(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
衝突:平成12年11月24日03時45分
爆発:平成12年11月24日07時45分
岩手県釜石港東方沖合
2 船舶の要目
船種船名 |
油送船大盛丸 |
漁船第三十五進洋丸 |
総トン数 |
2,997トン |
173トン |
全長 |
104.98メートル |
39.82メートル |
幅 |
15.50メートル |
6.80メートル |
深さ |
7.70メートル |
2.85メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
2,942キロワット |
698キロワット |
3 事実の経過
(1) 大盛丸
平成7年7月に進水した、カーゴオイルタンク10タンクを有する船尾船橋型鋼製タンカーで、主としてガソリン等の白油を運搬していた。
(2) 大盛丸積荷状況
各タンク別積荷容量(15℃換算)は、以下のとおりである。
以 下 余 白
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(単位は、キロリットルである。)
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(3) 大盛丸船橋当直体制
A受審人は、0-4直次席一等航海士及び操舵手、4-8直B受審人及び三等航海士、8-0直A受審人及び二等航海士の2人3直体制としていたが、通常30分前には交替するのが慣習となっていた。
(4) 大盛丸積荷流出量
No.2COT(S)とNo.3COT(S)から合計758キロリットルのレギュラーガソリンが流出した。
(5) 第三十五進洋丸
昭和60年5月に進水した鋼製秋刀魚(さんま)棒受網漁船で、平成12年2月球状船首を1.5メートル延長する改造工事を行った。
改造後フォアピークタンク内の防錆の目的で燃料油のA重油をほぼ満載し、その後、空倉とされたが、A重油が内壁に付着し、底部に残留していた。
(6) 第三十五進洋丸船橋当直体制
C受審人は、甲板員2人による2時間当直の輪番制としていたが、当直責任者を明確にしていなかった。
(7) 第三十五進洋丸甲板長倉庫
フォアピークタンク直上にあり、床面に長径56センチメートル短径46センチメートルの楕円形のフォアピークタンクマンホールが、長径を船横方向にして設置されていた。平素はボルト締めの鋼製カバーで密閉されていた。船尾左舷側に高さ1.0メートル、幅0.6メートルの出入口があり、外開きの鋼製扉が設置され、衝突後、漁具類を搬出するとき開放された。
(8) 第三十五進洋丸甲板長倉庫内照明
天井灯4個、移動灯1個が設置されていた。これらは衝突後最初の入庫時に点灯された後、爆発時まで点消灯されたことはない。
(9) 第三十五進洋丸甲板長倉庫内電動機等
漁労用油圧ポンプモーターなどの電気機器は、漁労終了後全て電源が切られていた。また、自動発停する機器類もなかった。
(10) 第三十五進洋丸機関長、その他乗組員の服装
機関長は、木綿系の下着、化繊系ジャージ、ゴム系長靴を身につけていた。また、その他の乗組員もほぼ同じ服装であった。
(11) 第三十五進洋丸爆発時の負傷者位置
機関長は甲板長倉庫内マンホールのそば、通信長は甲板長倉庫出入口付近外側上甲板、機関員、甲板長及び一等機関士は上甲板前部に位置していた。
(12) 衝突に至る経緯
大盛丸は、A及びB両受審人ほか7人が乗り組み、ガソリン4,912キロリットル(15℃換算)を積載し、船首5.0メートル船尾6.6メートルの喫水をもって、平成12年11月23日20時45分塩釜港仙台区を発し、北海道石狩湾港に向かった。
A受審人は、出港操船に引き続いて当直に当たり、航行中の動力船が掲げる法定灯火を点灯し、停泊中に点灯していた危険物船舶運送及び貯蔵規則に定める後部マストトップの赤灯を消し忘れたまま航行を続け、23時15分金華山灯台から109度(真方位、以下同じ。)3.8海里の地点で、針路を018度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、13.8ノット(対地速力、以下同じ。)で進行した。
23時30分A受審人は、当直を次席一等航海士に引き継ぐ際、小型漁船及び船舶の交通量が多く、針路が複雑に交差するから見張りを厳重に行うように指示するとともに夜間命令簿に記入したが、この旨を順次次直者に申し送って徹底するよう指示しないまま、降橋して休息した。
B受審人は、翌24日03時30分陸中尾埼灯台から119度4.4海里の地点で、三等航海士とともに当直につき、前直の次席一等航海士から針路018度、右舷船首方に集魚灯を点灯した漁船数隻及び反航船がいる旨の引継ぎを受け、自身も、6マイルレンジにしたレーダーで右舷船首20度から30度、5海里から6海里の間に4、5隻の漁船群と右舷船首約10度3海里に反航船の映像を認めた。
B受審人は、反航船の速力が自船と同じくらいと判断し、そのまま右舷対右舷で航過すべく018度の針路、13.8ノットの速力のまま進行し、03時34分レーダーで第三十五進洋丸(以下「進洋丸」という。)の映像を右舷船首3度5.0海里に認めるとともに、同方向に紅灯1個を視認し、漂泊中あるいは微速航行中の漁船と即断してその後はあまり同船に対して注意を払わなかった。
B受審人は、03時35分陸中尾埼灯台から104度4.4海里の地点で、右舷前方の漁船群及び約0.8海里に接近した反航船との航過距離を広げようと三等航海士に舵を取らせて013度に転針したとき、右舷船首8度4.5海里に進洋丸が位置していたが、同船には注意を払わないまま進行し、同時37分頃反航船と航過した後も同針路で続航した。
B受審人は、03時40分半陸中尾埼灯台から088度4.5海里の地点に達したとき、右舷船首9度2.0海里に進洋丸のマスト灯(白灯)及び舷灯(紅灯)を視認でき、間もなく同船が前路を左方に横切り衝突のおそれがある態勢で接近することを認めることができる状況となったが、右舷船首40度3海里ほどになった漁船群に注意を払っていて進洋丸の動静を監視していなかったので、この状況に気付かなかった。
03時43分B受審人は、進洋丸の方位が変わらず1.0海里に接近したが、依然としてこの状況に気付かず、右転するなど同船の進路を避けることなく進行した。
B受審人は、03時44分半わずか過ぎ右舷前方至近に迫った進洋丸を認め、汽笛を2、3回鳴らすとともにサーチライトを照射し、三等航海士に左舵一杯を令したが、効なく、03時45分陸中尾埼灯台から076度4.9海里の地点において、進洋丸の船首部が、340度を向首した大盛丸の右舷前部に前方から70度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力3の南西風が吹き、視界は良好であった。
また、進洋丸は、C受審人、D及びE両指定海難関係人ほか14人が乗り組み、秋刀魚棒受網漁の目的で、船首2.2メートル船尾3.5メートルの喫水をもって、同月22日06時00分宮城県女川港を発し、岩手県宮古湾東方約15海里沖合の漁場に向かった。
進洋丸は、15時00分漁場に至り、漁労長の指揮のもと操業に従事し、翌23日夜中までに秋刀魚55トンを漁獲し、24日01時55分閉伊埼灯台から094度13.7海里の地点を発して帰途についた。
発進時、漁労長は航行中の動力船が掲げる法定灯火を点灯し、針路を207度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけて13.6ノットの速力で進行し、02時00分当直をC受審人に引き継いだ。
C受審人は、同針路、同速力で進行し、02時30分◇ヶ埼灯台から110度8.0海里の地点で、当直をD、E両指定海難関係人に任せたが、何かあったら自分か漁労長に知らせるようにと言っただけで、他船と接近するときには報告するよう指示することなく降橋して休息した。
D、E両指定海難関係人は、前半の1時間を主としてE指定海難関係人が見張り役を行い、後半の1時間をD指定海難関係人が行うこととしたが、どちらが当直責任者であるか明確にされていなかったので、互いに相手に依存する気持ちを持ったまま当直を続けた。
D指定海難関係人は、03時30分陸中尾埼灯台から057度7.6海里の地点で見張り役につき、同時32分12マイルレンジにしたレーダーで左舷船首6度6.0海里に大盛丸の映像を認め、間もなく同船のマスト灯(白灯)、その近くに赤灯1個を初認し、更に左舷沖側にも数隻の漁船群を認めた。
一方、E指定海難関係人は、操舵室左舷前部の椅子に腰掛け、前方を見ていたところ、D指定海難関係人からそれらの船舶の存在を知らされた。
D指定海難関係人は、レーダーを6マイルレンジに切り替え、大盛丸の映像の接近模様から反航船であることを知ったが、同船が消し忘れたマスト灯付近の赤灯を認めたことから、同灯を左舷舷灯と誤認し、左舷対左舷で無難に航過するものと思い込み、その後大盛丸に対してさほど注意を払うことなく進行した。
03時38分D、E両指定海難関係人は、大盛丸の方位が変わらず、距離が3.0海里となったが、同船と接近することを船長に報告しなかった。
D指定海難関係人は、03時40分半陸中尾埼灯台から069度5.7海里の地点に達したとき、大盛丸との距離が2.0海里になったのをレーダーで認めたが、同船が見せている白、白、緑灯を確かめないまま航過距離を広げようと、自動操舵のまま5度右転して212度に転針したものの、依然としてこの旨を船長に報告せず、また、E指定海難関係人も報告しようとしなかった。
転針したときD指定海難関係人は、大盛丸を左舷船首10度に見るようになり、間もなく同船が前路を右方に横切り衝突のおそれがある態勢で接近する状況となったが、左舷対左舷で航過するものと思い込み、同船の動静を監視していなかったので、この状況に気付かないまま進行した。
進洋丸は、船長の昇橋がないまま進行し、03時43分大盛丸の方位が変わらず1.0海里に接近したが、警告信号がなされず、その後大きく右転したり、機関を停止するなどの衝突を避けるための協力動作がとられないまま続航した。
03時45分少し前D指定海難関係人は、左舷船首至近に迫った大盛丸を認め、右舵一杯としたが、効なく、船首が230度を向いたとき、前示のとおり衝突した。
C受審人は、衝撃で衝突に気付き、漁労長とともに昇橋して事後の措置に当たった。
衝突の結果、大盛丸は右舷前部のNo.2COT(S)付近水線下外板に大破口を生じてガソリンが流出したほか、右舷後部外板を凹損し、進洋丸は球状船首左舷側水線下に大破口を生じたほか、左舷後部ブルワークを曲損し、同所のネットローラー及び集魚灯を破損した。
(13) 爆発に至る経緯
衝突時、進洋丸の球状船首部が、大盛丸のNo.2COT(S)後部外板を貫通し、進洋丸は右転中、大盛丸は左転中であったため両船の船尾部が急速に接近するとともに、貫通部が離れ船尾部同士が更に衝突した。
進洋丸が衝突直後クラッチを中立としたので、大盛丸の船尾部が進洋丸の左舷側を擦りながら船首方向に離れていった。
この間に、大盛丸から流出したガソリンが進洋丸の球状船首部破口からフォアピークタンクに海水とともに流入した。
進洋丸船長及び漁労長は、操舵室に急行して相手船が左舷船首方に離れていくのを認め、漁労長がVHF無線で同船を呼ぶとともに、海上保安部、会社に衝突したことを連絡し、また、操舵室、甲板上に集まった全乗組員の無事を確かめたうえ、損傷状況の点検を指示した。このころほとんどの乗組員は、周囲にかなり強いガソリン臭を感じた。
船長、機関長及び他の乗組員は損傷を点検していたが、左舷側の集魚灯等の損傷を認めることが出来ただけで、日出の06時25分まで2時間半ほどあって周囲は暗く、いまだガソリン臭もあったことから作業灯を舷外に降ろすことも躊躇われ(ためらわれ)、この時点では水面下の破口は発見できないでいた。
04時15分頃巡視艇が到着し、その後大盛丸のガソリンが流出しているので、周囲の船舶に対し同船から2海里離れるようにとの指示があった。
漁労長は、この旨を全乗組員に周知するとともに火気厳禁、喫煙禁止を指示し、自身が操船して東方に移動し、大盛丸から2海里ほど離れて漂泊した。
06時30分頃進洋丸では、巡視艇よりフォアピークタンクから油が出ている旨の連絡を受け、漁労長、船長、機関長その他の乗組員は点検の結果、初めて水面下の球状船首部に破口のあることを発見し、油の漏出も認めた。
このとき、漁労長、船長及び機関長はフォアピークタンクに以前燃料油のA重油を入れたことを知っていたので、同タンク内に残留していたA重油が漏出しているものと考えた。
このころ周囲にガソリン臭を感じた乗組員はいなかった。従って、乗組員の誰一人大盛丸の積荷がフォアピークタンクに流入していることなど想像すらできなかった。
漁労長は、巡視艇から油が漏出したままでは入港できない旨を告げられ、全速力で航走してフォアピークタンクを洗浄することを思い立ち、南北に航走しては停止して点検したが漏出は止まらなかった。
機関長は、漏出がなかなか止まらないのでフォアピークタンクに中和剤を投入することとし、07時00分頃フォクスルデッキのフォアピークタンク給油口から中和剤を投入し始め、1.8リットル缶1缶と、2缶目の3分の2程度を入れたとき、操舵室の漁労長からそれでは効果がないかもしれないと言われ、投入を中止した。この間、進洋丸は漂泊を続けた。
漁労長と機関長は相談のうえ、甲板長倉庫内床にあるフォアピークタンクマンホールを開放してそこからタンク内の状況を見ることとし、乗組員に同倉庫内のロープ、漁具類を搬出するよう指示した。
07時10分頃船長以下の乗組員は、搬出作業を開始し、何回か甲板長倉庫に出入りしたが、この間にも同倉庫内に誰もガソリン臭を感じず、同作業は07時25分頃終了した。
漁労長は、マンホールを開ける旨を巡視艇に連絡し、07時30分少し前巡視艇から了解の応答を受け、機関長にマンホール開放を指示した。
07時30分機関長は、機関員とともにスパナ、インパクトレンチ等を使ってマンホールカバーのボルトを外し始め、様子を見に来た甲板長、一等機関士が見守る中、同時40分全ボルトを外し終えてカバーを開け、マンホールの船尾側に置いた。カバーを開けるとともに、その場の4人は、初めて中和剤と油が混ざったような異様な臭気を感じた。
フォアピークタンク内の液面は、マンホールの下約30センチメートルまで来ており、上層部に滞留していたガソリンの気化ガスが甲板長倉庫に侵入した。
機関長は、マンホールの船首側に後方を向いて座り、油分がA重油であるものと思い込んだまま、液面表面に手を入れ、点検したところ油分が思ったより多いので、他の3人と話しながらその処理に思案を巡らせた。
07時43分機関長は、油分をポンプで汲み上げて1番魚倉に移送することを思いつき、この旨を他の3人に説明して前部デッキにあるポータブルポンプを準備するよう指示した。07時44分一等機関士、甲板長、機関員の3人は甲板長倉庫を出てポンプの準備にかかった。
機関長は、マンホールの船首側で座った状態で移送の段取りを考えた後、自分もポンプの準備作業をしようと立ち上がった瞬間、マンホールの中に赤い火花のようなものを目にし、07時45分爆発のショックを感じた。
爆発は一瞬で終わったが、火炎は甲板長倉庫出入口、通風口から噴出し、甲板長倉庫にいた機関長が顔面及び四肢に最重度の、たまたま作業状況を見に来て出入口付近にいた通信長が顔面以外の全身に重度の、前部上甲板でポンプの準備をしていた機関員が顔面及び両上肢に中度の、甲板長が顔面に中度の、一等機関士が顔面及び左前腕に軽度の熱傷をそれぞれ負った。
また、甲板長倉庫内壁、機器類表面に軽度の焼損を生じた。
(原因)
本件衝突は、夜間、岩手県釜石港東方沖合において、両船が互いに進路を横切り衝突のおそれがある態勢で接近中、北上する大盛丸が、動静監視不十分で、前路を左方に横切る進洋丸の進路を避けなかったことによって発生したが、南下する進洋丸が、動静監視不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
大盛丸の運航が適切でなかったのは、船長が、各当直航海士に対し、見張り及び他船の動静監視を十分に行うよう指示を徹底しなかったことと、当直航海士が、見張り及び他船の動静監視を十分に行わなかったこととによるものである。
進洋丸の運航が適切でなかったのは、船長が、無資格の船橋当直者に対し、接近する他船を認めたときには必ず報告するよう十分に指示しなかったことと、船橋当直者が、接近する他船の存在を船長に報告しなかったこととによるものである。
なお、進洋丸の甲板長倉庫における爆発については、