■参加者名簿■
ヨット体験乗船名簿
No. |
氏名 |
1 |
吉田 美弥 |
2 |
西口 友香 |
3 |
村上 勝彦 |
4 |
村上 良夫 |
5 |
霜山 豪仁 |
6 |
霜山 弘貴 |
7 |
霜山 美紀子 |
8 |
斉藤 悠 |
9 |
斉藤 雅子 |
10 |
菅野 正太朗 |
11 |
境野 麗 |
12 |
千葉 絵里華 |
13 |
西園 理沙 |
14 |
佐々木 雄馬 |
15 |
星 雄一 |
16 |
菊池 祥平 |
17 |
佐々木 玲菜 |
18 |
境野 翔 |
19 |
松田 綾乃 |
20 |
黄川田翔太 |
21 |
麻生 美香 |
22 |
下野 千栄子 |
23 |
星 友愛 |
24 |
石角 駿太 |
25 |
菅原 あゆみ |
26 |
戸羽 睦也 |
27 |
佐々木 泰子 |
28 |
山下 タエ子 |
29 |
平山 聡子 |
|
交流会参加者名簿
No. |
氏名 |
所属 |
1 |
今給黎 教子 |
講師 |
2 |
米村 洋一 |
地域交流センター |
3 |
紀室 輝雄 |
大船渡市助役 |
4 |
村上 鉄郎 |
大船渡市教育委員会教育長 |
5 |
今野 雄吾 |
大船渡市議会議長 |
6 |
松岡 博 |
大船渡市企画政策部長 |
7 |
佐藤 孝 |
大船渡市ヨット協会会長 |
8 |
谷地 磨伎夫 |
大船渡市ヨット協会会員 |
9 |
松岡 克之 |
大船渡市ヨット協会会員 |
10 |
山本 岬 |
大船渡市ヨット協会会員 |
11 |
山本 ミエ子 |
大船渡市ヨット協会会員 |
12 |
菅原 清志 |
大船渡市ヨット協会会員 |
13 |
小松 裕一 |
大船渡市ヨット協会会員 |
14 |
多田 均 |
大船渡市ヨット協会会員 |
15 |
小野寺 万治 |
大船渡市ヨット協会会員 |
16 |
佐藤 徹也 |
大船渡市ヨット協会会員 |
17 |
奥平 浩介 |
大船渡市ヨット協会会員 |
18 |
長島 真希 |
大船渡市ヨット協会会員 |
19 |
畠山 育王 |
大船渡市ヨット協会会員 |
20 |
谷口 典子 |
大船渡市ヨット協会会員 |
21 |
川原 清光 |
大船渡市ヨット協会会員 |
22 |
石川 清志 |
大船渡市ヨット協会会員 |
23 |
和田 武司 |
大船渡青年会議所 |
24 |
熊谷 幹男 |
宮城外洋帆走協会 |
25 |
平野 義克 |
大船渡市活力推進課長 |
26 |
佐藤 高廣 |
〃 課長補佐 |
27 |
下田 牧子 |
〃 係長 |
28 |
江刺 雄輝 |
〃 係長 |
29 |
大和田 達也 |
〃 主事 |
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■海への思い■
(フォーラムでの今給黎氏と会場とのやりとり)
【今給黎氏】
これからパネルディスカッションでお話しする皆さんは失礼して、気仙丸を案内していただいた高岡さんに、ぜひ、自己紹介と海が教えてくれたもの、大船渡の海に望むものなどについて、色々話していただければと思います。
【高岡氏】
実は私は昭和20年に大船渡に生まれて、小さいときから大船渡で育ったため、遊ぶところは子どもの頃から海だったんです。三井造船というのがあって、その中で小さい船を出したり入れたりいたずらして人の船を直されたりということもありました。非常に船が好きで、今も離れられずにここにおりますけれども、ちょうど20歳のときに千葉県の木更津で初めてヨットに乗りました。なぜヨットに乗ったのかというと、実はお金がなかったから、ヨットはお金がなくても乗れる。故障やトラブルを起こしても帆掛け舟は帰ってこれるという自信があったから。それ以来ずっとヨットをやっていますが、昨日は今給黎教子さんのお話を色々聞かせていただきました。昨日気仙丸をご案内し、私の知っている限りのことをお話しましたけれども、気仙丸は本当にすばらしい大船渡の人が作った・・・気仙大工さんの作ったこの気仙丸を何とか後世に残すこと、あるいは、文化として残すことはできないのかと、一人で最近ここら辺を動き回っているのですが、昔はこの大船渡にも帆掛け舟が沢山ありました。今でも船を作る技術は、普通の大工さんにはできない技術があるので、それを伝承して、後世に残せたらいいなと思って、仕事の合間を見ながら動いています。以上です。
【和田武司氏】
大船渡青年会議所の和田と申します。昨日も実は懇親会のほうに参加させていただきまして、今給黎さんのお話を色々聞かせていただいたんですが、私が海に教えられたもの、ちょっとネガティブなんですが、怖いということを教えられまして、小さい頃友達と遊びで、何の動力もない伝馬船といいますか、ちっちゃい船で釣りに出かけました。けれども、風が吹いて帰れなくなったっていう思い出がありまして、海って怖いなぁって。それで、怖い海に女性がたった一人で出て行くっていうのは、すごい勇気だと思います。我々が・・・私が、普段生活をしている自分が、すごくちっぽけに見えたということを、今日は教えられました。また、海の町に住んでいながら、もっともっと海に関係するまちづくりも大切なのだなと感じさせられました。ありがとうございました。
【菅原氏】
岩手県の一関に住んでおります菅原です。今回は、気仙沼においてあるヨットで、こちらのほうに参加いたしました。私が海から与えられてもらうこと、それは皆さんも同じだと思いますが、陸上で生活しておりますと、嫌な事やむしゃくしゃする事、不満等出たときに、ヨットで沖のほうに行って、さわやかな風に当たって、あるいは、荒れた海を乗り越えて、溜まった鬱積などを全部流したり、飛ばしたりすることによって、また、明日への活力を貰っているような感じです。それから、今回の「ぐるっと一周」ですが、海や港湾に関して、望むこととしましては、ヨットが好きな人、海が好きな人が集まれる場所があれば、もっともっと盛り上がっていいんじゃないかと思います。簡単ですが、以上でよろしいでしょうか。
【寺沢氏】
寺沢です。育ちは山の学校でしたので、3年生から広田海岸で学校全員で、学年ごとにキャンプをしたんです。そのとき私は、リーダーの人を乗せて初めて艪を漕いだときに、ただ夢中で漕いだんですが、やったらすぐ外れまして、どういう風にやるのかをリーダーに教わってやった思い出があります。海で教わったことは、リーダーに船から海にわざと投げられたんです。その時、泳いだことは泳いだんですけど、泳いでいるうちに「あー、塩水というのは体を浮かすんだな」ということを教わったり、自然というのはすばらしいもんだなぁと思いました。隊員は少なくなっていますけど、今、私はボーイスカウトで、自然に感謝することを大切にしながら、これからも海を大事にしていきたいと思います。自然というものはいくら科学が進んでも、分からないことがたくさんあるんだと、これからの21世紀を背負う子どもたちに、今のお話を聞いてすばらしい夢を与えていただいたということで、これからもリーダーとしてこれからの子どもたちにぜひ色々な体験を伝えたいんだなぁと大変感謝しております。
【鈴木氏】
鈴木と申します。私も若干ですが、ヨットをやってまして、私が海から教わったものは、陸の時間と海の時間がまったく違うという感覚です。というのは、気象によってはヨットレースとかは時間通りに終わりません。自然に逆らえないのが海の世界かなと思います。陸の世界では、きちきちと時間通り、仕事から遊びから計画が立てられますけれども、海は自然が相手ですので、なまじっか人間の考えたとおりにはいかないということです。
【今給黎教子氏】
皆さんそれぞれが海に関する気持ちとか思い出とかがあるんだなと思います。
ここ大船渡も、私の住んでいるところもそうなんですけど、本当、ちょっと走れば海がある、海が見える。海から発展してきたというすばらしい歴史と文化を持っています。よその町に行くと、よその町というか、山手の方に行くとそういうのが無いんです。とてもそれが貴重なんだ、すごいことなんだというのを、まず地元の方が誇りに思うっていうのが一番じゃないかなと思っています。ここ大船渡は昔から海で栄えてきた町です。それを継承していくことこそ文化の発展につながっていくじゃないかとそう思っています。
私は、自分は、自然体験を奪われた世代だってよく言ってます。今、子どもたちに自然体験、海で泳ぎましょうっていうのを学校教育でも色々やっています。着衣水泳です。川や海で落ちたときの教育です。だけど、私たちのときは海で泳ぐな、海に近づくなといわれた世代です。そのためプール教育が始まったんです。海は危険だ、そして、防波堤をいっぱい作る。防波堤は関係者以外立ち入り禁止。泳ぐ場所もない。「あー、浜だ、海だ。ここ入ろうかな」と思っても、遊泳禁止の看板。山も山でいっぱい規制が出てきて、川にもそういう規制が出てきて、昭和40年代、50年代っていうのが、日本各地で、自然体験を奪ったんです、子どもたちから。
今になって、自然体験を子どもたちに伝えようとしている。その子どもたちの親というのは私たちの世代なんです。子どもたちに自然体験をさせたい、海の体験をさせたいと言っても、実際子ども時代の思い入れがない。やり方がわからない。海が怖い。川が怖い。山が怖い。そういう世代なんです。40代から上の方たちが「この浜では、昔はなぁ」とか「この川はな」と、語れるんです。私たち30代、20代後半です。、というのは語れないんです。「いやぁ、ここは昔から防波堤でした」「昔からここはテトラポットでした」「いやぁ、昔からここは側溝みたいに、セメントで固められていました」昔の思い出、子ども時代の楽しい思い出というのは無いんです。本当に、50代、60代、70代の方っていうのは、そういうのどんどんしゃべれるんです。でも、その世代がまた私たちの世代から自然体験を奪った世代でもあったんです。
今度は時代の流れで、「自然はすばらしいよ」本当に勝手に日本は動いてきたんです。これを口だけで言うのは簡単なんです。こういうプリントとか本を見て、「こうしましょう、あーしましょう」と言うのは簡単なんです。自分たちがやらないといけない。「海で遊びましょう」「自然体験しましょう」って言ったら、まず、そういう大人がすべきなんです。「このすばらしい自然を子どもに残しましょう」「子どもに体験させましょう」言うのは簡単なんです。子どもはどうでもいいんです。親にくっついて後をついてきますから。まず、私たちがとにかく楽しく遊びましょう、本当にそう思います。楽しく遊んでたら、子どもも興味あってやってくるんです。「父さん、海で遊びましょうっていって、海水浴来たけど、父さんそこでビール飲んでるだけじゃないですか」そんなんじゃだめなんです。だから、みんな子どもに言う前に、まず、ちょっと大人が遊びましょうよ、海すばらしいよ、自然はすばらしいよ、そう思うんだったら、そう子どもたちに伝えたいんだったらもっともっと自分たちがやりましょう、実践者になりましょう、と私はいつもそう思っています。
私とヨットに乗ったりして色々遊んだりする子は10代です。みんなからキュウリちゃんと呼ばれているんです。「キュウリちゃんさぁ、私のお母さんと同じ年代だよね」「そうなの」「でもね、キュウリちゃんと遊んでるとすごくね、なんか楽しいよ」「えっ、何で楽しいの」「いやぁ、こんな大人がいてもいいんだなってすごく感じる」「そっか、こんな大人いないのかな」「うん、少ないよねぇ。でも、安心するよ。こんな大人になってもいいんだって思える」「はぁ、そっか。いい先生だね、私」とか、色々話してるんですけど、もっともっとみんな、そんな変な大人でいてほしいなぁと私はそう思います。
ようやく時間になりました。皆さんもこういう頭だけ使うフォーラムとか文字だけのこういうのじゃなくて、実際に天気よくなったら、ぜひ海で遊んでください。そうすると自分なりの何かが見えると思いますし、また、ふるさとの凄さ、すばらしさというのが実際に見えてくると思います。ぜひ、よろしくお願いします。私はまた明日、静岡に戻ってこの肌をもっと黒くするために日本縦断を続けて、生きてたら、またこの辺を通ると思います。また、その時を楽しみにしてます。どうも今日はありがとうございました。
以上
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