(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成14年2月16日15時30分
瀬戸内海備後灘
2 船舶の要目
船種船名 |
油送船南風 |
貨物船第十八明悦丸 |
総トン数 |
996トン |
612トン |
全長 |
81.90メートル |
77.30メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
1,618キロワット |
735キロワット |
3 事実の経過
南風は、船尾船橋型の鋼製油送船で、A受審人ほか7人が乗り組み、空倉のまま、船首0.90メートル船尾4.00メートルの喫水をもって、平成14年2月16日12時10分愛媛県松山港を発し、三重県四日市港に向かった。
A受審人は、船橋当直を自らと一等航海士及び二等航海士の3人による4時間交替の3直制とし、各直に補佐として甲板手1人を就け、自らの当直時間帯を00時から04時まで及び12時から16時までとしていたほか、出入港時及び狭水道通航時等に操船指揮をとることとしており、出港操船を終えたのち、引き続き船橋当直に従事中、次航の積荷がキシレンであることから、カーゴタンクを洗浄することとし、相当直の甲板手に同タンクのガスフリー作業を行わせ、単独当直で進行した。
A受審人は、安芸灘南部を来島海峡航路西口に向かって東行し、梶取ノ鼻を通過したころ、前方約1.6海里のところに同航態勢の第十八明悦丸(以下「明悦丸」という。)を初めて視認し、間もなく来島海峡通峡に備え、機関長を昇橋させて機関操作に当たらせ、速力を調節しながら同船に後続し、西水道を経て同海峡航路を通過した。
14時40分A受審人は、竜神島灯台から147度(真方位、以下同じ。)1.3海里の地点で、針路を備後灘の推薦航路線に沿う056度に定め、機関を回転数毎分(以下「rpm」という。)255の全速力前進にかけ、12.0ノットの速力(対地速力、以下同じ。)としたとき、明悦丸が左舷船首46度800メートルのところをほぼ同じ針路で航行しているのを認め、その後同船を追い越す態勢で手動操舵によって進行した。
A受審人は、15時00分明悦丸の右舷側に400メートルの距離を隔てて並航し、その後同船を確実に追い越してその右舷前方を徐々に遠ざかる状況で進行していたところ、同時05分ごろ昇橋してきた甲板手からガスフリー作業が終了した旨の報告を受け、自室で待機していた一等航海士に電話でカーゴタンクの洗浄にかかるよう指示した。
ところで、カーゴタンクの洗浄は、同タンクの中に作業員が入って清水で内部を洗浄し、その洗浄水を主機駆動のカーゴポンプによって排出するもので、同ポンプの始動にあたって、主機の回転数を一時的に160rpmとして同ポンプのクラッチを入れたのち210rpmとし、上甲板後部の船橋前面右舷側に設置されているカーゴポンプ制御盤で同ポンプを操作しながら実施していた。
こうして、A受審人は、間もなく一等航海士が甲板上でカーゴタンク洗浄の作業指揮をとり、機関長も降橋して上甲板後部のカーゴポンプ制御盤に就き、自らと食事当番の甲板員1名を除く全員がマンホールの開放やホースの取り付けなどの作業に取りかかったのを認め、15時10分操舵を自動に切り換えて続航した。
A受審人は、やがて一等航海士からカーゴタンク洗浄の準備ができた旨の報告を受け、15時15分明悦丸が左舷船尾21度500メートルとなって十分に遠ざかったとき、一時的に主機の回転数を160rpmに減じてカーゴポンプのクラッチを入れたのち、同回転数を210rpmとし、カーゴタンクの洗浄を続けながら10.0ノットの速力で進行した。
A受審人は、主機の回転数を減じたことから、自船の速力が明悦丸より遅くなり、一旦左舷船尾21度500メートルまで離れた同船がその後徐々に接近し、15時18分明悦丸が左舷船尾21度400メートルとなって自船を追い越す態勢となったが、明悦丸とは十分に距離が離れたと思い、カーゴタンク洗浄作業や前方の見張りに気をとられ、同船に対する動静監視を十分に行わなかったので、これに気付かず、警告信号を行うことも、更に間近に接近するに及んで衝突を避けるための協力動作をとることもなく続航し、15時30分高井神島灯台から250度3.6海里の地点において、南風は、その右舷船尾端に明悦丸の船首が左舷後方から7度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で、風力2の南風が吹き、潮候は下げ潮の中央期であった。
また、明悦丸は、砂利等の運搬に従事する船尾船橋型鋼製貨物船で、B受審人ほか5人が乗り組み、山土1,094立方メートルを積載し、船首4.00メートル船尾4.20メートルの喫水をもって、同日10時30分広島県佐伯郡大柿町の土砂積出地を発し、愛知県常滑市中部国際空港埋立地に向かった。
B受審人は、船橋当直体制を自らと一等航海士及び甲板長の3人による単独4時間交替の3直制とし、自らの当直のほか、出入港時及び狭水道通航時等に操船指揮をとることとしており、出港操船に従事したのち、11時00分から甲板長に船橋当直を行わせたが、そのまま在橋して書類整理を行いながら安芸灘北西部を東行した。
B受審人は、来島海峡航路西口付近で操船指揮に就いたころ、後方に同航する南風を初めて視認し、同船に先航して西水道経由で同海峡航路を通過したのち、14時40分竜神島灯台から129度1.0海里の地点で、備後灘の推薦航路線に沿うよう、針路を058度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、11.0ノットの速力で進行した。
定針後、B受審人は、再び甲板長に船橋当直を行わせて引き続き船橋で書類整理などに当たり、15時00分甲板長と交替して単独で当直に就いたところ、南風が右舷側に約400メートル隔てて並航しており、その後同船が徐々に自船の右舷前方に出て先航する状況となったのを認め、原針路、原速力のまま続航した。
B受審人は、自船を追い越した南風が次第に遠ざかり、15時14分同船が右舷船首21度480メートルとなったのを認め、海図台のところで船尾方を向いて、通航予定の鳴門海峡の潮流を潮汐表で調べたのち、所用で一時的に降橋することとしたが、南風のほかには同航や横切り関係となる他船の存在がなかったことから、しばらくは大丈夫と思い、非直の航海士を昇橋させて船橋当直を行わせることなく降橋し、船橋を無人として進行した。
降橋中のB受審人は、15時15分南風が右舷船首19度500メートルのところで減速したことにより、間もなく自船の速力が南風より速くなって両船間の距離が縮まり始め、同時18分南風が右舷船首19度400メートルとなって、自船が南風を追い越す態勢となったが、これらの状況を認識できず、南風を確実に追い越し、かつ、同船から十分に遠ざかるまでその進路を避けることができないまま続航した。
B受審人は、小用を足したのち、食堂の黒板に目的地到着予定時刻を記入したりして、15時30分少し前昇橋したところ、正船首方至近距離に南風の船橋後部を視認して驚き、手動操舵に切り換えて右舵一杯、機関を中立に続いて全速力後進としたが、及ばず、船首が063度を向いたとき、原速力のまま前示のとおり衝突した。
衝突の結果、南風は右舷船尾外板を圧壊し、明悦丸は船首外板に亀裂を伴う凹損を生じたが、のちいずれも修理された。
(追越し船の航法に関する考察)
本件は、南風が、明悦丸を追い越し、その前方に出たのち減速したことによって、両船の速力関係が逆転し、明悦丸が南風の後方から衝突した事件である。
南風が減速した時点において、同船が依然として追越し船の地位にあったと認めるのが妥当なのか、それとも、南風を追越し船とする追越し関係は消滅しており、その後、明悦丸が追越し船、南風が被追越し船となる新たな追越し関係が発生したと認めるのが妥当なのかについて検討する。
追越し船の航法として、海上衝突予防法は、第13条第1項に、「追越し船は、追い越される船舶を確実に追い越し、かつ、その船舶から十分に遠ざかるまでその船舶の進路を避けなければならない。」と定め、同条第2項に、「船舶の正横後22度30分を超える後方の位置からその船舶を追い越す船舶は、追越し船とする。」と定めている。一方、同法は、第17条第1項に、「この法律の規定により2隻の船舶のうち1隻の船舶が他の船舶の進路を避けなければならない場合は、当該他の船舶は、その針路及び速力を保たなければならない。」と定め、被追越し船に針路及び速力の保持義務を課している。
このことから、追越し船の避航義務の終期、すなわち追越し船が被追越し船から十分に遠ざかったときとは、追越し船が被追越し船の行動のいかんにかかわらず衝突のおそれのない位置にまで進んだときであると言える。
南風及び明悦丸の航行模様は、事実の経過で認定したとおり、両船の針路の交角が2度で、南風が12.0ノット、明悦丸が11.0ノットの速力で進行中、南風が、15時00分明悦丸の右舷正横400メートルのところに並航し、その後15分間かけて明悦丸の右舷前方に進出したのち、15時15分に減速したものである。
同時刻における両船の相対位置関係は、南風から明悦丸を見る方位及び距離が左舷船尾21度(左舷正横後69度)500メートル、明悦丸から南風を見る方位及び距離が右舷船首19度500メートルであり、両船の大きさ、速力及び旋回性能等を考慮すると、この時点で、南風が、明悦丸を確実に追い越し、かつ、同船から十分に遠ざかっており、南風を追越し船、明悦丸を被追越し船とする追越し関係は消滅したものと認められる。
したがって、15時15分以降、両船の速力関係が逆転して、明悦丸が南風にその左舷船尾方から徐々に接近するようになったとき、明悦丸が追越し船、南風が被追越し船となる新たな追越し関係が発生したと認めるのが相当である。
(原因)
本件衝突は、備後灘西部において、南風を追い越す明悦丸が、船橋を無人とし、南風を確実に追い越し、かつ、同船から十分に遠ざかるまでその進路を避けなかったことによって発生したが、南風が、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
(受審人の所為)
B受審人は、単独で船橋当直に従事中、所用で一時的に降橋する場合、船橋を無人としないよう、非直の航海士を昇橋させて同当直を行わせるべき注意義務があった。しかるに、同人は、南風が自船の右舷側を追い越したあと次第に遠ざかる状況であり、同船のほかには同航や横切り関係となる他船の存在がなかったことから、しばらくは大丈夫と思い、非直の航海士を昇橋させて船橋当直を行わせなかった職務上の過失により、船橋を無人としたまま進行して南風との衝突を招き、南風の右舷船尾外板を圧壊させ、明悦丸の船首外板に亀裂を伴う凹損を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
A受審人は、明悦丸を追い越したのち、カーゴタンクの洗浄作業に主機直結のカーゴポンプを使用するため、主機の回転数を減じた場合、一旦追い越した明悦丸が後続していたのであるから、衝突のおそれの有無を判断できるよう、同船に対する動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、明悦丸とは十分に距離が離れたと思い、カーゴタンク洗浄作業や前方の見張りに気をとられ、同船に対する動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、警告信号を行うことも、衝突を避けるための協力動作をとることもなく進行して同船との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。
(参考)原審裁決主文平成14年10月17日広審言渡
本件衝突は、第十八明悦丸を追い越す側の南風が、動静監視不十分で、第十八明悦丸の進路を避けなかったことによって発生したが、第十八明悦丸が、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。