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平成14年門審第139号
件名

油送船第二十八英和丸漁船オリョンNo.88衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成15年6月5日

審判庁区分
門司地方海難審判庁(西村敏和、長浜義昭、小寺俊秋)

理事官
黒田敏幸

受審人
A 職名:第二十八英和丸船長 海技免状:三級海技士(航海)
B 職名:第二十八英和丸二等航海士 海技免状:四級海技士(航海)(履歴限定)

損害
英和丸・・・・左舷船首部凹損及びハンドレールに曲損
オリョン・・・右舷船首ブルワークに曲損

原因
オリョン・・・見張り不十分、横切りの航法(避航動作)不遵守(主因)
英和丸・・・・見張り不十分、横切りの航法(協力動作)不遵守(一因)

主文

 本件衝突は、オリョンNo.88が、見張り不十分で、前路を左方に横切る第二十八英和丸の進路を避けなかったことによって発生したが、第二十八英和丸が、見張り不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
 受審人Bを戒告する。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成12年12月28日01時52分
 山口県六連島北方
 
2 船舶の要目
船種船名 油送船第二十八英和丸 漁船オリョンNo.88
総トン数 1,592トン 312.63トン
全長 87.02メートル 50.15メートル
登録長 82.47メートル 43.64メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 2,059キロワット 809キロワット

3 事実の経過
 第二十八英和丸(以下「英和丸」という。)は、ガソリン、灯油などの石油製品の輸送に従事する船尾船橋型の鋼製油送船で、A、B両受審人ほか8人が乗り組み、空倉のまま、船首2.25メートル船尾4.10メートルの喫水をもって、平成12年12月27日11時40分境港を発し、関門海峡経由で宇部港に向かった。
 A受審人は、船橋当直を、自らが8時から12時まで、B受審人が0時から4時まで、及び一等航海士が4時から8時までの4時間交替の3直制とし、各直に甲板手1人を付け、狭水道通過時や操業漁船が多いときなどには、自らが操船の指揮を執ることにしていた。
 A受審人は、同日20時00分山口県高山岬北方8.5海里の地点で船橋当直に就き、同県角島北方に向けて西行し、22時00分ごろ同県見島南南東方に差し掛かったころ、操業漁船が少なかったことから、関門海峡での操船指揮に備えて休息をとることにし、同直の五級海技士(航海)の免許を受有する甲板手に、操業漁船が多かったり、不安を感じたりしたとき、及び、関門港関門航路北口まで3海里の地点に達したときには報告するよう指示して船橋当直を委ね、降橋して自室で休息をとった。
 23時45分B受審人は、角島灯台から013度(真方位、以下同じ。)4.0海里の地点で昇橋し、前直者からA受審人の指示事項などの引継ぎを受けて船橋当直に就き、同直の五級海技士(航海)の免許を受有する甲板手を見張りに当たらせ、前後部マスト灯、両舷灯及び船尾灯を表示し、角島西方から山口県蓋井島東方の水島水道に向けて自動操舵により南下した。
 B受審人は、水島水道北口に差し掛かったところで甲板手を手動操舵に就け、翌28日01時28分蓋井島灯台から098度3.0海里の地点において、針路を165度に定め、機関を回転数毎分200及びプロペラ翼角15.5度の全速力前進とし、12.5ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で、関門航路北口に向けて進行した。
 01時44分半B受審人は、六連島灯台から354度3.5海里の地点に差し掛かったとき、操舵室から電話でA受審人に関門航路北口まで3海里となった旨を報告したが、前方で操業していた数隻の漁船のことは報告しなかった。
 B受審人は、操舵装置の左側に立って操船に当たり、01時47分六連島灯台から355.5度3.0海里の地点に達したとき、左舷船首21度1.7海里のところに、オリョンNo.88(以下「オリョン」という。)の白、白、緑3灯を視認し得る状況となり、その後同船の方位がわずかに右方に変化していたものの、明確な変化がなく、前路を右方に横切り、衝突のおそれのある態勢で接近したが、正船首方で緑、白2灯を連掲(以下「漁ろう灯」という。)して操業中の3隻の小型底びき網漁船の動静に気を取られ、周囲の見張りを十分に行っていなかったので、オリョンが接近していることに気付かず、同時49分半同灯台から358度2.5海里の地点において、同漁船群が正船首約400メートルとなったとき、これらを左舷側に替わすため、針路を170度に転じた。
 転針したとき、B受審人は、オリョンが左舷船首24度1,530メートルのところとなり、01時50分半六連島灯台から358.5度2.3海里の地点に差し掛かり、左舷側の操業漁船群を約100メートル隔てて替わし終えたとき、オリョンが同方位930メートルのところに接近していたが、そのころ、右舷船首方約500メートルのところで漁ろう灯を掲げて操業中の3隻の小型底びき網漁船を視認し、今度は同漁船群の動静に気を取られ、依然として、周囲の見張りを十分に行っていなかったので、オリョンの接近に気付かず、同船に対して避航を促す警告信号を行うことも、その後同船が間近に接近しても、速力を大幅に減じるなり、行きあしを止めるなど、衝突を避けるための協力動作をとることもせずに続航した。
 こうして、B受審人は、右舷船首方の操業漁船群を注視しながら進行し、01時51分半六連島灯台から359.5度2.1海里の地点に達したとき、左舷前方至近に迫ったオリョンの白、緑2灯と通路灯を初めて視認し、衝突の危険を感じ、右舷側の操業漁船群を約100メートル隔てて通過したところで右舵10度をとったが、効なく、01時52分六連島灯台から000度2.0海里の地点において、英和丸は、原針路、原速力のまま、その左舷船首とオリョンの右舷船首とが後方から45度の角度で衝突した。
 当時、天候は晴で風力1の東北東風が吹き、潮候は下げ潮の中央期で、視界は良好であった。
 A受審人は、自室で身支度を整えていたところ、B受審人から衝突した旨の電話連絡があり、直ちに昇橋して事後の措置に当たった。
 また、オリョンは、まぐろはえ縄漁業に従事する鋼製漁船で、船長C及び一等航海士D(いずれも大韓民国籍)ほか20人(大韓民国籍8人、インドネシア共和国籍5人、ベトナム社会主義共和国籍4人及び中華人民共和国籍3人)が乗り組み、ほぼ空倉で、同月25日16時30分静岡県清水港を発し、大韓民国釜山港に向かった。
 ところで、オリョンは、平成11年12月釜山港を出航し、約1年間クリスマス諸島近海の南太平洋においてまぐろはえ縄漁を操業した後、清水港で冷凍まぐろ約200トンのうち約2トンを残して水揚げし、四国沖及び関門海峡経由で釜山港に帰航する途上であり、C船長は、船橋当直を、D一等航海士が1時から7時まで、二等航海士が7時から1時までとして6時間交替の2直制とし、各直に甲板手1人を付けていたものの、各甲板手が見張りに不慣れであったために雑務に従事させており、狭水道通過時や操業漁船が多いときなどには、自らが操船の指揮を執ることにしていた。
 C船長は、豊後水道付近から操業漁船が多くなることから、27日17時30分同水道に差し掛かったところで操船の指揮を執り、前後部マスト灯、両舷灯及び船尾灯を表示し、周防灘から下関南東水道を北上して関門海峡東口に至った。
 28日00時00分C船長は、部埼沖を通過して関門海峡中水道に達したところで、D一等航海士を手動操舵に、二等航海士及び甲板手を見張りにそれぞれ就け、関門航路東口に入航してほぼ転流時の早鞆瀬戸を西行し、同時45分関門橋を通過した。
 C船長は、関門航路の右側をこれに沿って西行し、六連島東方の同航路を北上していたとき、同航路北口付近で漁ろう灯を掲げて操業中の数隻の小型底びき網漁船を視認したので、01時42分六連島灯台から037度1.5海里の関門航路北口を出た地点で右転し、同漁船群を左舷側に見てその東側を迂回し、同時47分同灯台から025度1.8海里の地点において、同漁船群を避航し終えたところで、針路を295度に定めて自動操舵に切り替え、機関を回転数毎分340の全速力前進にかけ、10.0ノットの速力として、D一等航海士に見張りを十分に行うように指示して船橋当直を委ね、二等航海士とともに降橋した。
 D一等航海士は、船橋当直に就いたとき、右舷船首29度1.7海里のところに英和丸の白、白、紅3灯を視認し得る状況で、その後同船の方位がわずかに右方に変化していたものの、明確な変化がなく、前路を左方に横切り、衝突のおそれのある態勢で接近したが、操業漁船群を左舷側に避航した後は、関門海峡を通過したことと、約1年ぶりに帰国できるうれしさのあまり気が緩み、見張りを十分に行っていなかったので、英和丸の接近に気付かずに進行した。
 D一等航海士は、操舵室の左舷側で立って操船に当たり、01時49分半六連島灯台から012度1.9海里の地点に差し掛かったとき、英和丸が右舷船首31度1,530メートルのところとなり、その後同船の方位に変化がなく、衝突のおそれのある態勢で接近し、同時51分同灯台から004.5度1.9海里の地点に達したとき、右舷船首31度620メートルのところに紅灯1個を視認したものの、ほぼ同方向約800メートルに錨泊灯及び多数の甲板照明灯を点灯した大型船が錨泊していたため、一見して同紅灯を錨泊船の灯火と思い込み、依然として、見張りを十分に行っていなかったので、同紅灯が英和丸の左舷灯であることに気付かず、同船の進路を避けることなく進行した。
 こうして、D一等航海士は、英和丸の進路を避けないまま続航し、01時51分半六連島灯台から002度2.0海里の地点に至ったとき、右舷船首至近に迫った英和丸の灯火を視認して衝突の危険を感じ、直ちに手動操舵に切り替えて左舵一杯をとったが、及ばず、左回頭中のオリョンは、船首が215度を向いたとき、原速力のまま、前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、英和丸は、左舷船首部に凹損及びハンドレールに曲損を生じ、オリョンは、右舷船首ブルワークに曲損を生じたが、のちいずれも修理された。

(原因)
 本件衝突は、夜間、山口県六連島北方において、両船が互いに進路を横切り、衝突のおそれのある態勢で接近中、西行するオリョンNo.88が、見張り不十分で、前路を左方に横切る第二十八英和丸の進路を避けなかったことによって発生したが、南下する第二十八英和丸が、見張り不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。

(受審人の所為)
 B受審人は、夜間、山口県六連島北方において、関門港関門航路北口に向けて南下する場合、接近する他船を見落とすことのないよう、周囲の見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、操業中の小型底びき網漁船群に気を取られ、周囲の見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、前路を右方に横切り、衝突のおそれのある態勢で接近するオリョンNo.88に気付かず、同船に対して避航を促す警告信号を行うことも、行きあしを止めるなどの衝突を避けるための協力動作をとることもせずに進行して衝突を招き、第二十八英和丸の左舷船首部に凹損を、オリョンNo.88の右舷船首ブルワークに曲損をそれぞれ生じさせるに至った。
 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
 A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。

 よって主文のとおり裁決する。 


参考図
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