(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成12年10月16日10時50分
鹿児島県種子島西方沖合
2 船舶の要目
船種船名 |
漁船第一栄光丸 |
漁船第33幸盛丸 |
総トン数 |
110トン |
19トン |
全長 |
38.30メートル |
24.31メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
698キロワット |
|
漁船法馬力数 |
|
190 |
3 事実の経過
(1)第一栄光丸
第一栄光丸(以下「栄光丸」という。)は、平成3年6月に進水した、底びき網漁業に従事する鋼製漁船で、可変ピッチプロペラを有し、船首端から7.20メートルのところに操舵室を設け、同室内には、中央少し右舷側に舵輪、その左横に魚群探知機及びレーダーが、また舵輪の右横に可変ピッチプロペラ遠隔操縦装置がそれぞれ設置されていた。操舵室前面は、窓枠によって5分割されたガラス窓となっており、両舷から2番目の各窓に旋回窓が備えられ、レーダー後方から前方の見通しは良好であった。
同船は、海上試運転成績表によると、空倉時において回転数毎分340前進翼角15.6度としたとき11.1ノットの対地速力であった。また、前進翼角20.2度から後進翼角15.0度に操作したとき、後進翼角15.0度に整定するまで45秒の時間を要していた。
(2)第33幸盛丸
第33幸盛丸(以下「幸盛丸」という。)は、平成10年8月に進水した、中型まき網漁業に従事するFRP製漁船で、船首端から7.90メートルのところに操舵室を設け、同室内には、レーダー及びGPSプロッターなどの計器類が装備されていた。
(3)本件発生に至る経緯
栄光丸は、A受審人ほか8人が乗り組み、僚船の第二栄光丸とともに二そう底びき網漁の目的で、船首1.70メートル船尾4.20メートルの喫水をもって、平成12年10月14日14時30分鹿児島県志布志港を発し、17時ごろ大隈半島観音埼沖合の漁場に至って操業を開始し、その後種子島西方沖合の漁場に移動しながら操業を繰り返した。
ところで、A受審人は、操業及び漁場の移動中には、自らと漁ろう長が交替で単独の船橋当直に就くようにしていた。
翌々16日10時25分A受審人は、屋久島早埼北方で同日4回目の操業を終え、第二栄光丸とともに島間埼西方3.5海里付近の漁場に向けて移動することとし、島間埼灯台から283度(真方位、以下同じ。)10.2海里の地点において、針路を103度に定め、機関を回転数毎分343にかけて翼角16度とし、10.0ノットの対地速力(以下「速力」という。)で進行した。
10時35分A受審人は、島間埼灯台から283度8.5海里の地点で昇橋し、それまで当直に就いていた漁ろう長から、周囲の状況をよく確かめないまま引き継ぎ、単独の船橋当直に就いた。
A受審人は、当直に就いて周囲を一瞥したとき、他船を認めなかったことから、その後、前路の見張りを厳重に行うことなく、12海里レンジとしたレーダーの中心部2海里ほどに現れていた海面反射を調整しないまま、レーダーや魚群探知機を時折見たり、漁ろう長が操舵室内右舷後部の無線機前で、調子の悪かった無線機用マイクの調整を行っていたので、これを見たりしながら同一針路、速力で自動操舵により続航した。
10時44分A受審人は、島間埼灯台から282度7.0海里の地点に達したとき、正船首1.0海里のところに船首を北方に向けている幸盛丸を視認でき、同船が錨泊していることを示す形象物を表示していなかったものの、その後近づくにつれ、風に立った船首の向きや船首から張り出された錨索などの状態から、錨泊していることが容易に分かる状況にあり、同船に向首したまま衝突のおそれがある態勢で接近したが、当直に就いたとき他船を認めなかったことから、航行に支障となる他船はいないものと思い、依然前方の見張りを十分に行うことなく、魚群探知機の映像や漁ろう長の作業を見ていてこれに気付かず、転舵するなどして幸盛丸を避けないまま進行した。
10時50分少し前A受審人は、右舷船尾方400メートルのところを後続している第二栄光丸船長から無線電話により「前に船がいる。」と知らされ、正船首至近に迫った幸盛丸を初めて認め、衝突の危険を感じ、急いで舵輪前に移って自動操舵の針路設定つまみを右に回し、続いて翼角を後進一杯としたが及ばず、10時50分島間埼灯台から282度6.0海里の地点において、栄光丸は、ほぼ原針路のまま、約9ノットの速力をもって、その船首が幸盛丸の左舷中央部に、後方から80度の角度で衝突した。
当時、天候は曇で風力4の北東風が吹き、潮候は下げ潮の初期にあたり、視界は良好で、日出時刻は06時19分であった。
また、幸盛丸は、B受審人ほか7人が乗り組み、僚船4隻と船団を組み、まき網漁の目的で、船首2.50メートル船尾3.00メートルの喫水をもって、同月15日13時50分鹿児島県山川港を発し、種子島西方沖合の漁場に向かった。
ところで、B受審人は、平成6年9月9日に交付された一級小型船舶操縦士免状の有効期間が平成12年1月25日に満了したものの、その後更新手続を行わず、海技免状が失効したまま幸盛丸に船長として乗り組んでいた。
幸盛丸は、船団で魚群の探索を行ったのち、灯船による集魚に続き漁網を投入してあじ、さば及びいわしなどを漁獲するもので、1回の操業に約3時間を要し、これを夕方18時ごろから朝方05時ごろにかけて行い、その後10時ごろから15時ごろまで錨泊して全員が休息をとり、再び夜間の操業を繰り返していた。
17時ごろB受審人は、島間埼西方沖合の漁場に到着したのち操業を行い、翌16日05時ごろ操業を終え、夜間の操業に備えて休息をとることにし、他の僚船4隻はいずれも島間港付近に錨泊したものの、出港以来、自ら1人で操船に当たっていて疲れを感じており、燃料を節約したいとの考えもあって、僚船の錨泊地点に向かうことを止め、05時20分前示衝突地点付近の水深約87メートルのところに、重さ170キログラムの錨を左舷船首より投入し、直径30ミリメートルの合成繊維製錨索を300メートル延出して錨泊を始めた。
同錨泊地点は、海峡幅約10海里の種子島海峡の北方5海里ばかりに当たり、種子島と屋久島間に就航する定期船などが航行するものの、特に船舶が輻輳する海域ではなかった。
その後、B受審人は、乗組員に破網箇所の修理を行わせ、自らは操舵室で他の船団との情報交換や書類整理などの雑務をこなし、やがて日出となったものの錨泊中の船舶が表示する形象物を掲げず、後部マストに4個と伸縮式マリンクレーンに7個設置されている、いずれも500ワットの作業灯を点灯したまま錨泊を続けた。
B受審人は、朝食をとったのち、09時00分操舵室に戻り、舵輪後ろのいすに腰を掛けて仮眠し、また乗組員も漁網の修理を終えたところで船員室に入って休息中、幸盛丸は、船首を023度に向首し、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、栄光丸は、右舷船首部に擦過傷を生じ、幸盛丸は、左舷中央部に破口を生じて機関室に浸水し、11時10分衝突地点付近において沈没したが、乗組員は栄光丸に移乗した。
(主張に対する判断)
本件は、種子島西方沖合において、漁場を移動中の栄光丸と錨泊中の幸盛丸とが衝突したものであり、幸盛丸側補佐人は、前直のU漁ろう長がレーダー画面上、前方4海里に船舶の映像を認めていたものの、この映像についてA受審人に引き継がなかったこと及び後続する第二栄光丸が無線連絡により早期に注意喚起を行わなかったことも本件発生の原因となり、更に栄光丸側が衝突直前に衝突を回避するための何らの措置もとっていないと主張するので、これらの点について検討する。
1 U漁ろう長の引継ぎについて
U漁ろう長が、交替前、レーダー画面上で前方4海里に船舶の映像を認めていたものの、そのことについてA受審人に引き継がなかったことは、同漁ろう長の当廷における供述等から補佐人主張のとおりである。
ところで、A受審人が当直に就いたとき、前方2.5海里のところに幸盛丸が錨泊しており、このときから衝突まで15分の時間があった。このことから、同受審人が適切な見張りを行ってさえおれば、幸盛丸を視認してその動静を監視することにより、同船が錨泊していることや同船に衝突のおそれのある態勢で向首接近していることを容易に判断でき、時間的にも距離的にも十分な余裕をもって衝突を回避するための措置をとることができたものと認められる。
ただ、当直交替時に、U漁ろう長がA受審人にレーダー映像を引き継いでいたなら、同人がこれに対して注意していたことが窺がえるところであるが、A受審人は、船長という立場にあり、当時、U漁ろう長から引継ぎを受けるに際し、同人から申し継ぎ事項がなかったのであるから、漁ろう長に申し継ぎ事項の確認を行ったり、また自ら針路、速力や周囲の状況などを確かめたりする責務があり、こうした責務を果たしていたなら結果を回避することができた。
こうした点を考えるとき、U漁ろう長がA受審人に前路に認めていた船舶の映像を引き継がなかったことは、本件の原因をなしたものとは判断しない。
2 第二栄光丸の無線連絡について
確かに、補佐人主張のように、第二栄光丸が早期に無線連絡を行っておれば、衝突を回避することは可能であったといえる。
しかしながら、安全運航については、基本的には個々の当該船舶において、その責任のもとで行われるべきものである。もっとも、後続する第二栄光丸がこのような連絡を自発的に行うことは好ましいことではあるが、第二栄光丸に対して、無線連絡による注意喚起を強制的に要求することは、法令上からも社会通念上からも、その根拠のないところである。
したがって、第二栄光丸が早期に無線連絡による注意喚起を行わなかったことを、本件発生の原因とは認めない。
3 栄光丸側の衝突回避措置について
(1)初認模様
A受審人は、幸盛丸を初認したときの状況について、同人に対する質問調書中、「第二栄光丸から前方に漁船がいるとの無線連絡で幸盛丸を認め、慌てて自動操舵の針路設定つまみを回し、次いで全速力後進としたが原針路で衝突した。」旨の供述記載があり、また同受審人の供述調書写においては、「衝突直前に幸盛丸の手摺を認めてから衝突まで6ないし7秒くらいであった。」旨の記載がある。これに加え、U漁ろう長は原審審判調書中において、「A船長の『わっー』という声を聞いて幸盛丸を初認したのは、衝突の数秒前で約30メートルの距離であった。」旨が供述記載されている。
これらのことから、A受審人が船首至近に幸盛丸を初認したのは、衝突の6ないし7秒前と認められる。
(2)舵と機関の操作模様
幸盛丸側補佐人は、A受審人が衝突直前に機関を操作したときに生じる機関音の変化、異常な船体振動及び排気ガスの変色等について立証していないことから、「衝突前に翼角が後進に操作されていない。」旨を主張する。
CPP操作時の状況について、A受審人は、当廷において、「機関音の変化、異常な船体振動を覚えていない。」旨を供述し、またU漁ろう長も当廷で、「機関音の変化、異常な船体振動を感じていない。」と述べている。しかしながら、一般的に、翼角が後進一杯に操作されたものの、発令直後でまだ翼角が後進側に作動せず、機関に大きな負荷変動が見られないときに衝突したならば、機関音の変化、異常な船体振動がさほど感じられないことはあり得ることである。衝突直前という、精神的にかなり動揺した状態では、当事者にこれら現象の変化が感じられないことは考えられることで、特に不合理なことではなく、これをもってA受審人の、「自動操舵の針路設定つまみを右に回し、続いてCPP操作ダイヤルを後進一杯とした。」旨の供述等を否定することにはならない。
一方、自動操舵の針路設定つまみやCPP操作ダイヤルは、A受審人の見張り位置のすぐ側にあり、これらを直ちに操作することが容易にできる状況にあったことから、同受審人が、幸盛丸を認めて舵及び可変ピッチの操作を行うことは、ごく自然な行動で当然考えられることである。
U漁ろう長の原審審判調書において、「衝突前、前方を見たときA船長が機関のリモコンの前にいた。衝突後、交替したとき幸盛丸から離れつつあった。」旨の供述記載があること、またA受審人の終始一貫した供述を排斥する客観的な根拠や理由が見当たらないこと、更に同受審人が幸盛丸を初認したのは、(1)で述べたとおり、衝突の直前であったことに、海上試運転成績表抜粋写によると、前進翼角一杯から後進翼角が整定するまで45秒を要することを合わせ考えると、A受審人が衝突直前に船首至近に幸盛丸を認めたとき、自動操舵の針路設定つまみを回し、更に前進翼角16度から後進翼角一杯の操作を行ったものの、後進効果が現れる前に衝突したものと認める。
したがって、幸盛丸側補佐人の主張は、いずれも採用することはできない。
(原因)
本件衝突は、種子島島間埼西方沖合において、漁場を移動中の栄光丸が、見張り不十分で、前路で錨泊中の幸盛丸を避けなかったことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は、島間埼西方沖合において漁場を移動中、単独で船橋当直に当たる場合、前路で錨泊中の幸盛丸を見落とさないよう、船首方の見張りを十分に行うべき注意義務があった。ところが、同人は、当直に就いたとき周囲を一瞥して他船を認めなかったことから、航行に支障となる他船はいないものと思い、魚群探知機の映像や無線機用マイクの調整を行っていた漁ろう長の作業を見ていて、船首方の見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、前路で錨泊中の幸盛丸に気付かず、同船を避けることなく進行して衝突を招き、栄光丸の右舷船首部に擦過傷を、幸盛丸の左舷中央部に破口を生じさせ、同船が浸水して沈没するに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の五級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
B受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。
(参考)原審裁決主文 平成14年12月5日門審言渡
本件衝突は、第一栄光丸が、見張り不十分で、前路で錨泊中の第33幸盛丸を避けなかったことによって発生したが、第33幸盛丸が、見張り不十分で、注意喚起信号を行わなかったことも一因をなすものである。
受審人Aの五級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
受審人Bを戒告する。