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平成14年神審第53号
件名

貨物船東広丸貨物船マチルデ衝突事件
二審請求者〔補佐人田川俊一〕

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成15年1月22日

審判庁区分
神戸地方海難審判庁(阿部能正、黒田 均、前久保勝己)

理事官
清重隆彦

受審人
A 職名:東広丸一等航海士 海技免状:五級海技士(航海)(履歴限定)
B 職名:マチルデ水先人 水先免状:大阪湾水先区
C 職名:マチルデ水先人 水先免状:内海水先区

損害
東広丸・・・船首部を圧壊
マ 号・・・右舷船首部に破口を伴う凹損

原因
東広丸・・・動静監視不十分、船員の常務(前路進出)不遵守

主文

 本件衝突は、東広丸が、動静監視不十分で、無難に航過する態勢であったマチルデの前路に進出したことによって発生したものである。
 受審人Aを戒告する。
 
理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成14年3月6日01時54分
 神戸港南方沖合

2 船舶の要目
船種船名 貨物船東広丸 貨物船マチルデ
総トン数 498トン 81,329トン
全長 74.72メートル 280.28メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 1,323キロワット 22,920キロワット

3 事実の経過
 東広丸は、船橋前面から船首端まで約60メートルの船尾船橋型の貨物船で、A受審人ほか4人が乗り組み、空倉のまま、船首1.85メートル船尾3.70メートルの喫水をもって、平成14年3月5日11時00分広島港を発し、大阪港堺泉北区に向かった。
 船橋当直体制は、船長、A受審人及び甲板長の順に、単独の3直輪番制を採っていたが、甲板長が食事の準備に当たるので正確な時間帯の定めはなかった。
 翌6日01時26分船橋当直中のA受審人は、明石海峡航路中央第3号灯浮標の南方約600メートルに当たる、平磯灯標から215度(真方位、以下同じ。)1.8海里の地点において、針路を096度に定め、機関を全速力前進にかけ、折からの風潮流を受け11.2ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で、所定の灯火を表示し、自動操舵により進行した。
 A受審人は、01時40分半わずか過ぎ神戸灯台から225.5度4.8海里の地点に達したとき、右舷船首48度3.0海里のところに、北上中のマチルデ(以下「マ号」という。)のマスト灯2個と左舷灯を視認し得る状況で、その左舷灯のみを初めて視認したが、まだ遠方なので接近して衝突の危険があれば避航すればよいものと思い、同船の灯火模様、船舶の大小及び衝突のおそれの有無など、マ号の動静監視を十分に行うことなく東行した。
 こうして、A受審人は、在橋中の一等機関士と雑談したりしてマ号から目を離していたので、01時45分同船が右舷船首51.5度2.0海里のところに接近し、その後その方位が明確に右方へ変わる状況であることにも、せん光を発する緑色の全周灯1個(以下「巨大船の灯火」という。)を表示した巨大船であることにも気付かず、同時52分神戸灯台から200.5度3.8海里の地点に達したとき、右舷船首88度1,090メートルのところに再びマ号の左舷灯のみを視認した。
 このとき、A受審人は、同一針路、速力のまま進行すれば、マ号の船首方を800メートルばかり離して無難に航過する態勢であったが、左舷対左舷で替わそうと速断し、手動操舵に切り替えて右舵を、一呼吸置いて右舵一杯を取って右急旋回を行い、マ号の前路に進出する態勢とした。
 A受審人は、この態勢となったことに気付かないでいたところ、01時54分少し前折から操舵室右舷後部の海図台で船位確認を行っていた船長がマ号のマスト灯を至近に認め、舵を中央に戻し、機関停止、ついで後進をかけたが及ばず、01時54分神戸灯台から198度7,300メートルの地点において、東広丸は、船首を250度に向け、約6.1ノットの速力で、その船首部が、マ号の右舷船首部に、前方から60度の角度で衝突した。
 当時、天候は雨で風力3の北北西風が吹き、視程は約3.5海里で、衝突地点付近には約0.5ノットの西流があった。
 また、マ号は、船橋前面から船首端まで約240メートルの船尾船橋型の鉱石運搬船で、船長Jほかクロアチア共和国人など21人が乗り組み、石炭126,827トンを載せ、船首尾とも15.11メートルの喫水をもって、同年2月21日02時36分(現地時間)オーストラリアのニューキャッスル港を発し、広島県福山港に向かった。
 越えて、3月5日J船長は、紀伊水道に入り、友ケ島南方の大阪湾水先区水先人乗船地点に到着し、23時48分B受審人を乗船させ、同人に水先業務を行わせて、二等航海士を補佐に、操舵手を操舵に当たらせ、所定の灯火のほか、巨大船の灯火を表示し、内海水先区水先人(以下「内海水先人」という。)との水先業務引継ぎ地点に当たる、神戸灯台から202度4海里付近の水域に向かって北上した。
 ところで、航海灯等は、前部マスト灯が船首から水平距離約14.6メートル後方で水面上約22メートルの前部マストに、後部マスト灯が前部マスト灯から水平距離約230メートル後方で水面上約32.6メートルの船橋上部マストに、舷灯が水面上約21.4メートルの船橋両ウイングに、巨大船の灯火が後部マスト灯から垂直距離約5.4メートル上方で船橋上部マスト頂部の位置に、それぞれ表示されていた。
 B受審人は、翌6日01時31分半神戸灯台から194.5度7.8海里の地点において、針路を015度に定め、機関を半速力前進にかけ、折からの風潮流により4度左方に圧流されながら、10.4ノットの速力で進行した。
 01時36分半わずか過ぎB受審人は、6海里レンジとしたレーダーで、左舷船首51度4.0海里のところに、東行する東広丸の映像を探知し、その動静を見守り、同時37分半水先業務引継ぎ時刻の速力調整を行うこととし、機関を微速力前進に減じ、10.2ノットの速力で続航した。
 B受審人は、01時40分半わずか過ぎ神戸灯台から195.5度6.0海里の地点に達したとき、左舷船首51度3.0海里のところに、東広丸のマスト灯2個と右舷灯を初めて視認し、同船を右方へ航過させることとして、同時41分機関を極微速力前進に減じたうえ、更に同時42分機関を停止し、注意を促す目的で東広丸に向け2回、J船長が1回それぞれ昼間信号灯を照射しながら惰力前進した。
 01時45分B受審人は、左舷船首47.5度2.0海里のところに東広丸を視認する状況となったとき、針路を保つため再び機関を極微速力前進にかけ、8.0ノットの速力で進行し、その後同船の方位が明確に右方へ変わり、自船の前路を無難に航過する態勢であったが、J船長から東広丸と接近しすぎるのではないかと告げられ、同船を早期に航過させるべく、同時51分半わずか過ぎ神戸灯台から197度4.4海里の地点で、東広丸を左舷船首16度1,190メートルのところに視認する状況となったとき、操舵手に左舵20度を取って針路を010度に転じるように令した。
 01時52分B受審人は、船首方向がほぼ010度となり、東広丸を左舷船首約6度1,090メートルのところに視認する状況となったとき、同船が右舵を取り始めたことを知る由もなく、同時52分少し過ぎ新針路の010度に定まったころ、東広丸が自船の船首部から正船首方800メートルばかりのところを右方へ無難に航過したのを見とどけたので、折から昇橋した内海水先人のC受審人に同船の状況、自船の針路及び速力を引き継ぎ、同人と水先業務を交代し、降橋して下船した。
 一方、C受審人は、右舷船首方へ航過した東広丸が遠ざかるのを監視し、針路010度、機関を極微速力前進としたまま、折からの風潮流により4度左方に圧流されながら、7.4ノットの速力で北上したところ、間もなく同船のマスト灯の間隔が狭まり、南下するのかと不審を抱いているうち、両舷灯を認め、同時53分半右舷船首13度480メートルのところで、左舷灯のみとなったので衝突の危険を感じ、左舵一杯、機関停止を令したが効なく、原針路のまま、約7.1ノットの速力で、前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、東広丸は、船首部に圧壊を、マ号は、右舷船首部に破口を伴う凹傷をそれぞれ生じたが、のちいずれも修理された。

(主張に対する判断及び航法の適用等)
 本件は、夜間、大阪港に向けて東行する東広丸と、水先人交代の目的で北上するマ号とが、神戸港南方沖合において衝突したものである。
 東広丸側補佐人は、
1 両船が、互いに相手船を視認した3海里から2海里に接近するまでの間で、マ号が昼間信号灯による注意喚起信号を3回行っており、このことは方位に明確な変化がなく衝突のおそれがあったことを示している。したがって、本件は、海上衝突予防法(以下「予防法」という。)第15条の横切り船の航法が適用される旨主張するので、この点について検討する。
 神戸港南方沖合は、予防法及び海上交通安全法の適用水域であるが、海上交通安全法には、神戸港南方沖合における2船間の航法を定めた規定がないので、一般法である予防法の規定が適用されることとなる。
 事実において、01時40分半わずか過ぎから東広丸が右舵を取り始めた同時52分までの相対位置関係は次表のとおりである。

時刻 東広丸からのマ号の方位 両船間の距離 マ号からの東広丸の方位
01時410分半
わずか過ぎ
右舷船首48度 3.0海里 左舷船首51度
同時45分 右舷船首51.5度 2.0海里 左舷船首47.5度
同時51分半
わずか過ぎ
右舷船首83度 1,190メートル 左舷船首16度
同時52分 右舷船首88度 1,090メートル 左舷船首約6度

 この相対位置関係から、両船の方位は、01時40分半わずか過ぎから同時45分までの4分余りの間に明確な変化がなく衝突のおそれがあったが、その後衝突までの9分間になると、明確に右方へ変わる状況で、衝突のおそれが解消された。
 したがって、予防法第15条の横切り船の定型航法を適用することはできない。
2 仮にマ号が衝突前に種々機関を使用して、速力が一定でなかったとして、横切り船の定型航法の適用ができず、予防法第39条の船員の常務で律することとした場合、両船ともに衝突を回避するべく適切に減速、転舵するべきであり、両船に同等の原因がある旨主張するので、この点について検討する。
 本件は、定型航法に適用すべき航法がないので、予防法第39条の船員の常務によって律する点においては、異論はない。
 そこで、事実関係における両船の運航模様に基づけば、本件は、両船が衝突2分前の01時52分1,090メートルに接近したとき、東広丸が右舵を取り始めており、両船の大きさなどからして、この時点から両船に衝突の危険が生じた特殊な状況下で発生した。
 つまり、
(1)東広丸は、同一針路、速力で進行すれば、衝突前2分に満たない時刻ごろ、マ号が新針路の010度に向いて、同船の船首方を800メートルばかり離し、一旦、マ号の右舷船首方に無難に航過する態勢であったが、右舵を、一呼吸置いて右舵一杯を取り、右急旋回を行って衝突した。
(2)C受審人は、質問調書中及び当廷において、「水先業務交代直後から右舷船首方へ航過した東広丸が遠ざかるのを監視していた。まもなく東広丸のマスト灯の間隔が狭まり、南下するのかと不審を抱いているうち、両舷灯を認め、左舷灯のみとなったので衝突の危険を感じて左舵一杯、機関停止を令した。左舷灯が見えてから衝突するまでの時間は20ないし30秒であった。」旨述べている。
 マ号から東広丸の左舷灯を視認できるのは、両船の運航模様を作図して求めると衝突の30秒前東広丸がマ号の右舷船首13度480メートルに位置していたときである。それまで東広丸はマ号の船首方から右方へ無難に替わる態勢であった。東広丸が右急旋回を行うことは予見できず、このとき巨大船であるマ号がいかなる最善の措置をとっても、時間的、距離的に衝突回避の可能性はない。したがって、本件は、予防法第39条の船員の常務により律するのであるが、マ号に衝突回避の可能性がないのであるから、両船に同等の原因があるとすることはできない。
 また、両船が2海里に接近以降、マ号が、東広丸に対し注意喚起信号を行わなかったことが本件発生の原因である旨の主張があるので、この点について検討する。
 確かにマ号は、両船が2海里に接近以降、東広丸の方位が明確に右方へ変わる状況となり、無難に航過する態勢で接近したとはいえ、同船が、夜間、港内ではない広い水域で、しかも、全長約280メートルの巨大船である自船の3倍余りに当たる、船首部から正船首方800メートルばかりのところを航過するのであるから、自船の存在を明確に示すために注意喚起信号を行って注意を促すことが、衝突を未然に防止するうえで望ましいことである。
 しかしながら、当時、衝突地点付近の水域には東広丸以外に航行の妨げとなる船舶は存在せず、東広丸が、衝突の9分前から衝突直前まで同一針路、速力で、なんら疑念を抱かせることなく東行していた点に徴し、マ号が、注意喚起信号を行わなかったことを本件発生の原因として適示するまでもない。

(原因)
 本件衝突は、夜間、神戸港南方沖合において、両船が互いに進路を交差させるも無難に航過する態勢で接近中、東行中の東広丸が、動静監視不十分で、北上中のマ号の船首方近距離で右急旋回を行い、同船の前路に進出したことによって発生したものである。

(受審人の所為)
 A受審人は、夜間、神戸港南方沖合において、単独で船橋当直に当たって東行中、右舷船首方にマ号の左舷灯のみを初めて視認した場合、同船の灯火模様、船舶の大小及び衝突のおそれの有無など、マ号の動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、まだ遠方なので接近して衝突の危険があれば避航すればよいものと思い、動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、マ号が巨大船で、同船の船首方を無難に航過する態勢であることに気付かず、マ号の船首方近距離で右急旋回を行い、同船の前路に進出して衝突を招き、東広丸の船首部に圧壊を、マ号の右舷船首部に破口を伴う凹傷をそれぞれ生じさせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
 B受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
 C受審人の所為は、本件発生の原因とならない。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図





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