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平成15年広審第42号
件名

漁船第一海運丸貨物船チュン カン衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成15年9月9日

審判庁区分
広島地方海難審判庁(高橋昭雄、供田仁男、佐野映一)

理事官
平野浩三

受審人
A 職名:第一海運丸船長 操縦免許:小型船舶操縦士

損害
海運丸・・・・船体後部を断裂、転覆し、全損
船長が胸腰部打撲傷及び頸部捻挫
チュン号・・・右舷船首部外板に擦過傷

原因
海運丸・・・・警告信号不履行、各種船間の航法(避航動作)不遵守(主因)
チュン号・・・各種船間の航法(協力動作)不遵守(一因)

主文

 本件衝突は、チュン カンが、漁ろうに従事している第一海運丸の進路を避けなかったことによって発生したが、第一海運丸が、汽笛信号装置不整備状態により警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
 受審人Aを戒告する。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成14年12月27日10時35分
 瀬戸内海備後灘
 
2 船舶の要目
船種船名 漁船第一海運丸 貨物船チュン カン
総トン数 4.92トン 3,351トン
全長 13.60メートル 104.92メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力   2,647キロワット
漁船法馬力数 15  

3 事実の経過
 第一海運丸(以下「海運丸」という。)は、船体中央部に操舵室を配した戦車こぎ網漁業に従事するFRP製漁船で、A受審人(昭和49年10月一級小型船舶操縦士免許取得)が1人で乗り組み、日帰り操業の目的で、船首0.2メートル船尾1.0メートルの喫水をもって、平成14年12月27日07時00分広島県福山市横田漁港を発し、同港南方約5海里沖の漁場に向かった。
 ところで、底曳網漁業の一種である戦車こぎ網漁法は、爪の付いた鉄製のけたに袋網を取り付けた漁具を海底に沈めて曳き回し、爪で海底の魚をかき出して袋網へ入れるものである。また、A受審人は、平成14年9月法定検査の折に装備していた汽笛信号装置の故障を指摘されて新替の予定であったが、操業等の多忙から取り替えも整備も行わないまま、操舵室上部後端と甲板上に据付けた網巻き揚げ用クレーン上端との間に張ったステーの中間で甲板上の高さが約3メートルのところに所定の黒色鼓型形象物を掲げて操業を行っていた。
 07時15分A受審人は、漁場に至って形象物を掲げて付近で操業する同業船に混じって操業を始め、その後30分ごとに揚網を行いながら3回目の操業で漁網の一部を損傷し、いったん操業を中断して修理した。10時20分ころ4回目の曳網に取り掛かり、同時25分百貫島灯台から112度(真方位、以下同じ。)4.0海里の地点で、針路を阿伏兎瀬戸南口付近に向く358度に定めて自動操舵とし、機関を回転数毎分2,300の前進にかけて約7ノット(対地速力、以下同じ。)の速力で発進し、漁具の投入に続いて左舷側船尾部から曳網索を繰り出した。やがて曳網索から受ける張力等の影響から船首が僅かに左偏するようになり、同時27分同灯台から107度3.9海里の地点に達したころ、同索を約200メートル延出した曳網状態で約4ノットの曳網速力で更に左偏しながら続航した。
 10時30分A受審人は、百貫島灯台から105度3.7海里の地点に達し、船首が横島南西端付近を向首する304度に向いたころ、投網後から行っていた漁獲物の選別を終えて周囲で操業する同業船との接近状況を見張ろうとしたとき、右舷船首57度1,700メートルのところを南下するチュン カン(以下「チュン号」という。)を初めて認め、その後同船と衝突のおそれがある態勢で互いに接近する状況であった。
 ところが、10時32分A受審人は、百貫島と横島との中間付近にあたる294度に向首するようになったころ、右舷船首57度1,050メートルにチュン号を認めるようになり、同船に避航の気配が認められなかったが、汽笛信号装置が不整備状態で警告信号を行うことができない状況にもかかわらず、速やかに行きあしを止めるなどの衝突を避けるための協力動作をとることなく、同船の前路から離れるつもりで曳網状態のまま舵効が得られ易い左舵を少し取って進行した。
 こうして、10時34分過ぎA受審人は、船首が百貫島に向くようになったとき、依然としてチュン号と衝突のおそれがある態勢で互いに接近する状況であることを認め、衝突の危険を感じて同船に対し自船の船尾方に避けるよう手で数回合図して、曳網中の曳索のブレーキを開放したうえで機関を回転数毎分3,100の全速力前進にかけ、遠隔操舵装置のつまみを左舵一杯に回し急回頭して同船の前路から逃れようとしたが及ばず、10時35分百貫島灯台から105度3.4海里の地点において、海運丸は、船首が140度を向いたとき、その左舷側後部にチュン号の船首が後方から60度の角度で衝突した。
 当時、天候は晴で風力1の西風が吹き、視界は良好であった。
 また、チュン号は、船尾船橋型鋼製貨物船で、船長Pほか13人が乗り組み、鋼材約4,903トンを載せ、船首5.85メートル船尾6.65メートルの喫水をもって、同日09時20分広島県福山港を発し、大韓民国ピョンテク港に向かった。
 P船長は、出航から操船指揮を執り、当直航海士及び操舵員の2人を伴って福山港掘り下げ航路を南下し、高井神島北方から備後灘推薦航路線に沿って西行する予定で走島の西方に向かい、同航海士にはGPSにより船位を測定させて予定した針路線からの偏位状況等を報告させながら、自らは見張りを兼ねて引き続き操船指揮にあたった。
 10時25分P船長は、百貫島灯台から081度4.3海里の地点で、針路を高井神島北方に向く217度に定め、機関を全速力前進にかけて11.0ノットの速力で手動操舵により進行した。
 その後、P船長は、前方3海里半付近を中心に広い範囲で操業する約10隻の小型漁船群を認め、10時27分左舷船首24度1.6海里に同漁船群のうち最も東寄りに位置した海運丸を初認し、まもなく同船が自船の前路方に向かう状況を認めた。
 ところが、10時30分P船長は、左舷船首30度1,700メートルに黒色鼓型形象物を掲げた海運丸を認めるようになり、その後徐々に左偏しながら曳網する同船と衝突のおそれがある態勢で互いに接近する状況であったが、速やかに大きく左転してその進路を避けないまま続航した。その後同時32分百貫島灯台から096度3.5海里の地点で、左舷船首35度1,050メートルに海運丸を認めるようになったとき、その船尾を航過するつもりで針路を200度に転じたものの、引き続き徐々に左偏しながら曳網状態の海運丸と互いに接近する状況のまま進行した。
 こうして、10時34分過ぎP船長は、西方を向いた海運丸と左舷船首近距離に接近するに及んで、衝突の危険を感じて右舵一杯を令したところ、同船左舷側船尾部から後方に替われの手合図を見て、直ちに左舵一杯の令に直すや同船が船首死角に入り、続いて右舷船首至近に左回頭する同船を認めるようになって、急いで機関を停止したが及ばず、チュン号は、ほぼ原針路、原速力のまま、前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、海運丸は船体後部を断裂のうえ転覆して全損となり、チュン号は右舷船首部外板に擦過傷を生じ、またA受審人は胸腰部打撲傷及び頸部捻挫を負った。

(原因)
 本件衝突は、備後灘において、南下するチュン号と漁ろうに従事している海運丸とが、衝突のおそれがある態勢で互いに接近する際、チュン号が、海運丸の進路を避けなかったことによって発生したが、海運丸が、汽笛信号装置不整備状態により警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。

(受審人の所為)
 A受審人は、備後灘において、汽笛信号装置不整備のまま所定の形象物を掲げて漁ろうに従事している際、南下するチュン号と衝突のおそれがある態勢で互いに接近する場合、同船に避航の気配が認められなかったから、速やかに行きあしを止めるなどの衝突を避けるための協力動作をとるべき注意義務があった。しかし、同人は、避航の気配のないチュン号の前路から離れることに終始して、速やかに行きあしを止めるなどの衝突を避けるための協力動作をとらなかった職務上の過失により、行きあしを止めずに左偏しながら進行して、チュン号との衝突を招き、海運丸の船体後部を断裂のうえ転覆して全損及びチュン号の右舷船首部外板に擦過傷を生じさせ、また自らは胸腰部打撲傷及び頸部捻挫を負うに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
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