていたことから、同小型船群が潜水作業に従事していることを知り、同作業に支障を及ぼさないよう、同航路南側の航路外を航行することにした。
 ところで、博多港には、中央航路及びこれと接続する東航路があり、中央航路は、長さ5,010メートル、幅員250メートル及び航路法線117度(297度)(真方位、以下同じ。)の航路で、湾内の水深が浅いため、水深12ないし14メートルまで掘下げられているが、同航路中央部にあたる第6号灯浮標から同航路東口にかけては、航路の幅員250メートルのうち200メートルだけが掘下げられており、第5号及び第7号の両灯浮標が航路内の掘り下げられた位置にそれぞれ設置されていた。
 11時19分半A受審人は、第2号灯浮標南方約200メートルの地点を通過して中央航路南側の航路外を東行し、同時26分半博多港東防波堤灯台(以下「東防波堤灯台」という。)から286度2,770メートルの、第6号灯浮標の南方約170メートルの地点に差し掛かったところで、左転して同航路の右側端に入った。
 A受審人は、中央航路内で行き会う他船を認めなかったことから、同航路の中央を航行するため、11時28分少し前東防波堤灯台から289度2,430メートルの地点において、針路を航路法線に対して4度の角度をもつ113度に定め、機関回転数毎分197及び翼角15.5度の全速力前進にかけ、11.0ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で進行した。
 A受審人は、乗組員を入港配置に就けて機関用意を令し、11時28分東防波堤灯台から289度2,320メートルの地点で、右舷船首25度2,900メートルのところに、博多港第1区須崎ふ頭付近を北上する第十二星宝丸(以下「星宝丸」という。)を初めて視認し、その後、博多港東防波堤(以下、防波堤の名称については「博多港」を省略する。)と西防波堤との間の幅約470メートルの開口部(以下「防波堤の入口」という。)付近で、星宝丸と出会うおそれがあることを認めた。
 そして、A受審人は、これまで須崎ふ頭付近からの出航船が、西防波堤寄りを小回りして中央航路に入るのをしばしば見かけていたので、星宝丸も西防波堤寄りを小回りするものと思い、このまま航路を斜航して東防波堤に寄り、防波堤の入口付近で互いに右舷を対して通過しようと考え、11時29分東防波堤灯台から288度2,000メートルの地点に差し掛かったとき、星宝丸に自船の意図を伝えるため、VHF無線電話(以下「VHF」という。)16チャンネルで同船を船名不詳のまま喚呼したが、応答がなかったので、同チャンネルで「本船は、東防波堤灯台を通過した後、箱崎ふ頭に向けて左転するのでよろしく。」とだけ一方的に通報して続航した。
 11時30分A受審人は、東防波堤灯台から286.5度1,620メートルの地点に達したとき、星宝丸が右舷船首25度2,060メートルのところとなり、防波堤の入口付近で出会うことが確実な状況となったが、自船が進路信号旗を掲げており、また、星宝丸からの応答がなかったものの、同船がVHFでの通報を傍受して西防波堤に接航し、防波堤の入口付近で互いに右舷を対して通過することができるものと思い、大幅に減速するなどして、防波堤の外で出航する星宝丸の進路を避けずに進行した。
 A受審人は、中央航路の中央から少し左側に入り、11時32分半東防波堤灯台から279度780メートルの地点で、星宝丸が右舷船首15度960メートルに接近したものの、左舷側の航路外には浅所が存在していて、直ちに左転して航路外に出ることができなかったので、翼角0度として同船が西防波堤に接航するか否かを注視していたところ、同時33分同灯台から276度640メートルの地点に差し掛かったとき、右舷船首13度700メートルに接近した星宝丸が同航路東口の南東端から航路に入り、その後、同船が西防波堤に接航せずに、そのまま斜航して航路の右側を航行しようとしているのを認めたが、依然として、機関を後進にかけて行きあしを止めることなく、防波堤の外で出航する星宝丸の進路を避けないまま、星宝丸に左転を促そうとして汽笛により短音2回の吹鳴を3度行い、前進惰力で続航した。
 こうして、A受審人は、中央航路の少し左側を前進惰力で進行し、11時34分東防波堤灯台から265度400メートルの地点に達して第7号灯浮標に並航したとき、正船首260メートルに迫った星宝丸との衝突の危険を感じ、左舵一杯をとって衝突を避けようとしたが、ほぼ同時に星宝丸が行った短音1回の操船信号を聞いて右転を始めたことを知り、ようやく機関を全速力後進にかけたものの、効なく、11時35分東防波堤灯台から270度220メートルの地点において、左回頭中のきぬうら丸は、船首が030度を向き、速力が約5ノットとなったとき、その右舷後部と星宝丸の船首とが後方から70度の角度で衝突した。
 当時、天候は晴で風力2の西北西風が吹き、潮候は下げ潮の中央期で、視界は良好であった。
 また、星宝丸は、可変ピッチプロペラを備えた船尾船橋型の油送船で、B受審人ほか11人が乗り組み、空倉のまま、船首2.00メートル船尾4.50メートルの喫水をもって、同月24日11時25分博多港第1区荒津を発し、山口県岩国港に向かった。
 これより先、B受審人は、乗組員を出港配置に就け、自ら操船を指揮し、二等航海士を操船の補佐に、甲板員を手動操舵に、機関長を機関の操作にそれぞれ当たらせ、11時15分係留索を放して揚錨を始め、同時20分船首が045度を向いていたとき、ほぼ左舷正横約3海里に第2号灯浮標の南側を東行しているきぬうら丸を初めて視認し、同船が自動車運搬船であったことから、箱崎ふ頭に向かうことを知った。
 B受審人は、揚錨を終えた後、11時25分東防波堤灯台から189.5度1,940メートルの地点で、針路を東防波堤灯台に向く010度に定め、機関回転数毎分200及び翼角4度として極微速力前進に、次いで同時25分半同6度の微速力前進にかけ、中央航路東口に向けて進行した。
 11時30分B受審人は、東防波堤灯台から190度1,100メートルの地点で、翼角8度の半速力前進にかけて8.0ノットに増速したとき、きぬうら丸が左舷船首52度2,060メートルのところの中央航路を東行しており、同船と防波堤の入口付近で出会うおそれがあることを認め、そのうち入航船である同船が減速するなどして、防波堤の外で出航中の自船の進路を避けるものと思い、右舵をとって西防波堤から少し離しながら続航した。
 11時32分B受審人は、東防波堤灯台から179度610メートルの地点に差し掛かり、中央航路の右側に入るため、第7号灯浮標に向けようとして左回頭を始めたとき、左舷前方1,220メートルのところのきぬうら丸が、防波堤の外で自船の進路を避けないまま、航路のほぼ中央を東防波堤寄りの針路をとって東行しているのを認めたが、直ちに同船に対して避航を促す警告信号を行うことなく、同船の避航を期待してその動静を監視しながら進行した。
 11時33分B受審人は、東防波堤灯台から186度320メートルの中央航路左側端から航路に入り、左舷前方700メートルとなったきぬうら丸と左舷を対して通過するため、同航路の右側に入ろうとして第7号灯浮標に向けたが、依然として、右転又は行きあしを止める気配のないきぬうら丸に対して警告信号を行わず、間近に接近した同船との衝突を避けるため、行きあしを止める最善の協力動作をとることもせずに続航した。
 こうして、B受審人は、中央航路の右側に入り、11時34分東防波堤灯台から234度220メートルの地点に達したとき、ようやく左舷前方260メートルのところに迫ったきぬうら丸との衝突の危険を感じ、汽笛で短音1回の操船信号を行って右舵一杯をとり、東防波堤と第7号灯浮標との間から航路外に出て衝突を避けようとしたところ、ほぼ同時にきぬうら丸が左転を始めたのを認め、直ちに翼角を後進一杯としたが、及ばず、星宝丸は、船首が320度を向き、速力が約2ノットとなったとき、前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、きぬうら丸は、右舷後部に小破口を伴う凹損を、星宝丸は、船首部に凹損をそれぞれ生じたが、のちいずれも修理された。 

(原因)
 本件衝突は、博多港中央航路において、両船が防波堤の入口付近で出会う際、入航するきぬうら丸が、防波堤の外で出航する第十二星宝丸の進路を避けなかったことによって発生したが、第十二星宝丸が、警告信号を行わず、衝突を避けるための最善の協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
 
(受審人の所為)
 A受審人は、博多港中央航路を東行して同港第1区箱崎ふ頭に向けて入航中、出航する第十二星宝丸と防波堤の入口付近で出会う場合、大幅に減速するなどして、防波堤の外で第十二星宝丸の進路を避けるべき注意義務があった。しかるに、同人は、自船が進路信号旗を掲げており、また、自船が東防波堤寄りを通過する旨をVHF無線電話で通報したので、第十二星宝丸からの応答がなかったものの、同船が同通報を傍受して西防波堤に接航し、互いに右舷を対して通過することができるものと思い、防波堤の外で第十二星宝丸の進路を避けなかった職務上の過失により、中央航路の左側を進行し、同航路の右側に入って出航しようとした第十二星宝丸と防波堤の入口付近において衝突を招き、きぬうら丸の右舷後部に小破口を伴う凹損を、第十二星宝丸の船首部に凹損をそれぞれ生じさせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
 B受審人は、博多港第1区荒津から同港中央航路に向けて出航中、同航路を東行して入航するきぬうら丸と防波堤の入口付近で出会い、同船が防波堤の外で自船の進路を避けないまま入航するのを認めた場合、直ちに同船に対して避航を促す警告信号を行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、そのうちきぬうら丸が減速するなどして、防波堤の外で出航中の自船の進路を避けるものと思い、直ちに警告信号を行わなかった職務上の過失により、きぬうら丸に避航を促すことができないまま中央航路の右側に入り、同航路の左側を進行していた同船と防波堤の入口付近において衝突を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。
 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
(拡大画面:31KB)





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION