(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成14年7月3日15時25分
愛媛県松山港
2 船舶の要目
船種船名 |
旅客船旭洋丸 |
総トン数 |
696トン |
全長 |
55.90メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
1,912キロワット |
3 事実の経過
旭洋丸は、広島県広島港、同県呉港及び愛媛県松山港の3港間の定期航路に就航する、船首船橋型の旅客船兼自動車渡船で、Dディーゼル株式会社製造の油圧クラッチを内蔵した逆転減速機(以下「クラッチ」という。)付き主機2機と2軸1舵及びバウスラスターを装備し、船橋に主機の遠隔操縦装置を備えていた。
両舷主機の遠隔操縦装置は、空気・油圧式で、各1本の操縦ハンドルで回転数制御とクラッチ前後進切替え操作ができ、操縦ハンドルを中立位置である垂直から前方あるいは後方に倒すと、操縦空気がクラッチ上のクラッチ操作弁に作用して作動油圧を制御し、前進あるいは後進クラッチを嵌合させ、次に同ハンドルを中立位置に戻すと、操縦空気を大気放出してクラッチを離脱させるようになっており、クラッチの作動を確認できるように各操縦ハンドルの前方に設けられたクラッチ位置表示灯用として、クラッチ操作弁の弁棒とギアでかみ合ったカムに、マイクロスイッチ押し棒(以下「ロッド」という。)を介してカムの動きと連動するマイクロスイッチが付設されていた。
ロッドは、凸字状をした円筒形のピストンで、長さが21.2ミリメートル(以下「ミリ」という。)、直径が上部及び下部円筒部でそれぞれ5.2ミリ及び8.7ミリあって、上部円筒部を線径0.5ミリ、直径8.0ミリのばねに貫通させ、ばねの下端が下部円筒部に乗った状態で内径8.9ミリのケース孔に納められ、底部がカムに接してその回転とばねの弾性とで上下動し、頂部がマイクロスイッチに接触してこれをオンオフするものであった。
指定海難関係人Dディーゼル中日本株式会社広島支店(以下「D広島」という。)は、平成14年3月旭洋丸が中間検査を控え、広島県に所在する造船所で検査準備の工事中、右舷機のクラッチ操作弁に漏油が発見され、同工事終了予定の同月末までに新替品の納期が間に合わなかったことから、同造船所より代替品の有無の問い合わせを受け、顧客の他の旅客船が保有していた同型弁の完備品を入手し、これを代替品として利用することとした。
その際、D広島は、代替品が昭和62年ごろに製造されて5年間ほど使用され、操縦装置の改造に伴って不要となり、当該旅客船で長期間保管されていたものであることを知っていたものの、整備にあたってロッドとばねをケース孔から抜き出すなどの開放点検を十分に行うことなく、ばねが疲労してその直径がロッド下部円筒部の直径とほぼ同寸法にまで拡大するとともに、同円筒部が摩耗してケース孔内面との間で隙間が増大し、ばねの端部がこの隙間に食い込むおそれがある状態となっていることに気付かないまま、平素の定期整備での点検項目である油圧系統のOリング等を交換して造船所に納入した。
旭洋丸は、右舷機に代替品のクラッチ操作弁を取り付け、平成14年3月27日中間検査を終え、定期航路に復帰して1日2往復半の運航に従事していたところ、A受審人ほか6人が乗り組み、乗客23人を乗せ、車両2台を積載し、船首1.85メートル船尾2.90メートルの喫水をもって、同年7月3日13時30分呉港を出港し、松山港の高浜瀬戸に面した観光港第1フェリー岸壁(以下「第1フェリー岸壁」という。)に向かった。
A受審人は、出港操船と音戸瀬戸通航の指揮を執ったのち、15時12分高浜瀬戸に差し掛かるころ、入港に備えて再び操船の指揮を執り、操舵手を手動操舵と主機の遠隔操縦操作にあたらせ、第1フェリー岸壁に左舷入船付けする予定で同瀬戸を南下して、同時18分松山港高浜5号防波堤灯台(以下「5号防波堤灯台」という。)から350度(真方位、以下同じ。)1,800メートルの地点に至り、針路を180度に定め、両舷機を全速力前進にかけて13.5ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で進行し、同時19分半港界を通過して乗組員を入港部署に就けた。
15時21分わずか前A受審人は、両舷機を半速力前進とし、12.4ノットの速力で南下を続け、同時22分少し前第1フェリー岸壁の800メートル手前にあたる、5号防波堤灯台から316度460メートルの地点で、平素後進テストを実施している海域に達したが、主機がクラッチで作動不良を起こすことはあるまいと思い、入港予定時刻が少し遅れていたこともあり、後進テストによるクラッチの作動確認を十分に行わなかったので、操縦ハンドルを中立位置に戻しても右舷機のクラッチ位置表示灯用のばね端部がケース孔内面とロッドの下部円筒部との隙間に食い込み、ロッドが前進位置で固着して弁棒の動きを阻害し、右舷機が中立に切り替わらない状態にあることに気付かず、両舷機を微速力前進として10.0ノットの速力で続航した。
15時23分少し前A受審人は、5号防波堤灯台から271度320メートルの地点に至り、針路を第1フェリー岸壁の南端部に向く163度に転じ、同時23分両舷機を極微速力前進として9.0ノットに減速し、同時23分半同岸壁北端まで240メートルに近づいて両舷機中立としたところ、速力が低下しないうえ船首がわずかに左方に振れる気配を認め、同時24分少し前両舷機極微速力後進を命じた。
この直後、A受審人は、操舵手から操縦ハンドルを中立位置に戻しても右舷機が前進のままである旨の報告を受け、左舷機微速力後進、続いて同半速力後進を指示すると同時に自らバウスラスターを右一杯とし、更に同全速力後進とするも効なく、15時25分5号防波堤灯台から194度540メートルの地点において、旭洋丸は、148度に向首し、5.0ノットの前進行きあしをもって、第1フェリー岸壁にその船首が40度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風はなく、潮候は高潮時であった。
衝突の結果、左舷船首部外板に凹損と船首エプロン前端部に亀裂を生じたが、のち修理され、衝突の衝撃で乗客1人が転倒し、全治1週間の打撲傷を負った。
D広島は、本件後、右舷機のクラッチ操作弁を開放修理したDディーゼル四国株式会社(以下「ダイハツ四国」という。)からロッドとケース孔内面との隙間に食い込んだばねがロッド及び弁棒の動きを阻害していたことを知らされ、ロッドとばねを定期整備の点検項目に加えると共に、早期に交換することを推奨するなど同種事故の再発防止対策を講じた。
(後進テストについての考察)
本件では、旭洋丸が後進テストを実施しないまま着岸を試み、同テスト海域を通過して3分弱後、両舷機を中立にしようとしたところ、右舷機のクラッチ操作弁が作動しなかったもので、クラッチ位置表示灯用のロッドとこれを納めたケース孔内面との隙間に食い込んだばねが、ロッド及び弁棒の動きを阻害していたことが事後判明した。
ロッド及び弁棒の動きが阻害されるようになった時期については、これを特定することができないものの、ロッドが正常な状態で前進位置に置かれているならば、ばねはその弾性によって常にロッドを押し下げる働きをしており、船体振動等によってばねがケース孔の中で容易に動き回ったり、位置が変動したりするものではないうえ、後進テスト海域を通過してからの短時間にばねを強制的に動かすような外的要因もなく、同海域を通過してから機関を中立にしようと操作したときまでの間にばねの状態に変化を生じたとは言えない。
従って、その時期は、後進テスト海域に到達する以前か、機関を中立にするためにロッドが動くと同時であったこととなるが、前者であれば、最後にロッドが動いたとき、すなわちクラッチが最後に前進側に操作されたときであって、後進テストでこの異常を発見することができ、一方、後者であったとしても、ロッドが動くと同時にばねが瞬時にして隙間に食い込む状態が惹起されていたことになるのだから、後進テストを実施していたならば、その時点で異常が現れ、これを発見することができたものと認められる。
(原因)
本件岸壁衝突は、松山港において、入港時のクラッチの作動確認が不十分で、主機の右舷機が前進から中立に切り替わらない状態のまま、第1フェリー岸壁に向けて進行し、前進行きあしを止めることができなかったことによって発生したものである。
機関製造業者が、損傷したクラッチ操作弁の代替品として他船で長期間保管されていた同型弁を納入する際、同弁の開放点検を十分に行わなかったことは、本件発生の原因となる。
(受審人の所為)
A受審人は、松山港において、第1フェリー岸壁に着岸しようとする場合、主機が中立に切り替わらないと行きあしの制御ができないから、異常を早期に発見できるよう、後進テストによるクラッチの作動確認を十分に行うべき注意義務があった。しかし、同人は、主機がクラッチで作動不良を起こすことはあるまいと思い、後進テストによるクラッチの作動確認を十分に行わなかった職務上の過失により、操縦ハンドルを中立位置に戻しても右舷機のクラッチ位置表示灯用のばね端部がケース孔内面とロッドの下部円筒部との隙間に食い込み、ロッドが前進位置で固着して弁棒の動きを阻害し、右舷機が中立に切り替わらない状態にあることに気付かず、第1フェリー岸壁に向けて進行し、同岸壁の手前で前進行きあしを止めることができないまま同岸壁への衝突を招き、左舷船首部外板に凹損と船首エプロン前端部に亀裂を生じさせるとともに、乗客1人に転倒による全治1週間の打撲傷を負わせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
D広島が、損傷したクラッチ操作弁の代替品として他船で長期間保管されていた同型弁を納入する際、クラッチ位置表示灯用のロッドとばねをケース孔から抜き出すなど開放点検を十分に行わなかったことは、本件発生の原因となる。
D広島に対しては、本件後、クラッチ位置表示灯用のロッドとばねを定期整備の点検項目に加えると共に、早期に交換することを推奨するなど同種事故の再発防止対策を講じた点に徴し、勧告しない。
よって主文のとおり裁決する。