北九州演劇祭
主催:北九州演劇祭実行委員会
(財)北九州市芸術文化振興財団
北九州市教育委員会
会期:2003年8月23日(土)〜11月9日(日)79日間
キーワード『新生演劇祭〜劇場元年〜』
平成5年、北九州市制30周年記念事業として誕生した北九州演劇祭。
演劇祭11年目にして、ついに演劇専用の劇場が誕生する。
これまで、演劇祭で取り組んできた様々な活動がこの劇場で大きく花咲く。
今年、劇場元年。
生まれたての北九州芸術劇場とともに、北九州演劇祭も生まれ変わります。
市民企画公演 |
本公演(5回) |
532人 |
アフタートーク(1回) |
125人 |
推薦劇団公演 |
飛ぶ劇場(12回) |
1,252人 |
劇団夢の工場(4回) |
281人 |
うずめ劇場(2回) |
643人 |
劇団青春座(3回) |
1,720人 |
自主参加公演 |
市内劇団(7) 市外劇団(6) 13劇団 |
2,450人 |
第1回北九州パントマイムフェスティバル |
タウンマイムフェス |
20,810人 |
シアターマイムフェス |
3,182人 |
後援事業 |
4企画 |
4,039人 |
参加者総計 |
35,034人 |
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市民企画公演
家には高い木があった
演劇祭の新たな顔となった「市民企画公演」。
公演企画を一般公募し、その企画の立案者である“市民プロデューサー”と北九州演劇祭実行委員会が共同で作品製作を行いました。今回選ばれた企画は、市内在住の大福悟さん(プロジェクトRUN)が立案したもの。劇場が誕生した今年、「演劇の街・北九州」の実力を試そうと、あえて既製の傑作戯曲を北九州バージョンに書き換え、著名劇団の演出家に演出を任せるという企画でした。
青森県を舞台にした原作を、うまく北九州に置き換え、北九州の言葉で演じた舞台は、丁寧な演出により、味わい深い作品となりました。
「地方の力」を試す―「企画書」より抜粋―
21世紀になり、ますます地方演劇が面白くなりました。北九州でも、10年間続いてきた北九州演劇祭が基礎となり、地元で活動をする演劇人はその力を確実につけてきました。そして、劇場の誕生する今年、北九州の「地方の力」を試す企画を考えてみました。北の地方演劇の雄、弘前劇場の代表作でもある「家には高い木があった」を北九州バージョンに書き換え、エピソードだけでなく、台詞も北九州の口語にしての上演です。また、役者は一般公募によるオーディションを行い、広く市民の参加を呼びかけます。さらに、演出には、結成から60年以上を数える日本演劇界の重鎮、文学座より演出家を招きます。参加する地元演劇人のスキルアップのみならず、「地方の力」を観客だけでなく演出家に対しても試してみたいのです。舞台美術についても演出家と協議をし、他の劇団が行わない舞台使用を考え、演出に活かしてもらいます。
裏、表共に市民の力を集結し、演出家により参加者のスキルアップも図る作品作り。北九州という地域性も十分出せ、必ずや演劇祭の魅力あるラインナップの一つになると確信しています。
[市民プロデューサー・プロフィール]
大福悟(だいふくさとる) 1965年生まれ
北九州市在住。学生時代に高校生ばかりで劇団「芝居問屋夢の工場」を旗揚げ。解散後「劇的企画集団NEO」「劇団夢の工場」を結成。「劇団夢の工場」は北九州市民文化奨励賞を受賞。退団後は主催するプロデュースユニット「プロジェクト嵐―RUN―」で個人によるプロデュース公演を、代表を務める「劇団C4」では新人育成にも力を入れた劇団活動を行っている。また、「プロジェクト嵐―RUN―」とは別に「プロジェクトRUN」の名前で制作集団を結成。演劇のワークショップや演劇教室のプロデュース、演劇公演の制作などを行っている。
[作者プロフィール]
長谷川孝治 1956年生まれ 青森県出身。弘前劇場主宰。‘78年劇団旗揚げ。‘95年「職員室の午後」で第1回日本劇作家協会最優秀新人戯曲賞受賞。演劇を人生の中心に置きつつ、演劇以外のインカムに頼る生活を提唱している。
[演出者プロフィール]
 田俊哉 1961年生まれ 熊本県出身。文学座所属。‘86年文学座付属演劇研究所入所。その後座員(演出部)となる。文学座以外にも演出家として広く活躍している。主な演出作品「苺とジゴロと一日花」「花の氷室」「海と日傘」「夏の季節」他多数。
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