日本財団 図書館


ホスピス・緩和ケアの学会・協会について
 
 次に, ホスピスまたは緩和ケアに関する国際学会または協会にどのようなものがあるかを調べたものを表3に示す。それによると, 1980年に発足したAからB(The International Association for Hospice and Palliative Care; IAHPC)が生まれ, またこのBからはC, D, Eが生まれた。
 IAHPCは, 緩和ケアの世界的な発展と成長のために貢献するユニークな組織である。IAHPCは財団法人であり, 宗教色もなく, 政治的にも偏らないことが求められる。また, 何億人もの人々が不必要な痛みを伴って死ぬことはよく知られている。そのような痛みは十分な緩和ケアによって予防され, 緩和される。IAHPCは, 現存する協会や個人とともに働くことを目的とし, コミュニケーションや資料などを提供し, また教育や人材養成の機会をつくることを目的としている。
 また, The International Hospice Institute and Collegeについて, IAHPCの現学会長のDerek Doyle医師は次のことを国際的立場から強調している。すなわち, IAHPCの目的は, ユニークな緩和ケアのモデルとなるばかりでなく, 国々を励まして, それぞれの国の状況で可能なことができるように, 緩和ケアの準備のそのモデルを開拓することである。この組織は, 先進国の今までの経験の利点を紹介し, また, 先進国において専門技術を積むことを期待するが, 単なる「真似」ということだけに止まることは期待していない。
 2000年9月にInternational Association for Hospice and Palliative Careがカナダのモントリオール市で開かれたが, 国の諸事情でホスピス運動が起こりにくいロシア, コロンビア, サウジアラビアやインドの問題がとりあげられたとのことである。長年, 事務局はMount教授のもとにあったが, これはアメリカのテキサス州ヒューストンのM.D.アンダーソン病院に移されることになった。
 
表3 ホスピス緩和ケア関連の団体
A: The International Hospice Institute, 1980
B: The International Association for Hospice and Palliative Care (IAhpc) (for doctors, nurses, and members of the Interdisciplinary team)
C: The Academy of Hospice Physicians
D: The American Academy for Hospice and Palliative Medicine
E: The International Hospice Institute and College (IHIC)
 
ホスピス・緩和ケア病棟の病床数
 
 世界各国のホスピス・緩和ケアの施設の活動状況を調べることは困難である。イギリスについては, 聖クリストファーズ・ホスピスの広報部での調査で国全体としての動向がかなり詳しく分かるので, 2000年1月の統計を報告する。
 イギリスでは, 入院ホスピス施設の総数は220カ所, そのうち国営(National Health Service; NHS)によるものは56施設であり, 民間のホスピスの内容は表4のとおりである。総数220のホスピスに対して3,205床である。さらに詳しい統計によると, 228のホスピス中, 22ホスピスは小児専用である。また, 228のホスピスの3分の2は, 民間のボランティアの資金によるものであり, 全病床3,048床は, 人口100万人に対して52床である(日本では人口100万人に対して12.5床)。1カ所のホスピスの平均病床数は15床であるが, 10床という少数ベッドの施設が最も多い。平均在院日数は15日で, 日本はその3倍にも長くなっている。
 
日本におけるホスピス・緩和ケアの進展
 
 次に, 日本におけるホスピス運動の概要について述べる。日本では, 柏木哲夫教授が1973年からチームを組んで末期患者のケアについての研究に取り組んでこられた。また, 1979年に聖クリストファーズ・ホスピスを訪れた。そこでは, 医療チームによりがん末期患者へQOLの高いケアを提供しているのを精神医学者の立場から見学した。そして帰国して, 同志を集め, 「死の臨床研究会」が1977年に発足した。
 私もこれに参加し, 1979年の第2回総会では, 「延命の医学から生命を与えるケアへ」という題で, がん末期患者が残された短い時をQOLの豊かな生活ができるように援助することの必要性を述べた。そして柏木教授や岡安大仁教授ともに日本の各地にホスピスをつくる運動を開始した。
 
表4 イギリスにおけるホスピスと緩和ケア病棟の数
1. 入院ホスピス施設
入院施設 施設数 ベッド数
ホスピス*
Marie Curie Centres
Sue Ryder Homes
イギリス政府経営の病棟
154
10
7
57
2,238
258
138
607
228 3,241
* 子ども用ホスピスの22を含めて175床と3つのエイズ用ホスピス(70床)も含まれる
 
2 民間サービス
民間の緩和ケア・サービス(Macmillan Nursesも含める)
ナーシング・ホームの延長
デイケアのホスピス
病院が訪問看護を派遣
病院の緩和ケア病棟
335
68
242
116
208
(2001年1月現在)
 
 日本では, 1981年に浜松市のキリスト教病院である聖隷三方原病院に緩和ケア病棟の第1号が, また1984年には大阪に同じくキリスト教系の淀川キリスト教病院に第2号の緩和ケア病棟がつくられ, 柏木医師がその担当医となった。
 1987年には, 国立がんセンター東病院にも緩和ケア病棟がつくられた。厚生省は, 予後が6ヵ月以内に迫っているがん, またはエイズの末期患者をケアする施設を認定した。この時, 個室の差額は自費と, ほかはすべて健康保険でDRG/PPC方式にて支払われる制度がつくられた。1991年には, 仏教系のホスピスもつくられた。
 それまでにできたいずれの施設とも形態が異なるはじめての独立型ホスピスが, 私が理事長をしているライフ・プランニング・センターにより, 富士山の眺望される神奈川県下のゴルフ場に1993年につくられた。このピースハウスホスピスは22床を有し, 同時にホスピス研究所を持ち, 音楽療法も早くから導入した。
 第1号の緩和ケア病棟ができてから今日(2000年12月1日)までの20年間に, 83のホスピス・緩和ケア病棟がつくられた。これらの承認された施設の責任者が集まって毎年, 全国ホスピス・緩和ケア病棟連絡協議会が開催され, QOLの高いケアを提供する施設となるよう自主的努力が払われている。この協議会は, 各施設の退院患者や患者の遺族に直接アンケートを送り, その満足度を調べ, その結果をそれぞれの施設に伝えるという方法をとって, 各施設のホスピス・緩和ケアの質が高まるように援助してきた。
 1998年の統計では, 日本の人口は1.2億人であるが, 年間死亡の30.3%(総数283,921人)はがん死である。ホスピス・緩和ケア病棟の全病床数1,537床から計算すると184.7名の死亡に対して1人の入院となる。各施設の平均在院日数は4〜5週間であり, これは英米に比してはるかに長い。
 各施設は在宅ホスピスケアも同時に行っているが, イギリスやアメリカに比べると, 日本では病院死が多く, 約9割となっている。そのため, ホスピス・緩和ケア病棟においても多くが施設内で死亡し, 自宅に帰って死を迎えるものはきわめて少ないのが現状である。これは日本人の家族構成が, 病人を家の中で世話することを非常に困難にしていることの影響が大きいと思う。
 なお, 30年前の日本では, がん告知はむしろ例外で, がんのインフォームド・コンセントはできなかった。しかし, 最近は日本人のがん患者の3分の2は告知を受けているように思われる。
 日本において今後さらに検討すべきことは, がん告知を高めることと, 末期までの過程でもっと患者をケアすることである。そのためのナースのトレーニングがさらに進められる必要があると思う。
 アジアの民族は, 概して当人へのがんの告知率は低いようである。各国がそれぞれ, 文化的・宗教的特色の中にこの問題をどう解決すべきかが, 多くのアジアの国々に大きな問題として投げかけられているのである。
 
アジア太平洋地域ホスピス・緩和ケア協議会
 
 次に, アジア太平洋地域にホスピス運動がもっと展開されることの必要性について述べる。それには, まずアジアの国々のホスピスに関する情報や人材の交換・交流が大切であると考えられる。
 国々は独自性を保ちながら, それぞれの施設が独立してでなく, 交流が図られなければならない。すなわち, 緊密なネットワークのもとにターミナルケアのあり方を考え, よりよいホスピス・緩和ケア病棟をつくる必要がある。医師やナース, その他の関係職によるケアの学習も重要である。それに添い, (財)ライフ・プランニング・センターは, 毎年アジァ太平洋地域での国際ホスピス・フォーラムを持つことを1995年から提案したのである。
 そこで, 日本財団の援助を受けて, 毎年の東京にて国際ホスピス・フォーラムを催すととともに, アジア・太平洋地域ホスピス協議会(ネットワーク)開催の際には, オーストラリア, ニュージーランド, 香港, シンガポール, 台湾, インドネシア, マレーシア, インド, 韓国, ベトナムなどのホスピス代表者が集まり, 協議を重ねてきた。
 1997年に東京で開催された第5回の「アジア太平洋地域ホスピス・フォーラム」の時に, この協議会をAsia Pacific Hospice/Network(APHNW)と改名し, 1998年は東京で, 1999年度は香港で, 2000年度はシンガポールでAPHNWが開催されるに至った。
 これを法人として登録するためにシンガポールに事務局を置いた。私が議長となり, Goh医師がボランティアの名誉事務局となり, オーストリアからシンガポールに移動されたShaw医師が専任理事となって各国を訪問し, それぞれの国のホスピス・緩和ケアで働く医療職の指導を行うようになった。その経済的負担は, 日本, 香港, 台湾, シンガポールの幹事国が負担することになった。この協議会の総会は1997年以来, 過去4回もたれ, 条文が決められた。以下, 本組織の目的や運営について若干説明したいと思う。
 事務局はシンガポールに置き, その基準と目的は表5のとおりである。
 
東アジアと中東におけるホスピスと緩和ケア病棟, 在宅ケア・ホスピス
 
表5 APHNWの基準と目的
【基準】
a. 一人ひとりを尊重し, 人類, 性別, 年齢, 学歴あるいは社会的・経済的立場から分けへだてしない。
b. 人間の生涯の一瞬一瞬を大切にし, 一人の人の人生を短くするような意図をもたず, どのような行動も強制しない。
c. ケアとケアをするグループのメンバーとして家族の重要性を理解する。
d. 個人や家族はケアについての決定に対してあらかじめ知る権利がある。
e. ケアを提供することから起こるすべての情報の守秘義務がある。
f. 個人, 家族とコミュニティの権利付与を信じる。
g. 個人の信仰, 信心, 文化を重要視する。
h. 法律を尊重すること, それぞれの国の法律内で仕事する。
【目的】
 この協会の目的はアジア・太平洋地域のホスピス・緩和ケアを高めて協会の基準に沿ってすること。
a. ホスピス・緩和ケアプログラムの発展と他の関連の発展を促進する。
b. 専門技術と一般人への教育を行う。
c. コミュニケーションの促進と情報を高める。
d. 研究の促進と共同歩調をとる。
e. 他の職業と公的組織との協力を促進する。
 
表6 中東の国のサービス
国名 サービスの数 割合*
イスラエル
ヨルダン
レバノン
20
1
準備中
4.08
0.24
*人口に対するサービスの割合
 
 東アジアの各国におけるホスピス・緩和ケア病棟, 在宅ケア・ホスピスの数と, その数とその国の総人口(億単位)の比を調べてみると, 次の結果が得られた(聖クリストファーズ・ホスピス広報部による)。
 これによると, 東アジア13カ国の中で施設の数が一番多い国順から, 日本83, インド75, 韓国60, 台湾39, マレーシア23, 中国と香港が各18, インドネシア6, バングラデシュとパキンタンが各2, タイとベトナムが各1となっている。この13カ国でホスピス・緩和ケアサービスを行っている施設の総計は, 326施設である。
 なお, 中東の国々では表6のようになっている。これによると, イスラエルが中東だけでなく, アジアを通して他の国よりもサービスの数がもっとも多い。
 
B.T.Voices for Hospice
 
 最後に, 世界的にホスピス・緩和ケア病棟の数が増加するとともに, その質が高くなるためには, 医療職のみならず, 各国の国民全般に, 死にゆく人々の生涯の最期の時が充実した, 患者にとって意義あるものとしなければならない。その人の人生の終わりがシェイクスピアの戯曲のタイトル『終わりよければすべてよし(All's well that ends well)』のように, 東洋でいえば「有終の美」が死にゆく人にもたらされるためにも, 広く国民にホスピス運動の意義を理解していただいたうえで国民からのさまざまの援助でホスピス運動を世界に広げるべきだと思う。
 このような趣旨のもとにロンドンのBritish Telecommunication Plc(Public Limited Company)が中心となって計画したのがB.T.Voices for Hospiceである。これは世界中に同時刻に, それぞれの地のホスピス・緩和ケア病棟を中心として, ヘンデル作曲のメサイアを合唱するという計画である。ニュージーランドを最初に合唱の口火が切られ, それが西に向かって移動する。オーストラリア, フィリピン, 日本, 台湾, 香港, シンガポールと移動し, アジア諸国, インド, アフリカ(ケニヤ, ウガンダ), 中東, 北欧, フランス, ドイツ, イギリス, 北アメリカ, 南アメリカ(アルゼンチン, プラジル), ハワイへと地球を一周する。
 この企画は1991年度以後, 3年ごとに行われてきた。1994年10月には23カ国・200会場で, 1997年には45カ国・547の会場で, メサイアの合唱が行われ, 1997年10月18日には, 日本から私の関係するピースハウスホスピスも初めてこれに参加した。2000年10月14日には, 世界の43カ国から500カ所の各地でメサイアの合唱が行われた。これはまさに地球全体規模の行事となった。この時には, 日本ではピースハウスホスピスと小田原市の有名な混声合唱団が加わって, ホスピスの近くのコミュニティホールでメサイアの盛大な合唱が会場を震わせた。
 シンガポール・ホスピスカウンセリング(SHC)はシンガポール・ホスピス協会と協力して, 2000年10月14〜21日を「ホスピス週間」とした。その間, ホスピス設立の募金のためにいくつかの行事が予定され, シンガポールの社会でホスピスをより広く知ってもらう機会をつくるためにも広く運動を展開した。
 
おわりに
 
 聖クリストファーズ・ホスピスのシシリー・ソンダース博士からも, ホスピス運動を音楽をもって拡げるキャンペーンに対して次のような熱いメッセージが贈られた。
 「B.T.Voice for Hospiceは, 患者とその家族のために終末期にも高いQOLを保つというホスピスの目的を考える企画です。1991年に小規模でスタートしたこの企画は, 関わった人々すべてがメサイヤ(あるいは少なくてもハレルヤ・コーラスのみ)を一緒に歌うという運動を通して世界的にホスピス・ムーブメントが広がってきました」
 合唱の声が世界各国を一周するという民間の団体がボランティアとして始めたこの企画は, きわめて時宜を得た催し物といえよう。このような民間の絶大な支援により, まだホスピスまたはホスピスプログラムのない国々にもホスピス運動が展開されるだろうことについては, 必ず実り多き成果をもたらすものと信じる。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION