日本財団 図書館




 海難審判庁裁決録 >  2003年度(平成15年) > 衝突事件一覧 >  事件





平成15年広審第11号
件名

押船第三越浦丸被押台船第三栄進漁船俊栄丸衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成15年4月15日

審判庁区分
広島地方海難審判庁(西田克史、竹内伸二、勝又三郎)

理事官
横須賀勇一

受審人
A 職名:第三越浦丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士

損害
越浦丸・・・右舷側プロペラ翼に曲損
台 船・・・右舷船首から船尾中央部にかけて船底外板に擦過傷
俊栄丸・・・左舷側外板及び操舵室を大破し、転覆、のち廃船
船長が溺水により死亡

原因
越浦丸・・・動静監視不十分、船員の常務(衝突回避措置)不遵守
俊栄丸・・・法定灯火不表示、船員の常務(衝突回避措置)不遵守

主文

 本件衝突は、第三越浦丸被押台船第三栄進が、動静監視不十分で、衝突を避けるための措置をとらなかったことと、操業中の俊栄丸が、成規の灯火を表示しなかったばかりか、衝突を避けるための措置をとらなかったこととによって発生したものである。
 受審人Aの一級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成12年4月14日23時10分
 備讃瀬戸西部 佐柳島南方沖合

2 船舶の要目
船種船名 押船第三越浦丸 台船第三栄進
総トン数 19トン  
全長 15.50メートル 60.00メートル
機関の種類 ディーゼル機関  
出力 1,471キロワット  
船種船名 漁船俊栄丸  
総トン数 4.90トン  
登録長 10.00メートル  
機関の種類 ディーゼル機関  
漁船法馬力数 15  

3 事実の経過
 第三越浦丸(以下「越浦丸」という。)は、2機2軸を有する鋼製引船兼押船で、A受審人ほか3人が乗り組み、その船首部を、旋回式ジブクレーンを装備し空倉で船首1.85メートル船尾2.10メートルの喫水となった非自航型鋼製台船第三栄進(以下「台船」という。)の凹状船尾に入れ、水平ピンで連結して全長61.5メートルの押船列(以下「越浦丸押船列」という。)を構成し、船首2.00メートル船尾2.10メートルの喫水をもって、平成12年4月14日13時00分兵庫県東播磨港を発し、瀬戸内海経由で新潟県寺泊港に向かった。
 A受審人は、17時50分香川県小豆島南方沖合で昇橋し、一等航海士と交替して単独の船橋当直に就き、成規の灯火を表示し備讃瀬戸東航路に続いて、備讃瀬戸北航路(以下「航路」という。)を西行し、22時30分ごろ航路左側端に存在する波節岩に差し掛かったとき、1.5海里レンジのレーダーにより船位が左側に寄っていることを確認してから3.0海里レンジに切り替え、それまで自船より速力が速い多くの同航船が左舷側を追い越す状況から、右側端に寄るつもりで備讃瀬戸北航路第3号灯浮標(以下、灯浮標は「備讃瀬戸北航路」の冠名を省略する。)に向かって航路を斜航し、22時59分佐柳港9号防波堤灯台(以下「防波堤灯台」という。)から098度(真方位、以下同じ。)2,500メートルの、第3号灯浮標南側至近の地点に達したとき、後続する2隻のフェリーを認めいずれ自船を追い越すことを見越し、航路出口付近の漁船の出漁模様や自船の操縦性能を考慮のうえ航路外に出た方が操船しやすいと判断し、針路を六島灯台のわずか右に向く255度に定め、機関を全速力前進にかけ、6.5ノットの対地速力で手動操舵により進行した。
 23時05分A受審人は、防波堤灯台から116度1,455メートルの地点に至ったとき、左舷船首1度1,200メートルのところに俊栄丸の白灯1灯を初めて視認し、その後その方位がほとんど変わらず、俊栄丸と衝突のおそれがある態勢で接近する状況であったが、初認時に一見しただけで同航船の船尾灯と思い、レーダーを活用するなどして引き続き動静監視を十分に行わなかったので、その状況に気付かず、速やかに右転するなどの衝突を避けるための措置をとることなく、専ら左方の航路内の様子に留意しながら続航した。
 こうして、A受審人は、23時07分半防波堤灯台から133度1,120メートルの地点に達したとき、そのころ500メートルばかりに迫り右転を始めた俊栄丸を認め得る状況であったが、依然として動静監視不十分で、このことにも気付かず、六島の南方沖合を通過するつもりで針路を250度に転じて進行中、23時10分防波堤灯台から159度1,000メートルの地点において、越浦丸押船列は、原針路、原速力のまま、その船首が、俊栄丸の左舷中央部にほぼ直角に衝突した。
 当時、天候は曇で風力1の北東風が吹き、視界は良好で、潮候は下げ潮の中央期にあたり、付近には微弱な東流があった。
 A受審人は、俊栄丸と衝突したことに気付かないまま西行を続け、翌15日01時30分ごろ愛媛県高井神島の手前に差し掛かったとき巡視艇の停船命令を受けて錨泊したのち、ダイバーにより船底調査が行われた結果痕跡が判明して衝突の事実を知った。
 また、俊栄丸は、全長約14.5メートルの底引き網漁に従事するFRP製漁船で、船長Mが1人で乗り組み、操業の目的で、船首尾とも0.4メートルの喫水をもって、同月14日19時00分香川県佐柳港を発し、佐柳島南方沖合の漁場で操業を始めた。
 ところで、俊栄丸は、灯火設備として、緑、白2灯の全周灯、マスト灯及び船尾灯のほか、操舵室後部に笠付きの作業灯2灯を取り付けていたものの、舷灯又は両色灯を設備することなく出漁していた。そして、当時、主に航路北方付近を漁場とし、漁具として、長さ50メートル直径9ミリメートルのワイヤロープ、長さ20メートル直径30ミリメートルの化繊ロープ及び長さ7メートル直径20ミリメートルのチェーンを順に連結した引き綱を船尾両舷からそれぞれ延出し、それらの先端に長さ15メートルの袖網と長さ13メートルの袋網とからなる漁網を取り付けたものを使い、潮流に沿ってほぼ東西方向にえい網を繰り返し操業していたもので、接近する他船があれば、後部甲板上に備えたローラーに50メートルほど残している引き綱を延ばすなどして左右どちらかに回頭し衝突を避けるための措置をとることが可能であった。
 M船長は、対水速力を有しトロールにより漁ろうに従事していることを示す成規の灯火を表示することなく、マスト灯のほか作業灯2灯を点灯した状態で操業を繰り返し、22時30分防波堤灯台から227度1.4海里の地点で、針路を069度に定め、機関を曵網速力の回転数毎分2,000にかけ、2.0ノットの対地速力で手動操舵により進行した。
 23時05分M船長は、防波堤灯台から171度975メートルの地点に達したとき、右舷船首5度1,200メートルのところに、白、白、緑、紅灯4灯を掲げた越浦丸押船列が西行中で、その後その方位がほとんど変わらず、同押船列と衝突のおそれがある態勢で接近する状況であったが、速やかに右転するなどの衝突を避けるための措置をとらずに続航した。
 こうして、M船長は、23時07分半防波堤灯台から162度955メートルの地点に至り、そのころ500メートルばかりに迫った越浦丸押船列が少し左転した状況のもと、転流時に近づいたのでゆっくりと右回頭を開始して進行中、俊栄丸は、159度に向首したとき、ほぼ原速力のまま前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、越浦丸は、右舷側プロペラ翼に曲損、同プロペラガードに切損、台船は、右舷船首から船尾中央部にかけて船底外板に擦過傷をそれぞれ生じ、のちいずれも修理されたが、俊栄丸は、左舷側外板及び操舵室を大破して転覆し、のち廃船となり、M船長(昭和8年1月25日生、一級小型船舶操縦士免状受有)が、溺水により死亡した。

(原因)
 本件衝突は、夜間、備讃瀬戸西部佐柳島南方沖合において、西行する越浦丸押船列が、動静監視不十分で、衝突を避けるための措置をとらなかったことと、東行する俊栄丸が、対水速力を有しトロールにより漁ろうに従事していることを示す成規の灯火を表示しなかったばかりか、衝突を避けるための措置をとらなかったこととによって発生したものである。

(受審人の所為)
 A受審人は、夜間、備讃瀬戸西部佐柳島南方沖合を西行中、ほぼ正船首に白灯1灯を認めた場合、衝突のおそれがあるかどうか判断できるよう、レーダーを活用するなどして引き続き動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、一見しただけで同航船の船尾灯と思い、引き続き動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、成規の灯火を表示しないで操業中の俊栄丸と衝突のおそれがある態勢で接近する状況に気付かず、速やかに右転するなどの衝突を避けるための措置をとらないまま進行して同船との衝突を招き、越浦丸の右舷側プロペラ翼に曲損、同プロペラガードに切損及び台船の右舷船首から船尾中央部にかけて船底外板に擦過傷を生じさせ、俊栄丸の左舷側外板及び操舵室を大破させ転覆させたうえ、M船長を溺水により死亡させるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の一級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
(拡大画面:27KB)





日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION