(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成14年11月10日13時23分
東京湾中ノ瀬西方沖合
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船阿州 |
総トン数 |
690トン |
全長 |
79.20メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
1,471キロワット |
3 事実の経過
阿州は、専ら砂利運搬に従事する船尾船橋型貨物船で、船長G及びA受審人ほか3人が乗り組み、建設発生土2,014.24トンを載せ、船首3.94メートル船尾5.54メートルの喫水をもって、平成14年11月10日12時45分京浜港横浜区山下ふ頭を発し、愛知県常滑港に向かった。
G船長は、出航操船後、本牧防波堤を通過し、13時04分ごろ横浜本牧防波堤灯台から110度(真方位、以下同じ。)1,200メートルの地点で、A受審人に浦賀水道航路への針路などを指示したのち、当直を引き継ぎ、降橋して自室で休息した。
A受審人は、これまで浦賀水道を南北に航行した経験が5回ほどあり、東京湾中ノ瀬西方第1号灯浮標(以下「西方1号灯浮標」という。)や周辺の灯浮標などの存在を知っていた。
A受審人は、単独で船橋当直に就き、13時06分横浜本牧防波堤灯台から117度1.3海里の地点に至ったとき、浦賀水道航路へ針路を向けることにしたが、西方1号灯浮標を左舷方へ十分に離す適切な針路とせず、そのころ、遠方の浦賀水道航路第5号灯浮標を視認していたことから、同灯浮標近くに向く184度の針路に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、11.0ノットの対地速力で、船橋前面の中央付近で見張りに当たって進行した。
ところで、阿州は、船首部に長さ約7.5メートル幅約5.3メートル甲板上の高さ約4メートルのクレーン操縦室が備えられていたことから、船橋中央部から正船首方の左右各舷約3度の範囲に死角が生じるので、A受審人は、船橋内を左右に移動して死角を補う見張りを行う必要があった。
13時15分少し前A受審人は、横浜金沢木材ふとう東防波堤灯台(以下「東防波堤灯台」という。)から057度3.1海里の地点に至ったとき、正船首1.5海里のところに西方1号灯浮標を視認でき、その後、同灯浮標に向首接近するのを認め得る状況であったが、そのころ、右舷前方の同航船1隻のほか周囲に他船を見かけなかったことから気が緩み、同灯浮標の存在を失念し、進路上には支障となる灯浮標はないものと思い、船橋内を左右に移動して死角を補う見張りを十分に行わなかったので、西方1号灯浮標への接近状況に気付かないまま続航した。
13時18分ごろA受審人は、操舵輪後方に移動していすに腰掛け、依然、見張り不十分のまま進行中、同時23分わずか前正船首わずか右方至近に西方1号灯浮標の頂部を初めて視認し、衝突の危険を感じ、手動操舵に切り替えて左舵15度をとったが効なく、13時23分東防波堤灯台から085.5度2.47海里の地点で、阿州は、原針路原速力のまま、そのバルバスバウが同灯浮標の浮体部に衝突した。
当時、天候は晴で風力1の北風が吹き、潮候は下げ潮の末期であった。
A受審人は、衝突後、西方1号灯浮標の様子に変わりがないようなので、船長へ報告しないでそのまま航行を続けた。
その結果、阿州に損傷はなく、西方1号灯浮標は、凹損及び小破口を生じて間もなく沈没したが、のち引き上げられた。
(原因)
本件灯浮標損傷は、京浜港横浜航路を出航後、針路の選定が適切でなかったばかりか、東京湾中ノ瀬西方沖合を浦賀水道航路北口に向けて南下中、見張り不十分で、西方1号灯浮標に向首進行したことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は、東京湾中ノ瀬西方沖合を浦賀水道航路北口に向け南下する場合、正船首方の西方1号灯浮標を見落とすことのないよう、船橋内を移動して死角を補う見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかし、同受審人は、同灯浮標の存在を失念し、進路上には支障となる灯浮標はないものと思い、死角を補う見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、西方1号灯浮標に気付かないまま向首進行して同灯浮標と衝突する事態を招き、同灯浮標に凹損及び小破口を生じさせ、沈没させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。