(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成14年10月25日10時00分
若狭湾南西部由良川河口
2 船舶の要目
船種船名 |
引船第七栄広丸 |
台船(船名なし) |
全長 |
10.30メートル |
30.00メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
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出力 |
169キロワット |
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3 事実の経過
第七栄広丸(以下「栄広丸」という。)は、船体中央に操舵室がある鋼製引船で、株式会社Y建設(以下「Y建設」という。)が所有する港湾工事用台船の曳航業務(えいこうぎょうむ)に従事し、架橋工事に使用する台船2隻を由良川河口から約7キロメートル上流にある舞鶴市八田(はった)の工事現場に回航する目的で、A受審人が単独で乗り組み、船首0.6メートル船尾1.5メートルの喫水をもって、平成14年10月25日08時00分京都府舞鶴港を発し、僚船の第11たんぽぽに曳航された、船首喫水0.5メートル船尾喫水0.6メートルの非自航型鋼製台船(船名なし)の船尾を押し、第八たんぽぽに曳航された別の台船(船名なし)とともに船団を組んで由良川河口に向かった。
ところで、由良川は、京都府北部の山間地から福知山盆地を貫流して若狭湾に注ぐ延長146キロメートルの1級河川で、昔から中・下流域では舟運が盛んで物流に利用されてきたが、台風や大雨などの際には氾濫(はんらん)が多発し、河口付近は上流から流れてきた土砂が堆積して水深が浅くなっていた。そして、河口から八田付近までの間では、流域の幅が100ないし500メートルあって、河口から約500メートル上流の北近畿タンゴ鉄道由良川橋梁(以下「鉄橋」という。)付近で最大となり、河口付近は、左右両岸から延びる砂州によって、流域の幅が約100メートルに狭められるとともに流速が増しており、水深は概ね2メートル前後で小型船の航行が可能であったが、夜間の航行は困難で、海図によれば、河口の砂州から400メートルほど沖合に2メートル等深線があり、同等深線から河口までの水域は、水深1.3メートルのところがあるものの、大部分が水深1メートル前後の浅水域で、詳細な測深は行われておらず、降雨のため川の水量が増えると上流から流れてきた土砂によって水深が変わり易い地形であることから、河口域を航行するには事前に予定進路の水深を確かめる必要があった。
B指定海難関係人は、16歳のときから漁船に乗船し、昭和47年ごろから引船に乗り組んで曳航業務に従事したあと、Y建設の工事課長となり、主に京都府内における港湾関係の工事監督にあたっていたところ、台船2隻を由良川上流の架橋工事現場まで回航することとなり、舞鶴港から同川河口沖合まで栄広丸より大型の引船を使用し、同沖合から上流は、当時栄広丸より喫水の浅い引船の手配が困難で、喫水1.5メートルの栄広丸に1隻ずつ曳航させることとし、同川の水深については、河川管理者に問い合わせるなど調査しないまま、作業当日に船外機付小型船で、予定進路を航行しながら測深して確かめることとした。
B指定海難関係人は、当初曳航を予定していた10月21日ごろから、日本付近を通過した低気圧のためしばらく悪天候が続いたので、曳航作業を延期していたところ、天候が回復したので同月25日に同作業を実施することとした。
A受審人は、平素はY建設所有の別の引船に船長として乗船していたところ、由良川上流への台船曳航作業に従事するため栄広丸に乗船を命じられ、それまで航行経験がなかった同川を航行することとなり、河口の水深が1メートル前後で、栄広丸が航行するには水深が十分でないことを知っていたが、同川を航行した経験のあるB指定海難関係人が、曳航作業の前に由良川上流から河口沖合まで、小型船で航行して予定進路の測深を行うことになっていたので、同人の指示に従って航行することとし、船団とともに同川河口沖合に向かった。
09時30分A受審人は、舞鶴市西神崎の海岸から800メートル沖合に到着して2隻の台船が投錨したあと、これらの台船のうち、第11たんぽぽが曳航して来た台船の、船首部ビットに係止した直径50ミリメートル長さ40メートルの曳航ロープを、栄広丸の船尾ビットに取って長さ80メートルの引船列とした。
一方、B指定海難関係人は、船団乗組員に由良川河口の沖合で錨泊して待機するように指示したあと、上流の目的地から船外機付小型船に乗って同川を下航し、鉄橋付近から長さ5メートルの箱尺を使用して、台船曳航予定進路沿いに河口の水深を測りながら沖合で待機中の船団に向かい、09時00分ごろ鉄橋から800メートル下流の予定進路付近で水深1.5メートルを測得し、栄広丸の喫水とほぼ同じ深さであることを知った。しかし、潮候を確かめないまま、作業を延期すれば再び天候が悪化する気配で、できればその日に曳航を終えたいという気持があり、水深1.5メートルの測深地点の前後では約2メートルの水深があって浅い部分は狭い範囲に限られ、4年ほど前に喫水約1.8メートルの引船で河口を上航した際、ほぼ同じ場所で川底を擦過しながら通航できたことから、沖合から寄せる波に乗って航行すれば何とか通航できると考え、余裕水深に対する配慮を十分に行わず、栄広丸による台船曳航作業を中止しないで、A受審人に台船の曳航を始めるよう指示した。
B指定海難関係人は、栄広丸が引く台船に乗り、A受審人に対し、由良川右岸の砂州に近寄り、鉄橋のほぼ中央にあたる左岸から9番目の橋脚に向首するよう告げ、その後台船前部に立って曳航作業の監督にあたった。
このときA受審人は、B指定海難関係人から河口の水深が1.5メートルであることを告げられ、必要な余裕水深が確保されない状況であることを知ったが、同人から、以前船底を擦過しながら河口部分を航行したことがあり、船底が川底にあたっても波に乗ってそのまま航行するように告げられたので、同人の指示に従うこととし、栄広丸による曳航を中止するようB指定海難関係人に要請しなかった。
09時50分A受審人は、台船の曳航を開始し、同時53分博奕(ばくち)岬灯台から240度(真方位、以下同じ。)2.8海里の地点で、B指定海難関係人から告げられた船首目標に向けて針路を193度に定め、機関を回転数毎分700の前進にかけ、3.0ノットの対地速力で進行した。
こうして栄広丸は、水深の浅い由良川河口に向かって続航中、10時00分博奕岬灯台から235度3.1海里の地点において、原針路、原速力のまま、B指定海難関係人が1.5メートルの水深を測得した河口の浅瀬に乗り揚げた。
当時、天候は晴で風力3の北東風が吹き、波高約1メートルで、潮候はほぼ低潮時にあたり、潮高は0.1メートルで、約7時間後の高潮時の潮高は0.3メートルであった。
乗揚の結果、栄広丸は、自力離礁できず、僚船による離礁作業中に横転して主機関の濡れ損などを生じたが、のち救助に赴いたクレーン船によって引き下ろされ、台船に損傷はなかった。
(原因)
本件乗揚は、若狭湾南西部由良川河口において、余裕水深に対する配慮が不十分で、水深の浅い河口に向けて進行したことによって発生したものである。
運航が適切でなかったのは、船長が、台船曳航作業を監督する船団長に曳航中止を要請しなかったことと、船団長が、引船の余裕水深に対する配慮を十分に行わなかったこととによるものである。
(受審人等の所為)
A受審人は、若狭湾南西部由良川上流の架橋工事現場に台船を曳航する作業に従事した際、喫水に対して由良川河口の水深が不十分で、必要な余裕水深が確保されない状況であることを知った場合、栄広丸による曳航を中止するよう、作業を監督する船団長に要請すべき注意義務があった。しかし、同人は、船団長の指示に従うこととし、船団長に対し、栄広丸による曳航を中止するよう要請しなかった職務上の過失により、水深の浅い由良川河口に向け進行して乗揚を招き、主機関の濡れ損などを生じさせるに至った。
B指定海難関係人が、若狭湾南西部由良川上流への台船曳航作業を行うにあたり、同川河口の予定進路を測深し、水深が栄広丸の喫水とほぼ同じ深さであることを知った際、余裕水深に対する配慮を十分に行わず、栄広丸による台船曳航作業を中止しなかったことは本件発生の原因となる。