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1990/04/17 毎日新聞夕刊
[解説]遠のく死刑廃止−−永山則夫被告の差し戻し上告審判決
 
 死刑制度を維持するとしても、言い渡しはどのような事件のときに限るべきなのか。刑事裁判の根幹にかかわる重い問題を「死刑か、無期懲役か」という二者選択の形で突きつけたのが、連続射殺事件の裁判だった。そして、十七日の差し戻し上告審判決は第一次最高裁判決を踏まえて、最終的に「本件の場合は死刑もやむを得ない」と判断した。それは永山則夫被告(40)に対する個別の量刑にとどまらず、死刑の必要性を前提とする場合、刑事裁判全体に通じる「死刑の適用範囲」がおのずから存在することを示した意味を持つ。
 死刑廃止は時代の流れととらえるか、凶悪事件防止のためには死刑制度は欠かせないと考えるか。いずれの立場をとるかによって、死刑適用の範囲をどうみるかの見解も分かれる。
 一審の死刑を破棄して無期懲役を言い渡した差し戻し前の二審が、そうした論議を巻き起こす発端になった。というのも、この二審判決は被告の不遇な生育歴などを有利な情状にあげただけでなく「死刑運用には慎重な考慮を払わなければならず、いかなる裁判所も死刑を選択したであろう程度の情状がある場合に限るべき」と、死刑適用の範囲を限定したからだった。
 検察側が事実上「量刑不当」を唯一の理由とする初の上告に踏み切った理由も、その点にあった。上告趣意書は「死刑の適用を事実上不能にし、運用面での死刑廃止論に等しい」と二審判決を批判し、四人が殺された事件で被告が死刑にならないのでは、他の死刑事件との均衡を欠くと、死刑維持の立場から疑問を投げかけた。
 検察上告を認めて二審の無期懲役を破棄した第一次最高裁判決は、一般的に死刑が許されるかどうかの量刑判断に当たり「被害者数など結果の重大性」も考慮の対象になるとしたうえ、「一般予防」と並んで「刑の均衡」という視点を初めて打ち出した。量刑の選択は本来、裁判官がすべての事情を総合的に判断して行い、一律的に線を引くことは難しいが、この判決は死刑適用の基準を示したと受け取られた。差し戻し二審と、この日の最高裁の死刑判決は、その延長線上に位置付けられる。
 最高裁は死刑を合憲とした昭和二十三年の大法廷判決で「一人の生命は全地球よりも重い」としながらも「死刑の威嚇力による一般予防と、その執行による特殊な社会悪の根絶」を死刑の根拠にあげた。死刑維持の立場をとるにせよ、その適用には慎重のうえにも慎重な判断が求められるのは当然であり、永山被告の第一次最高裁判決が「死刑相当」ととれる判断を示したにもかかわらず、自ら死刑を言い渡さず、差し戻したのも、そのような配慮からと思われる。
 しかし、この事件に関して死刑の選択に傾いた司法の流れが、他の事件についても、判断の底流となったことは事実である。差し戻し前上告審中の五十七、八年、最高裁での死刑判決はなく、第一次判決翌年の五十九年から再び、最高裁で死刑判決が出るようになった。その二十一件(二十四人)の判決をみると、被害者数は一人と二人が各七件、三人が五件、四人が一件。第一次判決の「刑の均衡論」が適用基準の一つとなったことの重大さが浮かび上がった形だ。死刑存廃論議は今後も続くとみられるが、この日の最高裁判決により、死刑制度が日本で廃止される見通しがさらに遠のいたことは否めない。
(社会部・小泉 敬太)
 
 
 
 
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