(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成14年3月28日05時10分
関門港関門航路
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船シーエスシーエル シャアメン |
総トン数 |
25,369トン |
全長 |
207.40メートル |
登録長 |
196.75メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
19,810キロワット |
IMO番号 |
9217022 |
船種船名 |
貨物船フェン クアン |
総トン数 |
1,480トン |
全長 |
74.50メートル |
登録長 |
70.80メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
出力 |
1,544キロワット |
IMO番号 |
7827988 |
3 事実の経過
シーエスシーエル シャアメン(以下「シャアメン」という。)は、船尾船橋型のコンテナ専用船で、船長J(ポーランド共和国籍)ほか19人(フィリピン共和国籍12人、ポーランド共和国籍、クロアチア共和国籍及びユーゴスラビア連邦共和国籍各2人、ドイツ連邦共和国籍1人)が乗り組み、コンテナ24,705トンを積載し、船首10.32メートル船尾11.10メートルの喫水をもって、平成14年3月27日18時30分大韓民国釜山港を発し、関門海峡経由で神戸港に向かった。
J船長は、0時から4時までの船橋当直を二等航海士、4時から8時までを一等航海士、及び8時から12時までを三等航海士として4時間交替の3直制を採り、各直に操舵手1人を付けていた。
翌28日04時10分J船長は、六連島灯台から306度(真方位、以下同じ。)7.6海里の地点で、関門海峡の通過に備えて昇橋し、同時36分一等航海士と交替して操船の指揮を執り、法定の灯火を表示し、機関を適宜使用して、六連島灯台の北方約3,000メートルの水先人乗船予定地点に向かった。
04時55分J船長は、六連島灯台から009度2,660メートルの地点で、関門水先区水先人であるA受審人を乗船させて関門海峡での水先業務に就かせ、自らは船橋右舷側で操船の指揮を執り、一等航海士を機関遠隔操縦装置に、操舵手を手動操舵にそれぞれ就け、関門港関門航路に向かった。
A受審人は、船橋中央部で水先業務に当たり、04時58分機関を極微速力前進から半速力前進に上げ、05時00分六連島灯台から023度1,990メートルの、関門航路まで400メートルの地点に差し掛かったとき、同航路西側境界線付近を北上した総トン数約2,000トンの船舶と右舷を対して通過し、その他には航路内に他船を認めなかったことから、機関を回転数毎分76の港内全速力前進とし、同航路入口に向けて徐々に右転を始めた。
間もなく、A受審人は、関門海峡海上交通センター(以下「海上交通センター」という。)にVHF無線電話で位置通報を行い、その際、同センターから、シャアメンと竹ノ子島台場鼻沖の関門航路屈曲部で接近するおそれのある西行船はなく、関門第2航路を東行している船舶もいない旨の情報を得た。
ところで、関門港には、主航路である関門航路のほか、これに接続する関門第2航路、若松航路、戸畑航路及び砂津航路(以下「第2航路等」という。)並びに関門第2航路に接続する安瀬航路があり、港則法施行規則第41条第1項第6号の規定により、関門航路を航行する船舶と第2航路等を航行する船舶とが出会うおそれのある場合は、第2航路等を航行する船舶は、関門航路を航行する船舶の進路を避けなければないことが定められていた。
05時01分半A受審人は、六連島灯台から033度1,720メートルの地点で関門航路に入り、小刻みに右転しながら同航路を南下し、同時04分同灯台から062度1,100メートルの地点で、船首が200度を向いたとき、右舷船首15度3,860メートルのところにフェン クアンの白、白、緑3灯を初めて視認したほか、同船の前方にも同様の灯火を視認し、いずれも自船の船首方を右方に通過して関門第2航路(以下「第2航路」という。)を西行しており、その他には航路内に他船を認めなかったので、同時04分半台場鼻灯台から007度3,470メートルの地点において、針路を205度に定め、15.0ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で、左舷船首方にあたる台場鼻沖に注意を払いながら、同航路の右側端をこれに沿って進行した。
05時05分A受審人は、台場鼻灯台から006度3,280メートルの地点に差し掛かったとき、右舷船首7度3,330メートルのところのフェン クアンが右回頭を始めたが、関門航路から第2航路に入って西行する同船が、右転して関門航路に戻るとは思い及ばず、その後も台場鼻沖に注意を払いながら続航した。
05時08分A受審人は、台場鼻灯台から353度1,940メートルの地点に達したとき、右舷船首15度1,100メートルにフェン クアンの白、白、紅3灯を視認し、同船が関門航路第4号灯浮標(以下、関門航路各号灯浮標の名称については「関門航路」を省略する。)南側至近の第2航路から関門航路に入る態勢であることを認めたので、直ちに同船に避航を促すため、J船長に対して汽笛信号を行うよう依頼し、一方、J船長は、A受審人とほぼ同時にフェン クアンの白、白、紅3灯を視認し、汽笛で長音1回を吹鳴して注意喚起信号を行い、同船の動静監視を行いながら進行した。
A受審人は、第2航路を航行するフェン クアンが関門航路を航行する自船の進路を避けるものと思って、その動静を注視していたところ、同船が自船に向けて針路を転じ、避航の気配を示さないまま関門航路に入り、同航路をほぼ直角に横断を始め、衝突の危険を生じさせたのを認めたので、05時09分台場鼻灯台から343度1,530メートルの地点で、フェン クアンが右舷前方550メートルのところに迫ったとき、転舵して衝突を避けようとしたものの、右舷側には第4号灯浮標及び航路外に浅所が存在して右転できないため、航路内の西側部分を同船の避航水域として空けるために、原速力のまま左舵一杯をとった。
こうして、A受審人は、左回頭を始めたが、その後もフェン クアンが同じ針路のまま自船に向けて急速に接近し、05時10分台場鼻灯台から330度1,050メートルの地点において、シャアメンは、船首が180度を向いたとき、原速力のまま、その右舷中央部にフェン クアンの船首が後方から70度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力1の東風が吹き、潮候は上げ潮の初期で、関門海峡では東流の末期に当たり、衝突地点付近では潮流がほとんどなく、視界は良好であった。
また、フェン クアンは、専ら中華人民共和国、本邦及び大韓民国との間において雑貨の輸送に従事する船尾船橋型の貨物船で、船長Lほか8人(いずれも中華人民共和国籍)が乗り組み、鉄くず1,770トンを積載し、船首4.30メートル船尾4.80メートルの喫水をもって、同月25日17時00分千葉県木更津港を発し、関門海峡経由で中華人民共和国連雲港に向かった。
L船長は、自らが8時から12時までの船橋当直に就き、0時から4時までを三等航海士、及び4時から8時までを一等航海士として4時間交替の3直制を採り、各直に操舵手1人を付け、関門海峡などの狭い水道においては自らが操船を指揮していた。
同月28日00時00分船橋当直に就いた三等航海士は、操舵手を手動操舵に就け、法定の灯火を表示し、周防灘を西行して下関南東水道に至り、02時50分HSライン(海上交通センターが下関南東水道第3号灯浮標付近に設定した位置通報ライン)を通過したとき、同センターにVHF無線電話で位置通報を行い、同水道を関門海峡東口に向けて北上した。
L船長は、HSラインを通過して間もなく昇橋し、三等航海士と交替して船橋左舷側のレーダーのところで操船の指揮を執り、同航海士を手動操舵に、操舵手を見張りにそれぞれ就け、2台のレーダーをそれぞれ3海里と6海里レンジとして使用し、機関を回転数毎分200の港内全速力前進にかけ、針路を適宜として部埼沖から中央水道を西行して、03時40分ごろ関門航路東口に入った。
L船長は、東流約3ノットの早鞆瀬戸を潮流に抗して西行し、04時00分ごろ関門橋を通過して大瀬戸に向かい、同時45分下関福浦防波堤灯台から173度1,070メートルの地点において、第15号灯浮標に並航したところで、針路を321度に定め、間もなく一等航海士及び操舵手が前直者と交替して船橋当直に就いたので、同航海士を船橋右舷側で見張りに、同操舵手を手動操舵にそれぞれ就け、9.4ノットの速力で、関門航路の北側境界線から約300メートル内側をこれに沿って進行した。
L船長は、関門航路の右側を台場鼻沖に向けて西行し、04時55分第9号灯浮標付近で、自船の右舷側を追い越す態勢の船舶(以下「追越し船」という。)を認め、台場鼻灯台に並航したところで右転して関門航路を北上するつもりでいたところ、05時00分台場鼻灯台から214度800メートルの地点に差し掛かったとき、追越し船が右舷正横約150メートルのところとなり、同時01分同灯台に並航して転針予定地点に達したものの、同船が第2航路に向けて直進したので、自船が右転することができず、そのまま関門航路を西行しながら同船が船首方を替わるのを待った。
05時04分L船長は、台場鼻灯台から281度1,190メートルの地点を通過して関門航路から第2航路に入り、追越し船が船首方を替わった後に右転して関門航路に戻るつもりで六連島東方の同航路の状況を確認したところ、右舷正横少し前にシャアメンの白、白、紅3灯を初めて視認し、直後に白、白、緑、紅4灯から白、白、緑3灯に変わったのを認め、その灯火の高さからして、同船が関門航路の右側を南下中の大型船であることを知り、さらに、右舷前方に第4号灯浮標の赤色灯光を視認し、自船が第2航路に入ったことを知った。
ところで、L船長は、これまで昼夜を問わず何度となく関門海峡を通過しており、同海峡を西行するときには、関門航路を航行して六連島東方を北上し、東行するときには、六連島西水路を南下して第2航路及び関門航路を航行していたので、各航路の水路事情はもとより、関門航路を航行する船舶と第2航路を航行する船舶との間における特定航法についても承知していた。
05時05分L船長は、台場鼻灯台から289度1,430メートルの地点において、3海里レンジとしたレーダーで右舷船首71度3,330メートルにシャアメンの映像を探知し、そのころ、追越し船が船首方約300メートルに替わったので、右舵20度をとって右転を始めた。
05時06分L船長は、台場鼻灯台から299度1,520メートルの地点で、船首が010度を向いたとき、右舷船首26度2,570メートルのところにシャアメンの白、白、緑3灯を認めたものの、自船が右転を続けても、シャアメンの速力が推測約12ノットであることからして、シャアメンの前路を横切って関門航路の右側に戻ることができると考え、その後も右舵を適宜とりながら右回頭を続け、同時07分同灯台から310度1,520メートルの地点に差し掛かり、第4号灯浮標の南西方約270メートルのところで船首が030度を向いたとき、シャアメンが右舷船首9度1,780メートルのところとなり、フェン クアンがそのまま関門航路に入ると、同航路内でシャアメンと出会い、著しく接近する状況となった。
ところが、L船長は、窓越しにシャアメンを目視するだけで、レーダーを有効に活用するなどして動静監視を十分に行っていなかったので、同船が15.0ノットの速力で南下しており、同船が思いのほか接近していることに気付かず、速やかに航路を横断しさえすれば、同船の船首方を何とか通過することができるものと軽く考え、第2航路内でシャアメンの通過を待つなどして同船の進路を避けることなく、自船の存在を示すため、持運び式信号灯で急速に数回の発光信号を行っただけで、右舵一杯をとって更に右転を続けた。
05時08分L船長は、台場鼻灯台から318度1,440メートルの、第4号灯浮標の南方約100メートルの地点において、針路を関門航路に対してほぼ直角に向く110度に転じたところ、左舷船首70度1,080メートルを南下中のシャアメンに対し、衝突の危険を生じさせたが、動静監視を十分に行っていなかったので、このことに気付かず、そのころ、シャアメンが行った汽笛による長音1回の注意喚起信号を聞いたものの、直ちに行きあしを止めるなどして同船の進路を避けることなく、同時08分少し過ぎ同灯台から320度1,390メートルの地点で関門航路に入った。
こうして、L船長は、関門航路をほぼ直角に進行してシャアメンに向け急速に接近し、05時09分台場鼻灯台から324度1,250メートルの地点に達したとき、左舷前方550メートルに迫ったシャアメンが左転し始めたことを認めて続航中、同時09分半ようやく衝突の危険を感じて機関を停止したが、効なく、フェン クアンは、原針路のまま、約7ノットの残存速力で、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、シャアメンは、右舷中央部に破口を生じ、フェン クアンは、船首部を大破したが、のちいずれも修理された。
(原因)
本件衝突は、夜間、山口県六連島南東方の関門港関門航路において、関門航路から関門第2航路に入ったフェン クアンが、右転して関門第2航路から関門航路に入る際、動静監視不十分で、関門航路を南下するシーエスシーエル
シャアメンの進路を避けずに、同船に向けて針路を転じたことによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。