(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成13年10月15日15時15分
福岡県倉良瀬戸
2 船舶の要目
船種船名 |
引船第五はつひ丸 |
引船第五奈留丸 |
総トン数 |
19トン |
19トン |
全長 |
14.80メートル |
16.00メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
661キロワット |
809キロワット |
3 事実の経過
第五はつひ丸(以下「はつひ丸」という。)は、九州北部海域で港湾工事用バージの引押航等に従事する鋼製引船兼押船で、A受審人ほか1人が乗り組み、第五奈留丸(以下「奈留丸」という。)と2隻で、東亜建設工業株式会社が所有する全長10.0メートル、上部幅7.0メートル、下部幅8.0メートル、深さ9.0メートルのケーソンを曳航(えいこう)する目的で、船首1.0メートル船尾2.3メートルの喫水をもって、平成13年10月14日夕刻基地としている関門港若松区から同港長府区へ移動して待機した。
また、奈留丸も、九州北部海域で港湾工事用バージの引押航等に従事する鋼製引船兼押船で、B受審人ほか2人が乗り組み、はつひ丸と2隻でケーソンを曳航する目的で、船首1.0メートル船尾2.7メートルの喫水をもって、同月14日午後基地としている関門港若松区から同港長府区へ移動して待機した。
A受審人は、移動前の14日午後、運航者である吉浦海運株式会社に赴いて曳航計画書を受け取り、はつひ丸、奈留丸及び前後部6.6メートルの等喫水となったケーソンの順で縦列に曳航索をとった引船列(以下「引船列」という。)を指揮して関門港から福岡県玄界島へ向かうこととした。
ところで、関門港から玄界島まで航行するには、ほぼ中間の福岡県宗像市沖合4海里付近に位置する大島の西側海域を迂回するか、または同島東側の全長約4海里の倉良瀬戸を経由することとなり、さらに同瀬戸の北口が、幅約1.5海里の大島と倉良瀬灯台の間の海域と、幅約850メートルの同灯台と地ノ島北西灯浮標の間の海域(以下「倉良瀬東側海域」という。)に分かれていて、倉良瀬東側海域の水深が10メートル以下であるうえ、水深5メートルの浅礁が、倉良瀬灯台から南東方に約300メートル拡延し、かつ、同灯台の南方800メートル付近にも存在しており、それら水深の状況が記載された海図179号にあたれば、喫水6.6メートルの引船列が同海域を通航することは危険であることが十分に分かる状況であった。
A受審人は、引船列を指揮して関門港から玄界島まで航行するにあたり、倉良瀬戸通航を予定したが、4メートル以上の喫水で同瀬戸を通航するのは今回が初めてであったにもかかわらず、喫水4メートルの物件を引いて倉良瀬東側海域を経由して同瀬戸を通航した経験が一度あったことから、水深に問題はないものと思い、発航前に備付けの海図179号を一見したものの、倉良瀬戸の水深の状況を同海図で詳しくあたるなどして水路調査を十分に行わなかったので、引船列の倉良瀬東側海域通航が危険であることに気付かず、同海域の通航を取り止めなかった。
また、B受審人は、14日昼ごろ運航者からの電話を受け、A受審人指揮の下に引船列の中引きをすることとし、翌15日06時00分曳航準備作業を開始し、直径65ミリメートルの奈留丸の曳航索(以下「奈留丸曳航索」という。)の先端を曳航フックにかけて100メートル伸出し、同索後端とケーソンの前面四隅にとった長さ20メートルの曳航ワイヤー4本の先端とをつなぎ、ケーソンの所有者からその喫水を知らされたうえで同作業を終えた。
A受審人は、関門港西山区で直径65ミリメートルのはつひ丸の曳航索(以下「はつひ丸曳航索」という。)を奈留丸にとることと、倉良瀬東側海域を経由して倉良瀬戸を通航することを船舶電話でB受審人に告げ、奈留丸に曳航させた無人のケーソンの左舷側至近に位置し、06時30分同港長府区を発し、同港西山区へ向かった。
B受審人は、A受審人から倉良瀬東側海域の通航を告げられた際に、日ごろ曳航して同海域を通航していたバージ等に比べてケーソンの喫水が大幅に深いことを知っていたが、通航の可否に疑問を抱かないまま、自船が中引きなので、引船列の指揮をとって先引きするはつひ丸に追従していくだけでよいものと思い、A受審人に同海域の水路調査をするように進言しなかった。
A受審人は、08時45分関門港西山区に至り、はつひ丸曳航索の先端を曳航フックにかけて50メートル伸出し、Y字型となった同索後端を奈留丸の左右両舷船首にとり、全長197メートルとした引船列を指揮し、かつ、単独ではつひ丸の船橋当直につき、09時00分玄界島へ向けて発進した。
12時15分A受審人は、妙見埼沖合に至って波が多少高くなったので、B受審人に指示して奈留丸曳航索を更に50メートル伸出させ、引船列の全長を247メートルとして響灘を西行した。
14時03分半A受審人は、倉良瀬灯台から072度(真方位、以下同じ。)4.5海里の地点で、手動操舵で針路を256度に定め、機関を回転数毎分1,700(以下、回転数は毎分のものを示す。)にかけ、B受審人が単独で船橋当直にあたる奈留丸に、機関を回転数1,600にかけさせたうえ、手動操舵で舵中央として中引きさせ、折からの西南西流に乗じ、4.0ノット(対地速力、以下同じ。)の速力で進行した。
A受審人は、依然、水路調査を行わず、引船列の倉良瀬東側海域通航が危険であることに気付かないまま、14時58分半倉良瀬灯台から054度0.9海里の地点に達したとき、針路を同海域に向く216度に転じ、折からの西南西流により12度ほど右方に圧流されながら、3.7ノットの速力で続航し、15時13分はつひ丸が倉良瀬灯台を右舷正横に見て通過したとき、偏位を調整するために針路を206度に転じ、右方に14度ほど圧流されながら、原速力で進行中、15時15分倉良瀬灯台から122度150メートルの地点において、ケーソンが同灯台から南東方に拡延する浅礁に乗り揚げた。
当時、天候は晴で風力4の北北西風が吹き、潮候は上げ潮の初期で、付近海域には約1ノットの西南西流があった。
はつひ丸は、ケーソン乗揚の直後、曳航索が緊張して左傾斜したものの、はつひ丸曳航索が曳航フックから外れて事なきを得た。一方、奈留丸は、そのことを目撃して直ちに機関を中立とし、奈留丸曳航索を切断しようとしたが、切断できないまま、潮流に打たれて右転し、横引き状態となって復原力を喪失し、右舷側から転覆して沈没し、乗組員は、海中に投げ出された。
A受審人は、はつひ丸曳航索が外れたのち、ケーソンの乗揚と奈留丸の転覆を認め、直ちに同船乗組員の救助にあたった。
その結果、はつひ丸は損傷がなく、奈留丸はサルベージ船により引き揚げられて廃船とされ、ケーソンは左舷側底部に欠損を生じたが、自然離礁し、サルベージ船により関門港長府区に引き付けられて修理され、奈留丸の乗組員は全員がはつひ丸に無事救助された。
(原因)
本件乗揚は、引船列が関門港から玄界島に向け西行するにあたり、倉良瀬戸の水路調査が不十分で、倉良瀬東側海域の通航を取り止めず、同海域の浅礁に向首進行したことによって発生したものである。
引船列の運航が適切でなかったのは、引船列を指揮する先引きのはつひ丸船長が水路調査を十分に行わなかったことと、中引きの奈留丸船長が、倉良瀬東側海域の通航を告げたはつひ丸船長に水路調査をするように進言しなかったこととによるものである。
(受審人の所為)
A受審人は、引船列を指揮して関門港から玄界島に向け西行するにあたり、倉良瀬戸の通航を予定した場合、4メートル以上の喫水で同瀬戸を通航するのは今回が初めてであったから、備付けの海図第179号にあたるなどして同瀬戸の水路調査を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、4メートルの喫水で倉良瀬東側海域を経由して倉良瀬戸を通航した経験が一度あったことから、水深に問題はないものと思い、同瀬戸の水路調査を十分に行わなかった職務上の過失により、引船列の倉良瀬東側海域通航が危険であることに気付かず、これを取り止めることなく、同海域に進入してケーソンの乗揚を招き、ケーソンの底部に欠損を生じさせ、奈留丸を転覆、沈没させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、引船列の中引きをして関門港から玄界島に向け西行するにあたり、引船列を指揮するはつひ丸船長から倉良瀬東側海域の通航を告げられた場合、ケーソンの喫水が日ごろ曳航して通航していたバージ等に比べて大幅に深いことを知っていたのであるから、同船長に同海域の水深の状況等を精査するなどの水路調査をするように進言すべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、奈留丸が中引きなので、引船列の指揮をとって先引きするはつひ丸に追従していくだけでよいものと思い、はつひ丸船長に同海域の水路調査をするように進言しなかった職務上の過失により、ケーソンの乗揚を招き、ケーソン及び奈留丸に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。