(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成15年2月9日16時07分
長崎県度島漁港本村地区
2 船舶の要目
船種船名 |
旅客船フェリー度島 |
総トン数 |
138.44トン |
全長 |
29.40メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
367キロワット |
3 事実の経過
フェリー度島(以下「度島」という。)は、長崎県平戸港と同県度島漁港との間の定期航路に就航する鋼製の船首楼付平甲板型旅客船兼自動車渡船で、A受審人ほか3人が乗り組み、旅客17人を乗せ、車両2台を積載し、船首1.2メートル船尾2.3メートルの喫水をもって、平成15年2月9日16時05分度島漁港本村地区のフェリー桟橋を発し、平戸港に向かった。
ところで、度島漁港本村地区は、度島南部東岸にあって、沖防波堤(A)の南端から約5メートル北方の同防波堤上に度島港沖A防波堤南灯台(以下「南灯台」という。)が設置されていた。そして、同灯台から018度(真方位、以下同じ。)方向に55メートルの同防波堤が、同灯台から283度53メートルの地点を北東端とし、同端から234度方向に18メートル延び、その先端から179度方向に194メートル延びる屈曲した沖防波堤が、同灯台から323度74メートルの地点を南西端とし、同端から028度方向に65メートル延び、その先端から047度方向に80メートルさらに345度方向に陸岸まで延びる屈曲した東防波堤(B)が、同灯台から336度136メートルの地点を東端とし、同端から273度方向に52メートル延び、その先端から250度方向に陸岸まで延びる屈曲した西防波堤が、同灯台から341度200メートルの地点にフェリー桟橋がそれぞれ築造されていた。
A受審人は、昭和56年T有限会社に入社し、平戸港と度島漁港間の定期航路に就航するフェリーの船長職を執り、平成9年の定年退職後も臨時の船長や乗組員として繰り返し乗船していたので、度島漁港本村地区の防波堤間の航行水域が狭いことや、出航時に北東寄りの風が吹くと右方に圧流されることなどの水路状況を熟知していた。
発航後、A受審人は、単独で船橋当直に就き、舵と機関とを適宜使用して西防波堤東端を右舷側20メートルばかりに離して南下し、16時06分少し過ぎ南灯台から326度110メートルの地点で、針路を169度に定め、機関を極微速力前進にかけて4.0ノットの対地速力で、手動操舵により進行した。
A受審人は、16時06分半少し過ぎ東防波堤(B)南西端を左舷正横に見る地点に達したとき、東北東の風を左舷側から受けていたが、正船首わずか右のところに沖防波堤北東端を視認していたことから、大丈夫と思い、風圧流を考慮した適切な針路を選定することなく、同じ針路及び速力で続航した。
度島は、同じ針路及び速力で進行中、16時07分少し前A受審人が、沖防波堤に著しく接近していることに気付き、左舵一杯にするとともに機関を中立としたが、効なく、16時07分南灯台から282度50メートルの沖防波堤北東端に、原針路、原速力のまま、その右舷前部が衝突した。
当時、天候は曇で風力2の東北東風が吹き、潮候は下げ潮の中央期であった。
衝突の結果、右舷前部ブルワークに凹損等を生じたが、のち修理された。
(原因)
本件防波堤衝突は、東北東の風を左舷側に受けて度島漁港本村地区から出航する際、針路の選定が不適切で、風下の沖防波堤に圧流されたことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は、単独で船橋当直に就き、東北東の風を左舷側に受けて度島漁港本村地区から出航する場合、右方に圧流されることを知っていたのであるから、風圧流を考慮して適切な針路を選定すべき注意義務があった。しかるに、同人は、正船首わずか右のところに沖防波堤北東端を視認していたので大丈夫と思い、適切な針路を選定しなかった職務上の過失により、同防波堤に著しく接近する針路のまま進行し、右舷前部と同防波堤北東端との衝突を招き、右舷前部ブルワークに凹損等を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して、同人を戒告する。