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平成14年横審第80号
件名

漁船第三十五錦生丸沈没事件

事件区分
沈没事件
言渡年月日
平成14年2月6日

審判庁区分
横浜地方海難審判庁(原 清澄、黒岩 貢、花原敏朗)

理事官
釜谷奬一

受審人
A 職名:第三十五錦生丸船長 海技免状:五級海技士(航海)(履歴限定)
B 職名:第三十五錦生丸機関長 海技免状:五級海技士(機関)(機関限定・旧就業範囲)

損害
船底に破孔、海水が機関室に侵入し、横転、のち沈没

原因
堪航性の確保不十分

主文

 本件沈没は、堪航性の確保が十分でなかったことによって発生したものである。
 受審人Aの五級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
 受審人Bを戒告する。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成9年11月28日05時23分(現地時間)
 マーシャル諸島沖合

2 船舶の要目
船種船名 漁船第三十五錦生丸
総トン数 119トン
登録長 26.85メートル
5.80メートル
深さ 2.30メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 330キロワット

3 事実の経過
(1)株式会社起南造船所
 株式会社起南造船所(以下「起南造船所」という。)は、船舶の建造及び修理、水産物の加工、漁具及び水産物処理用品の販売などを目的として昭和36年4月19日に設立された。また、同造船所は、昭和61年ころまで新船も建造していたものの、当時は、主として19トン型から250トン型くらいまでの漁船の修理工事を月平均5隻前後行っていた。
(2)有限会社M水産
 有限会社M水産(以下「M水産」という。)は、資本金が1,500万円で、まぐろはえ縄漁業専門の水産会社として昭和55年11月15日に設立され、和歌山県勝浦港(以下「勝浦港」という。)を基地とし、119トン型2隻と19トン型1隻を所有して操業にあたり、起南造船所の社長がM水産の社長を兼務していた。
(3)第三十五錦生丸
(1)第三十五錦生丸(以下「錦生丸」という。)は、起南造船所で6隻建造された鋼製の同型船のうちの1隻で、同造船所において、昭和55年2月に、最大搭載人員が12人で、総トン数69.96トンの第1慶福丸として建造され、平成元年12月1日M水産によって第1慶福丸の船主から同船が購入された。同3年に起南造船所において、新測度法を適用して総トン数119トンのまぐろはえ縄漁船に改造された。
(2)錦生丸の構造
 錦生丸は、船首尾楼付一層甲板船で、船首部には船首楼甲板があり、船体ほぼ中央部から後方にかけて船尾楼甲板となっており、同甲板の船首方から順に操舵室、無線室、居室及び漁具スペースなどが設けられていた。また、上甲板上には船首方から順に甲板長倉庫、甲板倉庫、冷凍機室、マシーナリー スペース、居室・賄室・舵機室等の区画及び第6魚倉となっており、上甲板下は船首方から順に船首水タンク、第1魚倉、第2ないし第3各魚倉、第4魚倉、機関室、第5魚倉及び燃料タンクなどとなっていた。
 また、機関室の出入口は、船橋後部の居室と、漁具スペース後部とに設けられていた。
(3)勝浦港発航前の海水浸入状況及び船体の整備模様
 錦生丸は、平成9年6月に臨時検査を受けたのち出漁し、操業を終えて勝浦港に帰港後、同年8月19日起南造船所において上架され、同月29日の出漁予定日に合わせて船体の整備が行われ、25日14時00分下架された。その後、勝浦港渡の島(わたのしま)ふ頭に係留されて燃料油の積込みが行われ、その日の作業を終了した。
 翌26日07時00分ごろB受審人は、餌(えさ)を積み込むため錦生丸に出向いたところ、機関室のプレートの辺りまで海水が浸入しているのを発見し、同船が右舷側に傾斜していたところから、右舷側の発電機や冷凍機に濡損が生じているのを確認し、その旨をA受審人に報告した。
 09時00分ごろA受審人は、起南造船所において、錦生丸を再び上架させ、船底外板を調査させたところ、機関室後部隔壁から前方約400ミリメートル(以下「ミリ」という。)、船体の中心線から右舷方450ミリのところに、直径約10ミリの電食によると思われる破孔を認めた。そこで、同人は、船主に要請して同破孔に対しては縦350ミリ横500ミリ厚さ7ミリの鉄板を船外から溶接して修理をさせ、また、発電機の巻線巻直し等のため、船側外板に開口を設けるなどの付帯工事も行い、翌9月9日下架させたところ、修理した船底外板破孔部の後方から浸水しているのを認めたので、調査した結果、ボックスキール内に破孔が2箇所あるのを見つけ、再上架し、船内から厚さ7ミリの鉄板を溶接させて海水の浸入箇所の修理を行った。
 A受審人は、前示船底の破孔状況から、船底外板が薄くなって破孔を生じやすい状態となっていることを十分に認識できる状況にあったが、海水の浸入が止まったので大丈夫と思い、前示3箇所の鉄板溶接部及び冠水した発電機の搬出のために開口した船側外板開口部の再溶接箇所の点検を含め、海水浸水箇所周辺の船底外板の板厚測定などのための臨時検査を受検し、必要があれば徹底的に修理するなどの航行中の堪航性を十分に確保することなく出港した。
 また、B受審人は、工事の施工状況を監視し、浸水箇所周辺の板厚が薄くなっていることを認めたが、浸水が止まったので大丈夫と思い、その事実をA受審人に報告せず、かつ、修理箇所を含め、臨時検査を受検するよう、同人に進言することなく出港した。
(4)操業模様
 錦生丸は、季節に関係なく出漁し、経度180度以西で、北緯00度から北緯35度の中の操業許可区域内で操業していた。
 また、出漁期間は約4箇月で、漁獲量が85トン前後となると勝浦港に帰港するようにしていた。投縄には6時間ばかりかけて縄を46海里ばかり出し、35時間ほどマグロがかかるのを待ち、最後に縄を入れた地点から揚縄を開始し、平均で12時間半ほどかけて縄を揚げていた。
(5)操業中の就労模様
 投縄中は、乗組員を2組に分け、1組の構成を日本人1人とフィリピン人4人の計5人とし、1日交替で作業にあたり、投縄中、船長は、船橋当直に就き、機関長は、休息するようにしていた。
 揚縄中は、全員が作業に従事し、船長は、最初と最後の2時間船橋当直に就き、残りの時間を2人の甲板員が交替で船橋当直に就くようにしていた。機関長は、1時間ないし2時間毎に機関室におり、機器の点検をしたり、ビルジを引いたりしていた。
 潮上り中は、船長が船橋当直に就き、他の者は休息を取るようにしていた。
(6)沈没に至る経緯
 錦生丸は、A及びB両受審人のほか3人が乗り組み、操業の目的で、喫水不詳のまま、平成9年9月24日10時00分勝浦港を発し、マーシャル諸島共和国マジュロ港に向かった。
 勝浦港出港後、A受審人は、自らを含め、乗組員5人が、単独で2時間交替の船橋当直に就き、当直終了後、機関室内の点検を行わせながら航行を続けた。
 10月10日06時00分(現地時間、以下同じ。)A受審人は、マジュロ港に入港し、自船の最大搭載人員を超えることとなる、フィリピン人船員を8人乗船させ、食料と燃料油を積み込み、船首1.50メートル船尾3.50メートルの喫水をもって、翌11日07時00分同港を出港して北緯05度45分東経176度15分付近の漁場に向かい、14日01時00分第1回目の操業を開始した。
 ところで、機関室内への海水の浸入状況は、マジュロ港入港の数日前までは船尾管から浸入するだけで、その量は2時間に1回ビルジポンプをかけて1分ないし2分間排水するだけのものであった。ところが、マジュロ港入港前から浸水量が増え始め、1回のビルジの排出に3分ないし4分間ビルジポンプをかける状況となった。そこで、B受審人は、1時間毎に機関室内の点検に行き、2時間毎にビルジの排出をするようにしていた。
 A受審人は、前示漁場で14回操業して約5トンの漁獲物を獲たのち、マーシャル諸島共和国の200海里以内で操業することにして船主経由で同国に操業許可を申請し、11月7日06時50分操業を許可する旨を受信したので、同国から指定された操業許可区域内の漁場に向かった。
 翌8日01時00分A受審人は、操業許可区域内の北緯04度00分東経168度25分の漁場で操業を再開し、同月27日00時45分30回目の操業を終了して漁獲物約20トンを獲た。そこで、A受審人は、北緯07度54分東経165度41分の地点で、針路を040度(真方位、以下同じ。)に定め、7.8ノットの対地速力で潮上りを始めた。
 01時00分B受審人は、平素のとおり、機関室に行き、主機等を点検し、これらに異常の無いことを確認してビルジを引いたのち、同時30分ころ自室に戻って休息した。
 02時30分A受審人は、潮上り中、主機の吸排気弁に注油するため機関室に行き、中段まで降りたとき、主機のクラッチの吊り上げフック付近まで海水が浸入し、フライホイールが海水を巻き上げているのを発見した。同人は、異常な状況であると判断し、直ちにB受審人に連絡するとともに、他の乗組員を起こし、排水作業の準備にかからせたが、03時05分ころ沈没の危険を感じ、付近海域で操業中の第八共進丸ほか2隻の僚船に対して救助を依頼した。
 B受審人は、ビルジポンプ1台、水中ポンプ1台及び移動ポンプ2台を準備して30分ほど排水を続けたが、浸水量が減るどころか増え続けて発電機に海水がかかり、同機が発煙する状況となったので、これを停止した。このころ主機の中段より少し下くらいまで海水が浸入していた。
 06時30分A受審人は、主機が水没し、沈没の危険が迫ってきたので、同時45分乗組員全員に退船を指示し、来援した第八共進丸に移乗した。
 錦生丸は、10時ころから傾斜し始め、11時ころには完全に横倒しの状態となり、翌28日05時23分北緯08度04分東経165度47分の地点において沈没した。
 当時、天候は晴で風力1の北東風が吹き、海上は静穏であった。
 沈没の結果、A受審人は、他の乗組員とともに他船の航行の妨げとならないよう、完全に沈没したのを確認したのち、第八共進丸でマジュロ港に入港した。

(原因)
 本件沈没は、和歌山県勝浦港において、船底破孔の修理を施工した際、堪航性の確保が十分でなかったことによって発生したものである。

(受審人の所為)
 A受審人は、和歌山県勝浦港において、出港前、船底に電食と推察される破孔を連続して認め、これらの修理を施工した場合、船底外板が薄くなって破孔を生じやすい状態となっていることを十分に認識できる状況にあったから、同様の破孔の発生を未然に防止できるよう、船側外板開口部の復旧状況や修理状況などの点検を含め、船底外板の板厚測定などの臨時検査を受検し、必要があれば徹底的に修理するなどの堪航性の確保を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、船底破孔箇所を修理し、海水の浸入が止まったので大丈夫と思い、堪航性の確保を十分に行わなかった職務上の過失により、船底に破孔を生じさせ、操業中に海水が機関室に浸入して第三十五錦生丸を横転させる事態を招き、同船を沈没させるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の五級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
 B受審人は、和歌山県勝浦港において、出港前、船底に電食と推察される破孔を連続して認め、これらの修理を施工した場合、船底外板の板厚も薄くなった状況であることを認めていたのであるから、同様の破孔の発生を未然に防止するために、船底破孔箇所の修理状況や船側外板開口部の復旧状況の点検を含め、船底外板の板厚測定するなどの臨時検査を受検するよう、A受審人に進言すべき注意義務があった。しかるに、同人は、修理を施工して海水の浸水が止まったので大丈夫と思い、臨時検査を受検するよう、A受審人に進言しなかった職務上の過失により、操業中、再び海水が機関室に浸入する事態を招き、第三十五錦生丸を横転させ、沈没させるに至った。
 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

 よって主文のとおり裁決する。





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