2004.03.27 シンポジウム長崎 辻井正次
高機能広汎性発達障害の人たちへの支援のなかで考えること
中京大学社会学部/NPO法人アスペ・エルデの会
辻井正次
1. はじめに
私の臨床家としての歩みの大半は、様々な発達障害の人たちへの支援との取り組みを中心としてきた。なかでもこの10数年は高機能広汎性発達障害の人たちへの支援にかなりのエネルギーを注いできた。そのなかで、異なった年齢の人たちと長期にわたってご一緒することができ、乳幼児期から成人期の前半までの、広汎性発達障害の人たちの異なった発達のあり方について考えることができた。私たちの力不足や支援についての考えの相違で十分な支援がしきれなかった人たちも正直、少なくはない。今回は、高機能広汎性発達障害の人たちと社会との関わりあいのなかでのいくつかの問題について考えておきたい。
2. 青年期の高機能広汎性発達障害の人への支援から考えること
幼児期や学齢期を中心に支援をしていくと、高機能広汎性発達障害の人たちは支援をしていけば、それなりに社会的にやっていけるのではないかという気にもさせられるくらいに、順調に発達を遂げ、見かけ上、問題がない場合も少なくない。しかし、そうした人たちが青年期や成人期までの長いスパンで見ていくと、実際に多くの困難を経験していくことがわかってきた。彼らの社会性の障害ゆえに、世の中はなかなか理解しにくいものだし、彼らも理解されにくいものである。なかには周囲の無理解のなかで困難さを増していく場合もあることもわかってきた。
縦割り行政の問題もあるが、支援する臨床家たちが自分の対象範囲の年齢の人たちのみを見ていると、支援の問題の全体像を見誤るようである。私たちの共同研究からも、広汎性発達障害としての生物学的な差異は実証されつつあり、異なった脳機能をもつ存在で、そうした特性に合わせた支援が長期にわたって必要なことは確かである。
3. 犯罪被害を受けた例
現在、社会的自立を、企業就労までをしていくモデルで、取り組みをしてきており、多くの青年たちが企業就労をするようになってきている。企業によっては、障害者雇用枠という前提での給与体系ではなく、一般の給与体系での給与の設定をしている。そうしたなかで、彼らの真面目さから、十分な給与を稼ぎ、充実した生活を送っている。しかし、そうしたなかで、キャッチセールスによる詐欺の被害を受けるケースが出てきている。一般的な犯罪被害についてのガイダンスを顧問弁護士に依頼し、取り組みをしているが、非常に巧妙な手段で、彼らの社会性の弱さが利用されていた。本人には被害にあったということが理解しにくかった。
ただ、よく考えてみると、例えば高校生年代で、「たかり」にあうようなことは日常的に散見されるわけで、加害以上に、被害にあうことが多いことを経験している。
4. 教育のなかでの無理解による二次症状形成
森口奈緒美さんの『変光星』(花風社)・『平行線』(ブレーン出版)を読むことで、広汎性発達障害に配慮しない学校教育がいかに外傷的な体験をもたらすかを考えることができる。もともとの状況把握のまずさ、相手の意図の読みにくさが、定型発達者(健常者)にとって意図的に、悪意として位置づけられ、そして非難を繰り返されるようなやりとりが頻繁に生じやすい。こうした積み重ねは、迫害的な対人的な構えを生じさせる。感覚過敏性や、衝動性の統制のしずらさが、そうした過程にさらに関与した場合、問題行動と評価されるような行動となっていく場合もある。
現在、進行しつつある特別支援教育の改革が進み、個別のニーズに対応した教育が行なわれることは必要なことである。個別なニーズにそってと聞くと、今までの教育と全く違うことをすべきだと誤解する人がいるのだとこの頃、気がついたのだが、そうではなく、通常教育の中で、「困ってしまう」行動を、本人なりの仕方で取り組めるようにしていくような、ちょっとした個別の配慮をできるような工夫が必要であるだけである。
5. 自己コントロールヘの取り組み
発達障害を生まれもってきたとしても、自分で自分の気持ちをなだめることができ、状況についての獲得された理解をもとに、状況に適合する行動をしていくことは、基本的に可能なことである。パニックにならないような環境的な配慮が必要だが、パニックになりそうになってもコントロールできるような、コントロール・スキルの積み上げも必要となる。丁寧なこうした側面での支援が実はなかなかおこなわれることがない。問題行動に「おっかなびっくり」関わることは、行動をコントロールための自己マネージメントを発達させる上ではプラスにならない。家族をはじめとして、周囲が子どもの個性を正しく理解することは大切である。
6. 終わりに
アスペルガー症候群の少年たちによる犯罪被害にあった方がいるということに、彼らに関わる専門家の1人として、心からの哀悼の意を添えたい。圧倒的多数の高機能広汎性発達障害の人たちが犯罪加害とは無縁である。しかし、実際にこうした事件が続いているということは、この国での発達支援体制の不備があるということに他ならない。今回のようなシンポジウムを通して多くの人の理解が広がることを祈念している。
2004.03.27 服巻智子
生きる力と自信をはぐくむ自己認知の支援
〜アスペルガー症候群と自閉症の子どもたちの教育〜
それいゆ相談センター
センター長 服巻智子
1、はじめに(10代で出会った自閉症の人)
私は、自閉症の子どもに出会った10代の終わりに、「一生この人たちと生きていきたい!」と心に決めて、職業を選び研修を重ねてきました。出会った自閉症の子どもたちが、自分のせいではない生きにくさを抱えながらも、一生懸命に自分の生命を生きていく姿が美しく感じられ、自分自身の与えられた生を、彼らのようにまじめに生きていきたいと自分の生き方を思わされたからです。それと同時に、自閉症の子どもたちのご家族が、子ども自身の問題への支援に悩みながらも、社会の無理解など社会生活上の困難とも立ち向かいながら生きている姿に打ちのめされるほどの尊さを感じさせられ、私自身もまだ10代ではありましたが、自分の生き方の甘さを思い知らされたのでした。自閉症の子どもたちばかりでなく、ご家族の皆さんとも一生離れないで、私に出来る支援を提供しつつ、私自身の人生を地元佐賀で送るのだ、と、心に誓ったのです。
その後、ボランティア活動をする学生の団体「有明会」を立ち上げて、佐賀県自閉症親の会(現(社)自閉症協会佐賀県支部)の地域生活支援を開始したのは、大学の頃でした。今でもそのボランティアの会は続いています。卒業して就職してからもずっと、自閉症の人たちや家族の皆さんとの付き合いは続いています。
当初から、地域社会の無理解や意識の低さによって傷ついたり、専門家の不確かな説に翻弄される家族たちを目の当たりにしましたので、より確かな専門的な知識と技術を持って、真に役に立つ支援を提供できるようになりたいと考えつづけました。
そして、養護学校教員として勤めていたとき、幸運にも1992年から一年間、米国のノースカロライナ大学医学部TEACCH部での留学研修の機会を得、帰国後はそのとき学んだ実践に明け暮れました。その一年間にも機能の高い自閉症の人たちの教育・福祉・就労支援について学ぶ機会はありましたが、帰国時の職業が養護学校教師でしたので実践の機会はありませんでした。その後、再び留学の機会を得ることができましたので、このときは完全に教職を辞し、2000年から2年間英国で自閉症教育を研究してまいりました。
2、英米で見た自閉症支援(アスペルガー症候群の人たち)
アメリカとイギリスで自閉症について学んできたのですが、そこで一番心が躍ったのは、2つありまして、自閉症を持つ成人の人たちがたくさん積極的に社会参加していたことです。そして、どこでも、支援の方法としては「自閉症特化型の支援」が保障されていたことです。
アメリカのノースカロライナ州では、知的な遅れがある自閉症の青年も知的な遅れが無い自閉症の青年も、どちらもそれぞれに応じた適切な自閉症特化型支援(ジョブコーチなど)の提供を受けながら、本当に大勢の人が就業していて、生き生きと地域生活をしていました。特に居住支援では、支援の程度によってグループホームが3段階に分かれていて、成人してグループホームに入ってからも教育は続けられていました。そこでの教育によって、必要とする支援の程度が少なくなれば、さらに適した訓練が受けられるグループホームへと異動することも出来ました。グループホームを卒業すると、支援付きアパートがありました。2〜3人でアパートに同居しながら支援を受けるタイプもあれば、たった一人のアパート暮らしもありましたが、どれも買い物や光熱費の振り込み確認などの支援は提供されていました。
イギリスでも居住支援の質の高さに驚かされました。
どちらかというとアメリカは余暇を重視しながらもやはり「働く」ことを礼賛する傾向が強いようですが、イギリスを始めとするヨーロッパ型の福祉支援というのは、ずっとずっと芸術や趣味なとの「豊かさとゆとり」が強調されているように感じました。機能の高い自閉症の人にありがちな「疲れやすさ」を考慮して、9時から5時まで就業を強調しないし、コミュニティセンターでの趣味の教室通いですらも支援費の対象となっていました。大学や大学院卒業の学歴を持つような自閉症(アスペルガー症候群)の人でもなかなか身辺自立や家事技能を獲得するのが難しかったり、休日を計画的に過ごすことの苦手な人が多いのですが、そういった人のためにもグループホームが支援費で利用できたり。私が直接お目にかかった人の中に、大学卒でフルタイム就職しているけれども、グループホームに住んでいる(支援を受けている)人もいたのです。
私はそのほかデンマークにも良く出かけたのですが、デンマークの成人支援も目を瞠りました。デンマークは何もかも自閉症特化型です。グループホームの設計からして自閉症バリアフリーを考慮していたのは感動モノでした。
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