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平成14年第二審第61号
件名

貨物船クリッパー貨物船マスコット衝突事件〔原審神戸〕

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成15年10月30日

審判庁区分
高等海難審判庁(雲林院信行、上野延之、東 晴二、山田豊三郎、工藤民雄)

理事官
川本 豊

受審人
A 職名:クリッパー船長 海技免許:四級海技士(航海)

損害
ク 号・・・船首部及び球状船首部に小破口を伴う凹損
マ 号・・・2番船倉左舷水面下外板に破口を生じ、同船倉内から機関室への浸水量が増大し、沈没

原因
マ 号・・・夜間、無灯火の状態で漂泊していたこと

二審請求者
受審人A

主文

 本件衝突は、夜間、マスコットが、無灯火の状態で漂泊していたことによって発生したものである。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成13年12月9日05時50分
 紀伊半島江須埼西南西方沖合
 
2 船舶の要目
船種船名 貨物船クリッパー 貨物船マスコット
総トン数 498トン 973トン
全長 75.89メートル 71.00メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 735キロワット 735キロワット

3 関係船舶
(1)クリッパー
 平成3年6月に進水した船尾船橋型の貨物船で、航行区域を限定沿海区域とし、主として、岡山県水島港、千葉港、愛知県衣浦港で鋼材を積み、国内の諸港に輸送するが、福岡県博多港には3箇月に1回程度瀬戸内海経由で寄港していた。船首部から船橋前までの間に貨物倉1個を有し、船橋から船首端までは約58メートルであった。海上試運転成績によれば、90度の旋回試験では、左旋回で1分00.2秒、右旋回で50.3秒を要し、後進試験では、後進起動までに8.2秒かかり、船体停止までに2分50秒を要する。
 なお、当時の喫水より眼高は約10メートルであった。
(2)マスコット
 1984年8月に中華人民共和国(以下「中国」と称する。)で竣工した船尾船橋型の貨物船で、船首部から船橋前までの間に2個の貨物倉が在った。船橋楼1階は、機関室を挟んで、右舷側に、前方から船員室2室、機関室への階段、倉庫、浴室等が、左舷側に、船員室1室、物品倉庫、食品倉庫2室、厨房等がそれぞれ並び、後部が食堂となっており、停泊中、航海中を問わず発電機や機関の音が大きく響くところであった。また、前記船籍港の他に、中国山東省の威海を船籍港とし「淅楽机(ジョールーシー)165」という船名を持つ二重国籍船であった。乗組員は全員中国国籍であり、船長Y、一等航海士W等は、同国発行の海技免状のみを所持していた。
4 事実の経過
 クリッパー(以下「ク号」という。)は、A受審人ほか3人が乗り組み、鋼材583トンを載せ、船首2.7メートル船尾3.7メートルの喫水で、平成13年12月8日18時45分航行中の法定灯火を表示して衣浦港を発し、博多港に向かった。
 翌9日04時45分半少し前単独で船橋当直中のA受審人は、潮岬灯台から246度(真方位、以下同じ。)1.7海里の地点で、針路を292度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、折からの東方に流れる海流に抗して9.1ノットの対地速力で進行した。
 05時37分少し前A受審人は、江須埼灯台から204度1.6海里の地点に達したとき、海図上に記載した予定針路線より0.4海里右方に偏位していたことと、右舷前方の和深埼をかわして沖出ししてくる反航船と接近することのないよう、針路を5度左方に転じて287度とし、前路の見張りに当たって続航した。
 05時49分A受審人は、周囲の船舶の航行状況を確認したところ、反航船は右舷方の陸地側を航行しており、それまで追い越し状態にあった船舶2隻も追い越し終えたので、左舷後部の海図台に赴き、船尾方を向いた姿勢で和深埼沖合の険礁等を確認していたとき、突然、強い明かりが船尾側の窓ガラスに反射し、振り返ったとき船首方間近に、明るい灯火に照らし出されたマスコット(以下「マ号」という。)の船橋付近を初めて認め、急きょ手動操舵に切り換えて左舵一杯としたが及ばず、05時50分江須埼灯台から252度2.6海里の地点において、ク号は、原針路、原速力のまま、その船首部が、マ号の2番船倉左舷側に直角に衝突した。
 当時、天候は晴で風力2の北風が吹き、付近海域には2ノットばかりの東流があり、視界は良好で、日出時刻は06時50分であった。
 また、マ号は、Y船長、W一等航海士、三等航海士R、甲板長K、四等機関士Uほか7人が乗り組み、中国人密航者29人を乗せ、ばら積軽焼マグネサイト1,428トンを積載し、船首3.8メートル船尾4.8メートルの喫水で、同月2日08時00分(現地時刻)中国大連港を発し、三重県四日市港に向かった。
 ところで、マ号は、大連港出航後、黄海を航行中に、W一等航海士、R三等航海士、K甲板長、U四等機関士ほか甲板員1人、コック1人の計6人により、船名を、中国沿岸しか航行できない「淅楽机165」から国際航海に従事できる「マスコット」に書き換えられた。
 U四等機関士は、大連港停泊中に、密航手配師が連れてくる3から4人ずつの密航者を数回に分けて受け入れ、1階の船員室3室に分散して匿い(かくまい)、同手配師から食料品を受け取って物品倉庫に保管していた。その後、同四等機関士は、Y船長と相談の上、密航者たちに1日2回の食料を配り、船長が船橋当直中の毎日11時30分に、船主及び密航手配師に船位、速力等を、操舵室左舷後方に設けられた電話室の無線電話機で連絡し、船長にその内容を報告していた。
 Y船長は、関門海峡に入航するまでの間に、機関修理と称して、黄海で2回、対馬の南西沖で約4時間、同島南東沖で約6時間、計4回の停船をしたあと、関門海峡、瀬戸内海、明石海峡を経由して友ケ島水道を南下した。
 同月9日02時20分船橋当直中のR三等航海士と甲板員は、市江埼灯台から172度1.9海里の地点で、機関修理と称して停船し、南方に向首して、無灯火の状態で、黒潮により沿岸に沿って圧流されながら漂泊を開始した。
 その後船橋当直を引き継いだW一等航海士とK甲板長は、無灯火の状態のまま197度に向首して漂泊中、05時46分左舷正横1,200メートルに、上下に重なったク号の白2灯と紅、緑の各舷灯を視認し、しばらく同号の動静を監視していたが、避航の気配がないまま接近するのを認め、衝突の危険を感じてK甲板長に懐中電灯を相手船に向けて振らせ、間近に接近したとき船橋周り外通路の照明灯を急きょ点灯したが効なく、船首が197度に向いたまま、前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、ク号は、船首部及び球状船首部に小破口を伴う凹損を生じ、マ号は、2番船倉左舷水面下外板に破口を生じ、同船倉内から機関室への浸水量が増大し、18時05分潮岬灯台から102度15.4海里の地点で沈没した。また、マ号の乗組員及び密航者の全員はク号に救助された。

(原因の考察)
1 漂泊中のマ号の灯火点灯状況について
(1)Y船長は、理事官に対し、「衝突後、直ぐに昇橋したとき、船橋には当直者2人と機関長がいた。左右の舷灯、垂直に紅灯2個、船橋外の照明灯、船尾灯がついていた。いつ点灯したかは見ていないので分からないが、停止するときにつけたのではないか。規則ではそうです。」旨を供述しているが、実際に見たというよりも、規則上の灯火の点灯状況を述べただけの供述であること
(2)W一等航海士は、「マ号が二重国籍船であった」件について、理事官に対する質問調書では、「どうしてなのか知りません。」と供述し、検察官に対しては、「淅楽机165」の船名では中国国内しか航行できないので、関税対策のため「マスコット」に書き換えた旨を供述しており、同一等航海士の供述は、供述する相手によって異なり、信憑性に乏しいこと
(3)和歌山地方裁判所において、マ号の乗組員の手引きで、密航者が乗船していたことが証明されたこと
(4)当時、海上保安庁の資料より、当該海域においては、密航船が多かったこと及び密航船は、停留している間、密航上陸行動のため灯火を点けていない旨の警告があったこと
(5)A受審人の当廷における、「海図台で海図を見ていたのは1分間程度の短い時間であった、視界が良かったのでレーダーを見なかったが目視による見張りを十分にしていた、前路に船舶の 灯火を認めなかった、遠方の航行船の灯火はよく見えていた。」旨の供述などにより、マ号は、密航船であったことが認められ、密航船であったがため、無灯火の状態で、船主や密航手配師からの密航者の扱いについて連絡を待っていたこと、或いは、当時、多くの密航船がしたように、夜陰に紛れて上陸せしめようと図っていたことは、十分に推認することができる。
 以上に述べたことを総合し、夜間、マ号は、無灯火の状態で漂泊していたものと認定する。また、衝突直前マ号の一等航海士が、懐中電灯をク号に向けて照射させたと述べているが、たとえ照射させたとしても、衝突を避けられない時機であったので、注意喚起信号を行ったとは認められない。
2 マ号が紀伊半島南西岸沖合で漂泊していた点について、
 理事官のW一等航海士及びS機関長に対する各質問調書中、「9日05時25分に漂泊を開始した。」旨の主張がある一方、W一等航海士及びR三等航海士の各検察官に対する供述調書写中、「上海から日本に向かっているように見せるため、航海日誌に嘘の記事を記載していたが、12月5日06時からの記事は、上海から来たということにしたとしても、既に大連から直接日本に向かう正規のルートを航行していたので、嘘をつく必要がなく、これ以降は正しい記載をした。」旨の記載があり、9日00時から04時の記事欄に記載の文は、三等航海士の当直終了時に書かれたもので信憑性のあるものと認められる。しかし、同日の04時から08時までの記事欄の文は、衝突時刻間近、或いは、衝突時の内容を表す文であり、当然、衝突後に記載されたものと認めるのが相当であり、何らかの意図が介入していることが考えられ、信憑性に欠けるものと思料する。
 マ号の航海日誌写中のR三等航海士が記載した9日00時00分から04時00分の記事欄
には、
0120 φ33°33.0N λ135°24.50E
0345 φ33°30.6N λ135°30.50E
 と書かれており、これを日本時間に代えて書き直すと、
02時20分 北緯33度33.0分 東経135度24.50分
04時45分 北緯33度30.6分 東経135度30.50分
 となることが分かる。
 この2点は、GPSによる測定位置であり、以下に述べる航程と経過時間より、船橋当直中に漂泊した時間と船位であったと十分に推認することができる。
 この2点間の距離は5.6海里で、経過時間より平均速力は2.3ノットとなり、更に、02時20分の船位から05時50分の衝突地点までは8.1海里で、この間の平均速力も2.3ノットとなる。Y船長、W一等航海士の供述や航海日誌写中の記載に対馬の南東沖で漂泊して以来、9日05時30分までの間に機関を停止した記述はない。これらの速力は、数時間連続して機関を使用して航行した速力としては、余りにも低速である。また、マ号は衝突地点から26.4海里東南東方に流され沈没している。この間の経過時間が12時間15分で、漂流速力は2.3ノットである。
 一方、A受審人は、「当時、該海域には2から3ノットの東流があった。」旨を供述しており、海上保安庁が発表している海洋速報による当該海域の海流の流向、流速を参照してもほぼ一致する。
 以上のことから、マ号は02時20分から機関を停止して漂泊していたものと認定する。
 これら1、2を総合すると、マ号は、夜間、漂泊中、無灯火の状態であったものと認められ、肉眼による通常の見張りをしていたク号側からは、その存在を認識できなかったことは明らかである。従って、マ号が無灯火の状態であったことは、本件衝突の原因となる。 

(原因)
 本件衝突は、夜間、紀伊半島江須埼西南西方沖合において、マ号が無灯火の状態で漂泊していたことによって発生したものである。
 
(受審人の所為)
 A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。

 よって主文のとおり裁決する。
 
(参考)原審裁決主文 平成14年12月18日神審言渡
 本件衝突は、クリッパーが、見張り不十分で、運転不自由船のマスコットを避けなかったことによって発生したが、マスコットが、警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。
 受審人Aの四級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。


参考図
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