(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成14年7月13日09時50分
長崎県壱岐島海豚鼻沖
2 船舶の要目
船種船名 |
漁船清翔丸 |
漁船和丸 |
総トン数 |
4.9トン |
1.2トン |
登録長 |
11.93メートル |
6.17メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
漁船法馬力数 |
80 |
25 |
3 事実の経過
清翔丸は、専らいか一本釣り漁業に従事するFRP製漁船で、平成13年2月交付の一級小型船舶操縦士免状を有するA受審人が1人で乗り組み、台風避難の目的で、船首0.4メートル船尾1.5メートルの喫水をもって、平成14年7月13日09時45分長崎県壱岐島初瀬漁港を発し、同島郷ノ浦港に向かった。
清翔丸は、船体のほぼ中央部に操舵室があり、同室前面の窓からは、船首及び前部甲板上に吊り下げられた集魚灯により、船首方向の広い範囲にわたって死角が生じ、前方の見通しが妨げられていた。そのため、操舵室上部に、前面及び両側面が窓となった見張り用の出窓が増設されており、同出窓の前面は、直径22センチメートル(以下「センチ」という。)の旋回窓が付いた縦29センチ横70センチの広さの窓で、ここから前方の見張りを行うと、船首方向の死角を解消することができるようになっていた。
A受審人は、操舵室の床面からの高さ46センチのところに架けられた幅約30センチの渡し板の上に立ち、出窓から見張りを行いながら手動操舵に当たり、低速力で初瀬漁港の港口に向かい、港口の防波堤を通過したところで、機関回転数毎分1,600の13.0ノットの速力(対地速力、以下同じ。)とし、海豚鼻東岸に沿って南下した。
ところで、海豚鼻は、壱岐島の南部に位置する東西約200メートル南北約500メートルの岬で、南端付近は、がけになっていて約20メートル沖まで干出岩が拡延し、その最先端の一部が高潮時も海面上に露出している水上岩(以下「露岩」という。)となっていた。また、同鼻の南端に海豚埼灯台が設置されており、北北東方約500メートルの入江に初瀬漁港があり、西方約1海里に厚埼及び郷ノ瀬が、北西方約3海里に郷ノ浦港が、北東方約3海里には印通寺港があった。
09時49分20秒A受審人は、海豚埼灯台から104度(真方位、以下同じ。)240メートルの地点に差し掛かり、海豚鼻の西方沖合を見通すことができるようになったとき、235度を向いた自船の右舷船首31度500メートルのところに和丸を初めて視認し、同船が東南東方に進行していたことから、海豚鼻を大きく左回りするものと思い、同時49分半同灯台から120度240メートルの地点に達したとき、和丸と左舷を対して通過することができるよう、海豚鼻寄りの針路をとるため、視線を右舷前方の同鼻南端の岩場に移して右転を始めた。
ところが、A受審人は、右転を始めたとき、右舷船首方380メートルのところの和丸が、左転して海豚鼻寄りの針路に転じ、右回頭を始めた自船と近距離で衝突のおそれを生じたが、自船は海豚鼻寄りの針路をとるので、和丸とは互いに左舷を対して無難に通過することができるものと思い、同船に対する動静監視を十分に行っていなかったので、同船が海豚鼻寄りの針路に転じたことに気付かず、右回頭をやめるなり、行きあしを止めるなどの衝突を避けるための措置をとらずに、海豚鼻南端の海面下に没している干出岩に接近し過ぎないよう、その先端にある露岩との位置関係を確認しながら右回頭を続けた。
こうして、A受審人は、出窓から右舷側の露岩を注視しながら続航し、09時50分少し前海豚埼灯台から148度150メートルの地点に達し、針路を露岩から約20メートル隔てる277度に定めたとき、和丸が左舷船首8度190メートルのところに迫っていたが、依然として、動静監視を行っていなかったので、このことに気付かず、衝突を避けるための措置をとらないまま続航中、09時50分極(ごく)わずか前、露岩が右舷正横付近に替わったところで前方を向いたとき、左舷船首至近に和丸の航走波を認め、驚いてガバナハンドルを下げたが、効なく、09時50分海豚埼灯台から190度120メートルの地点において、清翔丸は、原針路、原速力のまま、その船首が、和丸の右舷中央部に前方から37度の角度で衝突し、同船を乗り切った。
当時、天候は晴で風力4の南南西風が吹き、潮候は下げ潮の初期に当たり、視界は良好で、波高約1メートルの南寄りのうねりがあった。
また、和丸は、船内外機を備えたFRP製漁船で、船長Mが1人で乗り組み、知人2人を乗せ、農機具の展示会に行く目的で、船首0.27メートル船尾0.64メートルの喫水をもって、同日09時35分壱岐島坪触地区柏新田を発し、印通寺港に向かった。
M船長は、操舵室の中央で立って手動操舵に当たり、同乗者を船尾甲板に座らせ、壱岐島鋸埼沖から厚埼と郷ノ瀬との間に向けて南下し、09時44分半壱岐郷ノ瀬灯台から037度160メートルの地点において、針路を海豚鼻沖約120メートルに向く108度に定め、12.0ノットの速力で進行した。
M船長は、南寄りのうねりを右舷正横付近に受けて、船首が少し左右に振れる状態で続航していたところ、正船首方に自船とほぼ反方位の針路で西行する漁船清鶴丸を認めたので、針路を少し左に転じ、09時47分少し前海豚埼灯台から279度1,170メートルの地点で、同船と右舷を対して約50メートルの距離で通過した後、元の針路に戻し、さらに、同時48分半同灯台から268度600メートルの地点において、自船と反方位の針路で西行する漁船勇丸と右舷を対して約50メートルの距離で通過した。
09時49分20秒M船長は、海豚埼灯台から245度290メートルの地点に差し掛かり、海豚鼻の東方沖合を見通すことができるようになったとき、左舷船首26度500メートルのところに清翔丸を初めて視認し、南西方に進行していたことから、海豚鼻を大きく右回りするものと思い、同時49分半同灯台から235度250メートルの地点に達したとき、清翔丸とも右舷を対して通過することができるよう、海豚鼻寄りの針路をとるため、針路を海豚鼻南端の露岩から約20メートル隔てる083度に転じた。
ところが、M船長は、転針したとき、清翔丸がほぼ正船首380メートルとなり、海豚鼻寄りの針路をとろうとして右回頭を始めた同船と近距離で衝突のおそれが生じたが、自船は左転して海豚鼻寄りの針路に転じたので、清翔丸とは右舷を対して無難に通過することができるものと思い、転針後は海豚鼻南端の干出岩に接近し過ぎないよう、左舷側ばかりを見ていて、清翔丸に対する動静監視を十分に行っていなかったものか、このことに気付かず、右転するなり、行きあしを止めるなどして衝突を避けるための措置をとらずに続航した。
こうして、M船長は、左舷側に注意を払いながら進行し、09時50分少し前海豚埼灯台から221度170メートルの地点に至ったとき、海豚鼻寄りの針路をとった清翔丸が右舷船首6度190メートルのところに迫っていたが、依然として、衝突を避けるための措置をとらないまま続航中、同時50分極わずか前、右舷船首至近に迫った清翔丸を認め、咄嗟(とっさに)に衝突を避けようとして左舵をとったものの、効なく、和丸は、船首が060度を向いたとき、原速力のまま、前示のとおり衝突し、その衝撃でM船長及び同乗者2人が海中に投げ出された。
A受審人は、直ちに海中転落した3人を揚収しようとしたが、同受審人だけでは揚収することができなかったので、僚船に対して救援を要請し、駆け付けた僚船と協力してM船長及び同乗者2人を揚収して初瀬漁港に搬送した。
衝突の結果、清翔丸は、球状船首部及び船底部に擦過傷並びに推進器翼に曲損を生じたが、のち修理され、和丸は、操舵室、右舷中央部及び船尾部を大破した。また、M船長(昭和3年8月28日生、平成11年2月交付の四級小型船舶操縦士免状受有)、同乗者H(昭和13年3月10日生)及び同乗者N(昭和7年2月15日生)は、救急車により病院に搬送されたが、いずれも死亡した。
(原因)
本件衝突は、長崎県壱岐島海豚鼻南端付近において、両船がほぼ同時に転舵し、近距離で衝突のおそれが生じた際、西行する清翔丸が、動静監視不十分で、衝突を避けるための措置をとらなかったことと、東行する和丸が、衝突を避けるための措置をとらなかったこととによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は、長崎県壱岐島海豚鼻の東岸沿いに南下中、同鼻南端付近で東行する和丸を視認し、針路を右に転じる場合、和丸と互いに左舷を対して無難に通過する態勢となるか否かを確認できるよう、同船に対する動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、自船は右転して海豚鼻寄りの針路をとるので、互いに左舷を対して無難に通過することができるものと思い、海豚鼻南端の露岩との位置関係の確認に気を取られ、動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、自船とほぼ同時に左転した和丸と近距離で衝突のおそれが生じたことに気付かず、行きあしを止めるなどの衝突を避けるための措置をとらずに進行して同船との衝突を招き、清翔丸の球状船首部及び船底部に擦過傷並びに推進器翼に曲損を生じさせ、和丸の操舵室、右舷中央部及び船尾部を大破させ、和丸のM船長及び同乗者2人が海中に転落して死亡するに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。
よって主文のとおり裁決する。