(事実)
第1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成14年7月25日21時15分
志布志湾
第2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船コープ ベンチャー |
総トン数 |
36,080トン |
全長 |
224.00メートル |
垂線間長 |
215.00メートル |
幅 |
32.20メートル |
深さ |
18.20メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
7,205キロワット |
IMO番号 |
8920878 |
第3 事実の経過
1 コープ ベンチャー
(1)船舶所有者
Sホールディング コーポレーション(以下「S社」という。)は、K船舶株式会社(以下「K船舶」という。)の関連会社で、船舶貸渡業を営んでおり、コープ ベンチャーの所有者となっていた。
一方、K船舶は、昭和47年に設立され、本社を東京に、本店を愛媛県松山市にそれぞれ置き、主として船舶貸渡業及び不定期航路事業などの海運業を営んでおり、平成2年佐世保重工業株式会社でコープ ベンチャーを建造してS社を同船の名義上の所有者とし、財団法人日本海事協会に船級登録してパナマ共和国に便宜置籍していた。また、K船舶は、コープ ベンチャーを含めて24隻を建造し、そのうち1隻を日本船籍としていたほかは、関連会社を名義上の所有者としてパナマ共和国、リベリア共和国及びシンガポール共和国にそれぞれ船籍港を置いていた。
(2)船舶管理会社
S社は、ツチ アンド アイシン シップマネージメント(シンガポール共和国)プライベート リミテッド(以下「ツチ アンド アイシン社」という。)との間で、2001年(平成13年)9月船舶管理契約を締結し、コープ
ベンチャーの船舶管理業務を委託していた。
ツチ アンド アイシン社は、ノルウェー王国オスロ市に事務所を置くツチ アンド アイシン グループの関連会社で、船舶の運航管理及び船員の配乗などの船舶管理に関する業務を営んでおり、船舶の安全運航の確保と海洋環境の保護などを図ることを目的とした国際安全管理規則に規定する、航行の安全を確保するための安全管理システムを構築し、2001年1月ノルスケベリタス船級協会から、同システムが同規則に適合することが認証されて、同社に適合書類が交付されていた。
また、ツチ アンド アイシン社は、国際安全管理規則に定める、コープ ベンチャーの運航等に責任を有する船舶管理会社として位置付けられており、同船の安全運航に関する基本事項のほか、当直要領、錨泊要領、緊急事態への対応など、乗組員が遵守(じゅんしゅ)・実施すべき事項に関する手順等を詳細に定めた安全管理マニュアルを作成し、2002年(平成14年)5月財団法人日本海事協会から、コープ ベンチャーが同規則に適合する船舶であることが認証されて、安全管理証書が交付されており、同船に同証書及び適合書類写並びに船舶安全管理マニュアルを備え置き、安全運航等について乗組員への周知を図っていた。
(3)船舶運航者
S社は、大阪商船三井船舶株式会社(以下「商船三井」という。)との間で運航委託契約を締結し、コープ ベンチャーの運航を委託していた。また、商船三井は、荷主である全国農業協同組合連合会との間で、コープ ベンチャーの航海用船契約を締結し、年間3航海アメリカ合衆国ニューオリンズ港からとうもろこしなどの穀物を本邦に輸送しており、同船は、最近では、平成14年3月にとうもろこしを積載して鹿児島県志布志港に入港していた。
(4)船体構造
コープ ベンチャーは、パナマックス型のばら積貨物船で、三菱重工業株式会社製造の5RTA62型と呼称するディーゼル機関を装備しており、航海速力は14.0ノットであった。
同船の貨物倉は、船首側から順に1番から7番までの7倉があり、4番倉がバラストタンクを兼ねていた。
上甲板下の船体付き各タンクの配置は、船首側からフォアピークタンク、4番から7番までの各倉下の二重底内中央部に各燃料油タンクがあって、4番倉下が1番燃料油タンク、5番倉下が2番燃料油タンク、6・7番両倉下が3番燃料油タンク、及び機関室下中央部が潤滑油タンクとなっており、船尾部がアフターピークタンクとなっていた。また、バラストタンクは、1・2番両貨物倉下にそれぞれ1・2番バラストタンク、3・4番両倉下(燃料油タンク部分を除く。以下同じ。)に3番バラストタンク、5・6番両倉下に4番バラストタンク、及び7番倉下に5番バラストタンクが配置されていた。
さらに、各倉の両舷上部にトップサイドタンクが設けられていた。
(5)錨及び錨鎖
大錨は、AC14型と呼称する重量が6,975キログラムの高把駐力ストックレスアンカーで、クラウン下端からシャンク上端までが3,640ミリメートル(以下「ミリ」という。)及びクラウンの長さが2,814ミリとなっており、従来型の日本工業規格によるストックレスアンカー(以下「JIS型錨」という。)と比べ、把駐力において優れた特性を有していた。そのため、我が国では、高把駐力錨を装備する場合にあっては、艤装数(ぎそうすう)に応じて定められたJIS型錨の重量に対して、0.75倍の重量のものを装備することが認められている。
また、錨鎖は、直径76ミリ、1節の長さ27.5メートル及び同重量4,015キログラム(1メートルあたり146キログラム)で、両舷に各12節が装備されており、揚錨機の標準巻揚速度は毎分9メートルとなっていた。
2 指定海難関係人
指定海難関係人Aは、1975年(昭和50年)に初めて海上勤務に就き、1979年(昭和54年)にインドの二等航海士の資格を、1981年(昭和56年)には一等航海士の資格をそれぞれ取得して各職に就き、さらに1983年(昭和58年)には船長の資格を取得し、1989年(平成元年)に総トン数9,388トンの貨物船に初めて船長として乗船した。
その後、A指定海難関係人は、大型貨物船の船長職を歴任した後、2002年にパナマ共和国の船長資格を取得し、同年6月4日ニューオリンズ港においてコープ ベンチャーの船長として乗り組んだものであり、27年間の海上勤務のうち、船長として7年間の乗船歴を有し、この間、本邦に寄港していたものの、志布志港への入港は初めてであった。
3 乗組員
コープ ベンチャーには、ツチ アンド アイシン社から乗組員が配乗されており、ニューオリンズ港からの今航海では、A指定海難関係人ほか23人が乗船していたが、平成14年7月23日志布志港入港後に乗組員の交代が行われ、翌24日台風避難のための同港出港時までに、前任の一等航海士ほか9人が下船し、後任の一等航海士Bほか4人が乗船した。
また、乗組員の国籍は、A指定海難関係人、一等航海士、機関O及び二等機関士Cの4人がインドであるほかは、二等航海士E及び三等航海士Gほか13人がいずれもフィリピン共和国で、コープ ベンチャーは混乗による計19人の乗組員で運航されていた。
4 港湾の状況
(1)志布志湾
志布志湾は、鹿児島県大隅半島の北東方に位置し、同半島北東部の同県火埼とその東北東約11海里の宮崎県都井岬との間を湾口として、北西方に約10海里湾入した大湾で、湾口が南東方に大きく開いて太平洋に面しており、鹿児島湾口までの距離が約70海里、高知県足摺岬沖までが約130海里、及び和歌山県潮岬沖までが約270海里となっていた。
志布志湾の北部には、南北約1,000メートル、東西約500メートル及び島頂の高さ83メートルの枇榔(びろう)島があり、湾奥の北西部には、砂浜が直線状に広がってやや遠浅の海岸を形成しており、同海岸線の沖合約1.7海里のところに20メートル等深線が、同1,000メートルのところには10メートル等深線がそれぞれ海岸線にほぼ平行に延びていた。
また、枇榔島以西の海域は、水深が50メートルより浅く、底質が砂又は泥で、同島北西方約800メートルのところを中心とする直径700メートルの円内海面が志布志港検疫錨地に指定されているが、同島以北は岩が多く、以東は水深が50メートルより深くなっていた。
以上のように、志布志湾は、約11海里ある湾口が南東方に開いて直接外洋に面していることから、東から南寄りの風が向岸風となり、同風向に対して遮蔽(しゃへい)となる陸地や大きな島などがないうえ、南東方からの波浪が侵入しやすい地形となっていた。
そして、このような志布志湾の概況については、コープ ベンチャーに備付けの英国水路部発行のジャパンパイロット第2巻(1979年版)に、「枇榔島の南西海域は錨泊に適した水深であるが、東から南風のときには錨泊は避けるべきである。波浪が頻繁に湾内に入り込み、錨泊中でも船体が動揺するのが普通である。」旨が記載されていた。
(2)鹿児島県志布志港
志布志湾内には、北部に志布志港、北東部に宮崎県福島港及び南西部に鹿児島県内之浦港があって、いずれも港則法の適用港となっており、西奥部には、石油備蓄基地が整備されて大型原油タンカーが着桟できるシーバースが設置されていた。
志布志港は、港内の静穏を保つため、その外周を囲むように防波堤が築造され、若浜ふ頭に全農サイロ岸壁及び志布志サイロ岸壁など大型船が着岸できる岸壁及び穀物サイロが整備されており、海外から輸入された飼料穀物などの保管及び加工が行われ、それを本邦各港へ出荷する入出荷基地としての役割を担っていた。
(3)全農サイロ岸壁
全農サイロ岸壁は、全農サイロ株式会社(以下「全農サイロ」という。)専用の長さ205メートル幅15メートルのドルフィン式岸壁で、65,000重量トン級の大型船が着桟でき、同岸壁上にはニューマチックアンローダ及びメカニカルアンローダと称する大型の穀物荷役機械各1台が備えられていた。
5 平成14年台風第9号(フェンシェン)の動向
平成14年7月14日マーシャル諸島近海で発生した熱帯低気圧は、北上しながら勢力を強めて平成14年台風第9号(以下「台風9号」という。)となり、北緯15度付近で進路を西にとり、20日には南鳥島の南西200海里付近に達して進路を北西に変え、徐々に速度を上げながら小笠原群島近海に向かった。
(1)7月24日
台風9号は、00時00分観測・03時00分発表のナブテックス気象情報(発表時刻はいずれも観測時刻の3時間後、以下同じ。)によると、小笠原群島父島の東北東100海里付近にあって、中心気圧945ヘクトパスカル(以下「hPa」という。)、中心付近の最大風速(以下「最大風速」という。)毎秒41メートル(以下「m/s」という。)、風速25m/s以上の暴風域(平均風速が25m/s以上の風が吹いているか、地形の影響などがない場合に、吹く可能性のある領域をいう。)が北側120海里(暴風域及び強風域の範囲は北側だけを示す。以下同じ。)及び風速15m/s以上の強風域が250海里の強い台風に発達し、15ノットの速さで西に進んで九州南方海上に向かっていた。
(2)7月25日
台風9号は、00時00分には志布志湾の東南東350海里付近にあって、中心気圧970hPa、最大風速33m/s、暴風域が80海里及び強風域が250海里となり、11ノットの速さで引き続き進路を西にとって九州南方海上に接近し、06時00分には志布志湾の東南東240海里付近に達し、同湾が強風域に入った。
その後、台風9号は、09時00分にはコープ ベンチャーの志布志湾での錨泊地点(以下「錨位」という。)から124度(真方位、以下同じ。)191海里付近にあって、中心気圧975hPa、最大風速30m/s、暴風域が80海里及び強風域が270海里と勢力が幾分衰えたものの、17ノットの速さで西北西に進み、そのままの進路及び速度で進めば、19時ないし20時には志布志湾の真南50ないし60海里を通過することが予想され、志布志湾が危険半円と呼ばれる進行方向右側(以下「右半円」という。)の暴風域に入る可能性があった。
ところで、わが国では、最大風速17m/s(風力8)以上のものを「台風」及び17m/s未満を「熱帯低気圧」に分類しているが、国際式では、台風に相当するものを、33m/s(風力12)以上を「TYPHOON(T)」、25m/s(風力10)以上33m/s未満を「SEVERE
TROPICAL STORM(STS)」及び17m/s以上25m/s未満を「TROPICAL STORM(TS)」の3階級に分類し、熱帯低気圧に相当するものを「TROPICAL
DEPRESSION(TD)」としている。
そのため、台風9号は、06時00分観測のナブテックス気象情報で最大風速が33m/sであったものが、09時00分観測では同30m/sに下がったことから、それまで台風9号の国際表記がTと表示されていたものが、一階級下がってSTSに変更され、24時間予報でも最大風速が28m/sに下がると予報されたものの、依然として暴風域は80海里と変わらなかった。
こうして、台風9号は、12時00分に錨位から128度135海里付近にあり、速度をやや速めて18ノットで西北西に進み、中心気圧975hPa及び最大風速30m/sを保ち、志布志湾が80海里内の暴風域に入る可能性がかなり高くなり、15時00分には、依然として中心気圧975hPa及び最大風速30m/sと勢力が衰えないまま、錨位から141度93海里付近に接近し、16時30分ごろ錨位から150度80海里付近(推測位置)に達して志布志湾が暴風域外縁付近に入った。
台風9号は、18時00分に錨位から162度73海里付近の、鹿児島県種子島南東30海里付近に達し、その後は西に進んで、19時30分ごろには錨位から180度67海里付近(推測位置)を通過して志布志湾にほぼ最接近し、さらに、21時00分同県屋久島に達した。
その後、台風9号は、勢力を弱めながら九州西方海上を西北西に進んで27日には熱帯低気圧となり、黄海から中華人民共和国山東半島に上陸した。
6 志布志港における台風対策
(1)志布志港台風対策委員会の設置及び構成
志布志港では、同港及び周辺海域における台風による事故を未然に防止することを目的として、志布志港台風対策委員会(以下「台風対策委員会」という。)が設けられていた。
台風対策委員会は、志布志港長である鹿児島海上保安部長が会長となり、鹿児島地方気象台、九州地方整備局志布志港湾工事事務所などの国家機関、志布志町、警察署、消防署、志布志港湾事務所などの地方機関、鹿児島水先区水先人会のほか、同港で各種事業を営む港湾関係各社など43機関・団体(以下「会員」という。)によって構成されており、毎年台風シーズン到来前の7月上旬に定例委員会を開催し、台風対策実施要領に基づく台風接近時の警戒体制の発令、連絡体制の確保、在港船舶への情報の伝達要領などについて各会員に対して周知徹底を図っていた。
(2)台風対策委員会の警戒体制及び勧告
台風対策委員会は、志布志港に台風が接近して事故の発生が予想される場合に、必要に応じて臨時に委員会を開催するなどして、台風情報の周知、台風の進路及び影響の予測、在港船舶の状況把握、船舶の荒天準備及び避難勧告の時期並びに同勧告の周知徹底などについて協議することにしており、その協議結果を踏まえ、台風対策実施要領に基づき、船舶の運航が困難となる前に会長が警戒体制を発令し、各会員を介して在港船舶に伝達する体制をとっていた。
そして、同委員会は、台風対策実施要領に基づき、強風域が48時間以内に志布志港に到達すると予想される場合には、直ちに船舶を運航できる準備とする第一警戒体制、さらに、強風域が24時間以内に到達すると予想される場合には、荒天準備を完了し、厳重な警戒体制をとるとともに、必要に応じて港外への避難を勧告する第二警戒体制の2段階で、在港船舶に対して台風対策に万全を期すよう周知徹底することにしていた。
(3)台風9号の接近に伴う警戒体制及び勧告
台風対策委員会では、7月23日15時00分台風9号の強風域が48時間以内に志布志港に到達することが予想されたことから、第一警戒体制を発令して避難準備を行うよう周知し、さらに、24日13時00分強風域が24時間以内に同港に到達することが予想されたことから、第二警戒体制を発令し、在港船舶に対して港外に避難するなどの厳重な警戒体制をとるよう勧告し、いずれも各会員に対し、各警戒体制の発令をファクシミリで伝達した。
なお、同委員会は、27日13時30分警戒体制を解除した。
7 本件発生に至る経緯
(1)コープ ベンチャーの動静
コープ ベンチャーは、アメリカ合衆国と本邦間、及びオーストラリア・東南アジアとヨーロッパ間における不定期航路に就航し、主として穀物の運搬に従事しており、A指定海難関係人ほか23人が乗り組み、とうもろこし57,474トンを積載し、船首11.04メートル船尾11.82メートルの喫水をもって、平成14年6月13日アメリカ合衆国ニューオリンズ港を発し、パナマ運河経由で志布志港に向かった。
同船は、6月22日パナマ運河を通航してパナマ共和国バルボア港で燃料油の補給を行い、太平洋を西行して7月21日01時06分志布志湾に到着し、着岸時間の調整のために同湾内で錨泊した後、翌22日06時24分抜錨し、鹿児島水先区水先人のきょう導のもと、07時36分志布志港全農サイロ岸壁に着岸した。
(2)台風避難の状況
ア 7月22日
A指定海難関係人は、着岸後、全農サイロ及び代理店である南九州マリンサービス株式会社(以下「代理店」という。)と荷役の段取りなどの打合せを行った際、代理店から、全量荷役終了予定が7月31日となっているので、荷役中に台風対策委員会から台風9号の接近に伴う警戒体制が発令されることがほぼ確実な情勢であるとの説明を受け、直ちに1、2、5及び6番貨物倉から荷役を開始した。
イ 7月23日
A指定海難関係人は、台風避難に備えて、再度、全農サイロ及び代理店と荷役の段取りなどの打合せを行い、荒天航海に備えて船体強度などの関係から、1・3・5番貨物倉は一部揚げ荷し、2・6番倉は全量揚げ荷して、翌24日離岸することにし、5日後の29日(月曜日)に再着岸することにした。その際、同指定海難関係人は、代理店に「台風9号がこのまま西北西に進んだ場合には、どこに避難するのが良いか。」と尋ね、同代理店から「志布志湾は台風避難の錨地として適さないので、これまでの経験から鹿児島湾に避難するのが良い。」との助言を得たので、鹿児島湾へ向かうことにして打合せを終え、荷役を再開した。
A指定海難関係人は、代理店から15時00分第一警戒体制が発令された旨の情報を得た。
また、夕刻までに2番貨物倉から全量揚げ荷を終えた。
ウ 7月24日
A指定海難関係人は、09時10分6番貨物倉から全量揚げ荷を終え、合計17,000トンを揚げ荷したところで荷役を中断し、2・4番バラストタンクに漲水してバラスト調整を行い、乗組員を交代させるなど離岸準備を終えて、水先人の乗船を待った。
こうして、コープ ベンチャーは、A指定海難関係人ほか18人が乗り組み、とうもろこし40,280トンを積載したまま、船首8.00メートル船尾11.60メートルの喫水をもって、10時40分全農サイロ岸壁を離岸し、水先人きょう導のもと、志布志港外に向かった。
A指定海難関係人は、志布志港南防波堤入口付近に差し掛かったところで水先人を下船させ、台風9号が06時00分現在、志布志湾の東南東600海里付近にあって、西北西に15ノットの速さで進んでおり、当初、鹿児島湾に避難することにしていたものの、台風の接近までに時間的な余裕があったことから、鹿児島湾に直航せずに、志布志湾で錨泊を続けること、又は外洋に避難することを含め、三つの選択肢の中から台風の動向によって避難地を選択することにし、11時30分枇榔島北端を056度2.0海里に見る、志布志港南防波堤灯台から193度2.1海里の水深約25メートル及び底質砂の地点に右舷錨を投じ、錨鎖6節を水際まで伸出して錨泊した。
A指定海難関係人は、船橋当直を、一等航海士が4時から8時まで、二等航海士が0時から4時まで、及び三等航海士が8時から12時までの4時間交替3直制とし、各直に操舵手1人を付け、錨泊後も同体制で守錨当直にあたらせ、各当直者に対し、自動衝突予防援助機能を有するレーダー2台及びGPS受信機などを活用して錨位を確認し、ナブテックス受信機、気象ファックス及びインマルサットCで定時の気象情報を入手して、海図に台風の位置、進路及び速度などを記入するよう指示するとともに、ナイトオーダーブックに同旨の指示事項を記載して各当直者に周知し、同夜は錨泊したまま台風9号の動向を見守ることにした。
また、A指定海難関係人は、同日夕刻、志布志サイロ岸壁で荷役中であったパナマックス型のばら積貨物船マリッサ(総トン数38,567トン、長さ224.96メートル)が、台風避難のために離岸して福島港沖合の志布志湾北東部で錨泊したのを知った。
エ 7月25日
A指定海難関係人は、ナブテックス気象情報により、台風9号が06時00分現在、錨位から117度243海里付近にあって16ノットの速さで西北西に進み、志布志湾が250海里の強風域に入り、そのまま進行すれば、19時ないし20時には志布志湾の南方約50海里を通過することを知った。
また、A指定海難関係人は、正午に入手した09時00分観測の気象情報で、台風9号が錨位から124度191海里付近に接近して17ノットの速さで西北西に進んでおり、志布志湾が台風の右半円の暴風域に入る可能性があることを知ったものの、同時に台風9号の表示がTからSTSに一階級下がり、今後24時間で最大風速が28m/sに下がると予報されたこと及び志布志湾が既に強風域に入っていたにもかかわらず、風速が10m/sにも達しない北寄りの風が吹いており、波高も約2メートルとあまり高くはなかったことから、台風はこのまま勢力が衰えるものと予想した。
A指定海難関係人は、長年、海上勤務に就いていたことから、台風をはじめハリケーンやサイクロンについての知識があり、幾多の荒天に遭遇した経験を有していたので、台風の右半円に入る志布志湾では、台風の接近・通過に伴って風向が北から東、更に南寄りに順転して湾口から強風が吹き込み、うねりが侵入するおそれがあることを予測することができた。
ところが、A指定海難関係人は、荒天の中を鹿児島湾に向かうと約11時間を要するうえに、台風の中心に接近することになってかえって危険であると考え、当初、選択肢の一つとしていた鹿児島湾に向かうことをやめ、このまま志布志湾で錨泊を続けても、必要に応じ、機関と舵を使用して船首をうねりに立てるように操船すれば、走錨することはないものと思い、台風避難のための錨地の選定を適切に行わず、早期に抜錨して四国沖などの台風の影響が比較的少ない海域に避難する措置をとることなく、機関を直ちに操作することができるようにして志布志湾での錨泊を続け、台風の通過を待つことにした。
A指定海難関係人は、引き続き在橋して台風情報の収集などにあたっていたところ、12時00分観測の気象情報で台風が勢力を維持したまま西北西に進んでいることを知り、16時ごろ急に風が強くなって15m/sを超えるようになり、湾口から侵入していたうねりの波高も次第に高くなってきたので、16時15分二等航海士及び操舵手1人を船橋に、甲板長及び甲板員1人を船首甲板にそれぞれ配置して守錨当直体制を強化したものの、依然として外洋に避難する措置をとらずに、志布志湾での錨泊を続けた。
A指定海難関係人は、二等航海士をレーダーに就けて錨位の確認にあたらせ、船首配置から錨鎖の方向及び張り具合の報告を受けながら、船首をうねりに立てて錨鎖にかかる張力を緩和するため、16時24分操舵手を手動操舵に就け、機関の使用を開始し、極微速力、微速力前進及び停止を繰り返しながら走錨防止措置をとった。
一方、台風9号は、16時30分ごろ錨位から150度80海里付近(推測位置)に接近し、志布志湾が80海里の暴風域外縁付近に入った。
A指定海難関係人は、17時00分ごろ風向が北ないし北北東から北東に変化するとともに風が更に強まり、波高が3メートルを超えるようになったので、一等航海士及び甲板員1人を船首甲板に増強配置し、いつでも錨鎖の繰出し又は揚錨作業を行うことができる体制をとり、その後、15時00分観測の気象情報でも、依然として台風が自己の予想に反して勢力を維持したまま西北西に進んでいることを知った。
(3)走錨及び乗揚の状況
台風9号は、19時30分ごろ錨位から180度67海里付近(推測位置)を通過してほぼ志布志湾に最接近したことにより、志布志湾では、気圧が984hPaまで降下し、風向が北東から東北東に変わって湾口から17m/sに達する風が吹き込み、最大瞬間風速28m/sを観測し、118度方向から侵入していたうねりの波高が約5メートルに達するようになった。
A指定海難関係人は、気圧の降下及び風向の変化から台風がほぼ志布志湾に最接近したことを知り、三等航海士を昇橋させてレーダーに就け、その後、風が一段と強くなったので、20時14分には機関を半速力前進まで上げ、船首をうねりに立てるように操船を続けていたところ、同時30分ごろには東北東風が25m/sに達し、時折、35ないし41m/sの最大瞬間風速を観測するようになり、最高波高が約8メートルに達するようになったのを認め、コープ ベンチャーは、このころから走錨が始まった。
20時40分A指定海難関係人は、レーダーで錨位の確認をしていた三等航海士から、枇榔島との距離が2.0海里から2.2海里となった旨の報告を受け、自らもレーダーで確認して走錨したことを知り、同時41分機関を半速力から初めて全速力前進にかけ、41分半には再び半速力前進に下げ、更に47分半には停止とし、その後は、極微速力、微速力、半速力前進及び停止を繰り返しながら圧流防止に努めた。
A指定海難関係人は、機関を多用したことで一時的には圧流を防止することができたものの、その後枇榔島との距離が2.4ないし2.5海里に開き、強風と波浪により更に圧流が続いて海岸付近に接近しているのを認め、21時00分ごろ一等航海士から、錨鎖が極度に緊張しているので、機関を全速力前進にかけるように進言を受けたとき、もはや機関と舵を使用しても圧流を防止することが困難であると判断して沖出しすることにし、同航海士に対して直ちに揚錨するよう指示した。
こうして、A指定海難関係人は、揚錨を開始したが、錨鎖が緊張して揚錨に手間取り、ようやく錨鎖2節を巻き揚げたものの、4節を残して揚錨が困難となり、錨鎖が短くなったことで圧流速度が更に増し、船首が120度を向いたまま北西方に圧流されて海岸付近に迫り、21時11分半再度全速力前進にかけたが、及ばず、21時15分志布志港南防波堤灯台から238度1.9海里の地点において、コープ ベンチャーは、その船尾が水深約10メートルの海底に乗り揚げた。
当時、天候は雨で、最大瞬間風速41m/sを伴う風力10の東北東風が吹き、潮候は下げ潮の初期にあたり、うねりが118度方向から侵入し、有義波高約5メートル及び最高波高約8メートルの波浪があった。
8 乗揚の結果
コープ ベンチャーは、船尾が水深約10メートルの海底に乗り揚げた後、強風と波浪によって海岸線近くまで打ち寄せられ、ほぼ船体中央部の5、6番貨物倉間が折損し、5番倉下の2番燃料油タンクが破損した。
そのため、A指定海難関係人は、浮揚型極軌道衛星利用非常用位置指示無線標識(イパーブ)を作動させて遭難信号を発信するとともに、国際VHF無線電話で海上保安庁に遭難通報をした後、折損した船体後部が横倒しとなるおそれがあると判断し、21時30分乗組員全員にヘルメット及び救命胴衣を着用させて退船を命じ、両舷に搭載した全長6.75メートル幅2.85メートルの全閉囲型FRP製救命艇をそれぞれボート甲板まで下ろし、風下舷となる右舷側の救命艇に全員を乗り込ませて降下を始めた。
ところが、救命艇は、降下の途中に波浪によりコープ ベンチャーの外板に激しく打ち付けられ、救命艇の左舷外板が大破して浸水が始まり、また、衝撃により艇内で身体を強打して負傷者が発生したため、乗組員は全員救命艇から脱出して海中に飛び込んだ。
こうして、乗組員19人のうち、15人が付近の海岸に泳ぎ着いたものの、二等機関士C、操舵手N、操舵手D及び司厨長Pの4人が死亡したほか、A指定海難関係人ほか4人が骨折などの重軽傷を負った。
9 流出油等の除去及び船骸(せんがい)の撤去作業
コープ ベンチャーは、搭載していたA重油及びC重油合計約832キロリットル(以下「キロ」という。)及び潤滑油約65キロのうち、破損した2番燃料油タンクからC重油約228キロが流出したほか、積荷の一部が流出して付近の海岸に漂着した。
このため、海上保安庁は、巡視船艇及び航空機などを出動させ、燃料油の流出防止及び浮流油の調査・処理作業を行い、一方、K船舶は、海上災害防止センターに委託して流出油の防除作業を行った。このほか、地元の関係機関・団体、漁業関係者、民間ボランティアなどが協力して、菱田川河口から田原川河口付近の海岸に漂着した燃料油及びとうもろこしの清掃作業を行った。
また、サルベージ会社は、7月31日から8月16日の間、破損した2番燃料油タンクを除き、各燃料油タンク等から油の抜取り作業を行い、船首側船骸から248キロ及び船尾側船骸から416キロを抜き取り、9月12日から貨物倉のとうもろこしの瀬取りを行った。その後、船骸の撤去準備作業に取り掛かり、9月25日船首側の船骸を中華人民共和国上海港に曳航したのに続いて、12月10日船尾側の船骸を大型起重機船でつりあげ、潜水台船に搭載して広島県能美島に搬送し、両船骸はいずれも解体処分とされた。
(原因の考察)
1 走錨の可能性について
外乱下における錨泊中のコープ ベンチャーの振れ回り運動のシミュレーション計算を行い、走錨の可能性について検討する。
(1)運動方程式
図1の座標系における船体の運動を表す運動方程式は次のとおりである。
図1 座標系
u, v, r:船速Uのχ,y軸方向成分及び回頭角速度
m, mχ, my:船舶の質量及びχ,y軸方向の付加質量
Izz, izz:重心まわりの船舶の慣性モーメント及び付加慣性モーメント
X, Y, N:船体に作用する外力のχ, y軸方向成分並びに回頭モーメント
ここで、添字のH、P、A、W、Tは、それぞれ船体に作用する流体力、ペロペラ推力、風圧力、波漂流力及び錨鎖の張力を表している。
ただし、本計算においては、舵が発生する流体力については考慮していない。
(2)各種流体力の表現
ア 船体に作用する流体力
船体に作用する流体力XH、YH、NHについては、大斜航角時に船体に作用する流体力を表現することが可能な数学モデルを用いる必要があるが、流体力を表現するために必要な係数を計算対象船舶であるコープ ベンチャーの船型を対象として推定することは困難であるので、本計算においては、過去にVLCC船型を対象として実施された模型試験により得られたデータを用いた。
イ プロペラ推力
プロペラ推力については、西部造船会会報(第105号)における推定式を使用した。
ウ 風圧力
風圧力については、「船体に働く風圧力の推定」(日本造船学会論文集第183号)における風圧力の近似式を用いて表現した。風圧力を求めるために必要となる水線より上方の側投影面積等のパラメータについては、コープ
ベンチャーの上部構造の詳細が不明であるため、同論文中の貨物船の各パラメータの平均値を同船の縮尺に合わせて使用した。
エ 波漂流力
波漂流力については、Newman,J.N.:「The Drift Force and Moment on Ship in Waves(波浪中の漂流力)」(Journal
of Ships Researchch Vol.11,No.1)における理論計算法に基づいて計算を行い、波漂流力を計算する際に必要となる船長方向各横断面の水線幅については、コープ ベンチャーの水線面形状の詳細が不明であるため、既存のコンテナ船型のデータを同船の縮尺に合わせて使用した。
オ 錨鎖の張力
錨鎖の張力Tを求めるに際して、錨鎖は錨の位置とベルマウス位置を通る鉛直面内に存在するものと仮定した。
この仮定の下で、船舶に作用する錨鎖の張力以外の全外力の錨鎖方向の成分と錨鎖の張力が釣り合うものとすると、張力Tは次のように表すことができる。
ここで、ξは錨鎖と空間固定座標系のχ0軸がなす角度、Ψは回頭角で、このとき、錨鎖の張力Tのχ、
y軸方向成分XT、YT及び錨鎖の張力によって船体に作用するモーメントNTは次式により表される。
図2 係駐力に関係するパラメータ |
|
ここで、χb、ybは船体固定座標系G-χyにおけるベルマウスの座標である。
ベルマウス位置と錨の位置の水平距離
hが、錨鎖の全長
cから、水底からベルマウスまでの長さHを差し引いた距離より短くなった場合(
h<
c−H:図2参照)には、錨鎖がベルマウス位置より鉛直下方に垂れた状態にあるものと考えられるため、この状態における張力はT=Oと仮定した。
一方、ベルマウス位置と錨の位置の直線距離
dと錨鎖の全長
cが等しくなった場合(
d=
c:図2参照)には、後述する錨による把駐力が錨鎖の張力としてそのまま作用するものと仮定した。
(3)錨鎖の係駐力
錨鎖の係駐力については、操船通論(本田啓之輔著)に従って推定を行い、図2に示すように錨鎖が錨とベルマウスを通る鉛直面内においてカテナリー形状をなすものとすると、そのカテナリー長S及び係駐部の長さ
は次式により与えられる。
ここで、w'
cは錨鎖の水中重量であり、錨鎖の重量wcの0.87倍(w'
c=0.87w
c)とし、このとき、錨及び錨鎖による係駐力Pは次式により与えられる。
ここで、w
aは錨の重量で、λ
a及びλ
cはそれぞれ錨の標準把駐係数、錨鎖の摩擦抵抗係数であり、表1及び表2に示す値を用いた。
表1
錨の標準把駐係数 |
底質 |
λa |
砂 |
7.0
|
泥 |
10.0
|
表2
錨鎖の摩擦抵抗係数 |
底質 |
λc |
砂 |
0.75
|
泥 |
1.0
|
(4)計算対象船舶
コープ ベンチャーの主要目は表3-1のとおりであり、喫水は等喫水状態と仮定し、方形係数C
bは平均喫水9.8メートル(以下「m」という。)における値を排水量曲線から求めた。
また、速力区分は表3-2のとおりである。
表3-1 主要目
全長 Loa |
224.0m |
船首喫水 df |
8.0m |
垂線間長 Lpp |
215.0m |
船尾喫水 da |
1.6m |
全幅 B |
32.2m |
平均喫水 dm |
9.8m |
|
|
方形係数 Cb |
0.821 |
表3-2 速力区分
区分 |
速力(満船/空船) |
機関回転数 |
航海全速力 |
14.0ノット |
75〜77rpm |
港内全速力 |
10.3/11.0 |
56 |
半速力 |
8.9/9.6 |
48 |
微速力 |
7.4/8.0 |
40 |
極微速力 |
5.5/6.0 |
30 |
(5)外乱の条件
平成14年7月25日の都井岬灯台及び志布志石油備蓄基地シーバースにおける気象観測結果、並びに同シーバース及び志布志湾奥部(枇榔島南南西約1,200m)における波浪観測結果に基づき、シミュレーション計算における外乱の条件を定めた。
表4 外乱の条件
風速 |
25m/s |
風向 |
東北東風(γ=67.5度) |
うねりの波高及び波長 |
5m、200m |
うねりの入射角 |
118度から入射(χ=62度) |
(6)シミュレーション計算条件
前節までに示した方法に基づいて、外乱として風とうねりを考慮し、前示外乱条件下における船舶の振れ回り運動のシミュレーション計算を行った。
計算対象海域の水深は25m及び底質は砂とし、ベルマウスの位置は近似的に喫水位置として、右舷錨(AC14型錨、重量6,975キログラム)及び錨鎖6節(1節27.5m、1mあたりの重量146キログラム)により錨泊するものとした。
また、船舶の振れ回り運動中にプロペラを回転させることにより、外乱に対する係駐力の不足を補うものとし、平水中における船速6から14ノット(以下「kn」という。)に対応するプロペラ推力を与えた。
なお、シミュレーション計算開始時に異なる方向から風とうねりを受けると、初期回頭角の方向によっては、船体が急に大きく運動し、錨鎖に過大な張力が生じる可能性があるので、ここでは、まずうねりの入射角(118度から入射、χ=62度)と風向(東北東風、γ=67.5度)を同一方向とした状態からシミュレーション計算を開始し、開始後30分間に風向を外乱条件まで徐々に変化させることにより、シミュレーション開始時における外力の急激な変化による影響を極力小さくするように留意した。
(7)シミュレーション計算結果
ア 外乱条件下でプロペラ推力を与えた場合
プロペラ推力を与えた場合における、錨鎖張力の最大値(Tmax)、係駐力の最大値(FAmax)及び最小値(FAmin)を計算し、TmaxがFAminを超えない場合を「走錨せず」、TmaxがFAminを超えた場合を「走錨」と判定した。
計算結果を表5及び図3から8に示す。
(ア)錨鎖6節の場合
表5の錨鎖6節欄及び図3から5によると、機関の推力7kn(微速力前進相当)までは走錨し、8ないし9kn(半速力前進相当)で錨泊状態を維持することができ、さらに推力が10kn(港内全速力前進相当)を超えると、推力過剰となって錨を引きづりながら前進することになった。
(イ)錨鎖8から12節の場合
表5の錨鎖8から12節欄及び図6から8によると、錨鎖を6節より長くした場合でも、機関の推力7knまでは走錨し、8ないし9knで錨泊状態を維持することができ、10knを超えると推力過剰となった。
ところで、船舶が錨泊する際、錨鎖伸出量の目安として、通常時においては3D+90m及び荒天時においては4D+145m(Dは水深)の略算式が経験的に用いられることがあり、コープ ベンチャーの投錨地点の水深25mでは、錨鎖長は通常時で165m及び荒天時で245mが目安となり、同船の錨鎖伸出量6節(165.0m)は、通常時の目安となる伸出量に相当し、荒天時の目安となる9節(247.5m)より3節分短かった。
そこで、シミュレーション計算結果についてみると、この外乱条件のもとでは、錨鎖を6から12節に長くしても、6節の場合と同様の結果を示した。もちろん錨鎖を長くすることで着底部分の係駐力が増加するとともに、カテナリー長が十分長くなって錨鎖に加わる衝撃力を緩和することができるなど、走錨防止に効果があることは言うまでもない。
しかし、錨鎖を長くすることで1節あたり約3トンの係駐力が増加することになるが、風圧力に比べてうねりによる張力が大きく増加するため、全体として係駐力に十分な余裕が発生せず、6から12節へと2倍の錨鎖を伸出しても、やはり走錨を防止するためには機関を使用することが不可欠となり、機関を種々使用して8ないし9knの推力を継続して与えなければならない。
表5 錨鎖張力の最大値及び係駐力の最大・最小値
錨鎖 |
推力 |
張力 |
係駐力 |
運動の判定 |
Tmax(トン) |
FAmax(トン) |
FAmin(トン) |
6節 |
6kt相当 |
51.131 |
52.577 |
16.243 |
走錨 |
7kt相当 |
50.949 |
54.267 |
13.950 |
走錨 |
8kt相当 |
48.825 |
56.525 |
48.825 |
走錨せず |
9kt相当 |
48.825 |
60.088 |
48.825 |
走錨せず |
10kt相当 |
50.004 |
64.155 |
48.825 |
推力過剰 |
11kt相当 |
0.000 |
64.155 |
64.155 |
推力過剰 |
12kt相当 |
0.000 |
64.155 |
64.155 |
推力過剰 |
13kt相当 |
0.000 |
64.155 |
64.155 |
推力過剰 |
14kt相当 |
0.000 |
64.155 |
64.155 |
推力過剰 |
8節 |
6kt相当 |
51.945 |
58.599 |
22.143 |
走錨 |
7kt相当 |
50.928 |
60.289 |
13.950 |
走錨 |
8kt相当 |
48.825 |
62.528 |
48.825 |
走錨せず |
9kt相当 |
48.825 |
65.874 |
48.825 |
走錨せず |
10kt相当 |
56.817 |
70.177 |
21.437 |
推力過剰 |
11kt相当 |
0.000 |
70.177 |
70.177 |
推力過剰 |
12kt相当 |
0.000 |
70.177 |
70.177 |
推力過剰 |
13kt相当 |
0.000 |
70.177 |
70.177 |
推力過剰 |
14kt相当 |
0.000 |
70.177 |
70.177 |
推力過剰 |
10節 |
6kt相当 |
49.378 |
64.621 |
28.553 |
走錨 |
7kt相当 |
50.227 |
66.311 |
13.949 |
走錨 |
8kt相当 |
48.825 |
68.551 |
48.825 |
走錨せず |
9kt相当 |
48.825 |
71.846 |
48.825 |
走錨せず |
10kt相当 |
60.924 |
76.200 |
48.825 |
推力過剰 |
11kt相当 |
0.000 |
76.200 |
76.200 |
推力過剰 |
12kt相当 |
0.000 |
76.200 |
76.200 |
推力過剰 |
13kt相当 |
0.000 |
76.200 |
76.200 |
推力過剰 |
14kt相当 |
0.000 |
76.200 |
76.200 |
推力過剰 |
12節 |
6kt相当 |
48.825 |
70.643 |
13.951 |
走錨 |
7kt相当 |
48.825 |
72.334 |
13.949 |
走錨 |
8kt相当 |
48.825 |
74.573 |
48.825 |
走錨せず |
9kt相当 |
48.825 |
77.869 |
48.825 |
走錨せず |
10kt相当 |
61.184 |
82.223 |
48.825 |
推力過剰 |
11kt相当 |
0.000 |
82.223 |
82.223 |
推力過剰 |
12kt相当 |
0.000 |
82.223 |
82.223 |
推力過剰 |
13kt相当 |
0.000 |
82.223 |
82.223 |
推力過剰 |
14kt相当 |
0.000 |
82.223 |
82.223 |
推力過剰 |
図3 錨鎖6節
プロペラ推力7kn相当の場合
(拡大画面:32KB) |
|
図4 錨鎖6節
プロペラ推力9kn相当の場合
(拡大画面:37KB) |
|
図5 錨鎖6節
プロペラ推力10kn相当の場合
(拡大画面:30KB) |
|
シミュレーション計算により得られた船体に働く各種外力の時系列を図に示す。4つの図は上から下記の流体力等の時間変化を表している。
1 索張力T、アンカー・錨鎖のよる係駐力F
A及び風向χ
2 x軸方向の全流体力X、船体に作用する流体力X
H、風圧力X
A
波源流力X
W、錨鎖の張力X
γ、プロペラ推力X
P
3 y軸方向の全流体力Y、船体に作用する流体力Y
H、風圧力Y
A
波源流力Y
W、錨鎖の張力Y
γ、プロペラ推力Y
P
4 z軸まわりの全回頭モーメントN,
船体に作用する回頭モーメントN
H
風圧力モーメントN
A、波漂流力モーメントN
W
錨鎖の張力によるモーメントN
γ
図6 錨鎖10節
プロペラ推力7kn相当の場合
(拡大画面:33KB) |
|
図7 錨鎖10節
プロペラ推力9kn相当の場合
(拡大画面:38KB) |
|
図8 錨鎖10節
プロペラ推力10kn相当の場合
(拡大画面:31KB) |
|
シミュレーション計算により得られた船体に働く各種外力の時系列を図に示す。4つの図は上から下記の流体力等の時間変化を表している。
1 索張力T、アンカー・錨鎖のよる係駐力F
A及び風向χ
2 x軸方向の全流体力X、船体に作用する流体力X
H、風圧力X
A
波源流力X
W、錨鎖の張力X
γ、プロペラ推力X
P
3 y軸方向の全流体力Y、船体に作用する流体力Y
H、風圧力Y
A
波源流力Y
W、錨鎖の張力Y
γ、プロペラ推力Y
P
4 z軸まわりの全回頭モーメントN、
船体に作用する回頭モーメントN
H
風圧力モーメントN
A、波漂流力モーメントN
W
錨鎖の張力によるモーメントN
γ
イ その他の条件の場合
(ア)正面からの風だけを受け、プロペラ推力を与えない場合
正面からの風だけを受ける場合は、風圧力による錨鎖の張力が、風速15m/sで約8トン、20m/sで約15トン及び25m/sで約25トンに増加し、一方、風圧力の増加に伴って錨鎖の着底部分が減少し、錨及び錨鎖6節での係駐力は、風速15m/sで約60トンであったものが、20m/sで約58トン及び25m/sで約55トンに減少するものの、係駐力には十分に余裕がある。
図9 正面から風だけを受ける場合
(イ)正面からの風及びうねり(波高5m、波長200m)を受け、プロペラ推力を与えない場合
正面からの風及びうねりを受ける場合は、風圧力及び波漂流力による錨鎖の張力が、風速10m/sで約50トンに達し、この時点で錨及び錨鎖6節での係駐力を超えて走錨する。また、20m/sでは約55トンとなって錨鎖8節でも走錨し、20m/sでは10節、25m/sでは12節でも走錨することになり、うねりが大きく影響することを示している。
図10 正面から風及びうねり(波高5m)を受ける場合
(ウ)外乱条件のうち、うねりの波高を4mとし、プロペラ推力を与える場合うねりの影響が大きいことが分かったので、うねりの波高を1m低くした結果、風速15m/sでは1から8knまでの推力を与えれば走錨せず、20m/sになると5kn(極微速力相当)までは走錨し、6kn以上で走錨しないことが分かった。
風速(m/s) |
15 |
20 |
錨鎖(節) |
6 |
8 |
10 |
12 |
6 |
8 |
10 |
12 |
推力(kn) |
1 |
○ |
○ |
○ |
○ |
● |
● |
● |
● |
2 |
○ |
○ |
○ |
○ |
● |
● |
● |
● |
3 |
○ |
○ |
○ |
○ |
● |
● |
● |
● |
4 |
○ |
○ |
○ |
○ |
● |
● |
● |
● |
5 |
○ |
○ |
○ |
○ |
● |
● |
● |
● |
6 |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
7 |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
8 |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
9 |
▲ |
▲ |
▲ |
▲ |
○ |
○ |
○ |
○ |
10 |
▲ |
▲ |
▲ |
▲ |
○ |
○ |
○ |
○ |
( ○:走錨せず ●:走錨 ▲:推力過剰)
2 錨地の選定について
船舶が台風避難のための錨地を選定するにあたっては、錨地の地形、水深、底質などの自然条件はもとより、台風の進路及び勢力などから予測される気象・海象について十分に検討する必要がある。
ところで、志布志湾は、南東方に大きく開いて直接外洋に面しているため、東から南寄りの風が向岸風となり、同風向に対して遮蔽となる陸地や大きな島などがないうえ、南東方から波浪が侵入しやすい地形となっており、一方、台風9号は、勢力が幾分衰えてはいたものの、引き続き進路を西北西にとり、志布志湾が台風の右半円の暴風域に入る可能性が高くなっていた。
A指定海難関係人は、長年の海上勤務の経験から、台風に関する知識があり、志布志湾では、台風の接近に伴い、風向が北から東寄りに順転して湾口から強風が吹き込み、かつ、台風の右側面ないしは後面で発生した東ないし南東からのうねりが侵入するおそれがあり、また、暴風域に入った場合には、風速25m/s以上の風が吹くおそれがあることを承知していたものと推認できる。
そこで、シミュレーション計算結果についてみると、錨鎖6節で前示外乱条件のもとでは、半速力前進相当の8ないし9knの範囲の推力を維持することができれば、走錨しない可能性があることが分かった。
しかし、その場合には、操舵により船体の振れ回り運動を抑えるとともに、錨鎖及び船体運動の状態を確認しながら、機関を種々使用して推力の微調整を行うことが必要となり、大型船にあっては推力の微調整が容易でないばかりか、特に夜間においては船体運動の状態が確認しづらいこともあり、気象・海象が刻々と変化する中で、推力の微調整を行いながら、正常な錨泊状態を長時間維持することは困難であると推察できる。
したがって、台風避難のための錨地の選定にあたっては、台風の進路からできる限り遠ざかり、特に右半円の暴風域には入らないようにすることはもとより、シミュレーション計算結果からも明らかなように、波浪が侵入するおそれのある錨地は極力避けるべきであり、さらに、予測される気象・海象の範囲で厳しい条件を想定して、これに十分対処できるか否かを検討しなければならない。
そのため、A指定海難関係人は、台風避難の方法として、当初、鹿児島湾に避難することにしていたものの、台風の動向によっては、志布志湾で錨泊を続けること及び外洋に避難することも選択肢として考えていた。
ところが、A指定海難関係人は、25日09時00分観測の気象情報で台風の勢力が幾分衰えたとはいえ、その後の気象情報では、台風が自己の予想に反して勢力を維持したまま志布志湾に接近しており、同湾が暴風域に入る可能性が高いことを知っていたのに、台風の勢力が今後も衰え続けることを期待して、必要に応じ機関及び舵を使用すれば、錨鎖6節のままでも走錨することはないものと判断し、台風の影響が少ない海域に避難する措置をとらずに、志布志湾を台風避難のための錨地に選定したことは、その判断に的確さを欠いたと言わざるを得ない。
以上のことから、台風9号が九州南方海上を西進し、志布志湾が台風の右半円の暴風域に入り、湾口から強風の吹込みと波浪の侵入が予測される状況下、A指定海難関係人が、志布志湾を台風避難のための錨地に選定して錨泊を続け、早期に抜錨して四国沖などの台風の影響が少ない海域に避難する措置をとらなかったことは、本件発生の原因となる。
(主張に対する判断)
補佐人は、A指定海難関係人が志布志湾を台風避難のための錨地として選定した理由には合理性があり、本件が予測しがたい異常な荒天によって発生したものであると主張するので、以下この点について判断する。
補佐人は、A指定海難関係人が、25日09時00分観測のナブテックス気象情報により、台風9号の表示がTからSTSに一階級下がり、24時間予報などで勢力が衰えると予報されたことを知り、しかも、既に志布志湾が強風域に入っていたにもかかわらず、風力3ないし4の風が吹いているにすぎなかったことから、台風は勢力が衰えながら進行しているものと予想したことは無理からぬことであった。それ故、志布志湾を台風避難のための錨地として選定し、必要に応じ、機関及び舵を使用して船首を風上に立てれば、走錨することはないものと判断したことは相当であって、適切な守錨当直体制をとり、機関及び舵を使って走錨防止措置をとっていたにもかかわらず、走錨を防止できなかったのは、異常な荒天によって引き起こされたものであると主張している。
確かに、A指定海難関係人が、ナブテックス気象情報などで台風情報を収集しており、25日09時00分観測の気象情報で台風9号の表示がTからSTSに一階級下がり、24時間予報で最大風速が下がることが予報されたこと、25日06時ごろ志布志湾が強風域に入った後も風速10m/sに達しない風が吹いていたこと、及び、25日16時ごろ風速が15m/sを超えるようになって守錨当直体制を強化し、機関等を使用して走錨防止措置をとったことは、補佐人主張のとおりである。
しかし、09時00分観測の気象情報では、06時00分観測分と比べて、中心気圧が970から975hPaに上昇し、最大風速が33から30m/sとなって勢力が幾分衰え、今後24時間に最大風速が30から28m/sに下がると予報されており、勢力はわずかに衰えるであろうが、最大風速に大きな差はなく、約10時間後に最接近するまでにその勢力が大きく衰えるとは考えられない。それどころか、その後の12時00分及び15時00分観測の気象情報では、中心気圧、最大風速、暴風域の範囲及び24時間予報のいずれも09時00分観測分と変わりがなく、同情報を収集していたA指定海難関係人は、台風9号が自己の予想に反して勢力を維持したまま志布志湾に接近していることを承知していたものと認められる。
ところで、A指定海難関係人は、長年の海上勤務の経験から、台風をはじめハリケーンやサイクロンについての知識があり、これまで幾多の荒天に遭遇した経験を有していたことが推察でき、収集した台風情報により、志布志湾が暴風域外縁付近に入る可能性が高くなっており、しかも台風が同湾に最接近するころには風向が東寄りに順転し、25m/s以上の強風が吹くおそれがあることや、風を遮るものがない海上では、一段と強い最大瞬間風速が出現する可能性があること、さらには、南東方に開いた湾口から大きなうねりが侵入するおそれがあることなどを予測できたと認められる。また、たとえ志布志湾での錨泊が初めてであり、錨地としての適否について十分な助言が得られなかったとしても、コープ
ベンチャーに備付けの海図及びジャパンパイロット第2巻によって志布志湾の事情を知ることができ、台風接近時における錨地としての適否について的確に判断できる状況であったと認められる。
そうすると、A指定海難関係人は、志布志湾を錨地に選定した理由の一つとして、同湾が強風域に入った25日06時以降も風速が10m/sに達しない風が吹いていたことを挙げているが、当時は北ないし北東の風で、同湾では北寄りの風が陸地に遮られて弱まることは誰もが知り得ることであり、現に、同湾の東端に位置する都井岬灯台では、周囲に風を遮るものがないため、風速15から30m/sにも達する強風を観測しており、同指定海難関係人の錨地選定理由の一つは単なる言訳にすぎない。
また、A指定海難関係人は、収集した台風情報により、台風9号が自己の予想に反して勢力を維持したまま志布志湾に接近し、同湾が暴風域に入る可能性が高いことを承知していたのであるから、より安全な選択肢があれば、機関及び舵を使用して走錨防止措置をとることを前提とした錨地の選定は避けるべきであった。それにもかかわらず、同指定海難関係人は、必要に応じ、機関及び舵を使用して船首を風上に立てるようにすれば走錨することはないものと軽く考え、風速が15m/sを超えるようになって守錨当直体制を強化し、機関等を使用して走錨防止措置をとり始めた後もなお、台風の勢力がそのまま衰え続けることを期待して、片舷12節の保有錨鎖のうち、半数の6節だけで錨泊を続けたものと推認できる。
以上のことから、A指定海難関係人が、外洋に避難するという選択肢が残っていた中で、錨地の選定にあたっての判断に的確さを欠いたと言わざるを得ず、志布志湾を台風避難のための錨地として選定した理由に合理性があるとは到底認め難く、同指定海難関係人の錨地選定理由には合理性があり、本件が予測しがたい異常な荒天によって発生したものであるとする補佐人の主張は採用することができない。
(原因)
本件乗揚は、志布志湾において、平成14年台風第9号が九州南方海上に接近し、同湾が台風の右半円の暴風域に入ることが予想される状況下、台風避難にあたり、錨地の選定が不適切で、早期に抜錨して台風の影響が少ない海域へ避難する措置をとらず、同湾で錨泊を続けて強風と波浪により走錨し、海岸付近に圧流されたことによって発生したものである。
(指定海難関係人の所為)
指定海難関係人Aが、志布志湾において、平成14年台風第9号が西進して九州南方海上に接近し、同湾が台風の右半円の暴風域に入り、南東に開いた湾口から強風の吹込みと波浪の侵入が予想される状況下、台風避難のための錨地の選定を適切に行わずに志布志湾での錨泊を続け、早期に抜錨して台風の影響が少ない海域へ避難する措置をとらなかったことは、本件発生の原因となる。
よって主文のとおり裁決する。
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