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ミパスパスパスmipaspaspas
 ミパスパスパスとは、機織りした布をタリリやアユブに縫製し終わり、これを着衣する前に必ず行う儀礼である。この儀礼は村によって異なるので、以下にいくつかを紹介しよう。
1、Imorod(イモルル)村のミパスパスパス
 イモルル村では、川と波が打ち寄せる海岸でミパスパスパスを行う。その儀礼にはavak(アバカ)(マニラアサ)の紐(繊維のままでよっていないもの)・アプトス(雑草のオヒシバ)・鶏の羽・木っ端を使う。
 まず川に行き、到着するとマニラ麻の紐で胴と膝下を結ぶ。それから最初にアプトスを持って、次に鶏の羽、三番目に木っ端を持って呪文を唱える。その祈りの言葉を述べる。
 
 yakoimo(私はあなたに) paspasan(迷信をなくさせる) na yako(私) nipinapanan'nan(作ったものは) no panid(鶏の羽) kano(または) aptos(アプトス) kano(または) pinalching(木っ端) a akmakay(あなた) minaptos sa zazoy(落とすように) jyaken(鳥もち) ta adan(私に) namen(私たち) imoa ipapareng(作り方) do ininapo(昔から) namen(私たち) kakmamoy(ように) pinalching(木っ端) jyaken(私から) na(逃げるように) kakmakoy(私は) yaiyaipasalaw(体が軽く病気にならないように) so katawtawo(体) a aboso(ないように) laklaktat(病気).
 
 (訳)私のタリリ(またはアユブ)についている崇り(たたり)を祓います。私の作ったタリリを着ると、アプトスが繁茂するように財産が殖えますように(と唱えてアプトスを川に流す)。鶏の羽のように体が軽くなって、元気に働けますように(と祈りながら川の流れに羽を軽く投げ飛ばす)。病気などの悪いものは、木っ端のように勢いよく飛んでいって下さい。鳥もちにくっつくように悪いものをくっつけて落としてください(と唱えて木っ端を勢いよく投げて流す)。そして、このタリリは新しく織ったタリリではないので、これを着た私が病気にならないように悪いものは逃げていきなさい(実際は新しいタリリであるが、古いタリリはすでにミパスパスパスを終えているので、それにあやかるように願って、このような呪文を唱える)。
 
 こうして、川での祈りが終わると、つぎは海岸に行って大きな波を五回受けてから、また唱えて祈る。
 
 yakoimo(私はあなたに) sangozen(泳ぐとき) na paong(波で) a akmaka(あのように) sosang(なるように) a katawtawo(私の体) kwa(私) akmimabeza(荒くなるように) palanginan(風が強くなるように) na katawtawo(強く私の体が) kwa(私) jiyakneng(休まない) kwanda(その人は) no chiring(話している) da(そのように).
 
 (訳)(タリリを着た)私の体は波のように荒く、風のように強くなって休まず、よく働きますように。
 
 このあと再び川にもどって、川水を五回切って次のように祈る。
 
 yakoimo(私はあなた) sangosangozen(水を切る) na vokow(強いところでの) no ayo(川) a akmakay(あなたは) minavonas(なくなりなさい) a ta'aaso(山の霧) jyaken(私の) na laklaktat(病気が) kwa kakmakoy matetnaw(または光る(濁りのない)) a ranom(水) so katawtawo(私の体) a aboso(ない) liklikbe'en(病気) nimipinapinan(作ったもの) so makdeng(重い迷信) a nipinapinanan(作ったもの) kwanno(と言って) chiring(話す) da(その人) kapipopopaw(上がる) da rana(泳いだ人).
 
 (訳)わたしの体から、山の霧が晴れるように病気が取れますように、また川の水が濁らずに光ってきれいなように、病気を無くして下さい。私が作った服の重い崇りがなくなるようにしてください。
 
 このように呪祷すると、川から上がって胴と足に巻いていたマニラ麻をはずして、流れの強いところに流すが、そのとき最後に次のように祈る。
 
 yakoimo(私はあなたを) ovain(外す) jyaken(私に) na akmakasosang(あのようになるように) a movay(外しなさい) jyaken(私に) na laklaktat(私の病気) no nipinanan(作ったもの) kwa(私) mangay(行きなさい) ka(病気) rana(晴れる) machiziyod(流れる) do vokow(強い流れ) no ayo(川) a laklaktat(私の病気) no mipinapinannan(作ったもの) kwa(私は) kwanda(と言って) kapaziyod da rana(流してしまう流されてしまう) sya do vokow(強い流れ) no ayo(川)
 
 (訳)わたしは、あなた(マニラ麻のこと)をはずします。わたしの作ったタリリから、わたしの病気が、このマニラ麻と一緒に川の強い流れに、流れていくようにしなさい。
 
 ここでマニラ麻の紐を使うのには意味がある。マニラ麻は切れやすいので、マニラ麻がすぐ切れるように、病気もすぐ体から離れるようにするため祈るのである。
 以上、川や海でのミパスパスパスが済むと家に戻り、家族全員で祝宴を開く。山羊または豚を一頭、屠って(ほふって)料理する。無ければ魚でもよい。両親はもちろん、近くの親戚を招いて会食し、帰りには肉や魚を土産に持たせ、遠くの親戚にも同様に配る。
2、Ivalino(イバリノ)村のミパスパスパス
 イバリノ村はタリリ(またはアユブ)をロバヌワといわれる海岸の岩場に持っていって、ミパスパスパスを行う。実は女性のアユブは海岸でなく、ロラヌンといわれる水場であった。しかしその場が現在では不明であり、ロラヌンの意味もわからない。そのため男性の袖なし上衣と同じ海岸に持っていくようになった。タリリを海岸に持っていく訳は、海には魚の王である飛魚がいること、海が男性の仕事場であることから、大漁を願うのにふさわしいからである。
 
(7)イパリノ村のミパスパスパス
 
 このことから推測すると、アユブがロラヌンで行われ、そこは水場であったというから、ロラヌンは女性の仕事場であるサトイモの水田であったかもしれない。妻は夫と共に今では海岸に行き、潮の寄せる岩場に太陽を背にして腰を下ろし、オヒシバを持って、つぎのように唱えながら祈る((7))。
 タリリとアユブから病気や汚れをオヒシバで拭き取ります。
(竹筒を吹いて)自分の病気を竹筒に吹き出して流します(といって竹筒を海に流す)。
(木っ端を持って)木っ端を捨てるように、自分の病気も捨てます(といって木っ端を海に流す)。
(鶏の羽を持って)この羽と一緒に、病気や悪いものをすべて飛ばします(といって羽を海に飛ばす)。
3、Iraralay(イラライ)村のミパスパスパス
 イララライ村ではオヒシバ、竹筒、小石を持って、海岸のジマラトール(岩が長く出たところの意)という場所に行き、次のように唱えて祈る。
(小石を持って)きれいにできたタリリやアユブを着て、魚や貝が沢山とれますように、お金を儲けて、健康でありますように(といって小石を海に投げる)。(オヒシバを持って)他の村びとが元気で、魚や水芋を沢山とって幸福になりますように、とオヒシバを海に流す。
4、Yayo(ヤユ)村のミパスパスパス
 ヤユ村での呪祷も詳しく述べよう。この村のミパスパスパスはアプトスと鶏の羽だけを持って呪文を唱える。海岸のジマラトールという長く連なった岩のところと、水田(水を張った)に行って儀礼を行う。
 最初に海岸のジマラトールで次のように呪祷する。
 
 yakoimo(私はあなたに) paspasan(迷信) na katawtawoko(自分のこと) no panid(羽) no manok(鶏) akemakay(元気になる) sinalawo(飛ぶ) a sinangasannga(灰が飛ぶ) aloaloi(自分の悪いところ) ko no katawtawo(自分の) ko yani(とき) mirakorako(作った) wa(機織りした) yani maninon so talili(タリリ) a yani mapio(畳んでいる) kot so talili(タリリ) am mipanokonokwo(私は長生きできるように) ko do karawan(いつまでも) na mazezas(白髪になる) so ovan(白髪) na todararake(年寄りになるまで) do karawan(ずっといるように) a mandey(いつまでも) so kacinocinon(いつも機織りするとき) ko ngaran(自分のこと) an so abneka(それで) akemi(あの) makakaranga(高い) tokon(やま) a icakman(私は) ko imiwalam(座る) do pipangapanga(木の枝が出ているところ) ahan(榕樹) no tapa a icakman(私は) ko imandeza(出る) kahanngan(林投) so katawtawo(自分の) so madenek(これで) ka abo(ない) so jimanginara(私のように) jaken(私) na mapintek(ずっといる) do karawan(永久に).
 
 (訳)私は鶏の羽でタリリについている崇りを祓います。あなたに迷信をかけます。私の体の悪いところが、灰のように吹き飛んで元気になりますように、私はタリリを織って、畳んでも(タリリやアユブにも命があるものと考えられており、服を畳むことは膝が曲がって痛くなるのと同じであり、畳むことは命を痛めることにつながるという意味)、私が何時までも長生きしますように、白髪になるまで生きられますように、そして機織りをする私を、高い山のように(気高く)して下さい。私は榕樹の枝に座ります(榕樹は枯れないので、あやかって長生きするの意。)林投の木が茂るように、私を強くして長く長く生きさせて下さい。
 
 imo(私の) rana ayobe(アユブ) ko wam(あの) akemi kani mavonas(なくなった) a tape(タプ) a aloaloy(自分の悪いところ) kano katawtawo(自分の) ko wa angay(行きなさい) rana pacitokad(遠くの方へ) ranadan(行ってしまいなさい) a maraet(悪い) ta alage(運命) no katawtawo(自分の) ko kakman(それで) ko na sotomazokoko(鳴き声のように) ka manok(鶏) so katawtawo(わたしの) kakman(これで) ko idominada(太陽が出る) arawo(太陽) so katawtawo(自分を).
 
 (訳)母親(機織した人)は、私のアユブよ、海岸に生えるタプ(草の名)のように、私から悪いところをなくして下さい。運の悪いところも遠くへ行って下さい。そして体を鳥の鳴き声のようにして下さい(鳥の囀を朗らかと解しているので、あやかって晴れやかになる意)。これでわたしから太陽(光の意)が出るようになります。(このように唱えながら鶏の羽を海に飛ばすように投げて流す。)
 
(8)進水式に盛装した男性たち
 
(9)女性の盛装
 
 ジマラトールでの祈りが終わると、今度は水田の水のあるところに行って、アプトスを持って次のように祈る。
 
 yakoimo(私はあなた) papeto(体を洗う) potosan na katawtawo(自分の) kowa(こと) aptos(アプトス) akema(あの) kyi(これで) minapetose(アプトス) zazoy(鳥黐) jaken(私) maraet(悪いところ) ta alag(自分の運命) ko a cireciren(話す) da no mavavayin(怒る) na tawo(人) wa womtay(話す) jaken(私) na tawo wa kakman(これで) ko so dominadarwo(太陽が出るように) so(その) kolit(皮) yana(あなた) imo pitaliliyina(タリリを着る) yako(私) nicinona(織った) pacikapin(長生きできるように) kekana imowa(私を) yako(私が) nicinon(機織りをする).
 
 (訳)私はオヒシバで自分の体を洗います。オヒシバが、私の運の悪いところをzazoy(ラロイ)(鳥黐の一種)のようにくっつけて取りなさい。怒りんぼうの人がなんと言おうと、私は何も言ってないから関係ない。私の肌を太陽のようにきれいにしてください。私は私の織ったタリリを着せます。私は機織りをしても長生きできますように。
 
 以上に四村のミパスパスパスを紹介したが、他の二村においても、大同小異であった。こうしたミパスパスパスが終わると、女性の場合はアユブをすぐ着てもよい。しかし男性の場合は、タリリをヤミ暦の吉日とされる日を迎えて着衣する((8)(9))。
 ミパスパスパスは上述のように新装のタリリとアユブに行う儀礼で、褌や腰巻きには行われない。つまり暑い熱帯性気候のヤミ島では倫理と衛生上において、下衣の褌と腰巻きは必需品である。それに引き換えタリリとアユブは礼装用の贅沢品であった。その服が福運をもたらしてくれることを願う気持ちと、贅沢な服をあえて着用する奢った振る舞いへの謙虚さとがさせる儀礼であろう。
 ミパスパスパスのほかに、民族服製作にかかわる呪術には、ここでは述べないが、機織り中のアニト除けなどもみられる。
・・・〈東京家政大学助教授〉







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