(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成14年3月31日02時55分
隠岐諸島島後南東方沖合
2 船舶の要目
船種船名 |
漁船第三更賜丸 |
貨物船アイ ガー |
総トン数 |
78トン |
2,847トン |
全長 |
34.20メートル |
96.47メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
661キロワット |
1,912キロワット |
3 事実の経過
第三更賜丸(以下「更賜丸」という。)は、沖合底びき網漁業に従事する鋼製漁船で、A受審人及びB指定海難関係人ほか6人が乗り組み、操業の目的で、船首1.22メートル船尾3.58メートルの喫水をもって、平成14年3月30日23時40分鳥取県境港を発し、隠岐諸島島後東方沖合10海里の漁場に向かった。
ところで、更賜丸は、操業のほか、出航から入航までの往復航海の操船や船橋当直の割り振りなど運航関係についても、B指定海難関係人の指揮のもとに運航されていた。それで、A受審人は、船長として雇い入れされて乗り組み、運航の責任を負う立場にありながら、航海中に居眠り運航とならないよう、船橋当直者に対して眠気を感じたら必ず船長に知らせるよう居眠り運航の防止措置について指示することなく、B指定海難関係人に任せっきりにし、自らは専ら機関の運転や機関当直にあたっていた。
B指定海難関係人は、同日02時半ごろ境港に操業を終えて帰航し、一旦自宅に戻ったのち、その夜半前再び出漁したもので、長年の経験からこのような操業形態には慣れていて、特に疲れなど感じていなかった。そして、いつものように出航操船に就き、航行中の動力船の灯火を表示し、翌31日00時過ぎ地蔵埼を航過したあたりで甲板員に船橋当直を引き継いだのち、同人に対して漁場まで1時間半ばかりとなったら知らせるようにと告げて操舵室後部の寝台で休息した。
02時00分B指定海難関係人は、西郷岬灯台から159度(真方位、以下同じ。)20.8海里の地点で、船橋当直中の甲板員に起こされて当直を替わり、針路を011度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、10.0ノットの対地速力で進行した。
B指定海難関係人は、潮流計及び魚群探知器の準備を5分ほどで終えたのち、海上平穏で視界も良く周囲に他船を認めなかったうえ、短時間の睡眠しかとれていなかったこともあって、立ったままGPSプロッタの上で両腕を組みそこに頭を乗せて楽な姿勢でいたところ、眠気を感じるようになったが、その旨を船長に報告しないでいるうち、いつしか居眠りに陥った。
02時45分半少し前B指定海難関係人は、西郷岬灯台から144度15.0海里の地点に達したとき、右舷船首33度3.0海里のところに、アイ ガーの白、白、紅3灯を視認することができ、同時49分半少し過ぎ同灯台から142度14.5海里の地点に至ったとき、同船を右舷船首36度1.6海里に認めることができる状況で、その後、その方位がほとんど変わらず、アイ ガーが前路を左方に横切り衝突のおそれがある態勢で接近したが、居眠りしていたのでその存在と接近に気付かず、アイ ガーの進路を避けることができないまま続航した。
こうして、更賜丸は、居眠り運航中、02時55分西郷岬灯台から139度14.0海里の地点において、原針路、原速力のまま、その船首が、アイ ガーの左舷中央部に直角に衝突した。
当時、天候は曇で風力2の南風が吹き、視界は良好であった。
B指定海難関係人は、衝突の衝撃で目覚め、船首方にアイ ガーの船橋を視認して急ぎ機関を中立にした。
一方、A受審人は、機関室にある休憩室で寝ていたところ衝撃を感じ、側に設置されたGPSプロッタを見て周囲に島や陸岸の表示がなかったので、他船と衝突したものと推察して直ちに昇橋し、事後の措置にあたり、04時00分ごろ救命艇及び救命筏に分乗して漂流中のアイ ガー乗組員全員を救助した。
また、アイ ガーは、船尾船橋型貨物船で、船長C及び二等航海士Oほか中国人船員16人が乗り組み、スクラップ2,858トンを積載し、船首4.06メートル船尾4.50メートルの喫水をもって、同月29日16時30分秋田県秋田船川港を発し、中華人民共和国鎮江港に向かった。
C船長は、船橋当直を航海士に操舵手1人を付けた4時間交替の3直制としており、翌々31日00時00分O二等航海士は、前直者と交替して操舵手とともに当直に就き、航行中の動力船の灯火を表示して山陰沖合を西行し、02時半ごろ西郷岬灯台から126度16海里ばかりの地点に至ったとき、レーダーにより左舷前方6海里に更賜丸の映像を初めて探知し、同時45分半少し前同灯台から132度14.8海里の地点で、針路を246度に定め、機関を全速力前進にかけ、11.5ノットの対地速力で手動操舵により進行した。
定針したとき、O二等航海士は、左舷船首22度3.0海里のところに、更賜丸の白、緑2灯を視認し、動静を監視するうち、その方位に明らかな変化が認められず、02時49分半少し過ぎ西郷岬灯台から135度14.5海里の地点に達したとき、10度右転して針路を256度に転じたところ、同船を左舷船首29度1.6海里に見るようになり、その後、その方位がほとんど変わらず、更賜丸が前路を右方に横切り衝突のおそれがある態勢で接近したが、同船の方でいずれ自船を避けることを期待して、警告信号を行わず、やがて同船が間近に接近したとき、大きく右転するなど衝突を避けるための協力動作をとることなく続航した。
02時54分半少し過ぎO二等航海士は、更賜丸が自船を避航する気配がないまま200メートルに迫ったとき、操舵手に右舵一杯を命じたがときすでに遅く、アイ ガーは、右転中の船首が281度を向いたとき、原速力のまま、前示のとおり衝突した。
衝突後、C船長は、損傷状況などを調査した結果、破口部からの浸水が激しいので危険を感じ、間もなく機関を停止して防水扉などの閉鎖措置をとり、03時20分総員退船の指示を出し、救命艇及び救命筏を降下して移乗した。
衝突の結果、更賜丸は、船首外板に亀裂及び球状船首に凹損を生じたが、のち修理され、B指定海難関係人が顔面挫創及び同船甲板員2人が頸椎捻挫等を負い、アイ
ガーは、左舷中央部外板に破口を生じ、2番貨物倉に続き機関室等にも浸水して約5時間後に沈没し、数日後丹後半島などに流出油の漂着被害を及ぼした。
(原因)
本件衝突は、夜間、隠岐諸島島後南東方沖合において、両船が互いに進路を横切り衝突のおそれがある態勢で接近した際、北上中の更賜丸が、居眠り運航の防止措置が不十分で、前路を左方に横切るアイ ガーの進路を避けなかったことによって発生したが、西行中のアイ ガーが、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
更賜丸の運航が適切でなかったのは、船長が、船橋当直者に対して居眠り運航の防止措置について指示しなかったことと、船橋当直者が、眠気を感じた際に船長に報告しなかったこととによるものである。
(受審人等の所為)
A受審人は、船長として雇い入れされて乗り組んだ場合、運航の責任を負う立場にあったのであるから、航海中に居眠り運航とならないよう、船橋当直者に対して眠気を感じたら必ず船長に知らせるよう居眠り運航の防止措置について指示すべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、B指定海難関係人が操業のほか、出航から入航までの往復航海の操船や船橋当直の割り振りなど運航関係についても指揮していたので、同指定海難関係人に任せっきりにし、自身は専ら機関の運転や機関当直にあたっていて、居眠り運航の防止措置について指示しなかった職務上の過失により、夜間、隠岐諸島島後南東方沖合を漁場に向け北上中、単独で船橋当直に就いたのち眠気を感じたB指定海難関係人からその旨の報告が得られず、同指定海難関係人が居眠りに陥ったまま進行し、前路を左方に横切り衝突のおそれがある態勢で接近するアイ ガーに気付かず、その進路を避けることができないまま同船との衝突を招き、更賜丸の船首部外板に亀裂及び球状船首に凹損を生じさせ、B指定海難関係人に顔面挫創及び同船甲板員2人に頸椎捻挫等を負わせるとともに、アイ ガーの左舷中央部に破口を生じさせて浸水ののち沈没せしめ、丹後半島などに流出油の漂着被害を及ぼすに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の五級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
B指定海難関係人が、夜間、単独で船橋当直に就いて漁場に向け隠岐諸島島後南東方沖合を北上中、眠気を感じるようになった際、船長に報告しなかったことは、本件発生の原因となる。
B指定海難関係人に対しては、勧告しない。
よって主文のとおり裁決する。