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IV. Norfolk and Norwich University Hospitalとサー・トマス・ブラウンの墓所を訪ねる
 5月31日午後、Norfolk and Norwich University Hospital を見学。ノーリッチ市の市街地から東の郊外に、ノーフォーク市とノーリッチ市を包括したNHS Trustの施設として新設された大学病院である。現代的なガラス張りで吹き抜けのセンターブロック(Day Procedure Unit と3病棟)を挟んで両脇にウエストブロック(Children's Department と2病棟)とイーストブロック(4病棟)がある。
 この大学病院で特記することは、私がウィリアム・オスラー博士の著書を通して詳しく知るに至ったサー・トマス・ブラウンの頭蓋骨が所蔵されていること、そしてサー・トマス・ブラウン記念図書館が設置されていることである。
 トマス・ブラウンの頭蓋骨は、大学の図書館に至る1階エレベーターホールに、ケースに入れられて飾られていた。また、記念図書館にはトマス・ブラウンの『医師の信仰』ほか数々の著書と、オスラーなどがトマス・ブラウンについて触れている関連図書も陳列されていた。
 ノーリッジ市が、トマス・ブラウンのゆかりの街であることは、45年間もの間、特別に関係もないこの街で患者の診療に当たったり、勉学に努めたためであるが、市街のほぼ中央に位置するSt. Peter Mancroft 教会の祭壇近くにトマス・ブラウン夫妻が葬られていること、そして教会前の広場には『骨葬論』を著したトマス・ブラウンがその著書にちなんだのか骨壷を高く掲げている彫像が据えられていることからも明らかである。オスラー博士は少年の頃、ジョンソン牧師の影響によってトマス・ブラウンを尊敬するようになり、1905年には「トマス・ブラウン卿」と題した講演を行っている。そして、自分が死んだ後、棺にはトマス・ブラウンの著書『医師の信仰』を載せて葬儀をしてほしいと願ったということはよく知られているが、トマス・ブラウンの頭蓋骨や墓所を詣でることができたのは幸いであった。
 
トマス・ブラウンの頭蓋骨と同ライブラリー教会前広場に建つトマス・ブラウンの彫像
V. オックスフォード市のオスラーの住居とオックスフォード大学グリーンカレッジ訪問
オープンアームズへ
 6月1日朝ノーリッジをバスで発ち、オックスフォード市へ向かった。オックスフォード市は、オスラー博士が55歳でオックスフォード大学から欽定教授として招かれて赴任し、それ以後亡くなるまでの14年間を過ごしたところである。
 オスラー博士の住居は、オックスフォード市のランドルフ・ホテルの設計者でもある有名なウィリアム・ウィルキンスの設計になるもので、オックスフォード大学クィーンズカレッジの代表者トーマス・ダリンのために建てられたものを1906年にオスラーが買い取り改装を施したものである。当時のオスラー家は、医学生や若てなしを受けたところから、“オープンアームズ”と呼ばれていた。その住居は、オスラーの死後、夫人によってクライストチャーチカレッジに寄贈され、その後オックスフォード大学からグリーンカレッジに貸し出されていた。私たち日本オスラー協会員が1994年に訪問したときには、外国人の数組のフェローの住居に使われていたが、2001年米国オスラー協会の創始者の一人であるマックガバン博士の寄付によってグリーンカレッジに買い上げられ、「オスラー・マックガバン・センター」としてオスラー記念館となっている。オスラーの書斎は当時のままに保存され、オスラーに関する写真、資料、ガウンなどが展示されていた。この記念館としての保存のために、昨年われわれ日本オスラー協会員から寄付を募り、6,000ポンドの資金協力をしたが、その資料もきちんと保存されていた。私たちの訪問はすでに本年頭のカレッジのニュースで報じられており、ライアン教授(皮膚科)はじめスタッフからの心のこもった歓迎を受けた。そして、私たち一人一人にオスラー博士の額入りのポートレイト(文学部のガウン着用)など関係資料をいただいた。
 
オープンアームズとグリーンカレッジ







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