2003/06/23 毎日新聞朝刊
[論点]死刑制度、存続か廃止か 被害者の無念を償う
河上和雄・元東京地検特捜部長、駿河台大教授(刑法)
■国際的には廃止の流れだが、日本では存続が多数派、どう考えたらいいのか■
◇廃止論者の挙げる理由はいずれも薄弱
◇国は報復できない国民を守る必要あり
死刑制度を維持すべきか否かについては、それぞれの個人の世界観、宗教観と密接に関連し、それこそ何十何百という理由がある。死刑廃止論者が挙げる理由に、死刑は、万一誤判であった場合には、取り返しがつかないというものがある。だが、誤判の場合に、取り返しがつかないのは、死刑の場合ばかりではない。自由刑でも失った時間は刑事補償で解消されるものではない。
死刑には、なんら一般予防の効果はないというのもある。つまり、殺人などの犯罪を犯す人間は、自分が死刑になるとは考えないから、死刑には何も犯罪を抑止する力がないというのである。死刑を廃止した国においても殺人などの犯罪が増加した例は少ないという。
ステファン・ツバイクが挙げた反対理由に、死刑を執行する者の苦悩をいうものがある。哲学的に、国家がその仕事として、殺人をするのは自己矛盾であるというものもある。
また、死刑確定者の中には、神様のような心境になっている者がいるのに、その神様を殺す理由はないという反対論もある。そのほか、死刑に代わる絶対的無期刑を置くといった議論、死刑制度を維持するのは、野蛮な国である、国家に死刑をし得る権限がないという主張、死刑は残虐な刑罰であり、憲法三十六条に反するという理論等々それこそ数え切れないほどの反対論がある。
死刑存続論にとって、誤判問題が最大の論点であることは確かである。だが、誤判論を突き詰めれば裁判制度自体の否定に繋(つな)がりかねない。結局、この社会を維持するために、誤判を前提にしても、死刑制度を維持する理由があるのかということに帰する。そのためにこそ、「疑わしきは被告人の利益に」という法諺(ほうげん)があるのである。国民の多くが死刑維持に賛成していることも考えるべきである。
死刑の抑止力については、死刑復活国もあるように簡単に統計だけで結論できない。むしろ、問題は、死刑を廃止した場合、「現場死刑」が増加する恐れがあることである。同僚を殺した犯人を警察官が現場で抵抗を受けたとして射殺することはアメリカでは珍しい例ではない。裁判なしの死刑は論外である。
死刑執行者の苦悩はある。だがそれを正義と信じて実行する刑務官がいるのである。国家が死刑にしなければ個人が死刑を実行することになる。神様のような死刑確定者も、許されて娑婆(しゃば)に出ればすぐ元の悪魔に戻るかもしれない。その他は、論外の主張である。
絶対的無期刑は、脱獄の為(ため)に人を殺しても死刑にならないから、刑務官を殺す可能性もある。死刑廃止論の致命的な欠陥は、被害者のことが忘れられている点にある。殺された人間やその遺族の無念を死刑以外で償うことはできない。国家が報復の権限を国民から取り上げながら、報復をしないようでは、国民を守る国家とはいえないのである。
河上和雄(かわかみ かずお)
1933年生まれ。
東京大学法学部卒業。東京地検特別捜査部長、法務省矯正局長、最高検察庁公判部長を歴任。現在、弁護士、駿河台大学教授。
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