日本財団 図書館


役所によって雰囲気が違う理由とは
 さて、思想の独立を次は国家で話しましょう。国家公務員がさっぱりいないじゃないかと言いたいのです。
 普通の公務員は世の中がバブルで浮かれたとき、自分は子供のときからあれだけ勉強して、その後も質実剛健、清廉潔白にやっているのに生活が苦しいとは・・・と思っていると、業者が寄ってきてお金を置いていくので何人かはついもらってしまった。そんな人たちが、いま急に大掃除されています。その大掃除の対象が、大蔵省であり東大法学部なわけです。他の日本人はみんな喜んでいますが、しかし喜んでいるだけでいいのかどうか。もう少し根本的に考えてみてはどうかと思うのです。国政に参加することを生き甲斐に思って国家公務員になる人を確保するには、どうすれば良いかという問題です。
 独立という言葉を聞くと、誰でも思いつくのは福澤諭吉ですね。『学問のすすめ』という本は、まず自分が独立しなければいけない、一身独立せよと説いている。
 時代が変わって人生論のように受け取られていますが、当時の時代背景のなかでは、私学の慶應大学が官学の国立大学に対抗するという意味がある。福澤諭吉は「独立せよ。役所や薩長藩閥内閣にしっぽを振るな」と一生懸命言っているんですね。
 では、その役所の人たちとはなんぞやと考えてみると、こんなことを思いつきます。国家の主幹、国家の機軸、国家の基盤を自分たちが担っている。明治時代でいえば、それは天皇で、それを助ける。その天皇の官僚には順番がついていた。
 薩長の人たちが政府の制度をつくったとき、一番最初にできたのは司法省、大蔵省、外務省、海軍省、陸軍省、内務省、文部省といった組織で、これが国家の一番の基盤です。
 日本国を守るのには海軍と陸軍が必要である。それから外務省が必要である。そのためにはお金を集めなければいけないから大蔵省が必要だ。このあたりが一番急がないといけないことでした。それから薩長政府に反逆する人がたくさんいましたから、取り締まらなければいけない。そのためには警察が必要だから内務省。未来へ目を向けて小学校をつくろう、だから文部省。このくらいが国家のスタートです。
 しばらくして、経済関係の省庁ができてきます。農商務省、商工省。それから国家自身が事業をするようになると鉄道省とか逓信省。さらに昭和十八年になりますと、福祉もやろうと内務省から分離して厚生省ができる。
 こういう順番でできてくるわけで、昔からあるほうが国家の根幹でしょうね。
 ある通産省の人にこんなことを話すと、「まことにそのとおりである、その一〇〇年の伝統はいまだにちゃんと生きている。役所の中の雰囲気がこの順番で全然違う」と言っていました。古い役所と新しい役所では、全然違うのだそうです。
 
いま、内務省に学ぶべきこと
 さて、ここで言いたいのは内務省の分解です。最初に分解したのは、十八年に厚生省。もともとは内務省が福祉も担当していました。
 そして戦後マッカーサーがやってくると、本格的に内務省を解体します。道路と河川は建設省、港湾は運輸省、労働対策は労働省。警察は警察庁、地方行政は自治庁となって出ていきまして、内務省はなくなりました。
 この内務省の役人の最後が、中曽根元首相や後藤田正晴さんです。この二人は後輩たちに口癖のように「我々は内務省の流れを引いている。内務省とは日本国家そのものである。だから日本国家がどうなるかを心配して、日本国家のために働け」と教えたそうです。
 たしかに見ていると、「ああ、やっぱり違うな」と思うことがたくさんあります。例えば、一身の名利栄達は求めない、日本国家のために尽くすをもって本分とする、それが喜びである。そして、我々の家族のことは天皇陛下が生涯見てくださるというような伝統が、今でもやっぱり少しは残っていると思います。もちろん、個人差は山ほどありますが。
 一例を挙げれば、内務省関係の人は、政治家からパーティー券を買ってくれと言われたら自分で買う。そういうものは自腹を切って買うものだというわけです。内務省以来の伝統がある。給料も良かったし、それから途方もない国家機密費を持っていましたから、それで買っていた。今でも自分で買うという伝統が残っているそうです。
 しかし、通産省などは民間会社に「割当だ、五、六枚買ってくれ」と電話をかけます。通産省の人はそういう電話をかけるのは平気です。「旧内務省の人は、民間に頭を下げて頼むなどということはできません。何とか工夫、工面する」と教えてくれた人がいます。
 どのくらいほんとうか知りませんけれども、ニュアンスとして自分は国家公務員であると思うか、それともただの役人であると思うかという伝統の差が、役所ごとにあるらしいのがちょっと面白い発見です。
 そこで、次は東大法学部とはなんぞやということです。官僚はだいたい東大法学部だらけです。そもそも東大法学部をつくったのは、一次試験免除のためでした。国家公務員がコネ採用で薩長の人ばかりになる。それはよくない。試験で採用しよう。しかし、応募者多数で困った。そこで予備校として国立大学をつくった。国立大卒は一次試験免除。コネで来た人は一次試験から受けないといけないから、そこで落とせばいいというわけです。
 ですから、東大法学部へ入った人は初めから役人になるつもりで勉強しました。それは、明治、大正、昭和、そして今でも続いていると言っていいと思います。
 
驕った大蔵省、驕らなかった内務省
 ある人からこんな話を聞いたことがあります。内務省の官僚は、天下国家をマネージするという自覚をもっていたので、戦後に至るまで驕りというものがなかった。
 ところが、大蔵省は驕りが出た。戦後、日本に繁栄をもたらしたのは誰か。それは大蔵省ではなく日本国民が勤勉だったからですが、どうやらそれを勘違いしてしまったらしい。日本経済の支配構造をつくりあげた自分たちの功績だと思い込んだので、そこに驕りが出て不祥事が頻発し、いまでは大蔵省は消えて財務省になってしまった。
 もちろん末端にいけば個人差がありますが、大きく言えば内務省には国家意識があった。戦前は高等文官試験のトップの人たちが内務省に行って、大蔵省は金を扱うところだから一格下だという意識がありました。
 国家がよって立つべきは、本来は道とか正義です。経済はまた別なのですが、マッカーサーがそれを壊してしまった。それが五〇年以上も続くと、多くの人がそのことを忘れてしまった。だからこうやって話しても、「道とか正義とかが出てくるとは変わった話だな」と思われてしまう(笑)。そんな日本になってしまった。
 ですから根本的な話として、内務省の伝統をもう一度勉強してはどうだろうということです。公務員試験のときに急にやってもダメです。まあ、東大法学部は四年間大体そうなっています。京都大学もそうだと言っていいでしょう。では、他はどうでしょうか。それをもっとたどっていくと、小学校の女の先生まで話がいってしまうわけですね(笑)。
 以上を一言でいえば、国家公務員がさっぱりいないじゃないかと言いたいわけです。日本国家がどうなるかを心配して、日本国家のために働こうという役人が、すっかりいなくなってしまいました。
 その根本も、思想の独立や精神の独立がないからです。
 マッカーサーによる内務省の解体が、ボディーブローのように効いています。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION