(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成14年7月8日07時10分
伊良湖水道南方沖合
2 船舶の要目
船種船名 |
油送船第七グリーン丸 |
貨物船ユアン ダNO.6 |
総トン数 |
699トン |
1,454トン |
全長 |
68.82メートル |
71.96メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
1,176キロワット |
882キロワット |
3 事実の経過
第七グリーン丸(以下「グリーン丸」という。)は、可変ピッチプロペラを備えた船尾船橋型のアスファルトタンク船で、船長O、A受審人ほか5人が乗り組み、アスファルト960トンを積載し、船首3.7メートル船尾4.7メートルの喫水をもって、平成14年7月7日12時00分大阪港堺泉北区を発し、名古屋港へ向かった。
ところで、O船長は、船橋当直を単独の4時間交代3直制として00時から04時及び12時から16時を二等航海士に、04時から08時及び16時から20時を一等航海士に、08時から12時及び20時から00時を自らがそれぞれ行うこととし、狭水道通過時、狭視界時、出入港時のほか、船橋当直者から要請のあった場合は、自ら昇橋して操船の指揮をとり、また、視程2海里以下になったら船長に報告することなどを記載した「船橋当直心得」を船橋に掲示するとともに、航海計画書にもその旨を記載し、船長の指示事項を同当直者に周知するようにしていた。
翌8日04時00分A受審人は、三重県大王埼南西方沖合で昇橋し、法定灯火の表示を確認したのち、前直の二等航海士から視程が2.5ないし3.0海里であることなどを引き継いで、単独の船橋当直に就いた。
06時00分A受審人は、大王埼灯台を3海里に並航し、伊良湖(いらご)水道に向けたところ、間もなく霧が濃くなって視程が1.0海里以下に狭められたのを認めたが、O船長に報告せず、また霧中信号を行うことも、安全な速力に減じることもなく、相対方位指示とした自動衝突予防援助装置(以下「アルパ」という。)付レーダーによる見張りを行いながら航行した。
06時55分A受審人は、鎧埼(よろいさき)灯台から090度(真方位、以下同じ。)3.2海里の地点に達したとき、レーダーにより船首両舷30度0.8ないし1.0海里付近に数隻ずつの漁船群の映像を認めたので、針路を漁船群の中間に向く013度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、10.2ノットの対地速力(以下「速力」という。)で、レーダーレンジを1.5海里として漁船群の動静を監視しながら進行した。
07時04分A受審人は、鎧埼灯台から067度3.8海里の地点に至り、右舷船首11度2.0海里のところにユアン ダNO.6(以下「ユ号」という。)のレーダー映像を認め得る状況となり、その後同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、周囲の漁船群のレーダー監視に気を奪われ、レーダーレンジを適宜切り替えるなどして、レーダーによる見張りを十分に行わなかったので、この状況に気付かず、針路を保つことができる最小限度の速力に減じることも、必要に応じて行きあしを止めることもなく続航した。
07時05分A受審人は、鎧埼灯台から065度3.9海里の地点に至り、漁船群を航過したことから、針路を016度に転じたとき、同群から出てきた1隻の漁船をようやく視認したことで、視程が900メートル以下に狭められたのを認めたが、同じ速力のまま進行し、その後GPSプロッタに表示された船位を海図に記入する作業を始めた。
07時07分半A受審人は、鎧埼灯台から060.5度4.2海里の地点に至ったとき、船位の記入作業を終えて、ふと1.5海里レンジのままのレーダーを見たところ、右舷船首10度0.8海里にユ号の映像を初めて認め、手動操舵に切り替えたものの、アルパで同映像を捕捉してユ号の針路などを表示させる暇もなく、右舷船首方の映像がそのまま自船の右舷側を航過するものと判断し、同時08分少し過ぎ鎧埼灯台から059度4.4海里の地点で、航過距離を拡げるつもりで左舵10度をとり、さらに視程が狭まる中、レーダーから離れ、右舷船首方に見えてくるはずのユ号を探しながら続航した。
07時10分少し前A受審人は、ユ号の船影を右舷船首方140メートルに認め、直ちに左舵一杯としたが及ばず、同時10分グリーン丸は、鎧埼灯台から056度4.5海里の地点において、331度を向首したとき、原速力のまま、その右舷中央部に、ユ号の船首が前方から79度の角度で衝突した。
当時、天候は霧で風力2の南風が吹き、視程は約140メートルであった。
また、ユ号は、船尾船橋型の貨物船で、船長Dほか8人が乗り組み、鋼パイプ1,857トンを積載し、船首4.5メートル船尾5.4メートルの喫水をもって、同月8日04時45分愛知県衣浦(きぬうら)港を発し、中華人民共和国天津(てんしん)港に向かった。
ところで、D船長は、船橋当直を4時間交代3直制とし、00時から04時及び12時から16時を二等航海士に、04時から08時及び16時から20時を一等航海士に、08時から12時及び20時から00時を自らが行うこととして各直に甲板員1人を配し、狭水道通過時、狭視界時、出入港時には、自ら昇橋して操船の指揮をとることとしていた。
D船長は、出港して間もなく霧のため視界制限状態となったことから、出港時に引き続き自ら操船指揮をとって、甲板員を手動操舵に、機関当直中の一等機関士を昇橋させて主機の遠隔操作にそれぞれ当たらせ、一等航海士に補佐をさせて法定の灯火を表示し、自動吹鳴装置により霧中信号を開始したが、安全な速力に減じて航行することなく、師崎(もろさき)水道を通過し、その後視程が200メートル以下に狭められた伊良湖水道航路を南下した。
D船長は、伊勢湾第2号灯浮標を左舷至近に並航して間もなく、06時39分鎧埼灯台から036度8.9海里の地点に達したとき、針路を191度に定め、機関を港内全速力前進にかけ、9.7ノットの速力で手動操舵により進行した。
07時01分D船長は、鎧埼灯台から051度5.9海里の地点に至り、レーダーにより船首方1.0海里に漁船群の映像を認めたので、漁船群を避けるため針路を210度に転じ、レーダーレンジを3海里から1.5海里に切り替えて、漁船群の動静を監視しながら続航した。
07時04分D船長は、鎧埼灯台から052.5度5.4海里の地点に至り、左舷船首6度2.0海里のところにグリーン丸のレーダー映像を認め得る状況となり、その後同船と著しく接近することを避けることができない状況となったが、周囲の漁船群のレーダー監視に気を奪われ、レーダーレンジを適宜切り替えるなどして、レーダーによる見張りを十分に行わなかったので、この状況に気付かず、針路を保つことができる最小限度の速力に減ずることも、必要に応じて行きあしを止めることもなく進行した。
07時06分半D船長は、鎧埼灯台から054.5度5.1海里の地点に至ったとき、左舷船首5度1.1海里に、点在する漁船群の中にグリーン丸の映像を初めて認め、同時07分半同映像を左舷船首4度0.8海里に認めるようになったとき、航過距離を拡げるつもりで小舵角による右転を開始した。
D船長は、レーダーの後方に立って左舷船首方に見えてくるはずのグリーン丸を探すうち、07時10分少し前同船の船影を左舷船首方140メートルに認め、直ちに右舵一杯、機関を半速力後進としたが及ばず、ユ号は、230度を向首したとき、原速力のまま前示のとおり衝突した。
衝突の結果、グリーン丸は、右舷中央部外板に破口を、及び同部ハンドレール等に曲損をそれぞれ生じ、ユ号は、球状船首部に破口を、及び左舷船首部外板に凹損をそれぞれ生じたが、のちいずれも修理された。
(原因)
本件衝突は、霧のため視界が著しく制限された伊良湖水道南方沖合において、北上するグリーン丸が、霧中信号を行わなかったばかりか、安全な速力に減じて航行せず、レーダーによる見張りが不十分で、ユ号と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったことと、南下するユ号が、安全な速力に減じて航行せず、レーダーによる見張りが不十分で、グリーン丸と著しく接近することを避けることができない状況となった際、針路を保つことができる最小限度の速力に減じず、必要に応じて行きあしを止めなかったこととによって発生したものである。
(受審人の所為)
A受審人は、霧のため視界が著しく制限された伊良湖水道南方沖合を北上する場合、南下するユ号を見落とすことのないよう、レーダーレンジを適宜切り替えるなどして、レーダーによる見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、周囲の漁船群の監視に気を奪われ、レーダーによる見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、ユ号と著しく接近することを避けることができない状況となったことに気付かず、針路を保つことができる最小限度の速力に減ずることも、必要に応じて行きあしを止めることもなく進行してユ号との衝突を招き、自船の右舷側中央部外板に破口などを、ユ号の球状船首部に破口などをそれぞれ生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。