(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成13年3月1日06時15分
宮城県金華山東方沖合
2 船舶の要目
船種船名 |
漁船第五十一金生丸 |
総トン数 |
138トン |
全長 |
34.96メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
353キロワット |
3 事実の経過
第五十一金生丸(以下「金生丸」という。)は、昭和57年にまぐろはえ縄漁船として竣工した鋼製漁船で、平成6年12月有限会社Sが購入していか釣り機を設置するなどの改装が行われたのち、青森県八戸港を基地として、毎年5月1日から翌年2月末までの漁期中、太平洋側及び日本海側の漁場でいか一本釣り漁業に従事していた。
指定海難関係人有限会社S(以下「S」という。)は、金生丸を購入するにあたって設立されたが、社員はおらず、B指定海難関係人の妻のCが代表取締役に就任してB指定海難関係人は役員に就かなかったものの、会社業務や運航業務などの実務はすべて同人が行い、代表者である妻のすみは乗組員の給与計算や保険手続等の事務的な仕事だけを行っていた。
B指定海難関係人は、大学卒業後すぐに家業の漁業を手伝うようになり、昭和47年4月に五級海技士(機関)の免許を取得してからは父親が所有する漁船に機関長として乗り組み、金生丸には、購入後3年間ほど機関長として乗り組んだのち、平成10年5月から漁労長兼一等機関士として乗り組んでいた。
ところで、B指定海難関係人は、漁場において、以前から乗組員が救命胴衣を着用しないまま甲板上で作業を行っていることを承知していたが、乗組員に対し、甲板上で作業を行う際には必ず救命胴衣を着用するよう強く指導しないなど、乗組員の安全に対して十分に配慮していなかった。
甲板長Uは、B指定海難関係人の父親の代から甲板長として乗り組んでいたベテランの漁船員で、B指定海難関係人が漁船に乗り組むようになったときに操業方法等を同人に教えるなどした関係もあって、B指定海難関係人が漁労長になってからは、専ら、同人に代わって乗組員を指揮しながら漁労中の実務的な仕事を行っていた。
一方、金生丸の操業形態は、漁場に至って船尾にスパンカーを掲げ、船首部からパラシュート型シーアンカー(以下「シーアンカー」という。)を投入して、夕方から翌朝日出時までの操業を繰り返すもので、シーアンカーは、細綱と称する径8ミリメートル(以下「ミリ」という。)の張索24本を有する直径30メートル長さ約18メートルのパラシュート、径60ミリ長さ200メートルのアンカーロープ、一端に外径1.3メートル重さ12キログラムの浮子玉と称するブイを取り付けた径30ミリ長さ15メートルのブイロープ、及び径28ミリ長さ300メートルの捨て綱と称する引揚索で構成されており、パラシュートの細綱にアンカーロープが、パラシュート頂部に取り付けられた鉛製の重りにブイロープが、ブイロープの途中に捨て綱がそれぞれ連結されていた。
また、シーアンカーの収納作業は、通常、最初に捨て綱を左舷側のローラを介して左舷側のリールに巻き取り、ブイロープは捨て綱との連結を外してからダビットの滑車を通して一端をボラードに固縛しておき、パラシュートと細綱を甲板上に揚収してアンカーロープを右舷側のローラを介して右舷側のリールに巻き取ったのち、最後に海面上に浮かせていた浮子玉をダビットの滑車を利用して揚収するという手順で行われていた。
平成12年12月27日、B指定海難関係人は、水揚げのために八戸港へ帰港した際、船長から腰痛のために下船したい旨を告げられ、同人の様子から止むを得ないと判断して下船を了承したものの、年末ということもあって後任の船長が手配できず、船長を乗り組ませないまま出港すると船舶職員法に違反することは承知していたが、このまま休業すると収入が減って借金の返済ができなくなることなどから、次航海の仕度金を届けに来ていた妻にだけこのことを告げて、出漁した。
金生丸は、その後の帰港の機会にも後任の船長を手配できなかったが、依然、船長を乗り組ませないまま、B指定海難関係人及びU甲板長ほか5人が乗り組み、操業の目的で、船首2.80メートル船尾3.00メートルの喫水をもって、同13年1月23日09時00分八戸港を発し、金華山東方沖合の漁場に向かった。
漁場到着後、B指定海難関係人は、乗組員に救命胴衣を着用させないまま操業を繰り返し、同年3月15日までと定められた試験操業期間を利用して、同月1日も同操業区域内で操業を続けていたが、漁獲量も少なく、低気圧が接近して天候が徐々に悪化しつつあったことなどから、急遽操業を切り上げて帰港することにし、同日05時50分その旨を乗組員に伝えて操業を中止した。
U甲板長は、B指定海難関係人以外の5人の乗組員を指揮して、いか流し台を収納してスパンカーをたたむなどの手仕舞い作業を終えたのち、06時10分から船首部でシーアンカーの収納作業を開始し、捨て綱、シーアンカー及びアンカーロープの収納を終え、乗組員4人を各々発航準備作業に就かせたのち、甲板員1人と船首部に残って浮子玉の揚収作業に取り掛かったが、操業中止が突然であったことによるものか、いつものようにダビットの滑車を使用せずに浮子玉の引き揚げ作業を始めた。
一方、B指定海難関係人は、船橋で操船に当たっていたところ、U甲板長と甲板員がダビットの滑車を使用せずに浮子玉を揚収しようとしているのを認めたが、同甲板長はベテランなので何か考えがあってのことだろうと思い、いつものとおり滑車を使用して浮子玉を揚収するよう指示しないなど、乗組員の安全に対して十分に配慮しなかった。
こうして、U甲板長は、救命胴衣を着用しないまま、最船首部左舷のブルワーク上に上って高さ約60センチメートルの手摺りから手を伸ばし、浮子玉を掴んで船内に引き揚げようとしていたところ、左舷船首方に波高3メートルほどの高波が発生し、これを認めたB指定海難関係人が船橋からマイクで同甲板長に注意を促した直後、船首部が波によって大きく持ち上げられたのち急降下したとき、身体のバランスを崩し、06時15分北緯37度46分東経146度15分の地点において、浮子玉と共にブルワーク上の手摺りを越えて海中に転落した。
当時、天候は曇で風力3の北西風が吹き、1.5ないし2メートルの波浪があった。
B指定海難関係人は、U甲板長が海中に転落するのを認めたので、金生丸を操船して泳いでいる同甲板長に船体を近づけるとともに、乗組員を指揮してロープに取り付けた救命浮環を同甲板長に投げるなどの救助活動を行った。
しかしながら、U甲板長(昭和18年2月17日生)は、しばらくは泳いでいたものの、投げられた救命浮環が届かなかったことから徐々にその動きが鈍くなり、その後、救命浮環を取り付けたロープを持って海中に飛び込んだ乗組員によって船内に収容されたのち、無線による医師の指示に従って人工呼吸や心臓マッサージ等の救命処置が施されたが、07時42分溺水のために死亡した。
本件後、B指定海難関係人は、事故の再発防止のため、ブルワーク上の手摺りを1メートルまで高くし、ダビットの高さも高くして電動ホイストを取り付ける改造を行うとともに、甲板上で作業を行うときは乗組員に必ず救命胴衣を着用させるようにした。
(原因)
本件乗組員死亡は、天候が悪化しつつある金華山東方沖合において、シーアンカーの浮子玉を揚収するにあたり、甲板上で作業を行う乗組員の安全に対する配慮が不十分で、救命胴衣を着用しないまま作業を行っていた乗組員が、海中に転落したことによって発生したものである。
(指定海難関係人の所為)
B指定海難関係人が、天候が悪化しつつある金華山東方沖合において、シーアンカーを揚収するにあたり、漁労長として、甲板上で作業を行う乗組員に救命胴衣を着用させていなかったばかりか、乗組員が浮子玉を手で引き揚げようとしているのを認めたときに、いつものとおりダビットの滑車を使用して揚収するよう指示しないなど、甲板上で作業を行う乗組員の安全に対して十分に配慮しなかったことは、本件発生の原因となる。
B指定海難関係人に対しては、本件後、ブルワーク上の手摺りの高さを高くしダビットを背の高いものに取り替えて電動ホイストを装備するなどの改造を行うとともに、甲板上で作業を行う乗組員には必ず救命胴衣を着用させるなど、同種事故の再発防止に努めている点に徴し、勧告しない。
Sの所為は、本件発生の原因とならない。
なお、Sが船長を乗り組ませないまま金生丸を出漁させたことは、法令に違反するものであり、厳に慎むべきである。
よって主文のとおり裁決する。