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新進少壮吟士大いに語る
第四回
大木詠岳さん=兵庫県津名郡在住
(社団法人日本詩吟学院岳風会)第二十四期少壮吟士
米本耿泉さん=岡山県浅口郡在住
(社団法人哲泉流日本吟詠協会)第二十四期少壮吟士
 
一にも二にも練習あるのみ。
努力こそが少壮吟士への道
 少壮吟士になられて、まだ日の浅いお二人ですが、詩吟にかける意欲は人一倍。そのお二人に少壮吟士となられた、今の心境などをお聞きしました。
 
左/大木詠岳さん、右/米本耿泉さん
 
司会:お二人は二十四期でよろしいのですか?
大木「はい、そうです」
司会:二十四期は平成でいうと何年になりますか?
米本「平成十四年ですので、一番新しい少壮吟士です」
司会:まず大木さんからお伺いしますが、平成十四年に少壮吟士になられましたが、これ以前に何度少壮に挑戦されましたか?
大木「四回です。続けて四年受けましたから、平成十一、十二、十三、十四年です。一回目が駄目で、それから連続三回です」
司会:米本さんはいかがですか
米本「私は平成九年の二十五回大会から二十六、二十七、二十八、二十九、三十回ですから、少壮に受かるまで六年かかりました」
司会:少壮を受けるきっかけはなんですか?
大木「一般の一部で優勝しましたので、次は少壮を受けなさいとお勧めがあったからです」
司会:その頃は、もう少壮吟士というのをご存知でしたか
大木「身近に先生がいらっしゃいますので、すごく憧れておりました。あの難しいコンクールを通り抜けてきた方ですから、素晴しいと思ってみておりました」
司会:米本さんの方はいかがですか?
米本「私も平成六年に全国のコンクールの一般一部で優勝しましたので、次は少壮だと先生に言われました。ただ年齢が少壮の受験資格を満たさなかったので、二年待ち、平成九年に初めて少壮に挑戦しました」
司会:お二方ともまずは順調にきたわけですが、少壮を受験されていた頃のお気持ちをお聞かせください?
大木「最初の一回目は分からぬままに課題の十五題を稽古したのですが駄目でした。先輩の先生にアドバイスを求めましたら、十五題の中で苦手をつくることなく、どの題も繰り返し、繰り返し、コンスタントに同じようにできるように練習するのが、一番いいですよ、といわれました」
司会:最初の舞台の印象はどうでした?
大木「笹川記念館は一般一部の時に舞台に立ったことがあるのですが、舞台の奥が遠い感じがしますので、声をしっかり出さないとまずいかな、という感じを持っていました」
司会:米本さんはいかがでしたか?
米本「会場の笹川記念館が初めてでしたので、エレベーターに乗ったところから、すっかり施設にのまれてしまいまして、最初はもう足が震えてとんでもない状態でした」(笑)
 
大木詠岳さん
 
司会:六年間の内訳はどういうものだったのですか?
米本「やはり一回目は駄目でした。十、十一年と通りましたが、その時には、会場の雰囲気に飲み込まれない気構えを持つことができましたので、良かったです。また一年目の時には課題の十五題がうろ覚えだったのですが、二年目の時には、せっかく家族の理解を得て東京へ行かせてもらうのだから、十五題はみんな覚えなければいけないという決心をもって、すべて覚えて受けにいきました」
司会:お二人は、試験時期は重なっていたのですか?
大木「三回目にご一緒でしたね」
米本「はい」
大木「私は十二、十三、十四年です」
米本「私は十、十一、十四年です」
司会:ということは、十四年の時に一緒だったわけですね。十四年の大会のときはどうでしたか?
大木「私のことではなく、米本さんの印象ということですよね。富士山の律詩を聞いたとき、すごく上手だなと思いました」
司会:米本さんはいかがですか?
米本「大木さんは堂々と吟じられているのですごいなと思いました」
司会:平成十四年に少壮吟士になられたときの、感慨といいますか、お気持ちはいかがでしたか?
大木「今回は駄目だと思っていたので、来年はもっと律詩を勉強してこようと考えていたので、自分の名前を呼ばれたときは、本当にこれでいいのかと思ったのが実感です」
司会:米本さんはいかがでしたか?
米本「毎回、東京へ行くときには、子供が手紙を書いてくれます。子供は三人いるのですが、今回も二人の娘が手紙を書いてくれまして、その娘たちの手紙を帯に忍ばせて吟じましたが、前回は自分でも分かるぐらいに唇が震えるほど緊張したのですが、平成十四年はとても落ち着いて絶句にしても律詩にしても、後押ししてくれるような雰囲気で、自分でもいけるのではないかな、と感じました」
司会:少壮を受験していた頃、少壮に通るための何か特別な練習をしましたか?
大木「一回目、二回目も稽古だけでした。私の場合、家庭の主婦ですから、時間の融通がききますので、お昼前の十一時になったら半時間を限度に稽古の時間に当てました。テープに自分の声を録音して、他人になったつもりで、ここが間違っている、ここはミスしているとか、練習テープをチェックしていました。三回目に挑戦する時は、十一時に稽古を受け、夕方の四時に一回だけ吟じて、そのテープをもう一度聞いてチェックするという方法をほぼ毎日いたしました」
司会:米本さんはいかがでしたか?
米本「連続して長時間練習していますと、声を痛めることもありますので、加減をとりながらも一日十五題まず絶句を練習しまして、少し間をあけてから、五題の律詩を稽古しました。私の場合も主婦ですが、朝昼は練習の時間が取れませんので、子供たちが寝付いた晩の遅くの時間を稽古の時間に当てました。子供たちや主人が大変協力的なので助かりました。本番一週間前に声の調子を崩しましたので、一週間声を休ませて、本番勝負に臨みました。今まで練習を重ねてきていましたので、不安はありませんでしたし、駄目ならばまた一から練習すればいいという気持ちでコンクールに出ました」
司会:遠い存在だった少壮ですが、いざ自分が少壮になったお気持ちはいかがでしたか?
大木「コンクールがなくなったので、舞台の前に審査員の先生方がいらっしゃらないので、とてもおおらかな気持ちで、吟じられます。気持ちいいですよ」(大笑)
司会:米本さんはいかがですか?
米本「大木先生とも先ほど一緒にお話したのですけど、やはり努力しないと少壮吟士にはなれないし、大成しないと。でも、少壮のお仲間に入れていただいて、一番思うことは、いい先生ばかりで、全国大会などでお会いすることが楽しみなことです」
司会:さて、少壮になるのも大変だけど、少壮になってからがもっと大変とはよく言われることですが、この点についてはいかがですか。少壮吟士になってまだ半年ですから実感がわきませんか?
大木「私の場合、身近に少壮の先生もいらっしゃいますし、大変なことは大変ですけど、大変とは思わずに楽しんでいます。自分の人生の中で詩吟というものに巡り合って、しかも少壮吟士になってこのように活躍できることをすごく幸せだと思っております。楽しみたいと思います」
司会:米本さんはどうですか?
米本「自分なりに詩を熟読し、相手に伝えなくてはならないし、少壮ということで失敗も許されないわけですが、これも自分のための勉強だと思って、ひとつひとつの舞台を丁寧に一生懸命自分なりに努めたいと思っています」
 
米本耿泉さん
 
司会:最後の質問となりますが、今回の企画のタイトルが新進少壮吟士・大いに語るというものですので、お二方の抱負をお聞きして終わりたいと思います。
大木「今も生徒さんを教えておりますが、これからは特に子供、小学生を指導したいですね。以前も三人ほど小学生を教えていたのですが、みんな中学生になると、塾やクラブ活動などが忙しくなってレッスンに来られなくなってしまいますね。それが残念です」
司会:そのためにはどういう努力が必要だと思いますか
大木「そうですね、やはり財団が行なっているような伴奏付の練習が必要だと思います。どうしても普段の練習ですと、伴奏なしで稽古しますから。伴奏があると子供たちも吟じやすいですし、耳から音楽として学んでもらえます」
司会:米本さんはいかがですか?
米本「まだまだ自分自身の勉強が足りませんし、自分の伝えたい思いをうまく表現できていないので、まずこの課題を解決したいと思います。私の二人の娘も詩吟をやっているのですが、学校の体育館で詩吟を披露して、詩吟は堅苦しくないのよ、面白いものなの、ということを他の子供たちにも広めてもらいたいな、と願っています」
司会:本日はお忙しい中、インタビューにお答えいただきありがとうございました。今後のご活躍を期待しております。







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