IV 瀬戸内海の海上信仰に関する神社
21 厳島神社と管絃祭
厳島神社の祭礼で代表的なものが旧6月17日に行われてきた管絃祭である。旧暦6月17日に厳島神社を出発した御座船が御神体を載せて対岸の地御前神社まで管絃の調べに乗って渡御する。瀬戸内海西部の重要な海上に関する信仰のひとつである。
管絃祭の御座船
22 厳島神社管絃講幟 23 厳島神社御用講堤燈箱
厳島神社管絃祭の際に、御神体を乗せる管絃船は、以前は、3隻を舫(もや)って造る。この3艘の船は倉橋島で建造され、奉納されてきた。その由来は、明確でないが、江戸時代の倉橋島の船棟梁濱田屋善右衛門の時から代々濱田屋が奉納してきた。しかし、濱田屋が明治時代になり、造船業を廃業してからは、友沢氏・原氏・浅木森氏・加納氏といった倉橋島の棟梁により、大正12年に「管絃船御用講」が結成され、分担して献納するようになった。この幟・堤燈は、その時のものである。現在でも講のメンバーは管絃祭の前日から神社に出向き、祭が終わるまで神社で生活をする。
なお、管絃船は縁起が良いとされ、祭り後は希望の漁師などに払い下げられ、翌年の建造費にあてられていたが、木造船の衰退とともに、昭和37(1962)年に倉橋島の桂浜に格納庫を作り、保存して毎年使用している。現在、温泉館前の沼地に展示している船は、昭和37年に建造されて、現役を退いたうちの1隻である。
倉橋島には厳島神社に関わる伝承が多く残っている。長谷地区では、オオジンデの谷田に厳島の神が立ち寄られ、自分の居所にしたいと思われたが、夜、あまりに鳥がうるさく鳴くので宮島に移って行ったと伝えている。宇和木地区では、厳島神社は宇和木の浜に置かれるはずであったが、浜が遠浅で船の出入りに不便なため、宮島に鎮座したと伝えている。鹿島でも、本来は、鹿島が官島になるはずであったが、谷の数が99しかなかったため、宮島に鎮座したと伝えている。
厳島神社の管絃祭は、旧6月17日に行われていたため、厳島神社がある各地では、さまざまな行事が行われていた。倉橋島では、「十七夜」といい、本浦地区では、その年にとれた麦わらを子どもたちが集め、浜でとんど焼きをし、長く燃えることを競った。室尾地区では、三味線を浜に持ち出し、弾き歌った。船で、厳島に参詣するものも多く、厳島神社では、倉橋の船には特定の場所が与えられるなど優遇されてきた。
大漁旗は、船卸し、大漁など船の祝いの時に飾られた。船の名前、船主名などを色鮮やかに描いている。
項目 |
番号 |
展示物 |
造船儀礼と船玉 |
1 |
チョウナ始めと祝詞 |
2 |
船玉(御倉) |
3 |
船玉(神体模型) |
4 |
船玉祭器 |
5 |
木割書・観音経巻物 |
6 |
船卸しのパネル |
7 |
船卸し歌(テープ) |
海上安全信仰の断面 |
8 |
トロブ・亀ヶ首遺跡出土品 |
9 |
木札(文久3年・嘉永7年白華寺) |
10 |
長谷河内社船模型 |
11 |
奉納船模型 |
12 |
奉納板図(出来伊平・明治38年) |
13 |
奉納操舵輪(第10長栄丸) |
14 |
奉納板図(長州御関船) |
15 |
奉納板図(音光丸) |
船絵馬 |
16 |
船絵馬(宝暦11年) |
17 |
船絵馬(天保11年)伊勢丸 |
18 |
船絵馬(嘉永7年永福丸) |
19 |
船絵馬(文久3年本屋伊兵衛) |
20 |
船絵馬(明治6年住吉丸) |
瀬戸内海の海上信仰
(厳島神社と倉橋) |
21 |
管絃祭パネル |
22 |
厳島管絃講幟(濱田屋新六) |
23 |
厳島神社御用堤燈箱 |
24 |
宮島管絃船の模型(三艘舫) |
25 |
十七夜パネル |
船の生活と信仰 |
26 |
大漁旗 |
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長門の造船歴史館
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