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平成14年函審第47号
件名

押船第二山陽丸被押はしけ第31大和号漁船寿松丸衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成15年7月25日

審判庁区分
函館地方海難審判庁(黒岩 貢、古川隆一、野村昌志)

理事官
千手末年

受審人
A 職名:第二山陽丸船長 海技免許:三級海技士(航海)(旧就業範囲)

損害
山陽丸押船列・・・はしけの船首部に擦過傷
寿松丸・・・・・・中央部から破断、のち廃船
船長が死亡

原因
山陽丸押船列・・・見張り不十分、各種船間の航法(避航動作)不遵守(主因)
寿松丸・・・・・・見張り不十分、警告信号不履行、各種船間の航法(協力動作)不遵守(一因)

主文

 本件衝突は、第二山陽丸被押はしけ第31大和号が、見張り不十分で、漁労に従事する寿松丸の進路を避けなかったことによって発生したが、寿松丸が、見張り不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
 受審人Aの三級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成12年12月20日10時30分
 静岡県御前崎西方沖合
 
2 船舶の要目
船種船名 押船第二山陽丸 はしけ第31大和丸
総トン数 176トン 1,469トン
全長 32.5メートル 55.0メートル
機関の種類 ディーゼル機関  
出力 1,471キロワット  
船種船名 漁船寿松丸  
総トン数 6.4トン  
登録長 11.52メートル  
機関の種類 ディーゼル機関  
漁船法馬力数 120  

3 事実の経過
 第二山陽丸(以下「山陽丸」という。)は、2機2軸の鋼製押船で、A受審人ほか3人が乗り組み、その船首部を、大型クレーンを装備して作業員8人が乗り、喫水が船首尾とも2.5メートルとなった鋼製はしけ第31大和号(以下「はしけ」という。)の船尾に嵌合して全長約85メートルの押船列(以下「山陽丸押船列」という。)とし、船首2.6メートル船尾3.5メートルの喫水をもって、平成12年12月15日13時30分茨城県常陸那珂港を発し、途中、荒天避難のため千葉県銚子港、同県木更津港に寄港したのち、同月19日15時00分同港を発進して広島県尾道糸崎港に向かった。
 A受審人は、航海当直を単独の6時間交代2直制とし、00時から06時及び12時から18時を一等航海士が、06時から12時及び18時から00時を自らがそれぞれ行い、翌20日06時00分石廊埼灯台の南西方15海里付近で当直に就いたところ、遠州灘における荒天が予想されたため、いつもより陸岸寄りを航行することとし、09時00分御前埼灯台から180度(真方位、以下同じ。)2.5海里の地点に達したとき、針路を285度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、強い東北東風で波頭が白く砕ける状況下、レーダーを作動させ、6.5ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で進行した。
 ところで、山陽丸押船列では、はしけの装備する大型クレーンにより、船橋中央部に立つと正船首左右各3度が死角となって前方の見通しが妨げられ、また、船橋甲板が狭いため、同甲板の端に移動してもその死角はほとんど解消されなかった。
 そのため、A受審人は、港内等、船舶の輻輳する海域や多数の漁船が操業する海域においては、はしけの作業員を船首に配置して見張りを行わせたうえ、トランシーバーで連絡しながら操船に当たり、沖合航行中は、通航船舶の交通量に応じ、一定時間毎に船首を左右に大きく振ることによりそれぞれ死角の解消に努めていた。
 また、A受審人は、平成5年R株式会社に入社して以来、御前崎周辺海域を何度も航行し、以前、漁船の漁労長兼船長職に就いていたこともあって同海域における漁船の操業形態に関心があったが、そのほとんどが漁労に従事していることを示す形象物(以下「形象物」という。)を掲げていないこと、そして、スパンカーを掲げた漁船のほとんどがはえ縄漁に従事しているものと認識していた。
 定針後A受審人は、陸岸寄りや沖合に多数の漁船を認めたほか、自船の周辺にもスパンカーを掲げた漁船を何隻か見かけ、自船の前路に操業漁船の存在が推測できる中、海面に白波が立って波間に入った漁船が見えにくく、レーダーでも探知し難い状況となっていたが、ときどき船首を大きく左右に振ることで十分に死角を解消できるものと思い、はしけの作業員を船首に配置して見張りを行わせるなど、厳重に死角を補う見張りを行わず、15ないし20分毎に船首を30度ばかり振ることにより前路の見張りを行いながら続航した。
 10時26分A受審人は、御前埼灯台から269度9.1海里の地点に至ったとき、船首わずか左800メートルのところに青色のスパンカーを掲げた寿松丸を認めることができ、同船が形象物を掲げていなかったものの、スパンカーを掲げてほとんど停留状態に見えることから漁労に従事していると分かる状況であり、その後、衝突のおそれのある態勢で接近したが、見張りを十分に行っていなかったので、このことに気付かなかった。
 こうして山陽丸押船列は、漁労に従事する寿松丸の進路を避けないまま進行中、10時30分御前埼灯台から270度9.5海里の地点において、原針路、原速力のままその船首部が、寿松丸の右舷側中央部に、前方から38度の角度で衝突した。
 当時、天候は晴で風力5の東北東風が吹き、潮候は上げ潮の中央期であった。
 A受審人は、衝突に気付かなかったが、その直後、そろそろ船首を振ろうと右舷後方を確認しようとしたとき、船体前部だけの寿松丸を認め、停船して海上保安部に連絡し、発見した遺体を収容して来援した海上保安部のヘリコプターに引き渡した。海上保安部では、付近航行船の調査や、はしけ船首部に付着したペイントの鑑定を実施し、その結果、山陽丸押船列が寿松丸と衝突したものと認めた。
 また、寿松丸は、FRP製漁船で、船長Mが1人で乗り組み、ふぐ浮はえ縄漁を行う目的で、喫水不詳のまま、同月20日04時15分静岡県地頭方漁港を発し、御前埼灯台から270度10海里付近の漁場に向かい、06時50分、形象物を掲げないまま青色のスパンカーを展張して操業を開始した。
 ところで、静岡県ふぐ漁組合連合会では、遠州灘におけるふぐ浮はえなわ漁について、操業開始時刻を月別に定める日の出に近い時刻とし、縄の長さは1,500メートル以内で、縄入れ方向は東西とすること等を申し合わせており、操業方法は、極微速力で風上に向け移動しながら釣り針に餌をつけた浮はえ縄を順次船尾から投入し、その後、投入開始地点に戻り、機関の発停を繰り返しつつ、極微速力で縄をたぐり寄せて船上に揚げるというもので、投縄に15ないし20分、揚縄に約1時間を要した。
 09時40分ごろM船長は、当日3回目となる操業を開始し、御前埼灯台から270度9.8海里の地点を基点に090度の方向に長さ1,500メートルの縄を入れたのち、10時10分前示基点に戻り、船首を風上に向く067度として操舵室後部左舷側に立ち、縄を手でたぐり寄せて船上に揚げる作業を始め、遠隔操縦装置により機関の発停を繰り返しながら0.8ノットの速力で090度の方向に進行した。
 10時26分M船長は、御前埼灯台から270度9.55海里の地点に至ったとき、右舷船首38度800メートルのところに山陽丸押船列を認めることができ、その後、衝突のおそれのある態勢で接近したが、揚縄作業に気をとられ、周囲の見張りを十分に行っていなかったので、このことに気付かず、警告信号を行うことも、更に接近するに及んで衝突を避けるための措置をとることもなく操業中、寿松丸は、原針路、原速力のまま前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、山陽丸押船列は、はしけの船首部に擦過傷を生じただけであったが、寿松丸は、ほぼ中央部から破断して廃船となり、M船長(昭和12年9月19日生)が海上に投げ出されて死亡した。

(原因)
 本件衝突は、静岡県御前崎西方沖合において、山陽丸押船列が、見張り不十分で、前路で漁労に従事する寿松丸の進路を避けなかったことによって発生したが、寿松丸が、見張り不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。

(受審人の所為)
 A受審人は、静岡県御前崎西方沖合において、多数の漁船が操業する海域を押船列で航行する場合、はしけが装備する大型クレーンにより船首方左右に死角が生じていたうえ、強い東北東風で白波が立ち、波間で操業する漁船が見えにくい状況にあったから、前路で漁労に従事する寿松丸を見落とさないよう、はしけの作業員を船首に配置して見張りを行わせるなど、厳重に死角を補い、見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、ときどき船首を左右に大きく振ることで十分に死角を解消できるものと思い、見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、前路で漁労に従事する寿松丸に気付かず、同船の進路を避けないまま進行して衝突を招き、はしけの船首部に擦過傷を生じさせ、寿松丸の船体を破断せしめ、同船の船長を死亡させるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の三級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図





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