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表彰選考委員(こども読書推進賞)
The Screening Committee, "The Prize to Promote Children's Reading"
猪熊葉子
(いのくま ようこ)
Ms.Yoko Inokuma
 
聖心女子大学
名誉教授
Hon. Professor at University of the Sacred Heart Tokyo
1928年生まれ
社会貢献支援財団 会長、白百合女子大学大学院講師ほか
著書・翻訳書:「児童文学とは何か」「児童文学最終講義」「ものいうウサギとヒキガエル」「子どもと大人が出会う場所」「妖精物語について」「秘密の花園」他多数
 
坂本忠雄
(さかもと ただお)
Mr.Tadao Sakamoto
 
元「新潮」編集長
Ex-editor in chief of Sincho
1935年生まれ
開高健記念会 会長ほか
 
大倉 明
(おおくら あきら)
Mr.Akira Okura
 
産経新聞社
編集局次長
Deputy Managing Editor of the Sankei Simbun
1950年生まれ
 
中島健一郎
(なかじま けんいちろう)
Mr.Kenichiro Nakajima
 
毎日新聞社 取締役
事業担当
Director of the Mainichi Newspapers
1944年生まれ
 
選考委員長
Chairman
三浦朱門
(みうら しゅもん)
Mr.Syumon Miura
 
作家
Author
1926年生まれ
日本芸術院会員ほか
著書:「冥府山水図」「箱庭」「武蔵野インディアン」「武蔵野ものがたり」「天皇」「わが老い伴侶の老い」他多数
 
「社会貢献者表彰」選考を終えて
 立派な社会貢献をなさった方が日本にはたくさんいることに驚きながら、毎年、この仕事の末端に参加しています。
 立派な人がたくさんいらっしゃるので選考が必要になるのですが、自分自身は何にもしていないので、本来、選考する資格などはありません。
 いつも心苦しく思っています。
 で、気持ちはいつも選ばれなかった人達の方へ向くのですが、唯一の申し訳は“表彰されようと思って、なさったことではないのだから・・・ご本人はもっと大きな満足をすでに得ていられるだろう。”と思えることです。
 多くの場合社会貢献は事の結果であって、動機ではないし、また目的でもないことは選考にのこって受賞された26件の事例をご覧になれば誰の目にも明らかです。
 また、推薦された283件の事例についても書面の上だけではありますが、同じことを感じます。
 この方たちはどうしてこんなに立派なことをわが身を省りみずになさったのか、あるいはなさることができたのかと考えると、多くの人が同じことを感じて、自分の日頃の生活や心がけを反省することが、この表彰の最大の効果なのだと分かります。
 なによりもまず私が毎年感動し、感化されています。少しは自分の行動をあらためようと思う機会をあたえられて感謝しています。
 それは善行をなさった人やそれを支えた人だけでなく、推薦をなさった方、善行を世に知らしめるべく、こういう財団をつくった方、広く財団を支えていられる方などのすべてに向けられる感謝です。
 “善行”とは古い表現ですが、子供のとき、良く教えられたものです。この仕事のおかげで善行とはこういうことを指すのか、と今ごろやっと分かって感謝しています。
 私は分かりの悪い子供ですね。
 そういえば善行を説いた二宮尊徳の話として、こんなことを思い出します。
 二宮尊徳がまだ若くて金次郎と言ったころ、近所の大きな農家へやってきて、“畑を耕そうと思うが、あいにく鍬がない。今日、一日貸して欲しい。”
といったところその農家の人は少し意地悪の心をおこして、
“貸してやっても良いが、それは私の畑を耕すのが条件だ。”と答えた。
 金次郎はしばらく考えてから、ではそうすると答えた。
“今日一日、鍬がないと仕事がない。元気な自分が何にもしないで一日遊んでいてはお天道さまに申しわけがない。他人の畑でも何でもともかく働いて農作物ができれば、それはまわりまわって万人のためになるから”
と言って鍬を受けとって畑にゆき、黙々と働きはじめた。
 農家の人は立派そうなことを言ったが、今に鍬を投げだして帰るだろうと思ってみていたところ夕方まで働きつづけ、
“どうも有難う。おかげで今日一日を無駄にしなくてすみました。”
と言って返したので、大変感心して、
“いや、すまなかった。これからはあなたには何でも貸します。何でも協力するから言って下さい”
と言ったそうです。
 そのようにしていつの間にか二宮金次郎のまわりには同じ気持の人がつぎつぎに集って、社会に“善行”を広めようと言う団体ができたという話です。
 こんなことを急に思いだして書いたのは、社会貢献支援財団に関係する方々はみんな同じ気持だろうと思ったからです。
 今回、26件の受賞者と、そのまわりの方々が新しく私達の仲間に加わりました。大いに喜んでいます。
 
選考委員 日下公人
 
「こども読書推進賞」選考を終えて
 小学6年生の時、私は図書委員になった。学校図書室の本は1日1冊の貸し出しが認められていたが、図書委員には3冊まで貸し出してよかった。毎日、風呂敷に3冊包んで家に持ち帰り、また翌日、3冊とむさぼるように図書室の本を片端から読み漁った。
 今、考えるとあのころが私にとって一番の読書時代だった。子供のころの吸収力は計り知れないものがある。少年少女文学全集から伝記、科学物まで手当たり次第。トルストイの「戦争と平和」を読んで、中学生になってからドフトエフスキー全集に挑戦した。理解できていたかどうかは疑問だが、「本の虫」になった。
 その後、書くことが好きになり、さらには新聞記者になったのは、子供のころの読書のせいだと思う。本が好きになったのは母や先生のおかげだ。母は女学校時代、家で本を読んでいると家事に使われるので早朝に登校して校門が開くまでしゃがんで本を読みふけるほど本好きだった。だから本だけは惜しみなく買ってくれた。小学校の担任の先生は作文や読書感想を書くと、赤ペンでコメントをくれた。
 さて長々と私事を書いたことをお許し願いたい。とにかく子供のころの読書がいかに大切かは、私自身がずっと肌で感じている。子供にそういった読書のチャンスを与えるのはまず親だったり、先生だったりする。私は親にも先生にも恵まれたのだった。
 今回、受賞された方々と縁があった子供たちは、かつての私のようにとても幸せである。高月町立富永小学校では平成9年から朝の読書が始まり、「読書芳洲賞」の設定、「読書ゆうびん」など様々な活動に広がっている。熊倉峰広教諭は、読書嫌いの生徒たちを「味見読書」という手法で、本の世界に誘導した。田所雅子さんは自宅に「わんぱく文庫」を開設して、地域の子供たちにいい本を提供し、その活動が学校や自治体との協力に発展しているのだった。
 「こども読書推進賞」の審査委員になって、こうした読書活動を進めている方々の存在を知って実は本当にうれしかった。熊倉教諭や田所さんは特に目立ったが、他にもたくさんの努力が日本全国にあった。応募324件全部を表彰したいくらいだった。
 新聞社に勤めていると、正直いって若者の活字離れがとても心配になる。新聞の活字は1行15字が11字になり、その分、大きくて読みやすい。しかし情報量は減った。たくさん取材してもほんのちょっとしか書けない。その新聞すら読まない若年層が増えているのだ。出版の世界も長年の不況に苦しんでいる。売れる本はタレント本のような際物ばかり。内容の濃いもの、古典は敬遠される。全てが軽少短薄に流れているようなのだ。
 だがいくらインターネットだ、携帯電話だといっても、情報を伝達するのは言葉であり、文字だ。その言語能力が衰えることはすなわち日本の衰退につながる。こうした危機感が高まり、朝の10分間読書運動などが広がりつつあると思う。子供たちに読書の喜びを教えるのは親、教師、地域社会の責務と多くの人々が感じ始めたのは本当にうれしいことだ。
 社会貢献支援財団が33回を迎える社会貢献者表彰に合わせて、「こども読書推進賞」を制定したのもそうした時代の要請を踏まえたものといえる。この表彰によって、全国各地での読書活動のノウハウが伝播していくことが望ましい。毎日新聞社の事業に、読書感想文コンクールや読書感想画コンクールがある。この二つのコンクールの表彰式に出ていつも感じるのが、本を読んでいる子たちの目がきらきら輝いていることだ。そしてそれらの子供たちの後ろには、読書を大事にしている学校や教師、親たちがいるのだった。
 だから今回、富永小学校や熊倉教諭、田所さんが表彰されたのは、とても素晴らしいことだと、つくづく思う。そして私個人も自分に読書の習慣を与えてくれた環境を感謝の気持ちを持って思い出すとても良い機会となった。
 
選考委員 中島 健一郎







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