(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成15年2月12日18時40分
東京湾中部
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船硯海丸 |
貨物船フミカ |
総トン数 |
4,906トン |
498トン |
全長 |
114.80メートル |
72.62メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
2,713キロワット |
882キロワット |
3 事実の経過
硯海丸は、船尾船橋型のセメント撒積運搬船で、A、B両受審人ほか9人が乗り組み、空倉のまま、船首3.57メートル船尾5.27メートルの喫水をもって、平成15年2月12日16時30分千葉港千葉区を発し、大分県佐伯港に向かった。
A受審人は、17時05分千葉港口第7号灯浮標の南方沖合に達したとき、前方に錨泊船などが存在するので注意するようにと告げて、B受審人に船橋当直を行わせたものの、同人の当直状況を見守ることとして在橋した。
B受審人は、東京湾を南下し、18時21分京浜川崎シーバース灯(以下「シーバース灯」という。)から155.5度(真方位、以下同じ。)1.7海里の地点において、針路を237度に定め、機関を全速力前進にかけ、12.0ノットの対地速力で、法定灯火を表示し、甲板手を操舵に当たらせて進行した。
18時25分B受審人は、シーバース灯から179度2.0海里の地点に達したとき、右舷船首47度2.6海里のところに、フミカ(以下「フ号」という。)のマスト灯2個と左舷灯を初めて視認し、やがて、同船と東京湾中ノ瀬西方第2号灯浮標(以下、東京湾中ノ瀬西方の灯浮標の名称については、「東京湾中ノ瀬西方」の冠称を省略する。)の西側付近にあたる、東京湾中ノ瀬西側海域で接近することとなると予想し、その動静を見守った。
ところで、東京湾中ノ瀬西側海域は、第2号灯浮標から北東方1.4海里ばかりのところに第3号灯浮標が、第2号灯浮標から南南西方1.6海里ばかりのところに第1号灯浮標が設置されており、この海域を南航する船舶に第3号、第2号及び第1号の各灯浮標を左舷側に見て航過する旨の航行安全指導が海上保安庁により行われていた。
また、第2号及び第3号各灯浮標付近(以下「東京湾中ノ瀬西側海域北部」という。)は、周辺の港に出入する船舶や東京湾中ノ瀬西側海域を南北航する船舶が集中するので、船長が自ら操船の指揮を執る必要の生ずることが多い海域であった。
18時30分B受審人は、横浜本牧防波堤灯台(以下「本牧防波堤灯台」という。)から110度3.3海里の地点に達したとき、予定針路線に沿うこととし、針路を239度に転じて続航したところ、同時33分本牧防波堤灯台から119度2.9海里の地点で、フ号を右舷船首59度1.2海里のところに視認する状況となった。
B受審人は、その後、フ号が前路を左方に横切り衝突のおそれがある態勢で接近していることを知ったが、そのうちにフ号が右転して浦賀水道航路に向かう針路にするのではないかと思い、速力を減じるなどして、同船の進路を避けなかった。
一方、A受審人は、東京湾中ノ瀬西側海域北部に達していることも、フ号と衝突のおそれがある態勢で接近していることも承知しており、船長が操船の指揮を執る必要が生じたが、同船の外、前後1海里ばかりのところに、南航船が各1隻存在するだけで、そのうちにフ号も右転して浦賀水道航路に向かう針路にするであろうし、B受審人に操船を行わせたままでも大丈夫と思い、自ら操船の指揮を執らなかった。
こうして、B受審人は、フ号の右転を期待しながら、少し左方に寄せることとし、左舵を取っては原針路に復すよう甲板手に命じ、これを数回繰り返したものの、同船との方位がほとんど変わらないまま至近に接近した。
18時40分少し前A受審人は、ようやく衝突の危険を感じ、汽笛を数回吹鳴し、機関の回転数を減じながら甲板手に左舵を令したが、及ばず、18時40分本牧防波堤灯台から149度2.6海里の地点において、硯海丸は、船首を234度に向けて、その右舷側中央部に、フ号の左舷船首部が後方から30度の角度で衝突した。
当時、天候は曇で風力4の北北西風が吹き、視界は良好であった。
また、フ号は、船尾船橋型の貨物船で、C、D両指定海難関係人ほか大韓民国人船員5人及びミャンマー連邦人船員1人が乗り組み、鉄屑1,488トンを載せ、船首3.33メートル船尾4.60メートルの喫水をもって、同日17時30分京浜港川崎区を発し、大韓民国光陽港に向かった。
C指定海難関係人は、京浜運河を西行して鶴見航路に入り、18時25分本牧防波堤灯台から084.5度1.4海里の地点において、針路を174度に定め、機関を11.7ノットの全速力前進にかけ、徐々に速力を上げ、法定灯火を表示し、手動操舵により進行した。
18時30分C指定海難関係人は、本牧防波堤灯台から107度1.5海里の地点に達したとき、間もなく、東京湾中ノ瀬西側海域北部に達する状況で、また、左舷方に同海域に向け硯海丸外2隻の船舶が南航中で、船長が操船の指揮を執る必要が生じたが、操舵をD指定海難関係人と交代し、同人に単独で船橋当直を行わせ、自ら操船の指揮を執ることなく、降橋して船橋直下の自室に入り、書類の整理作業を始めた。
一方、D指定海難関係人は、18時33分本牧防波堤灯台から118.5度1.7海里の地点で、11.7ノットの対地速力となったとき、針路を186度に転じ、東京湾中ノ瀬西側海域北部を南航した。
転針したとき、D指定海難関係人は、左舷船首68度1.2海里のところに、前路を右方に横切る態勢で接近するマスト灯2個と右舷灯を表示した硯海丸を視認し得る状況であったが、左舷船首方の見張りを十分に行っていなかったので、同船の存在に気付かなかった。
こうして、D指定海難関係人は、その後、硯海丸が避航動作をとらずに衝突のおそれがある態勢のまま接近していることに気付かず、警告信号を行うことも、更に間近に接近したとき、行きあしを停止するなど、衝突を避けるための協力動作をとることもなく続航中、18時39分半わずか過ぎ左舷船首方150メートルに同船を初めて視認し、右舵一杯を取ったが、及ばず、フ号は、船首を204度に向けて、原速力のまま、前示のとおり衝突した。
C指定海難関係人は、衝突の衝撃を聞き、昇橋して事後の処理に当たった。
衝突の結果、硯海丸は、右舷中央部外板に凹損及び同舷ハンドレールに曲損を、フ号は、左舷船首部に圧壊及び同舷船橋ウイングに破損をそれぞれ生じたが、のちいずれも修理された。
(原因)
本件衝突は、夜間、東京湾中ノ瀬西側海域北部において、両船が互いに進路を横切り衝突のおそれがある態勢で接近中、千葉港を発して南航中の硯海丸が、前路を左方に横切るフ号の進路を避けなかったことによって発生したが、鶴見航路から南航中のフ号が、見張り不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
硯海丸の運航が適切でなかったのは、船長が、東京湾中ノ瀬西側海域北部を南航するに当たり、自ら操船の指揮を執らなかったことと、船橋当直者が、前路を左方に横切るフ号の進路を避けなかったこととによるものである。
フ号の運航が適切でなかったのは、船長が、東京湾中ノ瀬西側海域北部を南航するに当たり、自ら操船の指揮を執らなかったことと、船橋当直者が左舷船首方の見張を十分に行わなかったこととによるものである。
(受審人の所為)
A受審人は、夜間、東京湾中ノ瀬西側海域北部を南航中、折から南航する船舶が集中し、船長が操船の指揮を執る必要が生じた場合、自ら操船の指揮を執るべき注意義務があった。しかるに、同人は、B受審人に操船を行わせたままでも大丈夫と思い、自ら操船の指揮を執らなかった職務上の過失により、前路を左方に横切り衝突のおそれがある態勢で接近するフ号の進路を避けることができないまま進行して衝突を招き、硯海丸の右舷中央部外板に凹損などを、フ号の左舷船首部に圧壊などをそれぞれ生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、夜間、船橋当直に当たり、東京湾中ノ瀬西側海域北部を南航中、フ号が前路を左方に横切り衝突のおそれがある態勢で接近していることを知った場合、速力を減じるなどして、同船の進路を避けるべき注意義務があった。しかるに、同人は、そのうちにフ号が右転して浦賀水道航路に向かう針路にするのではないかと思い、同船の進路を避けなかった職務上の過失により、そのまま進行してフ号との衝突を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
C指定海難関係人が、夜間、東京湾中ノ瀬西側海域北部を南航する際、自ら操船の指揮を執らなかったことは、本件発生の原因となる。
D指定海難関係人が、夜間、東京湾中ノ瀬西側海域北部を南航する際、左舷船首方の見張りを十分に行っていなかったことは、本件発生の原因となる。
よって主文のとおり裁決する。