表紙絵(堀切峠・都井岬)及び挿絵
森田正孝 作 日展会友、日洋会委員、熊本県美術協会会員、熊本県美術家連盟委員
The Research Of The Spy Ship
「工作船事件の捜査」
今井秀政
第七管区海上保安本部長
(前第十管区海上保安本部長)
「九州南西海域不審船事件」が発生したのは、あの全世界を震撼させた米国同時多発テロが発生した平成13年の暮れ12月22日のことでした。
当時、私は、第五管区海上保安本部(神戸市)に勤務していましたが、不審船からの激しい銃撃を受けている巡視船「あまみ」の映像など、報道を通じて事件の概要を知りました。
巡視船による正当防衛射撃の後、不審船は原因不明の爆発を起こして沈没。「大変な事件が起こった。十管区は忙しいだろうなあ。」と、当時は、まさか数ヶ月後に自分がこの事件の処理を担当するようになるとは全く考えておりませんでした。
それから2か月後、人事異動の内命があり、平成14年4月1日付けで、第十管区海上保安本部長に異動予定とのこと。
十管本部は鹿児島市にあります。鹿児島といえば、雄大な桜島かギョロ目の西郷さんが真っ先に思い浮かぶはず、しかし、私の脳裏に浮かんだのは、桜島でも西郷さんでもなく、あの衝撃的な銃撃シーンでした。
責任の重さをひしひしと感じつつ、初めての勤務地鹿児島に赴任しました。その後1年間、不審船(工作船)との長い長いおつき合いが始まったわけです。
事件発生直後から、十管本部には、「海上保安官に対する殺人未遂罪及び漁業法違反(立入検査忌避)」の容疑の全容を解明するために捜査本部が置かれていました。
事件の全容解明のためには、不審船の乗組員に生存者がいないこと、証拠物の大半が船体と共に海底に沈没していることから、何としてでもこの船体を引揚げなければならない。新年度早々、関係者全員が一丸となって取り組んでいくことを確認し、一連の作業を開始しました。
既に、2月25日から3月1日までの自航式水中カメラ等による調査で、不審船の沈没位置は確認できていましたので、次の作業は、船体の引揚げが可能かどうかを判断するため、民間の潜水士等による有人潜水調査を行うことでありました。
5月1日から8日まで行われたこの調査は、風、波高、潮流などの気象・海象条件が良く、極めて順調に行われ、内心、「よしよし、この調子だぞ。次はいよいよ船体の引揚げだ。きっとうまくいく。」と順調な滑り出しに、まずは一安心。芋焼酎もスムーズに胃の中へと入って行きました。
その後、技術的に船体の引揚げは可能との判断がなされ、5月下旬には、小泉首相から、「引揚げについては、台風シーズン前に可能となるよう中国側と協議し、理解を進めて欲しい。」との指示があり、中国との調整の後、6月21日には、船体引揚げについての政府方針が決定されました。
十管本部では、何時ゴーサインが出されても対応できるよう準備を整えていましたので、6月25日、直ちに、引揚げ準備作業に取りかかりました。
工作船を追尾する巡視船「いなさ」
しかしながら、例年にない数の台風が次から次へと来襲し、引揚げの9月11日までに、作業が実施できたのはわずか23日間で、55日間は中止せざるを得ませんでした。
焦りを誰にぶつけることもできず、表面上は極めて平静を装い、「そのうち揚がるよ。」と自らに言い聞かせる毎日が続きましたが、関係者の粘りと頑張りにより、ついに、事件発生以来実に263日振りでしたが、不審船は、水深90mを超える海底から、再び海上にその姿を現しました。
これで、事件捜査の大きな山場を乗り越えたことには間違いありませんでしたが、今度は、「船内からどんな物が出てくるのか。ちゃんと証拠物は残っているだろうか。」一区切りついた安堵感に浸る間もなく、期待と不安の入り混じった複雑な気持ちになったものでした。
その後、作業台船を鹿児島港へ曳航し、船尾の観音扉の中に格納されていた小型舟艇に取り付けられていた自爆用の爆発物の処理などの船体の安全化作業に着手しました。
ところが、この作業が思いのほか難航しました。爆発物処理能力を有する海上保安官数名が、泥と油の堆積する船内で、鼻をつく何とも言いようのない悪臭の漂う中、取り扱いを間違えれば、何時爆発するかも知れないというプレッシャーを受けながら、手探りで危険物を一つ一つ処理していきました。そして、ようやく、10月6日にこの作業を終了し、船体を鹿児島ドックに陸揚げすることができました。
この間3週間、作業は、当初の予定1週間を大きくオーバーしましたが、10月4日には、作業の過程で回収した小型舟艇、水中スクーター、金日成バッジ、さらには、各種の武器などから、この不審船は北朝鮮の工作船であると断定することができました。
引き揚げられた工作船
以後、年末・年始返上で、船体の詳細な調査、1032点に及ぶ膨大な数の証拠物の整理、分析、鑑定など所要の捜査を実施し、全ての作業を終了して、本年3月14日に鹿児島地方検察庁へ送致しました。
何とか在任中に、事件の区切りをつけることができ、わずか1年間でしたが、本当に長い長い工作船とのおつき合いを終え、3月31日に、現在の勤務地である北九州へと鹿児島を後にしました。
現在、工作船は、東京のお台場にある「船の科学館」に運ばれ、9月30日までの予定で一般公開されていますが、事件の捜査に携わった者の一人として、できるだけ多くの国民の皆さんに見てもらい、あんなとんでもない船が我が国周辺の海上を徘徊していたという実態と、事件の重大性を認識してもらいたいと心から願っている次第です。
視察中の扇国土交通大臣
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