(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成14年4月5日05時40分
千葉県犬吠埼南東方沖合
2 船舶の要目
船種船名 |
漁船第三十八 八秀丸 |
総トン数 |
19トン |
全長 |
23.45メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
559キロワット |
3 事実の経過
(1) 船体の配置等
第三十八 八秀丸(以下「八秀丸」という。)は、平成13年7月に進水した一層甲板型のFRP製漁船で、上甲板上には船首部から順に、船首楼甲板及び同倉庫、予備魚倉、前部甲板、操舵室、船長室、漁具庫並びに船尾甲板が、上甲板下には船首部から順に、船首タンク、4区画の燃料タンク、9区画の魚倉、機関室、船員室、賄室、3区画の清水タンク、4区画の魚倉及び舵機室がそれぞれ配置されていた。
また、前部甲板の前端部から船尾甲板の後端部までに至る両舷側及びトランサム上に、高さ約1メートルのブルワークが設置されていた。
(2) 防波板
前示ブルワークの上端から高さ約1メートルのFRP製防波板が、トランサム上の左舷側半分を除き、前部甲板の両舷後端部から船尾甲板の両舷後端部までと前部甲板左舷側にそれぞれ設置されていたが、前部甲板の両舷後端部から船尾甲板の両舷後端部までの区画は防波板及び天井で覆われ、両舷通路前部の出入口にはドアがそれぞれ設置されており、ほぼ閉じられた空間となっていた。しかし、防波板及び天井は、ステンレス製パイプで支えられていて、飛沫(ひまつ)程度の波や雨を避けるための強度しかもたない構造であった。
(3) 機関室、船員室及び賄室
機関室は、長さ4.6メートル幅3.8メートル高さ2.4メートルで、中央部に主機が、その両舷側に三相交流発電機を駆動する原動機(以下「補機」という。)がそれぞれ備え付けられていた。機関室の出入口として、アルミ製水密扉が防波板及び天井で覆われた右舷側通路の機関室囲壁に設置されていたが、航海中は機関室の熱気を逃がすために常時開放されていた。
また、船員室は、長さ2.0メートル幅3.2メートル高さ1.7メートルで、その後部に賄室を設けてあり、船員室には10台の寝台が縦列に置かれ、その左舷側には舵取装置油圧ポンプユニットが設置されていた。船員室の出入口として、賄室の囲壁後部に、船尾甲板から出入りするためのアルミ製水密扉が設置されていたが、操業中は開放されていた。
(4) 低気圧の状況と影響
平成14年4月2日15時、朝鮮半島北部の寒気を伴った1,004ヘクトパスカルの低気圧が、日本海に進んで次第に発達しながら、同月3日15時に東北地方南部を通過し、同日21時太平洋に出ると中心気圧が1,000ヘクトパスカルにまで発達した。その後三陸沖で更に発達し、同月4日15時北緯36度東経147度の地点で992ヘクトパスカル、同月5日03時北緯36度東経149度の地点で986ヘクトパスカルと勢力を増しながら、ゆっくりした速度で東進した。
この低気圧の影響で、犬吠埼南東方沖合では、同月4日朝から次第に風波が高まっていった。
(5) 遭難に至る経緯
八秀丸は、まぐろ延縄漁業に従事するFRP製漁船で、A受審人ほか7人が乗り組み、操業の目的で、船首1.0メートル船尾2.0メートルの喫水をもって、平成14年4月2日18時00分千葉県勝浦港を発し、犬吠埼南東方沖合の漁場に向かった。
ところで、八秀丸が行うまぐろ延縄漁業は、沖縄周辺から三陸沖合に至る海域を漁場として、1航海が15日ないし20日の操業に周年従事するもので、総延長が37海里ないし40海里に達する幹縄に、43メートル間隔で釣針を付けた長さ25メートルの枝縄を総数約2,000本取り付け、730メートル間隔で長さ15メートルの浮縄に浮玉を取り付けた漁具を使用し、早朝に魚餌(ぎょじ)のイワシを針に付けた延縄を全速力の8ノットで4.5時間ないし5時間かけて投入し、3時間ないし4時間待機したのち、13時間かけて揚縄し、3時間ないし4時間かけて潮上りをするという1日に1回の操業を行っていた。
また、この時期に八秀丸が操業する海域は、犬吠埼から南東方約120海里付近の黒潮の南側潮境だったので、黒潮本流とその反流がぶつかり合い、普段から波が高起し易いところであった。
A受審人は、同月3日05時30分漁場に到着し、06時00分北緯34度47分東経142度20分の地点から第1回目の操業を開始して北方に向けて延縄を投入し、翌4日06時20分操業を終了した。
A受審人は、同月3日の晩、朝鮮半島北部から東進してきた発達中の低気圧が東北地方南部を通過しつつあるという情報を入手し、前示漁場付近はすぐに時化てくると予想していたが、第1回目の操業の漁模様が良かったので、2隻の僚船と相談して第2回目の操業は通常の半分の長さの幹縄を投入することとし、その操業が終了次第、もっと南方の海域に避難することとした。
同月4日07時40分A受審人は、北緯35度10分東経142度40分の地点で第2回目の操業を開始し、南方に向けて投縄を始めたが、このころ更に発達した低気圧によって、付近海域では西ないし北からの風が次第に強まって複雑な高波が発生するようになった。
同日15時15分A受審人は、北緯34度44分東経142度37分の地点から北方に向けて揚縄を開始したが、付近海域はいっそう海象が悪化し、幹縄が切断したり、枝縄が幹縄に絡んだりする状況となり、更に高起した波が八秀丸の防波板を直撃して同板が破損し、上甲板上に打ち込んだ海水が機関室及び船員室に浸入するおそれがあったものの、同人は、機関室等の出入口はステンレス製パイプで補強された防波板及び天井で覆われており、同板が打ち寄せる波の衝撃に耐えると思い、海水の浸入に備え、前もって機関室等の出入口の水密扉を閉鎖するなど風浪に対する配慮を十分に行わなかった。
同日22時ごろA受審人は、揚縄中に幹縄を切断して見失ったので、切断部分に一番近い北側のラジオブイを探し出し、その部分から南方に向けて揚縄しながら幹縄の南端を見つけようと南下したが、その途中船首を南方に向けたまま団子状態に絡んだ幹縄を解くことに時間をとられていた。
同月5日05時40分少し前八秀丸は、船首を南方に向けているとき、高起した大波を右舷側に受け、幹縄が切断するとともに、その衝撃で右舷中央部の防波板が破損して大量の海水が上甲板上に打ち込み、溢れた(あふれた)海水が機関室及び船員室の出入口から機関室等に浸入した。A受審人は、大波を左舷側から受けるために船首を北方へ向けたものの、続けて左舷側に大波を受けて右舷側へ大きく傾斜し、更に大量の海水を上甲板上に掬い上げ(すくいあげ)、再度機関室等に海水が浸入し、05時40分八秀丸は、北緯35度16分東経143度09分の地点において、主機、補機及び舵取装置油圧ポンプユニットなどが濡損して停止し、操船不能に陥った。
当時、天候は曇で風力10の北風が吹き、発生付近海域には波高約4メートルの波があった。
その結果、八秀丸は、右舷中央部の防波板を圧壊し、機関室出入口の水密扉などを破損し、主機、補機、舵取装置油圧ポンプユニット及び漁ろう機器などに濡損を生じたが、のち修理された。
(6) 事後の措置
A受審人は、大量の海水が機関室等に浸入したので、危険を感じてイーパブで遭難信号を発し、膨張式救命筏を展張して3人の甲板員を移乗待機させるうち、風浪でもやい索が切断して同筏が漂流したが、のち海上保安庁によって救助された。
八秀丸は、ほどなく、左舷側発電機が始動可能となり、電源が確保されたので、機関室等の海水を排水ポンプで排出したが、舵取装置油圧ポンプユニットが復旧できず、同月6日16時ごろ来援した僚船に曳航され、翌7日14時ごろ勝浦港に引き付けられた。
(原因)
本件遭難は、千葉県犬吠埼南東方沖合において、低気圧が発達しながら接近し、風浪が高まりつつあった状況下、まぐろ延縄漁業に従事する際、風浪に対する配慮が不十分で、高起した大波を右舷側に受けて防波板を破損し、上甲板上に打ち込んだ大量の海水が機関室及び船員室の出入口から浸入したことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は、千葉県犬吠埼東南方沖合において、低気圧が発達しながら接近し、風浪が高まりつつあった状況下、まぐろ延縄漁業に従事する場合、同沖合は黒潮本流とその反流がぶつかり合う海域で、普段から高波が高起し易いところであったから、上甲板上に打ち込んだ海水が機関室等に浸入することのないよう風浪に対する配慮を十分に行うべき注意義務があった。しかしながら、同人は、機関室及び船員室の出入口はステンレス製パイプで補強された防波板及び天井で覆われており、同板が打ち寄せる波の衝撃に耐えると思い、海水の浸入に備え、前もって同出入口の水密扉を閉鎖するなど風浪に対する配慮を十分に行わなかった職務上の過失により、操業を続けて高起した大波を右舷側に受けて右舷中央部の防波板が破損し、大量の海水が上甲板上に溢れ、機関室等に浸入し、主機、補機及び舵取装置油圧ポンプユニットなどを濡損して停止させ、操船不能に陥らせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。