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平成15年横審第28号
件名

漁船平塚丸乗組員行方不明事件

事件区分
死傷事件
言渡年月日
平成15年7月16日

審判庁区分
横浜地方海難審判庁(西山烝一、大本直宏、吉川 進)

理事官
松浦数雄

損害
甲板員1人が行方不明

原因
転落防止措置不十分

主文

 本件乗組員行方不明は、漁場から帰航するにあたり、乗組員に対する転落防止措置が十分でなかったことと、救命胴衣を着用させなかったこととによって発生したものである。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成14年8月27日04時45分
 相模湾
 
2 船舶の要目
船種船名 漁船平塚丸
総トン数 7.83トン
登録長 12.65メートル
3.15メートル
深さ 0.94メートル
機関の種類 ディーゼル機関
漁船法馬力数 100

3 事実の経過
(1)平塚丸の船体構造
 平塚丸は、昭和55年4月に進水した全長約13.90メートルの定置網漁業に従事するFRP製漁船で、操舵室や船室を有せず、船首から8.66メートル後方までが前部甲板、そこから船尾部の波の浸入を防ぐ仕切り板までが後部甲板で、船首から順に船首倉庫、魚倉、機関室となっていて、同甲板上にその前端から長さ2.25メートル幅1.54メートル高さ0.78メートルの機関室囲壁が設けられ、木製の手すりが同囲壁屋上の周囲に、機関操縦ハンドルが同屋上船尾方に取り付けられ、船尾に舵柄が備えられていた。また、船首から仕切り板までの間にブルワークが設置され、前部甲板では高さが54センチメートル、後部甲板では高さが60センチメートルで水面からブルワーク上端まで1.10メートルであった。
(2)本件発生に至る経緯
 平塚丸は、船長F(昭和18年9月23日生、一級小型船舶操縦士免状受有、平成15年1月29日死亡により受審人指定が取り消された。)ほか11人が乗り組み、操業の目的で、船首0.1メートル船尾1.7メートルの喫水をもって、平成14年8月27日03時30分神奈川県平塚漁港を発し、相模川河口南西方沖合1.3海里のところに設置されている定置網漁場に向かった。
 F船長は、03時45分前示定置網漁場に着き、アジ、サバ約50キログラムを漁獲して操業を終え、04時37分平塚沖波浪観測塔灯(以下「平塚沖観測灯」という。)から172度(真方位、以下同じ。)600メートルの地点を発進し、平塚漁港に向け帰途に就いた。
 ところで、平塚漁港は、相模川の右岸河口近くに位置し、河口から南方沖合600メートルまでは、水深5メートル以内の遠浅の地形となっていたうえ、同沖合では、風などの影響により海底の土砂が移動して水深が変化することもあり、台風が日本の南方海上に接近してくると、南寄りのうねりと同河口沖合の海底地形とにより、磯波が高起することがあり、F船長は、長年同じ乗組員とともに、日帰り操業による定置網漁業に従事しており、このことについてよく知っていた。
 当時、台風15号が父島南方海上を西北西に進行し、F船長は、前夜、波浪注意報が発表されていること及び台風の情報について知っていたものの、出漁前、相模川河口付近に際立った波浪が見当たらなかったことや、台風がまだ遠くにいることから、警戒を要する磯波が発生することはないと思っていた。
 F船長は、平塚丸が船室を有せず、乗組員が暴露甲板上で待機していること、及び台風に伴う南寄りのうねりにより、相模川河口付近に磯波が発生する可能性があることに留意し、漁場を発進するにあたり、磯波などにより船体が傾斜しても安全を確保できるよう、乗組員に対し、機関室囲壁屋上の手すりをつかまらせるなり、ブルワーク下部に沿って張られている「やって」と称する救命索を握らせて甲板上に座らせるなりして、乗組員に対する転落防止措置を十分にとることなく、また、救命胴衣を着用させることもなく、同囲壁後方に立った姿勢で舵柄を操作し、発進と同時に針路を060度に定め、機関を全速力前進にかけて9.3ノットの対地速力で進行した。
 一方、甲板員Uは、野球帽をかぶり、ジャンパーに合羽のズボンと長ぐつを履き、救命胴衣を着用しないまま、機関室囲壁付近の左舷側ブルワークに海面を背にして腰を乗せ、船体構造物にしっかりつかまるなど転落防止措置をとらないで、手すりに手を置いた姿勢で船首方に顔を向けていた。
 そのほかの乗組員のうち、前部甲板にいた3人は船尾方を向いてかんぬきに腰掛け、ほかの1人は左舷側に立った姿勢でデリックブームのガイロープにつかまり、U甲板員の左隣にいた1人は同甲板員と同じ姿勢で手すりを握り、機関室囲壁付近の右舷側ブルワークに腰を乗せていた2人は海面を背にして手すりを握り、そのほかの3人は船尾甲板に座って、それぞれ待機していた。
 04時45分少し前F船長は、平塚沖観測灯から075度2,100メートルの地点に至ったとき、針路を相模川河口に向く000度に転じるとともに機関を減速したところ、うねりの影響により突然高起した磯波が右舷後方から押し寄せたが、どうすることもできず、同時45分平塚沖観測灯から074度2,100メートルの地点において、平塚丸は、左舷側に大きく傾斜して海水が打ち込み、U甲板員が海中に転落した。
 当時、天候は晴で風力2の北風が吹き、潮候は上げ潮の中央期に当たり、波高が1メートルを超える南寄りのうねりがあった。
 その結果、U甲板員(昭和10年4月26日生)は、行方不明となり、その後僚船等による12日間の捜索にもかかわらず、発見されなかった。

(原因の考察)
 本件は、神奈川県相模川河口南方沖合において、平塚漁港に向け帰航中の平塚丸が、右舷後方から突然高起した磯波を受けて左舷側に大傾斜し、乗組員が海中に転落して行方不明になったものであるが、その原因について検討する。
 当時、台風15号は父島のはるか南方海上を西北西に進行中であったが、平塚丸は、相模川河口を出航したときから操業を終えて帰航中も大きな波や船体の大きな動揺などはなかった。しかし、本件発生直後から台風の影響が出てうねりが高まり、波高も高くなったことがF船長に対する質問調書中の供述記載及び防災科学技術研究所の公開データから認められるが、本件発生当時は、相模湾ではまだ、磯波が高起するほどうねりが大きい状況であったと認めることはできないので、磯波に対する配慮不十分を原因とするのは適当でない。
 F船長は、出航の前夜、台風が父島南方海上にあるという気象情報を入手しており、うねりにより磯波が発生することも経験上よく知っていたことから、気象に対する情報収集が不十分、または海象に対する配慮不十分を原因に挙げることも適当でない。
 また、F船長は、帰航中、いつものとおり相模川河口南方沖合に至り、同河口に向け転針するとともに減速し、波などに注意しながら進入する態勢として進行していたので、操船不適切により船体が大傾斜したものとは認められない。
 しかし、平塚丸は、船室を有せず、ブルワークの高さも低い構造の小型漁船で、乗組員が暴露甲板上で待機中の状況にあり、時化や磯波などで船体が大きく傾斜することにより、乗組員が海中に転落するおそれがあった。
 したがって、本件は、磯波が発生しやすい海域であること及び船室等がなく乗組員が暴露甲板上で待機していることに留意し、高起する磯波により船体が傾斜しても安全を確保できるよう、漁場を発進するにあたり、機関室囲壁屋上の手すりをしっかり握らせるなど、乗組員に対する転落防止措置をとらなかったこと、及び万が一海中に転落しても、海面上に浮いて救助を待つことができるよう、救命胴衣を着用させなかったことをもって原因とするのが相当である。

(原因)
 本件乗組員行方不明は、夜間、船室等を有しない小型漁船の平塚丸が、定置網漁場から帰航するにあたり、乗組員に対する転落防止措置が不十分であったことと、救命胴衣を着用させなかったこととにより、神奈川県相模川河口南方沖合を航行中、台風に伴ううねりの影響で生じた磯波により船体が左舷側に大傾斜し、乗組員が海中に転落したことによって発生したものである。

 よって主文のとおり裁決する。





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