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港川東長嶺チュコーレーの系図
 港川に最初に定着したと伝承されているのは、現在の東長嶺の戸主から4代前の祖先です。この人は、糸満の幸地腹門中の大長嶺の三男でした。この人の長男と二男の家筋(東長嶺と西長嶺)が村元として村落祭祀の場で重要な役割を果たしています。
 港川長嶺一門の「ウサカティ徴収簿」(門中の諸経費の徴収簿)では、最初の一人から、44世帯まで広がったことがわかります(ただし、この中には字外に居住している人も含んでいます)。
 
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港川長嶺チュコーレーが作成した「幸地腹門中長嶺大屋東長嶺系家系図」(1987)を元に作成。家号のついていない家や不明な家は空白のまま記してある。
 
家号の法則
 家号は原則的に長男が親の家号をそのまま引き継ぎ、二、三男は分家して新しい家号を名乗っています。その場合、親の家号の前に「二男」、「三男」をつけるケースがよくみられます。例えば、第四世代の「蒲戸長嶺小」は、第五世代の長男がそのまま「蒲戸長嶺小」を継承し、弟(二男)は「二男蒲戸長嶺小」と名乗っています。しかし、このやり方は、次の世代からは採用されていません。つまり、第五世代の「二男蒲戸長嶺小」の長男(第六世代)は「二男蒲戸長嶺小」ですが、その弟(第六世代)は「二男二男蒲戸長嶺小」とは名乗っていません。「二男〜ヤー」のような名づけ方は世代が下ると「二男二男〜ヤー」と同じ言葉が重なり長くなるので、家号として使われなくなるわけです。
 このことに関連して、家号の前に戸主の名前をつける例があることに気が付きます。例えば、第五世代の「悟長嶺小」や「牛一長嶺小」は、戸主の名前が家号の一部に使われている例です。このような例は、港川だけでなく、糸満でもよくみられます。







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