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親柱トモックを立てること
 ここでは象徴的価値の高い大トモックを立てることに焦点を当て、主屋バアイの場所秩序がどのように構築されるかを明らかにしたい。まず、親柱トモックを立てる過程を簡単に見ていきたい。例としてとりあげるのは、一九九五年にイヴァリヌ村で行われた四門バアイの建造である。
 材料の伐りだしは二年ほど前から始められた。この間、落成礼で客に分配するための水芋や豚・山羊なども準備しておく(註(3)(6))。建造にあたっては、まず敷地を整地し、柱を立てる。それから桁をかけ、親柱トモックを立てて棟木サパワンをかける。二本のトモック(大トモック。小トモック)は朝方には立てられる。大トモックを立てるときは、山羊を縄で大トモックに繋いでゆっくりと立てなければならないとされる(註(4))。また、新しい大トモックを立てる場合、大トモックに繋いでいた山羊を殺しその血を大トモックにつける。ここでは父親から受け継いだ古い大トモックであったので行われなかった。
 トモックを立てて棟木に固定すると、家長が海岸から採ってきた数個の小石を長寿を祈念しながら大トモック、ドバアイ四隅の柱、小トモックの下にそれぞれ囲むようにして置く。これが終わると屋根をかけ、ドスパニドとドバアイに床桁を入れる。それからドスパニドのマバックに三枚の床板を入れる。そのころがちょうどヤミ族の日暦で吉日のマタリンの日になる。マタリンの日の朝早く、家長は銀の兜と腕輪、胸飾りを身につけ盛装し、刀を手に森に榕樹タパの枝葉を採りにいく。持ち帰ったタパの枝葉は家長によって長寿を祈念しながら大トモック上部の棚ミポソソクに掛けられる(ここではトモック上部の垂木に掛けられた)。その後、ドスパニドのマバックに入れた三枚の床板の上で家長と妻と息子が新しいバアイにおける初めての食事をする。そして、この日からバアイのドスパニドで就寝や食事、歌をうたうこと(註(5)写真(7))が可能になる。その後、残りの床板や壁が入れられ、炉の製作を残しつつバアイは形態上の完成をむかえる。
 
(6)落成札の一場面
屋根にのっている水芋は後で分配される
 
(7)落成札で大トモックを背にうたう家長
左右に坐すのは妻と息子
 
 以上が親柱トモックを立てて主屋バアイが完成するまでの概略である。大トモックは立てられるとき山羊を繋げられその血をつけられる。ヤミ族にとって山羊は長寿のシンボルであり、尊ばれる動物といわれている(註(6))。トモックの前面に山羊の角を彫刻することや山羊の血をつけることはそうしたことと関係している。実際、イヴァリヌ村の古老によれば大トモックは山羊の血をつけられるから命があるという。山羊の血をつけることは大トモックに命を入れることであり、大トモックを「バアイの霊魂(pahad no vahay)にすることといえる。また、山羊の血をつけるとき家長の唱える言葉は長生きを祈念するものであるから、「バアイの霊魂」大トモックを立てることは、バアイの存続および家長の長寿と連関していると考えられる。ここで興味深いのは、そうした長寿のシンボルとして、山の動物である山羊が選ばれるということである。長寿ということがバアイの長く存続することと結びついていることは先に述べたが、バアイの長く存続することは大トモックが大地に堅固に立てられることを前提とする。ここでは、山の動物であり長寿のシンボルである山羊が大トモックに繋がれ生贄にされることで、「バアイの霊魂」大トモックが堅固に立てられようとするのである。
 しかし、このように大トモックが立てられても、まだそこに住まうことはできない。バアイが寝・食・歌など基本的生活のできる場所になるのは、榕樹タパの枝葉を大トモック上部に掛けるタパの式を終えてからである。伝説では主屋バアイや副屋マカランが財産を招来し、榕樹タパのように堅固で揺るがず、子々代々伝えるものになるようにと願われる場面が語られている(註(7))。タパはそうした家屋の堅固さと継承、さらに長寿への願いと結びついているのである。また、バアイの落成礼歌では、客に対しての返歌で「樹木に葉が生え茂るように、あなたもまた、同じ様に子孫が殖え栄えますように。そして、(あなたの運勢は)、シピジャグンの山の頂に生えるタパのように高くなりなさい」(註(8))とうたわれている。ジピジャグンとは、洪水神話で海の真ん中に最終的に残ったとされる高い山である。また、副屋マカランの落成礼歌でもおなじように「シピジャグン山頂のタパ」がうたわれている。これは落成礼で客人に分配する芋が高くたくさん積み上げられている様を形容するために、最も高い山とされるジピジャグンや枝葉のよく生い茂る樹とされるタパをとりあげてうたっているのだといわれる。また、「葉の生い茂るタパのようになるように」というのは常用される祝詞であり、これは「人が隆盛する」ことを意味するという(註(9))。葉のよく生い茂るタパは繁栄の象徴として認識されているのである。そして繁栄の象徴であるタパの根底には洪水に際しのこった最も高い山ジピジャグンがある。人の繁栄はそうした山の不動性に根底を支えられているのである。タパの式に際し家長が先祖代々継承してきた大トモックの上部にタパを掛けるのも、タパがそうした樹であったからである。
 
親柱トモックと海と山
 大トモックを立てることに関しもう一つ注目されるのは、山からとってきたタパが大トモック上部に掛けられ、海岸からとってきた小石が大トモック下部に置かれ、長寿などが祈念されるということである。バアイの繁栄や堅固さへの願いと結びついたこれらの物がそれぞれ山と海からとってこられ大トモックの上下に集められる、これは何を意味しているのであろうか。
 さきにバアイの空間構成を見たが、バアイは奥に行くほど内部の暗く囲われた空間になる。三味線の撥のような形をした正面性の強い板柱であるトモックはこうしたバアイの内・外あるいは奥行きを内奥の場所でさらに分節するものとしてある。それは、トモックを境として、トモック前方に外部へと通じる出入口が開かれ、トモック後方に土間という最も内奥の場所が形成されることにも窺える。つまり、トモックがバアイにおける最も内奥の場所を守護する形で外部に面することで、内・外の場所秩序が規定され、最終的に保たれているのである。ただ、トモック後方の土間は最も内奥というだけの場所ではない。たとえば、土間に関わる次のような神話がある。
 
 ジピジャグンに落とされた石から生まれた人の子孫が言った。「わたしはあと一ヵ月の命だろう。わたしが死んだら必ずトモックの後ろに埋めてくれ。」彼らは約束した。「十日後わたしを見に来ても、わたしはもうそこにはいない。わたしは天界に行くのだ。」十日後彼らは見に行った。しかし彼らが埋めたところに彼はいなかった。彼はすでに天界に飛んで行ってしまった。彼は死ぬ前に言った「この世界はもう終わりだ。我々は長生きしすぎたし、おまえたちも多くなり過ぎた。まもなくおまえたちは私の後を追うだろう。海が山に迫り、おまえたちも少なくなるだろう。」それが最後の言葉だった。彼が言い終えると、突然地震が起こり、洪水が起こった(註(10))
 
 この神話で土間は、死者が埋葬される場所として、さらにその死者が天界に飛び立ち消えてしまう場所として語られている。土間は、最も内奥の場所であるが、ときに死や天界という超越的な外部と結びつく場所でもある。最も内奥の場所が最も外部の場所にもなるといえる。そして、そうした超越的外部と結びつく土間の位置がトモックの後ろに指定されているのである。この神話でさらに注目されるのは、トモックによって規定された内・外の場所秩序が崩れるとき、すなわち最も内奥のトモック後方の土間が、死者を埋葬し天界と結びつく最も外部の場所になるとき、洪水という世界の危機が重なって起こるということである。ここではバアイにおける内・外の秩序が、洪水における海と山の秩序と連関しているのである。そして、そうした二つの秩序を連関する要となっているのがトモックである。
 山からとってきたタパが大トモック上部に掛けられ、海岸からとってきた小石が大トモック下部に置かれ、バアイの堅固さや長寿への願いが祈念されることの意味もこうしたことから明らかとなる。つまり、山と海からとってこられたこれらの物が、大トモック上下に集められることで、大トモックに海と山が摂り集められるのである。さきに大トモックの堅固さが山の不動性において支えられることを述べたが、山の不動性もまた大トモックにおいて護持されるのである。つまり、住まう場所としての不動性は大トモックと山との相補的な結びつきにおいて成立しているといえる。そして、そうした不動性がたち現れるのは、大トモックに海と山が摂り集められ、根底から無化する海と不動性を有した山とがたち現れるかぎりにおいてであり、バアイの堅固さや家の繁栄が願われるのもそうした場所においてである。
 ここまで見てきたように、ヤミ族にとって「バアイの霊魂」大トモックは、バアイが住まう場所となる根拠として、あるいは住まう人にとっての中心として立てられていた。また山はそうした住まう場所を根底から支えるより根源的な中心であった。大トモックが「住まう」人にとっての中心となるのも、不動性を有した山に支えられるかぎりにおいてであり、山が不動性を有してたち現れるのも、大トモックが立てられるかぎりにおいてであった。そして、そうした大トモックと山との相補的な結びつきを成立させるのが海−山方向であり、その方向に沿ってある「中心・中間の場所」マバックであった。マバックは海−山方向に大トモックさらに山と結びつく不動性を有した中心として設けられていたのである。そして、マバックがそうした場所であるからこそ、そこが主屋バアイにおいて食べ、眠り、うたう最初の場所にもなったのである。
・・・〈大阪産業大学〉
 

註(1)ヤミ族は死亡した人間の霊魂である死霊アニトを信じている。死霊アニトは悪霊を意味する場合と祖霊を意味する場合とがあり、死体や喪に服している家族を指すこともあるなど、複合的な意味を有している。また祖霊をとくにコミリンということもある。
註(2)乾尚彦「地域小集団による建築生産の研究−蘭嶼の居住空間−」『住宅建築研究所報』十一 一九八五 三四四頁参照
註(3)バアイ建造後に執りおこなう主屋落成礼ミバライはヤミ族の建築儀礼のなかで最も重要なものである。主屋落成礼は客に対して大量の水芋や豚肉を分配しなければならないため、それ相応の資力のあるものでなければ行うことができず、三年以上も前から準備しなければならないといわれる。この主屋落成礼は三・四門バアイの建造に際してのみ行われる。ここに三・四門バアイの重要性が窺える。
註(4)方鏗雄「蘭嶼雅美族傳統住居建築之研究」私立淡大建築研究所碩士諭文 一九八四 一五八頁参照
註(5)「床板がある程度できると落成礼のための歌の練習が始まり、寝泊まりもできるようになる」(乾前掲書(2)三五一頁)といわれるように、三枚の床板が入れられると家族で毎晩のように歌がうたわれる(ときに古老も招かれる)。また、主屋落成礼では集落内外の客人をバアイに招いて家長を中心とした歌会が開かれる。これは昼に始まり、食事などをはさんで夜を徹して行われる。このように歌はバアイを住まう場所とする上で、寝・食と同様に重要な行為である。
註(6)鹿野忠雄「紅頭嶼ヤミ族の山羊の崇拝に就いて」『人類学雑誌』四五(一) 一九三〇 外山卯三郎『ヤミ族の原始芸術』造形美術協会出版局 一九七〇 九九頁参照 方前掲書(4) 四〇頁参照 鹿野は「大昔、羊頭の人が、南洋から来て、はじめに小紅頭嶼を創り、それから、此の紅頭嶼を創って、又南洋の方に帰って行った」という神話を挙げ、超人間的な行為をする神話的人物に山羊が関係していることも指摘している。
註(7)劉斌雄「雅美族漁人社的始祖傳説」『中央研究院民族學研究所集刊』五〇 一九八〇 一五五頁参照
註(8)皆川隆一『雅美族民俗資料II−〈歌謡編〉−私家本 一四頁参照
註(9)董瑪女「野銀村工作房落成禮歌會(中)」『民族學研究所資料彙編』四 一九九一 二三・八五頁参照
註(10)Benedek Dezso "A COMPARATIVE STUDY OF THE BASHIIC CULTURES OF IRALA, IVATAN AND ITBAYAT", a Dissertation in Comparative Literature, The Pennsylvania State University 一九八七 二三七〜二四〇頁参照







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