(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成14年1月11日19時06分
関門港関門航路
2 船舶の要目
船種船名 |
旅客船フェリー プカン |
貨物船グリーン サンブ |
総トン数 |
10,729.00トン |
2,080.00トン |
全長 |
135.500メートル |
86.00メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
5,884キロワット |
1,960キロワット |
3 事実の経過
フェリー プカン(以下「フェリー」という。)は、関門港と大韓民国釜山港間の定期航路に就航する船首船橋型旅客船で、船長Rほか31人が乗り組み、旅客370人を乗船させ、コンテナ50個等を積載し、船首4.70メートル船尾5.10メートルの喫水をもって、平成14年1月11日19時00分関門港下関区細江ふ頭18号岸壁を発し、釜山港に向かった。
ところで、フェリーは、関門港において、水先法により、水先人を乗り込ませなければならない船舶であったので、水先人を乗り込ませて同港に入出港していたところ、同船が2基2軸2舵で、可変ピッチプロペラ及び強力なバウスラスターを備えること並びに隔日に関門港に入港して船長が同港の水路状況についての知識を十分に有するようになったことから、山口県下関市などの関係機関と関門水先区水先人会とが協議した結果、出港時、風速が10メートル毎秒未満の場合には引船を使用しないことなどを文書で取り決めるとともに、離着岸時については、フェリーの操縦性能を熟知した船長が水先人に代わって操船に当たることを申し合わせ、平成9年以来、この申合せに基づいて運航されていた。
R船長は、平成12年2月にフェリーに乗船し、乗船直後の関門港入出港時には離着岸操船を含む全てを水先人に委ね、これを5回ばかり経たのち、前示申合せに基づいて自らが操船に当たり、離岸時には離岸操船を終えたのち速やかに水先人に操船を委ねていたところ、同港入出港を繰り返すうち、いつしか、離岸したあと、関門航路に入って同航路に沿う針路に定める地点まで自ら操船を行うようになった。
離岸するとき、R船長は、船首尾に航海士及び複数の甲板部員をそれぞれ配し、船橋には次席二航海士を補佐に、操舵手を舵輪に就け、A指定海難関係人(受審人に指定されていたが平成14年9月30日関門水先区水先人の業務を廃止したので、これが取り消され、新たに指定海難関係人に指定された。)を待機させた状態で操船の指揮に当たり、出船左舷付けから岸壁を離れた。
A指定海難関係人は、離岸後直ちに関門海峡海上交通センター(以下「関門マーチス」という。)にフェリーの運航開始を知らせ、その際同センターから、総トン数約2,000トンのグリーン サンブ(以下「グ号」という。)が下関市唐戸町東方沖合の関門航路を西行中であるとの情報を得たので、R船長にその旨を伝えるとともに、左舷船首方の同町東方沖合を注視し、引き続き船橋で待機した。
R船長は、航行中の動力船の灯火を表示し、A指定海難関係人に操船を委ねないまま、両舷プロペラ翼角を極微速力前進とし、間もなく船首尾の出港配置を解き、19時02分巌流島灯台から355度(真方位、以下同じ。)1,450メートルの、細江ふ頭東端沖に達し、東南東方に向首したとき、左舷船首方約1海里のところにグ号の白、白、緑3灯及び赤色閃光灯1灯を初めて視認し、同指定海難関係人からもその旨の報告を受けたので、自船の出港をグ号に知らせるつもりで、汽笛により短音を連続して吹鳴し、サーチライトを同船に向けて照射したのち、両舷プロペラ翼角を微速力前進として7.0ノットの対地速力で、右舵をとり、関門航路に向けて回頭を始めた。
R船長は、その後A指定海難関係人から、グ号が潮流に乗じて進行中であるので予想以上に早く接近するとの助言を受け、同船に対し汽笛及びサーチライトによる信号を繰り返して行い、その動静に留意して進行した。
19時03分半R船長は、巌流島灯台から006度1,280メートルに至り、船首が127度を向いていたとき、グ号が左舷船首55度930メートルとなり、そのまま回頭しながら関門航路に入ると、同船と衝突のおそれがあったが、汽笛及びサーチライトにより注意を喚起したので、そのうち同船が大型船であるフェリーの進路を避けるものと判断するとともに、潮流により、右方に位置するコシキ瀬に向けて圧流されることを危惧し、直ちに減速して航路外でグ号の通過を待つなど、同船の進路を避けることなく、その前方を航行するつもりで、両舷プロペラ翼角を半速力前進とし、左舷方から微弱な潮流を受け始めて10.0ノットの対地速力で、ゆっくり右回頭を続けながら続航した。
R船長は、19時05分少し過ぎ関門航路に入り、次第に強まった潮流に乗じて12.0ノットの対地速力となり、同時06分わずか前針路を同航路に沿う針路に定めるため右舵一杯をとったとき、グ号が避航する気配を見せないで左舷後方至近に迫ったのを認めて衝突の危険を感じ、急いで左舵一杯に変え、両舷プロペラ翼角を全速力後進としたが、効なく、19時06分巌流島灯台から044度830メートルの地点において、フェリーは、船首が155度を向いたとき、原速力のまま、その左舷中央部に、グ号の右舷船首が、後方から35度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力3の西南西風が吹き、潮候は上げ潮の末期で、付近には約2ノットの南南西流があった。
また、グ号は、船尾船橋型貨物船で、船長Kほか12人が乗り組み、スチレンモノマー2,999.575トンを積載し、船首4.90メートル船尾5.80メートルの喫水をもって、同月11日17時30分山口県宇部港を発し、関門海峡を経由して大韓民国麗水(ヨース)港に向かった。
K船長は、18時00分ごろ部埼南東方沖合で昇橋し、航行中の動力船の灯火に加えて赤色閃光灯1灯を表示し、二等航海士を操船の補佐に、機関長を機関操作に、操舵手を手動操舵にそれぞれ就けて操船の指揮を執り、関門マーチスに国際VHF無線電話で部埼南東位置通報ライン通過を通報したのち、同時37分関門航路に入った。
19時03分半K船長は、巌流島灯台から033度1.0海里で、針路を210度に定め、機関を港内全速力前進にかけて12.5ノットとし、折からの潮流に乗じて14.5ノットの対地速力で、関門航路の右側を同航路に沿って手動操舵で進行した。
定針したときK船長は、右舷船首42度930メートルの航路外にフェリーの白、白、紅3灯及びサーチライトなどの明かりを初めて認め、同船がそのまま進行すると、関門航路内で衝突のおそれがあったが、航路外から航路に入る同船が航路をこれに沿って航行するグ号の進路を避けるものと判断し、警告信号を行うことなく続航した。
K船長は、19時05分少し前針路を200度に転じ、フェリーが避航の気配を見せないまま、右舷船首方400メートルに接近したので、機関を半速力前進として13.0ノットの対地速力に落としたが、直ちに機関を後進にかけて行きあしを停止するなど、衝突を避けるための協力動作をとることなく進行中、06分少し前同船が右舷船首至近に迫ってようやく衝突の危険を感じ、左舵10度を命じ、機関を中立運転としたが、及ばず、グ号は、190度に向首したとき、原速力のまま、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、フェリーは、左舷中央部外板等に凹損を、グ号は、右舷船首ブルワーク等に曲損をそれぞれ生じたが、のちいずれも修理された。
(原因)
本件衝突は、夜間、関門港関門航路において、航路外から航路に入るフェリーが、航路をこれに沿って航行するグ号の進路を避けなかったことによって発生したが、グ号が、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
(指定海難関係人の所為)
A指定海難関係人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。