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Break Time
ブレイクタイム
 
下関市港湾局長
谷川勇二
 
 
20XX年、国際観光都市下関!!
 
 ある夏の日、気が付くと、砂浜に横たわっていた。ここは・・・巌流島の砂浜だった。どうして、ここに?・・・辺りはまだ暗い。迎えの渡船はまだ来そうにないと溜息をつきつつ、七色に光る海峡夢タワーをぼんやり見上げている間、周囲の“異変”にすぐには気づかなかった。
 海峡夢タワーの東側の岬之町地区にはコンテナターミナルがあったはずであるが、そこには、ずいぶんと酒落たデザインの高層ビルが建っているではないか!?水際には帆船が停泊している。驚いて、岬之町の東隣側のあるかぽーと地区に目をやれば、ここにもビルの明かりが映っている。ホテルと大型商業ビルの計画はあったが・・・既に完成している!?
 しばし、我を忘れて呆然と立ちすくんでいた。ふと、関門橋の方向を見ると、東の空が薄っすらと白じんでいた。夜明け前なのだ。にもかかわらず、唐戸と門司港とを結ぶ渡船らしき船、いや明らかに関門渡船が海峡を横断しているのが見える。これは本土に戻るチャンスである。巌流島の魚つり桟橋から、手を振り、大声で助けを求めた。「おーい!誰かー!」・・・さすがに、関門渡船までは声が届かないようだ。が、どこからともなく1隻の小型クルーザーが近寄ってきた。「ありがとう。助かったよ。」とお礼を言うと、船長はけげんそうな顔で、「お客さん、どこまで行きますか?門司港?唐戸?それとも、あるかぽーと?」と。“お客さん”という言葉に戸惑いながらも、「下関駅に近い所まで」と答えると、「じゃあ、下関港国際ターミナルでいいですか」と言いながら、細江ふ頭に向けて出航した。「細江ふ頭に接岸するには係留許可申請がいるんじゃないですか?」と尋ねると、「ああ、あたしらは、この関門海峡沿いなら、どこでも着けていいんですよ。ほらっ」と船長の指さす船内の壁には“関門海峡海上タクシー免許証”と書かれた、九州運輸局長名の証明書が貼ってあった。唖然としながら、細江ふ頭に着岸すると、「350円になります。」
 細江ふ頭では、下関港国際ターミナルがかなり大きく増築されていた。いつの間に・・・というよりも、どうやら“浦島太郎”になった自分に気付き始めていた。一日、二日気を失っていたどころではなさそうだ。ただ、それでも、この街を見てみたいと、惹かれていく自分がいた。
 国際ターミナルの中に入ると、レストランやショッピング店があり、多くのお客で賑わっていた。日本語だけではなく、韓国語、中国語、英語が飛び交っているし、大きな手荷物を持っている人も多い。どうやら乗船待ちの旅客のようであるが、こんな時間に出航するフェリーはなかったはず・・・と岸壁方向に振り返ると、今、まさに一隻のフェリーが接岸中だ。“はまゆう”という船名から日韓フェリーであることが分かったが、以前に比べて、気品と力強さが増している。それほど間を置かずに、さらに一隻、“ゆうとぴあ”が入港してきた。日中フェリーだ。ターミナル内に掲示された時刻表を見ると、目韓フェリーは一日4便、日中フェリーは一日2便となっている。ずいぶんと便数が増え、航海時間も短いが、これは一体?・・・。ターミナル内の下関港紹介コーナーに“世界初、TSL国際フェリー!!”とある。なるほど、TSL(テクノスーパーライナー)が既に、ここ下関港と東アジアとを結ぶ、世界で始めての国際フェリーとして就航していたのだった。
 
 
 日韓、日中それぞれのフェリーから、ぞくぞくと乗客が降りてきた。日本人もいるようだが、やはり韓国人や中国人が多いようだ。彼らの動向を眺めていると、ターミナル内で手荷物を預けて外に出ていく一行、男女7人のグループがあった。“こんなに朝早く着いて、どこにいくのだろうか?”と後についていくと、ターミナルの表玄関前で自転車を借りていた。
 “サイクルタウン下関”が頭に浮かんだ。自らも自転車を借りてみた。1日500円で市内主要地点にあるサイクルステーションのどこかに返却すればよいという。細江から岬之町に入っていくと、水際線沿いはきれいな緑地となっており、その中に自転車道が続いている。海峡に並行する岸壁沿いの道に入ると、ちょうど朝日を背景とした関門橋の姿を正面に望む。右手には、巌流島から見えた帆船が係留されており、静かな港の雰囲気を漂わせている。さらに進んで、あるかぽーと地区に入り、ホテルの横を通り抜け、商業ビルの前を通過して行くと、“青春交響の塔”の前で先程の韓国からの一行が記念撮影をしていた。
 
 
 思わず、「アンニョンハセヨ?(おはよう)」と呼び掛けると、「アンニョンハセヨ?」と陽気な応え。気を良くして、この搭が日本の維新の立役者である高杉晋作と坂本竜馬を象徴して2003年に設置されたことや、この先に“海響館”というユニークな水族館があることなどを説明しているうちに、すっかり観光ガイドの気分である。
 一緒に自転車を走らせ、海響館から唐戸市場の周りのボードウォーク沿いに行くと、その先は海峡沿いにサイクリングロードが関門橋の下まで続いていた。この辺りは、ほぼ直線で見通しが良く、海峡を航行する船舶達と併走していると、まるでセーリングしているようだ。さすがに、大小合わせて1日約700隻の船が行き交う関門海峡であり、特に、この早朝の清々しい風が格別に気持ちがよい。壇ノ浦古戦場跡のあるみもすそ川公園に着いた時に、彼らから、このサイクリングロードを走るのは、今やアジア各国からの観光オプションとして非常に有名だと教えられた。ただ、昼間はそうした観光客が増えてくるので、客の少ない早朝を狙うのが“通”なのだそうだ。また、関門花火大会の8月13日に夕方到着便で来るのが韓国では空前のブームとなっているそうだ。彼らはここから関門人道トンネルを通って門司側に渡り、門司港レトロあたりを回った後、関門渡船でまた下関側に戻ってくると言う。「アンニョンヒカセヨ!(さようなら)」と手を振って別れた。
 
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 さて、これからどうしようか?と人道トンネル付近で思案していると、“火の山行きシャトルバス”の看板が目に入った。かつてはロープウエイで登ったものであるが・・・、などと感慨に浸りながらシャトルバスに乗り込んだ。発車待ちをしていると、中国からの旅行客の一行が乗り込んできた。中国語は苦手であったが「ニーハオ!」とだけ軽く挨拶しておいた。
 火の山頂上に到着した。自然を活かした美しい公園として再整備されていたが、やはり火の山からの眺望はすばらしい。瀬戸内海、関門海峡、日本海の3つの海と本州、九州2つの大陸を望む景色は、ここでしか味わうことのできないものだ。太古の昔から続くこの美しい景色を見ると、千年が一瞬のごとく思えてならない。千年前に、ここで誰かが同じ景色を見て感動し、その感動は千年後もまた同じなのではないだろうか?
 関門海峡を航行する多くの船舶が見える。唐戸桟橋からユニークな球形船体の船が巌流島に向かって出航した。ヴォイジャーか!?瀬戸内側からは双胴型旅客船が凄いスピードで海峡に入ってきた。松山からのシーマックスのようだ。南西方向には西日本一の高さと優美さを誇る海峡メッセ下関の海峡夢タワーと、その向こう側に彦島が見える。よく見ると、彦島から九州に向かって大きな橋が建設中だった。その近くを関門海峡フェリーらしき、小型フェリーが航行している。さらに遠く日本海を眺めると、ガントリークレーン4基を載せた沖合人工島が浮かんでおり、コンテナ船2隻が荷役中である。
 今が西暦何年なのかは分からないが、下関が国際観光都市として、また、東アジアとの交流拠点として飛躍的に発展していることは分かった。
 
 こんな夢を心に描きながら日夜仕事に励んでおります。なお、登場する船名や地名は、現在実在するものがほとんどです。下関のことをよく知らない皆様には、少し分かりづらかったことと思いますが、この機会に、観光都市下関にぜひ来てみて下さい。
 







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