(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成13年1月1日11時25分
三重県四日市港第2区
2 船舶の要目
船種船名 |
交通船第二さちかぜ |
総トン数 |
19トン |
全長 |
16.75メートル |
全幅 |
4.18メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
573キロワット |
3 事実の経過
(1)第二さちかぜ
第二さちかぜ(以下「さちかぜ」という。)は、平水区域を航行区域とする一層甲板型のFRP製旅客船兼作業船で、船首方から順に、長さ約3.3メートルの船首甲板、前部客室(以下「客室」という。)と操舵室からなるキャビン、甲板上高さ約2.0メートルの天井と同高さ約0.8メートルの両側壁に囲われた後部客席(以下「客席」という。)及び長さ約4.5メートルの船尾甲板となっていて、操舵室前部中央に設けた階段を降りると客室に通じ、また、キャビンと客席は壁とドアで仕切られ、両区画の両舷外側に幅約0.6メートルの外部通路が設けられていた。
操舵室は、客室と客席を結ぶ通路を挟み、右舷側に操縦席が、左舷側に補助者席が設置され、前面には3分割された、両舷側壁には2分割された大型のガラス窓をそれぞれ備えていて、前方及び左右の見通しは良好であったが、補助者席の船尾側にあたる客席スペース左舷側前部に便所が配置されており、その囲壁によって操縦席からは左舷正横付近から船尾方にかけて死角が生じていた。
また、さちかぜは、両舷の外部通路に沿って、甲板上平均高さ約0.7メートルの客室屋根並びに操舵室側壁及び客席側壁の甲板上高さ約0.9メートルの位置にそれぞれ手摺を設け、救命設備として、客席屋根に救命浮器、客室屋根中央と客席の左舷壁内側に救命浮環各1個、客室前部に最大とう載人員分の救命胴衣32個を備えていたほか、船首甲板上に船首尾方長さ0.9メートル甲板上高さ1.1メートルの差込式作業員用手摺を備え、客室屋根の両舷に長さ1.9メートルの作業用ボートフック各1本を置いており、外部通路を含む甲板上は全面に滑り止めが施されていた。
(2)Y株式会社
Y株式会社(以下「Y」という。)は、昭和14年12月にS株式会社として四日市市千歳町に設立され、昭和50年5月に事業を拡大して通船業、船舶綱取放業、沿海旅客運輸業等を加えるとともに、社名をYに変更し、代表取締役社長以下6人の役員の下、総務部及び業務部の2部を設け、従業員45人(平成13年3月現在)の殆どが、現場作業を統括する指定海難関係人B(以下「B」という。)に配属され、現場作業に従事していた。
そして同社は、海上運送法に基づいて運送約款及び運航管理規程を定め、更に航海及び作業の安全確保を目的として運航基準、作業基準等を定め、さちかぜを含む交通船5隻及び作業船10隻のほか、給水船、警戒船及び観光船各1隻の合計18隻を運航管理していた。
(3)運航管理規程など
Yは、運航管理規程で、船舶の運航管理に関する統轄責任者として運航管理者1人及びその職務を補佐する運航管理補助者若干名をそれぞれ選任し、運航管理者または同補助者が運航に関する情報を把握し、航行の安全確保のために必要な事項などを船長に連絡し、あるいは船長と協議すること及び乗組員に対して輸送の安全を確保するための教育を実施することなどを定めていた。また、運航基準で、東防波堤外航路において風速毎秒16メートル以上の北西風または10メートル以上の南東風、波高1.0メートル以上、視程1,000メートル以下と認めるときなどには、発航を中止することと定めていた。
(4)運航管理者及びさちかぜ乗組員
C運航管理者は、昭和41年にYに入社し、その後六級海技士(機関)及び一級小型船舶操縦士の免許を取得し、この間甲板員や機関長職に就いたのち、平成4年頃運航管理補助者に選任され、同12年10月1日から、同補助者であったものの実質的な運航管理者(平成13年4月1日付運航管理者就任)として船舶の運航管理に携わっていた。
A受審人は、昭和48年に同社に入社し、翌49年一級小型船舶操縦士の免許を取得して船長職を執るようになり、運航管理者などから当日に指示される管理船の運航業務等に従事していた。
機関長Oは、平成2年に同社に入社し、その後五級海技士(機関)などの免許を取得して機関長職に就くようになり、船長の補助者として交通船に乗船するときは、係留船に乗客を移乗させる際、船首甲板上でボートフックを用いて交通船の船体を舷梯に止めるなどの作業に当たっていた。
(5)安全管理の状況
Bは、運航管理者等のうち当日の当直者が、テレビ放送の天気予報などから気象及び海象情報などの収集に努めるとともに、社屋屋上に設置した風向風速計で風の状況を確認し、四日市港東防波堤沖の波高などを判断する一方、2ないし3箇月に1回の割合で社内安全会議を開催のうえ、C運航管理者等が、乗組員に対して交通船を利用する乗客の安全確保などについて教育していた。
しかしながら、Bは、乗客の多くが船員、代理店員、船用品納入業者など、交通船を頻繁に利用している者であったことから、船長や乗組員に対して、乗客が他船に移乗するために外部通路に出るときには、予め手荷物の量を確認したうえ、不測の動揺に備えて確実に手摺を掴むことができるよう、必ず片手を空けておくよう注意することや、万一転落したときに備えて救命胴衣の着用を勧めることなどの指示を十分に行っておらず、移乗作業中の乗客の安全措置が徹底されてなかった。
(6)株式会社M
株式会社M(以下「M」という。)は、主として外航船舶を対象に、食料、生活用品、船具、機械部品等の船用品の納入を主業務とし、横浜市に海上営業本部を置き、その支店を横浜、名古屋、神戸、北九州及び新潟の各市に配していた。
M社員Wは、昭和32年に同社に入社後、同49年から名古屋支店四日市駐在所に勤務し、主に四日市港寄港船に対する船用品の受注納品業務に従事していたが、受注した船用品が少量の場合には、段ボール製の箱などに入れて手荷物とし、専らBの交通船を利用して自ら納品していた。
(7)気象及び海象
平成12年12月31日の本州周辺は、冬型の気圧配置となっており、本州東方海上を北東進する発達中の低気圧と大陸に張り出した高気圧との影響で、四日市港周辺では北西の季節風が連吹し、同日の夕刻には三重県北部に波浪注意報が発表されていた。
翌13年1月1日の四日市港周辺は、朝から突風を伴う風力4の北西風が吹き、同港港界付近では、波高0.5メートルを越える波浪が生じる状況となっていた。
(8)本件発生に至る経緯
平成13年1月1日、当日の当直者となったC運航管理者は、06時30分に出社し、風向風速計を見て毎秒7メートル前後の北西風が吹いていることを認め、港界付近では波高0.6メートルないし0.7メートルの、交通船にとってやや高い波浪が生じているものと判断し、当日第1便の交通船に対して風が強いので注意するように指示し、07時ごろ同船の発航を見送った。
その後、C運航管理者は、管理船の清掃など待機作業中の乗組員を集め、正月の恒例行事として運航安全を祈願したのち、10時ごろA受審人及びO機関長に対し、入港予定の大型油送船ナビックス セイブ(総トン数137,893トン、以下「ナ号」という。)向けに、第1便と同様に強風に注意するよう告げただけで第2便となるさちかぜの運航を指示した。
A受審人は、C運航管理者の指示を受け、10時40分ごろO機関長とともにさちかぜの発航準備に取り掛かった。
W M社員(以下「W乗客」という。)は、ナ号から受注した野菜など総重量約7.5キログラムの食料品を、縦横ともに約0.4メートル高さ約0.25メートルの発泡スチロール製の箱と縦横ともに約0.3メートル高さ約0.2メートルの段ボール製の箱に分けて入れ、これらをナ号に納入するため、10時55分ごろ書類などを入れた鞄を持ってさちかぜに乗り込み、ナ号の代理店員1人及び停泊作業援助者3人の乗客とともに客席について発航を待った。
こうして、さちかぜは、A受審人がO機関長と2人で乗り組み、W乗客のほか4人を乗せ、船首0.8メートル船尾2.0メートルの喫水をもって、11時00分四日市港第1区の港奥にあるB専用桟橋を発し、ナ号に乗客を移乗させる目的で、同港第2区内の港界付近に位置する昭和四日市シーバースNo.1(以下「四日市シーバース」という。)に向かった。
発航後A受審人は、操縦席に腰をかけて操船にあたり、11時17分四日市港防波堤灯台から085度(真方位、以下同じ。)850メートルの四日市港第1航路第1号灯浮標の南側で、四日市シーバースに係留して間もないナ号に向けて針路を120度に定め、機関を全速力前進にかけて19.0ノットの対地速力で進行するうち、北西の季節風による風浪を左舷船尾方から受けて船体が動揺を繰り返すようになった。
11時23分A受審人は、風に船首を立てて係留中のナ号の右舷正横約150メートルの地点に達したとき、機関を微速力前進に減じ、同船の右舷側中央部付近に降ろされた舷梯に、平行となる体勢で自船の左舷側船首部を着けるつもりで、ゆっくり右転しながら接近を始めたところ、やがて波高0.5メートルを越える波浪を右舷船首方から受ける状況となり、船体動揺が増大したことを認めた。
ところが、A受審人は、乗客全員が交通船を頻繁に利用する慣れた者ばかりであったことから、改めて注意するまでもないものと思い、舷梯への着梯作業に取り掛かる前に、機関長及び客席の乗客に声を掛けるなどして、手荷物の量を確かめたうえ、外部通路を移動したり、同通路で待機するときには、不測の動揺に備えて確実に手摺を掴むよう指示するなど、十分な海中転落防止措置をとらなかった。
O機関長は、さちかぜがナ号の舷梯付近に向首したころ、手摺に掴まりながら左舷側の外部通路を歩いて船首甲板に赴き、いつものようにボートフックを右手に持ち、左手で作業員用手摺を掴んでナ号の舷梯に着ける作業に備えた。
A受審人は、今までの経験から、乗客が客席の後部左舷側付近で、O機関長が同フックをナ号の舷梯に掛けるのを待っていて、さちかぜの体勢が整えば、合図を待つまでもなく順番にナ号に移乗を始めることを知っていたが、船首方から寄せる風浪に抗して舷梯との距離を測りながら操船に気を奪われていたので、W乗客が救命胴衣を着用せず、両手で荷物を抱えて手摺を掴むことができない状態で待ち構えていることに気付かないまま、機関を適宜使用して舷梯への接近を続けた。
11時24分少し過ぎA受審人は、さちかぜの左舷船首部をナ号の舷梯に着け、左舷通路で待機していた先頭の乗客が移乗したが、着梯位置が通常より2メートルばかり船首側で、自船の防舷材が舷梯の手摺支柱に強く接触する状況に気付き、さちかぜを一旦舷梯から離して着け直すこととし、機関を後進にかけ、船首が舷梯から約2メートル離れたところで後進行きあしを止めた。 そのときA受審人は、作業員用手摺に臀部付近を押し付けて左舷方を向き、ボートフックを構えて舷梯への再接近に備えているO機関長越しに、船首至近に迫った波高1メートル余りの波浪を認めるとともに、両手で荷物を抱えたW乗客が同機関長の側に歩み寄り、左舷方に向いて身構えたことに気付いたが、注意を促す間もなく、11時25分四日市港防波堤灯台から115.5度2.3海里の地点において、さちかぜの船首が風浪により大きく持ち上がられたとき、W乗客及びO機関長が姿勢を崩して船尾方に転倒し、続いて船首が急速に降下したとき、反動でともに海中に転落した。
当時、天候は晴で風力5の北西風が吹き、潮候は下げ潮の初期で、波高は0.6ないし0.7メートルであった。
A受審人は、左舷船体近くの海面上が死角となって転落者の様子が分からず、他の乗客が客室屋根上の救命浮環を投じるのを見て、同乗客の合図を頼りに、見え隠れする転落者にさちかぜを安全に近づけるよう操船にあたった。
その結果、O機関長は、持っていたボートフックを用いてナ号の舷梯に取り付き救助されたが、W乗客(昭和16年7月2日生)は、他の乗客が救命浮環を繰り返し投下するなど、懸命に救助活動を続けるなか、首まで海水に浸る状態で発泡スチロール製の箱に掴まっていたものの、やがて力尽き、海中に没して行方不明となり、同年3月19日三重県答志島北西方沖合において遺体で収容された。
(9)事後の措置
Bは、社内安全会議を開催して事故原因の調査と同種事故の再発防止策についての検討を行い、運航管理規程、運航基準及び作業基準に定めた安全を確保するために、必要な事項について乗組員に対する教育の強化を図るとともに、乗客の手荷物は片手で持てるように結束し、海中転落者の救助用に長柄のボートフックを備えるなどの具体策を定めたほか、平成13年4月1日付で救命胴衣の運用基準を定め、乗組員には救命胴衣等を着用させ、乗客にも救命胴衣の着用を積極的に指示するなどの措置を講じた。
(原因の考察)
本件乗客死亡は、さちかぜが沖合に係留中のナ号に乗客を移乗させようとした際、船首方からの波浪による船体動揺により、機関長とともに乗客が海中転落したことによって発生したもので、その原因について考察する。
1 運航あるいは移乗作業の中止
転落者が、頻繁に交通船を利用していた乗客と同船の乗組員であり、いずれも移乗作業に慣れたものであったことを考慮すると、当時は運航あるいは移乗作業を取り止めるべきであったことが考えられる。しかしながら、発航時点における風速が7ないし8メートルの北西風であったと認められ、運航管理規程による運航中止基準に該当せず、また、事故発生地点付近についても、風速8ないし9メートルの北西風で、波高0.6ないし0.7メートルの波浪が生じる状態であったが、事故発生時の波浪の波高が1メートルあまりであったこと、そうした状況においても手摺を掴んでいたI乗客が転落せず、手摺を掴んでいなかった2人が転落したことを勘案すれば、着梯を取り止めなかったことを、あえて原因とするまでもない。
2 移乗作業時の乗客に対する安全措置
小型の交通船は、静かな海面状態においても他船の航走波などによって動揺を伴うものであるから、乗客は外部通路などで移動または待機するときには、海中転落の危険に備えて確実に手摺に掴まっていなければならないことは言うまでもない。従って、交通船の船長は、乗客が外部通路に出るときには手荷物や服装を確認したうえ、乗客の行動に十分注意を払い、彼らに対して必ず片手を空けて手摺を掴むことを遵守するよう指示するなど海中転落防止措置を講じなければならず、天候が悪いときにはとくにその必要がある。
また、Bは、平素から船長やほかの乗組員に対し、これらを含む事項のほか、乗客に救命胴衣の着用を勧めるなどの安全教育を行うだけではなく、本件時のように気象条件が悪いときの発航にあたっては、その都度、海中転落防止のための措置を具体的に指示すべきであった。ところが、船長及び同Bが、いずれもこれを怠ったことは本件発生の原因となる。
3 W乗客の甲板上での待機状況
W乗客は、長年にわたって通船を利用してきた経験者であり、手摺を掴まないまま甲板上で待機していた点については、十分な注意を怠っていたものと認められる。しかしながら、同人は、慣行となった移乗作業の手順に従い、動揺する外部通路上を船首甲板まで移動し、目前に近づいたナ号の舷梯にできるだけ素早く移乗しようと、左舷方を向いて身構えていて、船首方からの大きな波に気付くことができなかったものである。
同人が両手で荷物を抱えていたことについては、船長あるいは機関長が、発航後、客席をのぞいてW乗客の手荷物を確認することも、また、外部通路に出る同人に対して何ら注意することもなかった点を、また、大きな波の接近に気付かなかったことについては、同人とともに舷梯の接近状況に気を奪われていた船長及び機関長がいずれもこれに気付かず、このため機関長もW乗客と同様に海中に転落したことをそれぞれ考慮すると、W乗客の行為は、本件発生の原因とするまでもない。
4 転落者救助の状況
海中転落した乗客がしばらくの間救助を待っていたが、力尽きて海没したことを考慮すると、転落後直ちに救助できれば死亡に至ることはなかったものと認められる。しかし、当時、甲板上で作業していた機関長も海中転落し、操船に従事する船長のほかに乗組員がいない状況で、他の乗客の協力を得て救助作業が続けられた状況を勘案すると、救助に手間取ったことは遺憾ではあるが原因とするまでもない。ただし、交通船の運航に際しては、あらゆる事態を想定して平素から海中転落した者の救助訓練を行っておく必要が認められる。
(原因)
本件乗客死亡は、四日市港港界付近の四日市シーバースにおいて、交通船から係留中の大型船に乗客を移乗させる際、海中転落防止措置が不十分で、船首方からの波浪を受けて船首部が大きく上下したとき、船首甲板近くの外部通路で、救命胴衣を着用せずに、両手で荷物を抱えて待機していた乗客が、転倒して海中に転落したことによって発生したものである。
通船業者が、交通船から大型船に乗客を移乗させる際の安全措置について、乗組員に対する教育を十分に行っていなかったことは、本件発生の原因となる。
(受審人等の所為)
A受審人は、やや高い波浪が生じていた四日市港港界付近の四日市シーバースにおいて、大型船に乗客を移乗させる場合、波浪の影響で自船が大きく動揺するおそれがあったから、転倒して海中に転落することがないよう、外部通路にでるときには、不測の動揺に備えて確実に手摺を掴むよう指示するなど、十分な海中転落防止措置をとるべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、乗客全員が交通船を頻繁に利用する慣れた者ばかりであったことから、改めて注意するまでもないものと思い、十分な海中転落防止措置をとらなかった職務上の過失により、両手で荷物を抱えた状態で、船首甲板近くの外部通路で待機していた乗客を、船体の動揺により海中に転落させて死亡させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。
Bが、交通船から大型船に乗客を移乗させる際の安全措置について、乗組員に対する教育を十分に行っていなかったことは、本件発生の原因となる。
Bに対しては、本件後、運航管理規程、運航基準及び作業基準に定めた安全を確保するために、必要な事項について乗組員に対する教育の強化を図るとともに、新たに救命胴衣の運用基準を定め、乗客に救命胴衣の着用を積極的に指示するなどの措置を講じたことに徴し、勧告しない。
よって主文のとおり裁決する。
(参考)原審裁決主文 平成15年3月6日横審言渡
本件乗客死亡は、波浪中における安全措置が不十分であったことによって発生したものである。
通船業者が、波浪中における安全措置について、乗組員に対して十分な教育を行わなかったことは、本件発生の原因となる。
受審人Aの一級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。