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――現代いろは考「お」――
恐れ入谷の鬼子母神
 アメリカは、いつからこんな傲慢な国になったのだろう?自分たちが「正義」と考えていることを他国に押しつけて「解放する」「自由化する」と、国際的な世論にも耳を貸さずに、薮から棒に戦争に突き進むとは、恐れ入谷の鬼子母神。「世界の警察」が聞いて呆れる。そういえば、ヤブの二代目が親分だったけ・・・。
 力(権力、経済力、軍事力等々)ですべてを押さえることができると考えるのは、あまりにも僣越で、人間を侮辱している。これが、ネオ・コン(ネオ・コンサーバティブ=新保守主義)といわれる人たちのやり方だとすると、薄ら寒くなる。気に入らないものは潰す。自由主義の衣を着ているように見えるけど、独裁者となんら変わるところはない。同じ穴のむじなじゃないか。
 圧倒的な物量を誇り、大量の枯れ葉剤をばらまいてジャングルを丸裸にしても、アメリカはベトナム戦争で勝利を得ることはできなかった。アフガニスタンでは、ロシアもアメリカもゲリラに手を焼いた。古くは、ナチスドイツに対するフランスのパルチザンを思い浮かべればいい。侵略者から自国を守ろうとするゲリラの力は、予想以上に手強く、押さえつけることはなかなかできない。圧殺しようとするなら、ゲリラの仲間(国民・民族)を全員殺さなければならない。
 敵討ちされないようにするには、敵討ちをしようとする人間を無くしてしまう(全員殺す)のが一番。残虐非道といわれるかもしれないが、情けが仇にならないようにするにはこれしか方法はない。戦時には、平時の「道理」が通用しない。それだけ特殊な状況になり、人間が人間でなくなるのである。だからこそ、戦時という状況を作りださないようにしなければならない、と思う。
 以前、軍医の経験があるという医師に、こんなことを言われた。「前線の野戦病院で負傷した兵士の治療の順番は、どうするか知っている?」「死にそうな人から治療するのでしょ」と答えると、ニヤっと笑って「誰もが、そう思うよね。ところが違うんだ。軽い兵士から治療する。なぜだと思う?」。分からないので黙っていると「軽い怪我の兵士は、治療して、また戦場に送り出すことができるからさ」。
 この医師は、敬虔なクリスチャン。戦場の論理は、人間性と無関係なところで成り立っていることを、戦争を知らない私たちに伝えたかったのだと思う。戦時の合理的な考え方が、平時とあまりにもかけ離れているのに驚かされた。
 戦時の道理を考えると、「民間人は攻撃しない」という説明は、白々しく聞こえる。ゲリラや民兵が「私はゲリラです」「私は民兵です」と腕章を巻いて出て来るはずがない。物量に対抗するには奇襲しかないわけだから、区別がつかないようにして近づくのが、当たり前の戦法。アメリカ兵だって人の子、ヤバイと思ったら、民間人とゲリラの区別をする前に発砲するしかない。
 「正義の味方づら」して侵攻した手前もあってか、とりあえずはきれいごとを言っている。実戦経験のある軍人にしてみれば、へそで茶をわかす話だろう。テレビなどの報道で見ている限りでは、国と国とがゲームのように戦争していて、人と人とが殺し合いをしている現実が見えなくなる。
 負傷したいたいけな子ども、狂乱状態で家族を探し求める母親――このような場面に出会うと、戦争は悲惨だと感じる。メディアがよく使う手法だ。そのこと自体は事実だろうし、確かに悲惨さは伝わる。でも、国という巨大な組織同士が争う姿や理由は見えてこない。侵略された側が、国を守るために戦うのは分かるのだが、侵略する側の論理はある種のエゴとしかみえない。
 なぜ戦争するのか、戦争で得るものはなんなのか、どのような利益・不利益をもたらすのか、利益を得るのはだれか・・・いろいろあっても、結局被害を受けるのはいつも「私たち」なのだ。
 戦争にゴーサインを出した、ヤブの二代目は、戦場の露と消えていくたくさんの人間の命をどう思っているのだろうか。
(えびす)
 
 
 
――子ども総研から――
日本子ども家庭総合研究所
「こどもの栄養」五六六号、二〇〇三年、二〜十二頁 「子どもと食−心と身体の栄養学−」(新潟県立新潟女子短期大学)
 
 「食」「食べる」とは、動物や人にとって生きていくための最も基本的な行為の一つである。私たちの「生活」における「食行動」は、狭義の摂食行動ではなく、一般的に食物の獲得、調理、供食、食事のマナーなど、人の「食」に関わるすべての行動という概念で用いる。即ち、食生活は食行動の集積といえる。
 私たちの体は生体リズム(一定の周期で変化する生命現象)をもち、一日を周期とする日内リズムを示す生命現象に影響されている。一定の時間帯に規則的に食事を摂取すると、これに対応して体内の消化・吸収機能が働き、摂食時間になると予め消化酵素の分泌量が増加してくることが明らかになっている。即ち、育児の原点は、成長の段階に応じた生活リズムの確立にあり、それは「食事」と「睡眠」によって位置づけることができる。
 乳幼児期の子どもは積極的に食物の選択ができる能力が乏しいので、母親や保育者の食生活(栄養の知識や食事態度)が大きく影響する。また、成人と同じ食事が問題なく摂れるようになるのは、五、六歳頃である。この頃は適切な食習慣を身につけるのに大切な時期ではあるが、無理なしつけは子どもの情緒障害を起こし、食欲不振や偏食の原因となる。食行動の発達には一つの流れがあることを踏まえて、和やかに食卓を囲む場で見せる大人の食事マナーなどが、子どもの食行動の結果として現れることに十分留意する必要がある。
 保育所においては、生活それ自体が教育の場であるために、食事(給食)も単なる栄養補給にとどまらず、幼児の人間形成のうえで大きな役割を果たしている。そこで、保育者は(1)食物の賢い選択のできる能力の育成、(2)自分の健康管理ができる能力の育成、(3)食事マナーの育成、(4)食糧生産や生活環境への意識導入などを目標に、幼児に対して食教育を実践することが望ましい。
 子どもは成長に伴い様々な経験と知識を蓄え、食生活を理解、実践していく。この過程で、大人がどのように関わってきたかにより「食」の理解が違ってくるであろう。この時期に関わる家族、保育者、地域の大人の役割は重要である。「子どもと食」を考えるには、私たち大人自身が毎日の生活を豊かに楽しく営んでいるかが問われているように思う。
 
「食べもの文化」三一五号、二〇〇三年、十〜三十二頁 「治療・除去食以上に解除食が大切」 森岡芳雄(医療法人神戸健康共和会 東神戸病院小児科)
 
 アトピー性皮膚炎は、基本的には皮膚炎とかゆみを主症状にする皮膚の病気である。皮膚の弱さと体全体の免疫異常(アレルギー)が結びついて発病してきたものとして捉えられており、ステロイド外用剤を中心としたスキンケアにより治療をすることを第一選択とし、これによりコントロールできないものに対して、食事療法やある種の紫外線照射治療などを提起している。これに対して、食物アレルギーとは食物と食物に関わる食材が、アレルギー反応の抗原として関与する病気の一群を指している。
 以前からアトピー性皮膚炎の治療に食事療法を導入してきたのは、(1)食物アレルギーの治療・予防、(2)アレルギー体質憎悪の抑制、(3)アレルギーマーチの阻止の観点からみて、食事療法や環境整備が重要だからである。本来、食事療法実施の程度や継続期間は、皮膚症状を基準に決めるものではなく、体全体でのアレルギーの病状や子どもの成長や消化能力の成熟などに合わせて行われるものである。
 食物アレルギーに対しての食事療法は三つの要素で構成されている。第一は臨床経過や検査により陽性判断された抗原食物の除去を行う「除去食療法」、第二は抗原食物を除去することにより食事内容に意図的な制限が加わるが、栄養摂取上、問題が生じないようにその補充を積極的に計る「代替食療法」、これには除去食をしたときに似たようなメニューを考え、見栄えまでも考えて、子どもたちの精神的な部分をサポートしていくようなことも含まれるかもしれない。第三はアレルギーの病気が出にくくなるように、抗原食物を増やさないようにすることを目標にする「予防食療法」である。
 食事療法を実施して、症状が落ち着き一定期間が過ぎると以下の点を考慮して解除計画を立てる。まず第一は年齢である。年齢に応じた便の状態を見ながら消化能力の成熟を考え、精神発達を考えて検討する。第二は社交性や個性も含めて、一般的な食生活状況と消化管カンジダ(腸内悪玉菌)の影響を見る。第三は症状の経過、検査成績から耐性、寛容獲得の可能性の有無を判断材料とする。その他にもアナフィラキシーを起こす可能性の有無、集団(社会)への参加状況、食事療法継続の適性などを踏まえるようにする。
 除去食を解除していくと、その経過には「全面解除型」「順調型」「減感作型」「途中再燃性」「解除困難型」などのいくつかのタイプがあることが見えてくる。食事療法解除には危険が伴うので、家族・患者だけで実施してはならない。必ず、専門の医師の指導下で実施することが大切である。
 
「食生活」九十七巻一号、二〇〇三年、十四〜二十頁 「適度に甘い食生活が健康に及ぼす効果−食生活における糖質と甘味の役割を見直す−」 安本教傳(椙山女学園大学大学院生活科学研究科研究科長・教授)
 
 食事からの糖質は、腸内で消化されたのち、主にブドウ糖として血中に出て、体組織に必要なエネルギー源として利用、貯蔵される。ブドウ糖はすべての組織で利用されるが、特に脳の正常な活動の赤血球の浸透圧維持になくてはならないものである。
 このために必要なブドウ糖の量を見積もると、体外からブドウ糖を定期的に補給しなければ、血中のブドウ糖だけでは一時間ともたない。肝臓のグリコーゲン蓄積量も、半日で枯渇してしまう。つまり、一日三食に分けた食生活は、脳、赤血球、肝臓に必要なブドウ糖を補うのに都合がよい習慣なのである。
 朝食を摂取しない子どもには、精神的不安定に加えて学力低下、体力低下、栄養の偏りなど、様々な問題があるといわれている。日本保育協会によると、朝食を摂取させないで保育所に預けられる幼児が、都会で目立って増えているという。また、二十歳代の朝食抜きが男性で三〇・五%、女性で一六・三%に増加している。この朝食抜きの習慣は幼児の時代から作られたものである。
 朝食抜きの子どもは、午前中、血中ブドウ糖濃度が低いために、脳へのブドウ糖供給が不十分になり、頭が働かない。これはおそらく血中のブドウ糖がコリン作動性作用物質を介して脳の機能に影響を及ぼすからではないかと考えられている。
 伸び盛りで運動量の多い子どもは多くのエネルギーを与える必要がある。一回の食事から供給できるエネルギー量には限りがあるため、間食は不足するエネルギーを補うのに有効である。特に脳がまだ発達期にある子供たちにとって、速効性の砂糖で作った甘いおやつが大切な栄養供給手段となる。とはいえ、やはりそれだけではなく、でんぷんやたんぱく質も加えるような工夫を、おやつを与える者は心がけてほしい。
 糖質の摂取量と脂肪の摂取量との間には逆相関関係があり、糖質の摂取が多いと、脂肪の摂取が少なくなり、そのために肥満になり難い傾向がある。また、他の研究結果からも、砂糖(ショ糖)摂取と肥満等に関連はないことが明らかにされている。
 現代社会においては、砂糖は脳の機能を維持するだけではなく、でんぷんの老化防止、ペクチンのゲル化、脱水、保水性改善、泡立ちの保持、たんぱく質の凝固抑制、酸化防止、防腐など、様々な食品加工・保存上の目的で利用されている。
 これまで、砂糖を摂取すると糖尿病、心臓病、肥満などの生活習慣病に罹患しやすくなるといわれていた。しかし、その俗説の多くはいわれのないものであることが、化学的に明らかとなっている。そして、むしろ砂糖の体内での働きや食生活に果たす役割が見直されるようになった次第である。
 
母性衛生四十三巻一号、二〇〇二年、二十五〜二十七頁「哺乳瓶の消毒法の検討」 尾家重治、神谷晃(山口大学医学部付属病院薬剤部)
 
 哺乳器具の消毒法として、消毒薬や煮沸による方法に加えて、電子レンジによる方法が用いられている。しかし、これらの消毒法の効果についての検討は少ないのが現状である。そこで、各種の微生物を付着させた哺乳瓶を用いて、次亜塩素酸ナトリウム(ミルトン)およびジクロルイソシアヌール酸ナトリウム(ミルトンタブレット)の二種の塩素系消毒薬、煮沸、および電子レンジの消毒効果を比較検討した。
 電子レンジの強(五〇〇W相当)および弱(二〇OW相当)での三分間処理や、煮沸十五分間処理は、代表的な食中毒原因菌三株、院内感染菌二株に対しては有効であったが、物理化学的抵抗性の強い芽胞菌一株についての効果は十分ではなかった。しかし、塩素系消毒薬のミルトンおよびミルトンタブレットはすべての菌に有効であった。このことから、これらの塩素系消毒薬はウイルスや結核菌を含むすべての微生物に有効といえる。また、これらの塩素系消毒薬は低残留性(蛋白質と反応して食塩に変化)という利点もあり、哺乳瓶の消毒に適した消毒薬である。ただし、これらの塩素系消毒薬は、有機物で不活化されやすいので、前もって汚れを除去後に本薬を使用する必要性がある。
 電子レンジや煮沸による方法では、多くの病原微生物には有効であるものの、乳児ボツリヌス菌芽胞などには効果が弱いと推定される。また、熱傷を負う危険性や、熱で材料劣化を招くなどの欠点がある。従って電子レンジや煮沸は、必ずしも哺乳器具の消毒に適した方法とはいえない。
(堤ちはる)
 
子ども家庭福祉学“創刊号” 117 「障害児の母親の育児コンボイと精神的健康度の関係」 種子田綾・林仁実・中嶋和夫
 
 障害児をもつ母親を対象に社会関係の構造を実証的に検討したものは少なく、さらに精神的健康度やQOLへの影響度を検討した研究はほとんどみあたらない。本研究は、障害児の母親に対する養育支援に関する指針を得ることをねらいとして、母親のコンボイ(個人を周りから支える支援システムを護衛艦隊(Convoy)になぞらえて概念化した育児をサポートするネットワーク)を調査し、そのモデルのデータに対する適応度を検討し、育児コンボイと精神的健康度の関係について検討することを目的として実施。
 障害児をもつ母親二一九人を対象に、育児コンボイと精神的健康度の関係を構造方程式モデリングで解析した。その結果母親は育児コンボイを「home member」〈夫、自分の両親、夫の両親〉、「relatives」〈親戚、近所の人、友人〉、「profession」〈療育・訓練などを行う施設、医療機関、行政機関または公的な相談機関〉の三領域で認知していることを明らかにした。またこの育児コンボイは「home member」「profession」「relatives」の順で同心円の中心から外側に向かって配置されるものと推察された。これはkahnの提唱する「コンボイモデル」とは異なるもので、専門家と友人・隣人などの時間とともに変化しやすいメンバーの配置が逆転する事を特徴としていた。
 また育児コンボイと精神的健康度への影響は、「home member」が母親の育児にとって助けになると評価している者ほど、精神的健康度も良好であることが示唆された。この結果は、母親の精神的健康度に最も有効であると考えられる「home member」との関係を強められるように援助することの重要性を示唆するものである。しかし、他方において、障害児の母親の育児コンボイにおいて重要な位置を占めていた専門家の支援が、精神的な健康度の維持・向上に有効に機能していなかったことは、専門家の関与のあり方に対する問題提起とも解釈でき、この点については今後とも慎重な検討が必要であると推察された。
 Kahnの提唱する「コンボイモデル」と、本研究で示唆された母親のコンボイモデルが異なるのは、日本独自のモデルなのかどうか、今後、健常児のみを育児している母親のコンボイを検討することで検証されることが期待される。
(菊川由美)
 
 
 
第三者評価と保育園
 
――保育園は変わるのか――
櫻井慶一著
 筆者は平成七年夏にアメリカ・ワシントン市で、その最大の保育サービスの第三者評価機関である「保育アカデミー」の講義を受け、「チェックリスト」を参照する機会を得て以来、このシステムについての実践的研究に関心を持ってきた。また、評価機関である全国保育士養成協議会の実施した平成十三年の試行調査事業にも参加した。
 本書は平成十四年七月に新潟県の保育士会の研修で行った講演を基に編集されたものである。
主な内容
1、第三者評価とは 2、評価の種類(1)自己評価、利用者評価 (2)市場評価 (3)相互評価 (4)行政による評価 3、第三者評価と他の福祉施設 4、保育園の第三者評価の利用のしくみ 5、第三者評価の実際〜試行事業調査結果から〜 6、第三者評価の効用と今後の課題
定価一六〇〇円 新読書社発行
問合せ・注文先TEL03(3814)6791
 
 
 
パパとママとあき(31)
「幼稚園入園」
石川賢司
 
イラスト・松村隆
 
 四月十日、あきの入園式があり、私も半日休暇を取って出席した。当日は、幸い穏やかに晴れわたり、桜の花は、盛りの頃は過ぎていたが何とか散らずに残っていて、まさに入園式にふさわしい日和だった。
 あきの幼稚園の制服は、真っ白いシャツとハイソックス、園のエンブレムが胸についている赤いベスト、紺色の上着と半ズボン、つばがついた紺色の帽子、というもので、制服姿がとてもかわいらしい。
 あきは、ずっと楽しみにしていた幼稚園がいよいよ始まるのがよほどうれしいのか、朝から大変なはしゃぎようだったが、うれしいのは親も同じである。ここまで無事に成長し、わずかな時間ではあるが親を離れて、社会の仲間入りをする第一歩を踏み出したことが、とても感慨深い。特に、この四年間ずっとあきにつきっきりで、子育ての苦労をたくさん経験してきた妻は、一人で過ごせる時間がやっとできることもあり、ほっとしたようである。
 家族三人で幼稚園に着いて、お決まりのように園庭の桜の木の前で記念撮影をし、あきのクラスである「ゆり組」の教室でしばらく待ってから、入園式へ。新入生が縦に一列に並び、その隣に親が一人だけ付き添って、式場へ向かった。早生まれのあきは、他の子に混じってみると、体がずいぶん小さく見える。あきと身長が同じくらいの女の子も多く、あきのすぐ前に立っていた四月生まれの男の子とは頭一つ分くらい身長が違っていた。ちなみに「ゆり組」は、あきのように年中組からスタートする子が十六人、年少組から上がる子が十六人の合計三十二人いるそうだ。あきはこれまで、幼児教室には通っていたが、本格的な集団生活をするのは初めてであり、しかも周りには自分よりも体が大きな子がたくさんいるので、幼稚園での生活にうまくついていってくれるだろうか、と見ていて少々心配に思った。
 入園式では、私は式場の後ろの方から、他のお父さんと肩を並べて、人のすき間に見え隠れするあきをビデオで撮影していたのだが、カメラ越しに見えるあきは、園長先生等の話が続く間も大人しくしていて、全員で幼稚園の園歌を歌う時には、あらかじめ妻に演奏してもらって覚えていたこともあり、よく歌っていた。また、式の後に教室で、先生が一人ずつ名前を呼んで出席をとっていき、あきの名前が呼ばれるまで私まで緊張していたのだが、呼ばれたあきは「はーい!」ときちんと返事をしてくれていた。こんな風に、あきのことでいちいち心配しては、思った以上にしっかりしていて安心させられることを繰り返すうちに、一連の行事が無事に終わった。これまで、自分で身仕度をさせるなど、普段から生活習慣に注意を払ったり集団生活の決まり事を教えるようにしていたのだが、少しずつ身についてきたのかもしれない。
 その翌日から、あきは毎日元気に幼稚園に通い、とても楽しんでいるようで、ほっとしている。これから、たくさんの友達と交流しながら、いろいろなことを大いに学んでいってほしいと思う。
 
 
 
事務局から
▽去る四月九日、規制改革会議は幼保一元化等に関する公開討論を行った。前半の、文部科学省と厚生労働省に対する討論を傍聴する機会を得たのだが、総じて視点がはっきりしないのと、論点が従来の枠を超えていない。というよりも枠を超えて議論するだけの準備と基本的な知識が充分ではないと思われた。傍聴者の席からはあまりに初歩的な委員の質問に対して驚きとも落胆ともとれる声があがった。厚労省との討論の概要は次号に掲載予定。







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