(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成13年7月6日16時20分
三重県松阪港
2 船舶の要目
船種船名 |
貨物船清興丸 |
貨物船第八ニッケル丸 |
総トン数 |
4,322トン |
497トン |
全長 |
111.67メートル |
64.737メートル |
幅 |
16.00メートル |
10.00メートル |
深さ |
8.55メートル |
4.50メートル |
機関の種類 |
ディーゼル機関 |
ディーゼル機関 |
出力 |
2,397キロワット |
735キロワット |
3 事実の経過
清興丸は、船首及び船尾にそれぞれスラスタを装備した、船首端から船橋位置までの長さ80メートルの船尾船橋型セメント運搬船で、A受審人ほか10人が乗り組み、セメント5,490トンを積載し、船首6.30メートル船尾6.46メートルの喫水をもって、平成13年7月5日06時25分山口県宇部港を発し、三重県松阪港に向かった。
ところで、松阪港は、南方から西方にかけて伊勢湾に注ぐ櫛田川、金剛川、阪内川、三渡川及び碧川が合流し、水深5メートル以下の浅海域となった州の中を掘り込んで造成され北北東方に開いた港口を有するコ字状の、港則法が適用される人工港で、その港口は、北北西方に250メートル延びる突端に松阪港東防波堤灯台(以下「東防波堤灯台」という。)が設けられた大口東防波堤と東方に300メートル延びる大口西防波堤とで構成され、両防波堤間(以下「防波堤入口」という。)の可航幅が100メートルばかりであった。そして、防波堤入口から港内においては掘下げ済みとして7.5メートルの水深が確保され、一方、防波堤入口に接続して北北東方においては東西両方に拡がる州に挟まれた幅100メートルばかりの狭い水路(以下「水路」という。)が形成されていて、東防波堤灯台から270度(真方位、以下同じ。)50メートルに緑色簡易標識、同標識から026度390メートルに緑色簡易標識、同標識から264度150メートルに松阪港第4号灯浮標(以下、灯浮標及び導灯の名称で松阪港の冠名があるものは「松阪港」を省略する。)、同灯浮標から207度290メートルに紅色簡易標識、及び同標識から203度240メートルに紅色簡易標識がそれぞれ設置されそれらを順に結ぶ線により囲まれた区域が水路の範囲にあたり、水路において海図(第88号)記載水深の浅いところで6.4メートルの表示があるものの、地形的状況から水路左右の側壁付近では土砂が崩落して堆積することがあった。また、水路の入口から北北東方沖合350メートルのところに第1号灯浮標と第2号灯浮標、及び両灯浮標間と水路との中央を通る延長線上の港奥の北岸壁上には導灯2基がそれぞれ設けられていた。
A受審人は、翌6日12時30分伊勢湾航路第1号灯浮標南方沖合で昇橋して伊良湖水道航路の操船指揮を執ったのち、引き続き自ら操舵操船に就き、15時39分松阪港沖合5海里付近で入港部署及び機関用意として西行を続け、同港港界を越えて間もなく、16時13分東防波堤灯台から020度1,200メートルの地点(以下、船位及び相対位置関係については船橋位置を基準とする。)で、針路を導灯に向首する205度に定め、機関を微速力前進にかけ、4.5ノットの対地速力で操舵手を操舵輪にあてて進行した。
16時15分A受審人は、東防波堤灯台から019度930メートルの地点に達したとき、三等航海士から第八ニッケル丸(以下「ニッケル丸」という。)が中央ふ頭から出航する態勢にあるとの報告を受け、右舷船首5度1,400メートルのところに同船を初めて視認し、ニッケル丸が防波堤入口に向かって出航中で、そのまま進行すれば同入口付近で出会うおそれがあることを知ったが、そのころ注意喚起のつもりで長音1回を鳴らしたことで大型の自船に気付き出航を中断して港内で待機するものと思い、速やかに機関を停止するなどして防波堤の外で出航するニッケル丸の進路を避けることなく続航した。
16時16分A受審人は、東防波堤灯台から017度790メートルの地点に至って第1号及び第2号両灯浮標間に差し掛かったころ、左舷船首1度1,190メートルのところに防波堤入口に向け転針を終えたニッケル丸を認めるようになり、引き続き防波堤入口付近の狭い水路で出会うおそれがある状況であったものの、互いにそのまま進行してもニッケル丸が水路の右側端に寄せた針路なので左舷を対して航過することができると判断し、同じ針路速力のまま入航を続けた。
こうして、A受審人は、16時19分水路に進入しその中央を進行していたところ、同時19分半ニッケル丸との船首間距離及び航過距離がいずれも30メートルばかりに迫ったとき、ニッケル丸の船首が突然左方に振れ始め自船に向かって次第に接近し、衝突の危険を感じ長音1回を吹鳴してキックを使い衝突を避けようと左舵15度を命じるとともに、船尾スラスタを併用したが効なく、16時20分東防波堤灯台から003度260メートルの地点において、清興丸は、原針路、原速力のまま、その左舷側後部に、ニッケル丸の左舷船首部が前方から15度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力3の西風が吹き、潮候は上げ潮の中央期であった。
また、ニッケル丸は、船首端から船橋位置までの長さ50メートルの船尾船橋型液体化学薬品ばら積船兼油タンカーで、B受審人ほか5人が乗り組み、メチル脂肪酸500トンを積載し、船首2.10メートル船尾4.10メートルの喫水をもって、同日16時10分松阪港中央ふ頭に出船左舷付けした係留索を解纜し、同時14分右舷錨鎖3節を巻き上げて同港を発し、千葉港に向かった。
B受審人は、16時15分東防波堤灯台から230度500メートルの地点で、針路を090度に定め、機関を微速力前進にかけ、5.0ノットの対地速力で自ら操舵輪を握って進行した。
定針したとき、B受審人は、左舷船首60度1,400メートルのところに清興丸を初めて視認し、同船が第1号及び第2号両灯浮標間の北方から防波堤入口に向けて入航中で、そのまま進行すれば防波堤入口付近で出会うおそれがあることを知った。
ところが、B受審人は、16時16分東防波堤灯台から217度410メートルの地点に至って水路の右側端に寄せる027度の針路に転じ終え、左舷船首3度1,190メートルのところに第1号及び第2号両灯浮標間に差し掛かった清興丸を認めるようになったとき、同船が引き続き入航してくる状況であったが、いずれ行きあしを止めるなどして自船の通過を待つための措置をとるものと思い、速やかに自船の進路を避けることを促すための警告信号を行うことなく、同じ針路速力のまま続航した。
こうして、B受審人は、間もなく防波堤入口を通過し、依然として自船の進路を避けずに入航する清興丸と狭い水路で出会う状況となり、16時19分半同船が左舷船首至近に迫ったとき、水路右側端に寄せていたことで浅水及び側壁の影響などを受け、船首が急に左方に振れ始め清興丸に向かって次第に接近し、衝突の危険を感じ右舵一杯をとったが舵効が現れず、長音1回を吹鳴し機関を後進一杯まで操作したものの、2船間の相互作用も相まって左転が止まらず、ニッケル丸は、010度に向首したとき、2.0ノットの行きあしをもって前示のとおり衝突した。
衝突の結果、清興丸は、左舷側後部外板に、ニッケル丸は、左舷船首部にそれぞれ凹損を生じたが、のち両船とも修理された。
(原因)
本件衝突は、三重県松阪港に入航する清興丸と出航するニッケル丸とが、防波堤の入口付近で出会うおそれがあった際、清興丸が、防波堤の外で出航するニッケル丸の進路を避けなかったことによって発生したが、出航するニッケル丸が、防波堤の外で自船の進路を避けることを促すための警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。
(受審人の所為)
A受審人は、松阪港において、防波堤入口に向かって入航中、出航するニッケル丸を視認し、同入口付近で出会うおそれがあった場合、防波堤の外の広い水域で出航する同船の進路を避けるべき注意義務があった。しかるに、同人は、注意喚起のつもりで長音1回を鳴らしたことで大型の自船に気付き出航を中断して港内で待機するものと思い、出航するニッケル丸の進路を避けなかった職務上の過失により、防波堤入口付近の狭い水路でニッケル丸との衝突を招き、清興丸の左舷側後部外板及びニッケル丸の左舷船首部にそれぞれ凹損を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、松阪港において、防波堤入口に向かって出航中、入航する清興丸を視認し、同入口付近で出会うおそれがあった場合、同船に対して防波堤の外の広い水域で自船の進路を避けることを促すための警告信号を行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、清興丸がいずれ行きあしを止めるなどして自船の通過を待つための措置をとるものと思い、警告信号を行わなかった職務上の過失により、防波堤入口付近の狭い水路で清興丸との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。