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 それで76ページ以降からペリーの白旗の話がつながっていきますが、77ページを見ていただきたいと思います。上の段の真ん中あたりに、「つまり」とあります。ここからお聞きいただきたいと思います。「現代において偽文書かどうか話題になっている、いわゆるペリーの白旗書翰は、書翰が出まわり始めた頃は、ちょうど七月にロシアのプチャーチンが長崎に来たことからロシアが日本に贈ったものとされて、江戸の市中で注目させていたのである。それが、ペリー来航後の大名への対外政策諮問において答申が出始めるころ、おそらく八月になってペリーが贈ったものとして出回り始めたのである」ということです。
 つまり松本健一氏が紹介したあの書簡は、最初はプチャーチンの白旗書簡というふうに出回っていたのです。それが先のところに書いてあります。それからペリーの白旗書簡になって出回り始め、「そして十月には」、この画面に色川三中という人物が映っていますが、「常陸国土浦の商人にして国学者の色川三中のもとにも白旗の情報がもたらされた」ということです。
 これは重要なので読んでおきます。その情報が載っているのはこういう資料ですが、『片葉雑記』といいます。「かたは」と書いて「かきば」ですが、「或言、亜墨利加人浦賀着船の後白旗数流を出し、若し此幡を立たる陣々へは鉄砲打ちかけず、和するの印なりとて取らせたるを、辞してとらざりしこと跡にて御称美ありといふは最世間に聞くなり」、いまとても噂になっているということです。「按に此事先達皆多くいへり。諸家の書取にいまだ見当らねど有しことにやとはおもはるヽなり」。要するに、これはどういうことかというと、一番大事なところは「諸家の書取にいまだ見当らねど」ということです。色川三中は武士たちの間で流通している情報をすごくめざとく入手していますが、その中で白旗書簡に関する確かな情報がない。ところがどうもこの話は本物だというふうに出回っているということです。
 77ページの終わりの4行目ですが、「白旗書翰が日本人によって作られたものと考えれば、また、褒美があったということが単なる噂話で、事実ではないと考えれば、公的な情報の中に白旗や褒美の記録がないということが全く自然に理解できる」というわけです。つまり、「三中ら日本の古代社会を研究する国学の人士は、『日本書紀』『常陸国風土記』の白旗の話を知っていて白旗が降伏を意味することは十分認識していた。そうした人々にとって、「神州」を汚す夷狄が降伏の仕方まで教えるなどというのはもっての外である」と考えていたわけです。
 それでは実際、これをつくったのはだれかというと、私は以下に書いておきましたが、「飯塚久米三郎より聞書」というものから考えまして、飯塚久米三郎は浦賀奉行所の与力で、彼からいろいろ聞き出した、水戸の海保帆平(かいほはんぺい)という男がこの聞書きをつくるのですが、それを見た水戸藩につながる一部の人たちがこの白旗書翰をつくって流したのであろうと思います。そのことは、あとで読んでいただくとわかるようになっています。
 それではなぜ白旗書翰をつくったのか。これが最後の「ペリーがもたらしたもの」ということになるわけですが、言ってみれば情報を自らつくり出すことによって政治的チャンスをつくり出そうという人たちが出てきたということです。結局、幕府は大名あるいは旗本に、ペリーが持ってきたフィルモア大統領の親書を公開し、そして、それに対して意見を述べてもいいということを言いますが、やはり出せる人と出せない人がいます。だから出せない人たちは、むしろ自分たちで情報をつくり出して、政局を左右していこうということを考えたのではないかと思います。
 最終的にそれがどうなっていくかというと、要するに政治情報を自分たちでつくり出し、そして政治権力を握っていく、ゆくゆくは幕府に取って代わろう。でもそれはなかなか難しいことなので、朝廷を取り込んで、しだいに討幕という方向にいくのではないか。実は明治政府、特に伊藤博文などという男は非常によく情報操作をしていた。中公新書に『伊藤博文の情報戦略』という本がありますが、あれなどを見ると、いまでいうと内閣機密費の中から、いまの大新聞につながる新聞社にずいぶんお金を渡しています。それで自分の言うことを聞かせ、自分にいい情報を流すような操作をしていたらしいというのですが、伊藤博文というのは吉田松陰門下です。
 そういうわけで、ペリー来航というものが日本にもたらしたものは、政治的なチャンス、特に情報を自らつくり出して政治を変えていこうという動きではないかということです。それが吉田松陰の書翰から見られ、なおかつその後の政治的な流れから見られる。それが一つには、この白旗書簡であるということです。だから私は白旗書簡はやはり偽文書であろうと考えているというしだいです。
 最後のほうは端折ってしまいまして、本当かなと思われる方もいらっしゃると思いますが、そのへんの論証はこの論文に書かせていただいておりますので、ぜひご一読いただけたら大変ありがたいと思います。本日、最後のほうが駆け足になってしまいまして、また用意した画面も話が全部終わりませんで、中途半端で申し訳なく思いますが、私の話はこれにて終わりとさせていただきます。ご清聴どうもありがとうございました。(拍手)
司会 岩下先生、どうもありがとうございました。
 
平成15年9月28日(日) 於:フローティングパビリオン“羊蹄丸”
 
講師プロフィール
岩下哲典(いわした てつのり)
昭和37年(1962) 長野県塩尻市生まれ
平成6年(1994) 青山学院大学大学院博士後期課程単位取得・満期退学
平成9年(1997) 明海大学経済学部専任講師
平成13年(2001) 青山学院大学より博士(歴史学)の学位を授与
平成14年(2002) 明海大学助教授
平成15年(2003)
明海大学大学院応用言語学研究科助教授兼担
現在、日本文化論、日本文化講義、日本の歴史、歴史から見た現代、基礎ゼミ、総合ゼミなど担当
 
現在
明海大学助教授(経済学部・大学院応用言語学研究科兼担)
早稲田大学・東京女子大学・聖徳大学非常勤講師
浦安市文化財審議会委員
洋学史研究会副会長
歴史学博士
 
著書
『権力者と江戸のくすり 人参・葡萄酒・御側の御薬』(北樹出版)
『江戸のナポレオン伝説 西洋英雄伝はどう読まれたか』(中央公論新社)
『幕末日本の情報活動 「開国」の情報史』(雄山閣出版)
『江戸情報論』(北樹出版)
 
編著
『近世日本の海外情報』(岩田書院)
『徳川慶喜 その人と時代』(岩田書院)







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